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最終章#65 主人公とヒロイン

 推薦希望調査 氏名:綾辻雫

 第一希望:二年A組教室

 第二希望:生徒会室

 第三希望:一年A組教室


 SIDE:時雨


 ボクは綾辻雫という女の子を知らない。

 けれど冬星祭のときに実感した。彼女は強い子だ。彼のことを誰よりも愛し、その『好き』を曲げようとはせず、ついに『ハーレムエンド』に辿り着いた。


 冬星祭のときまで、ボクはあの子を除外することに躍起になった。

 それで何度も傷つけて、それなのにあの子はボクを許し、笑いかけてくれた。


 綾辻雫という少女の本質は、その無垢さにある。

 自分の想いに正直で、隠そうとせず、キラキラと輝くお日様。

 それは美緒ちゃんの強さとどこか似通っていた。


 彼と彼女が出会ったのは、美緒ちゃんを失った後。

 彼は彼女を美緒ちゃんの代わりに守ろうとして、しかし、かえって守られていた。


 その在り方に彼が焦がれたのなら。

 それは美緒ちゃんへの想いの名残で、未練で、今も彼と美緒ちゃんの恋が続いていることの証左だ。


 そう思っていたのに――


「あーあ。外れちゃったか」


 空っぽだった三つ目の部屋を見て、ボクはぽつりと零した。

 外した。

 時間から考えて、彼が先に来たということもないだろう。それなら答えを提出した段階で恵海ちゃんが言うはずだし。


 学年が離れた、先輩()後輩()

 彼女のことだから、彼がこの一年過ごしたけれど一緒にいられなかった場所に向かうと思って、彼のクラスと生徒会室を選んだ。

 それが違うのなら、残るは自分の教室だ。行きたかったんじゃなくて、来てほしかった。そんな風に願ったのかもしれない。


『愛することは、命がけだよ。甘いとは思わない』


 不意にかの文豪の言葉が頭をよぎって。

 ボクは彼の勝利を悟った。



 ◇


 推薦希望調査 氏名:()()()

 第一希望:三年F組教室

 第二希望:

 第三希望:


 SIDE:友斗


 扉の前に立つ。

 正直、当たっている自信はない。一応それっぽい理屈はあるものの、階段を踏むごとに不安は増していった。

 だというのに扉に触れた瞬間、ああここだ、と確信できた。

 ゆっくりと扉を開くと、


「正解です、友斗先輩。よく分かりましたね」


 大好きな人(百瀬雫)がいた。

 降り始めた雨と広がる雲のせいで空は塞がれ、それゆえに夕陽は差し込む様子がない。室内灯が点いていないせいで部屋の中は薄暗く、窓際に立つその少女はどこか儚げで、なのに決して消えることがないとも感じられる笑顔を浮かべていた。


 ――ああ、奇麗だ

 

 心底そう思った。

 どうしたって見惚れるに決まってる。好きすぎる。どくんどくん、と鼓動は鳴り響き、うるさくてしょうがない。

 なのにこのうるささが、BGMが、泣きたくなるくらいに愛おしい。

 BGMがあるからこそノベルゲームで没入感が生まれるように、鼓動の音が俺の想いを実感させてくれた。


「正解です、じゃねぇよ。普通に間違う可能性だってあったからな?」

「え~、そーなんですか? 結構チョロいかなーって思ってたんですけど」

「あ、雫は時雨さんとのゲームのルール、知らないのか」

「ん~? 霧崎先輩が何かするかなーって思ってましたけど、詳しくは知らないですね。教えてもらってもいいです?」

「ああ、えっとな――」


 俺は時雨さんとのゲームのルールを説明する。

 雫はうんうんと頷きながら聞き、最後にぷっと吹き出した。


「じゃあそれ、友斗先輩が勝手に難易度上げて困っただけじゃないですか!」

「うぐっ、いや、そうかもしれないけどさ。同じ条件でやるんじゃ何の意味もないじゃん?」

「かっこつけ、ご苦労様です」

「ヤメロ恥ずかしい!」


 こうやって茶化してくれる雫だからこそ好きなんだけど。

 でもそれはそれ、これはこれ。恥ずかしいのは事実なので自重していただきたい。俺がぷいっと顔を逸らすと、雫はくすくすと笑いながら手近な席に座った。

 視線を隣の席へ向ける。隣へ座れってことらしい。俺は破顔し、言われるがままに座る。


 隣を見遣れば、頬杖をついた雫を目が合う。


 小学校の頃、それぞれの机はこんなに離れていなかった。二列ずつ接するように並んでいて、それこそお互いの肘がぶつかりそうになるほどの距離だったはずだ。

 けれど中学校に上がってからは距離ができた。机をくっつけるのなんて教科書をシェアするときぐらいで、大抵の場合は距離がある。距離はあるのに、紛れもなく『隣にいる』と認識できる。


 そんな何の変哲もない不思議が、可笑しくて楽しかった。


「さて、探偵くん。君の推理を話したまえ」

「何だそのキャラ……」

「むぅ。いいじゃないですか~! 元々は、こーゆうお遊戯、私の十八番だったんですからね?」

「十八番て。新入生歓迎会のときぐらいしか見た覚えがないんですけど?」

「あのときの友斗先輩のさっむい返し、今でも覚えてますけど、言いましょうか?」

「ヤメロ絶対にヤメロ分かった話すからマジでやめてください」

「必死すぎません?!」


 だってあれ、本当に寒いなって思うし。言い出しっぺが雫だったから雫もギルティーだが、あの返しはなかったと思う。

 まぁこんな無駄話はどうでもいいか。

 背もたれに寄り掛かりながら、俺がどうしてここに来たのかを話す。


「俺は先輩で雫は後輩。だから雫は一緒に授業を受けてみたかったんじゃないか――と、一瞬だけ思った」

「ふぅん?」

「多分、それ自体は間違ってない。俺だって一緒に授業を受けてみたいとは思ったしな。でもわざわざ来るほどじゃない。そんなの、失恋確定の切ない後輩の考えだからな」


 百瀬雫という女の子は、俺が去った場所に来る女の子じゃない。

 俺が行くところに来てくれる女の子なのだ。


「来年俺が過ごすであろう教室に雫は来たかった。理由は色々だな。教室に押しかける予行練習とか、一番最初に教室で俺と過ごすのは自分がいいって思った、とか」


 問題はA~H組のどこに行くか、ということ。

 うちの学校は三年次に文系理系でクラスを分けない。つまり、確率は8分の1。


「ぶっちゃけ、何組なのかはマジで分からなかった。今年と同じって考えればA組だし、三年と言えばB組だよなってネタで言えばB組だし」

「じゃあ、どうしてF組にしたんですか?」

「それは……前に、文化祭で一緒に来ただろ。そのときに言ってた。『女の子は縋りたくなる生き物なんです。占いが当たるわけないって思いつつも、背中を押してほしくて、願いが叶うって言ってほしいんです』って。だからここを選んだ」


 蜘蛛の糸みたいな理由だった。

 当たる自信はなかったし、大口を叩いた自分をちょっと責めた。

 

「だからまぁ、俺が信じたのは雫だな。雫は絶対、俺が行くところにいてくれる。俺がどこに行っても魔法できっとついてきてくれる。そんな風に信じてた」

「それじゃあまるで、私が魔法使いみたいじゃないですか」

「だな。けど……俺からすれば、雫は魔法使いだよ。『好き』って魔法を使って俺たちを繋いでくれた、最高に可愛い魔法使いだ」


 言い切ると、雫は呆気に取られたような顔をする。

 そんな雫も最高に可愛い。

 気付けば頭に手を伸ばし、二本の尻尾ごと撫でていた。


「えへへ……友斗先輩って、そーゆうとこ、ズルいですよね」

「そういうところ?」

「笑いかけて、一撫でして、たったそれだけで私を惚れ直させちゃうところです。ズルいですよほんと。友斗先輩の方がよっぽど悪い魔法使いです」

「――っ、そう、かもな」


 唇を尖がらせる雫。

 俺がくしゃっと笑うと、雫は気持ちよさそうに目を細めて言った。


「友斗先輩、前に言ってくれましたよね。『好き』って気持ち一つで頑張れるのは凄い、みたいなこと」

「そういえば、言ったな」

「あれから『好き』は私の原動力で、それを躊躇なく叫べることが私の強みなのかも、ってちょっと思ってたんです。でも――ある人に、そんなのお姉ちゃんが大河ちゃんももうできることだよ、って言われて。それで、周りを見渡せば『好き』を原動力にしてる人なんてたくさんいるって気付いたんです」

「そっ…か。俺もだよ。伊藤とか、時雨さんとか、俺が知らなかっただけでたくさんの人が気持ち一つで変われてたんだよな」

「ですです」


 それは、あの晩の俺の言葉の否定だ。

 けれど雫は、あの日よりも更に素敵に笑っていた。


「みんなが『好き』で動いてる。だからきっと、私にとって『好き』は強みでも何でもなくて。誰もができることを私もやってる、っていうそれだけのことでしかなくて」

「……うん」

「だから、本当は誰でもいいのかもしれません。私である必要なんてどこにもないのかもしれません。どこにでもいる私を、特別じゃない私を、ヒロインじゃない私を――それでもヒロインにしたい、って思ってもらえるように、普通の『好き』をたくさんぶつけます。ちっちゃな雫が、大きな湖を作っちゃうみたいに」


 雫は席を立ち、とことこと教室の広めの場所に移動する。

 俺もそれに倣うと、雫はお上品にスカートの裾を摘まんで言った。


「踊りませんか?」

「……えぇ、喜んで」


 雫の手を取り、腰に手を当てる。

 ステップなんて知らない。音楽だって聞こえない。

 それでもそれっぽく踊れるのは、俺も雫もオタクだからなのだろう。小説で、ノベルゲームで、アニメで――創作の世界で描かれていたものを、経験なんてないくせに知ったふりをする。


 俺たちは付き合いが長い。

 四人でいる限りそれは変わらなくて、だから、お互いのことを知った気になってすれ違うこともたくさんあるだろう。

 ならば、


「なぁ雫」

「なんですか?」

「ずっと言いたかったんだけどさ」

「はい」

「小悪魔キャラが好きだって言っただろ。あれ、あのキャラが雫に似てたからなんだよ。ツインテールとか、人懐っこいところとか」


 せめて、言いたいときに言いたいことを言おう。

 それだけは、変えないようにしよう。


 俺が在りし日のことを言い終えると、雫はステップをやめた。

 代わりに俺に俺を艶っぽい瞳で見つめる。


「ふふっ……私も、言っていいですか?」

「ん、なんだ?」

「ほんとは、それも知ってました。っていうか後輩に後輩キャラが好きって言ったわけですし。『もしかしたら私のこと好きなのかも』って思うのは当然じゃないです?」

「い、言われてみれば……」

「ふっふっふー♪ 友斗先輩もまだまだですね~♪」


 にしし、と勝ち誇る雫。

 でもその顔は、恋そのものみたいに赤らんでいて、本当は恥ずかしがってるんだって分かる。


 ――ああ、好きだな


 どうしようもなく思った。


「なぁ雫。預かってたもの、返していいか?」

「えっ、それって――」

「返すから、また預けてくれ。そうやって何千回も交換しあおう」

「あぅ……そーゆうの、ほんっとズルいです」

「雫もズルいからお互い様だな」

「ズルいのは女の子の特権なんです!」

「それはヒーローの特権でもあったりする」

「………………そーゆうのが、ズルいです。こんな口説き文句をズルいって思っちゃうチョロインで、よかったですねっ」


 雫は、目を閉じはしなかった。

 ん、とほんの僅か目を細め、唇を突き出す。俺との距離をほぼゼロにして、早く、と可愛らしく待っていてくれた。

 だから、


 ――ちゅっ


 俺は預かりものを、ようやく返却した。


「……延滞料も、払ってください」

「今日は行くところがあるから、一回だけでいいか?」

「この先ずっと払い続けてくれるなら」

「望むところだ」


 ()()()()()()()()()()は、甘いレモン(のど飴)の味がした。

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