最終章#66 知りたくて、これからも
推薦希望調査 氏名:入江大河
第一希望:演劇部部室
第二希望:第二会議室
第三希望:生徒会室
SIDE:時雨
入江大河という女の子は美緒ちゃんによく似ていた。
どこまでも真面目で、正しく在ろうとするその姿は、自分にも他人にも厳しい美緒ちゃんの姿と重なる。夏休み前に彼の間違いを指摘したのは、まさにその現れだったと言えるだろう。
だからボクは美緒ちゃんの想いを彼女に継いでもらおうとした。
夏休みにはその背中を押し、選挙のときには足りない強さを補うべく追い詰めて。けれど、そんな風にせずとも充分に彼女は強かったのだ。
入江大河という少女は、限りのない真っ直ぐさにある。
正しく在ろうとし、時に剥き出しの心で相手とぶつかり、分かり合おうとする。決して曲がらないその芯こそ、彼女の強さ。
それは不確かな彼を支える添え木のようで。美緒ちゃんと同じ存在だった。
美緒ちゃんの代わりになってもらおう、とは思っていない。彼女と美緒ちゃんに相違点があることは知っている。全てが同じであるならば、それはただの生き写しだ。
そんな簡単に生き写せるほど、美緒ちゃんは安い子じゃない。
それでも、彼女の真っ直ぐさに憧れたのなら。
それは美緒ちゃんへの想いが今も残っている証拠で、未練で、彼と美緒ちゃんの愛が永遠であることの証明だ。
そう思っていたけれど――
「ここもダメ、か」
空っぽな第二会議室を見て、ボクはまた間違えたのだと気付いた。
二年A組は、雫ちゃんを探しに行ったときに確認した。そのときに見つからなかったのだから、もう三つ目を見に行く必要はない。
真っ直ぐで強く正しく在ろうとする彼女は、姉に憧憬を抱き、恵海ちゃんが過ごした場所に訪れて、よりよく在ろうと宣言する。
そうでなければ彼との最初の仕事だった体育祭で最も長く過ごした場所を訪れ、懐古するだろう。そう予測した。
彼と彼女の思い出の地はまだあるけれど、この天気だ。入江大河という女の子が向かうはずがない。そんなことをする女の子ではないはずだ。
『不良とは、優しさの事ではないかしら』
「…っ」
読み漁ってきた文字の渦が、文豪の言葉を連れてくる。
そんなの、認めてなるものか。
◇
推薦希望調査 氏名:百瀬大河
第一希望:プール
第二希望:
第三希望:
SIDE:友斗
大河はどこにいるんだろう。
考えて、ちっとも迷っていない自分に驚いた。
扉の前に立ち、ドアノブに触れ、胸に満ち溢れる確信に苦笑する。扉の向こうで鳴る雨音は思いのほか強く、大河のことを知っていればありえないと一笑に付すはずなのに、どうしてここだと確信しているのだろう。
意を決してドアノブを捻る。
ほとんど抵抗なく開く扉が、何より雄弁に正解を報せる花丸をくれた。
プールに足を踏み入れれば、小雨よりやや強い雨粒たちが頬を濡らす。
構うものかと歩を進めると、空っぽなプールのど真ん中に少女が立っていた。
――ああ、奇麗だ
冬、雨、プール、ショートカットの女の子。
ミスマッチに見える後ろ姿は、息を呑むほど美しい。
退廃した世界でそれでも立つジャンヌダルクのようにさえ見える……なんていうのは、彼女に幻想を抱きすぎかもしれないけれど。
「何やってんだよ、生徒会長。ちょっとばかし、おいたが過ぎるんじゃねぇの?」
その奇麗な景色をあえて踏み荒らすように言えば、俺の大好きな女の子は振り向いた。
彼女はばつが悪そうな顔をして、毛先を指で弄りながら返してくる。
「しょうがないじゃないですか。悪い先輩に囲まれているんです。教育係だった先輩なんて、詐欺師かペテン師だって思ってしまうような人なんですから」
「俺は詐欺師でもペテン師でもねぇよ。大河のこと、騙したことないだろ?」
「なるほど、自覚なかったんですね」
「酷いなっ?!」
俺がツッコむと、大河はぷっと無邪気に破顔した。
大河の笑い声と雨音が綯い交ぜになって、ポップで楽しい音楽みたいになる。
「本当に……ユウ先輩と出会ってから、悪いことばかり知っているような気がします」
「まるで俺が悪の伝道師のような言い方だな」
「いや、そこまでは言ってないです」
「あっ、そう……」
そうね、俺はそこまで凄くないよね。
俺が苦笑していると、大河はそっと大切なアルバムを眺めるように続けて言った。
「皮肉を知って、邪道なやり方を知って、人を好きになることを知って……挙句の果てに、四人で一緒になる、なんて不埒な在り方を望むようになってしまいました」
「そう、だな」
「このかくれんぼだって、私は反対だったんですよ? ユウ先輩に迷惑をかけるのは気が引けたので。でも、雫ちゃんが『無茶苦茶された仕返しがしたいよね』って言ってて」
「あー、なるほどなぁ」
言いそうだな、雫なら。
けどそれだけならわざわざこんなところに来るはずがない。プールの鍵を借りるのに理屈をこねくり回し、雨の中でも待ち続ける。そんなの、ただのノリで済む話じゃないだろう。
「何だかんだ、大河もノリノリなんだあ」
「それは……はい。一度、ユウ先輩ときちんと話しておきたかったんです」
「話って……別に、それならいつでも幾らでも聞くぞ。これからずっと一緒なんだしな」
と、言いつつも。
大河の気持ちは俺にも分かった。
だって大河とここで話したいって思ったから、俺は大河がここにいると思ったんだ。
「まさか雨が降るなんて思いませんでしたけど。ここで話したいって決めてたんです」
「そっ…か。じゃあ――これ、羽織っとけ」
大河の隣まで行き、俺は上着を大河に羽織らせる。
ほんの少しびくっと肩が跳ねたかと思うと、大河はこちらを上目遣いで見つめてきた。
「いいんですか……? ユウ先輩が、冷えてしまいますよ」
「問題ない。こう見えて筋肉はある方だからな。代謝がよくて、熱を帯びやすいんだよ」
「……筋肉があるのは、知ってます」
「その言い方は色々と誤解を生みそうだな」
実際、もうだいぶ温かくなってはきているのだ。
まだ春というよりは冬だと思うし、冷えはする。でも凍えてどうしようもないほどの寒さではないし、何より跳ね続ける鼓動のおかげで血の巡りがバカみたいによくなってるから、上着を貸すくらいなんてことはない。
ぽたぽた、ぽたぽた、雨が降る。
濡れて頬に貼りつく大河の髪に触れると、くすぐったそうに大河は身をよじった。
「ねぇユウ先輩、覚えてますか? 夏休み私たちがケンカしたこと」
「そうだな、よく覚えてる。お互いに水かけまくってヤバかった」
「あれはユウ先輩がいつまでも強情だったせいですけどね」
「まぁな。……けど、おかげで割といいものも見れたし、そういう意味じゃ役得だったかもしれん。今だから言えることだけど」
「いいもの……?」
「大河のスク水姿。しかも上に体操着とか、最高に可愛かった」
「――っ!? あのときはそんなこと言ってなかったじゃないですか……!」
「今だから言えることだって言っただろ。今から考えたら、あのときから俺は大河のことが好きで、あの姿を心底可愛いって思ってた」
今口にすることは、今の俺の主観でしか語れない。
『好き』は魔法なのだ。世界を変えてしまう、どうしようもなく強力な魔法。それは呪いと言い換えてもいいし、もっと別の言い方だってできるのだと思う。
「もう……ユウ先輩は変態です」
「澪と比べたらマシだろ?」
「参考文献では、普段は欲がなさそうな人の方が凄いと書かれていました」
「だからその参考文献は偏ってるから! 間違ってないだろうけども!」
俺が言うと、大河はくすくすと笑って、冗談です、と告げてきた。
大河は懐かしむように明後日の方向を見つめ、ぽつぽつと言う。
「あのときからずっと、多分私の願いは変わってないんだと思います」
「…………」
「私は、知っていたいんです。ユウ先輩のことも、澪先輩のことも、雫ちゃんのことも……大切な人の傷を、知っていたかったんです」
大河はそこまで言って、自嘲気味に笑った。
「全部を知っていたいなんて、気持ち悪いですよね。どんなに仲がよくても、言えないことはあるはずなのに」
「そうかもしれないな」
素直に俺は肯った。
大河の言う通りだろう。仲がいいから全てを知っていたいと思うのは傲慢だ。たとえ家族でも言えないことはあるし、秘密を持つことは悪ではない。
それでも、
「俺は大河に知ろうとしてほしいよ」
「えっ……?」
「雫も、澪も、多分そうだ。大河に知ろうとしてほしいし、俺も知ってほしい。土足で踏み荒らしあおうぜ、お互いに」
愛ってそういうものなんじゃないか、って思うんだ。
|気持ち悪くてしょうがない思い《かぼちゃ》を『好き』の魔法が変えてくれる。
「それは……とても、魅力的ですね」
「だろ?」
「はい。本当に……ユウ先輩には、色んなことに土足で踏み込まれてしまいましたから。姉とのことにも、家のことにも、恋心にも。だから――私も、ユウ先輩に何度だって踏み込みますから」
大河は魅力的に笑うと、数歩俺から離れた。
俺にそっと手を伸ばし、不敵に笑う。
「私と踊っていただけますか?」
「もちろん、喜んで」
大河の手を取り、踊りだす。
ざーざー、ざーざー、降り注ぐ雨に濡れてぐちゃぐちゃになっているから、お上品なステップなんて踏めるはずがなかった。レンズが濡れて、視界も曖昧だ。
何も知らない子供みたいに、幼稚でバカっぽく踊る。
大河はどこまでも真っ直ぐだけど、俺だってバカでがむしゃらに突き進むのは得意なんだ。
「あっ」
体が温まるくらい踊ったところで大河が足を滑らせた。
慌てて抱きとめると、自然と大河との距離が近くなる。服越しでも否応なしに伝わってくる熱が、愛おしい。
「あっ、ありがとうございます……すみません」
「大河ってドジなところあるよな。そういうところも可愛いけど」
「ッッ! ユウ先輩には言われたくありません! ユウ先輩だって変なところで抜けてるじゃないですか!」
ムスっとした大河は、俺から数歩距離を取る。
怒ってるところも可愛いんだよなぁ。
頬を緩めると、大河は呆れたように溜息を吐き、言った。
「あの。ユウ先輩」
「ん?」
「そんなに私のことを好きでいてくれるんでしたら……忘れ物があると思いませんか?」
「忘れ物?」
はてと首を傾げる。
すると、大河はけふんこふんと大仰な咳払いをしてから言ってきた。
「参考文献によると…………お姫様を見つけた王子様がすることは、一つだそうです」
「っ、それって――」
「だからその……………………口づけを所望しますっっ!」
迷って、恥じらって、それでも我慢できなくなった、とでも言うように。
大河は涙目を真っ直ぐに俺に向けていた。
――ああ、好きだな
果てしなく思った。
「目、瞑っとけ」
「……嫌です。ユウ先輩の顔を見ていた方が、安心できる気がします。ダメですか?」
「大河が望むなら、開けたままで」
「はい」
片目を閉じて、大河はこちらを覗く。
唇を不器用にツンと尖らせて、恥ずかしそうに頬を朱に染めて、なのに瞳には確かな期待が見え隠れしている。
だから、
――ちゅっ
俺は不器用な彼女に口づけをした。
「…………ふわふわします。これ、好きです」
「俺も好きだよ」
「おかわりしちゃ、ダメですか……?」
「そんなに好きなのか」
「みたいです。はしたないですよね」
「いや、最高だ。けど風邪引くし、しなきゃいけないこともあるからあと一回な」
「……はい」
大河とのファーストキスは、淡い雨の味がした。




