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最終章#62 終わる季節、巡る季節、キミの恋

 SIDE:澪


 3月も中旬に突入し、いよいよ今年度も終わりに近づいている。

 それは冬の終わりにも等しい、と思えていたのは、小学校の頃までだった。今は3月でも冬と言って相違ないほどに冷える。


 されど、冬の終わりと呼ぶことには不思議と違和感がなかった。

 これが終われば、冬も終わる。

 そうして春がやってきて、季節は巡る。

 当たり前のことを当たり前に思えていることが、少し不思議だった。


「はい、オッケー! 三人ともばっちりだったよ!」


 ステージ上で歌い終えた私たちに、監督かディレクターか熱狂的ファンのように険しい顔をしていた鈴ちゃんが、ぱちぱちと拍手した。

 ほぅ、と雫とトラ子が安堵の息を漏らす。

 私は人前で歌うことに躊躇がないし、これでもう三度目になるから慣れた。けれど雫とトラ子はそうではないようだ。特に雫は、こんな風にステージでスポットライトを浴びる経験自体が少ない。


「ありがとう、鈴ちゃん」

「んーん、こっちこそマジ感謝って感じだし! 三人が歌ってるのを聞いて、びりびり~ってインスピレーションが湧いてるもん」

「びりびりは湧いてるときの擬音なのかな……」


 どちらかと言えば痺れている気もするんだけど。

 苦笑している間に、雫とトラ子にも余裕ができる。二人は口々に鈴ちゃんにお礼を告げ、他に手伝ってくれてる人に頭を下げた。


 今日は3月13日。

 卒業式と感謝祭を前日に控え、体育館は豪華に彩られていた。そんな光景をぐるりと見渡して、凄いな、と柄にもなくしみじみ思う。


 一か月前はこんなことになるとは思ってもいなかった。

 友斗とは離れてしまって、それでも雫とトラ子を離すまいとだけは思っていて。

 自分の最低さに嫌になっていた。

 そんなあの日から一か月しか経っていない。


「リハはこんな感じで終わりかな。ウチは演出をチェックするから、三人はもう帰ってオッケーだよ!」

「そか。私たちに手伝えることは……なさそうだし、素直に帰らせてもらうね」

「鈴先輩、ありがとーございましたっ!」

「色々とお手数おかけしてすみません。ありがとうございます」

「うんうん! 明日はいいライブ、見せてね!」


 感謝祭なんて企画されてなかった。

 また歌うなんて、思ってなかった。

 彼が詞を作ってくれるなんて、予想できるはずがなかった。

 まぁ……その詞は見るだけで熱くなってしまうような問題作なのだけれども。


 衣装から制服に着替えたら、帰り支度を済ませる。

 彼は今頃、感謝祭のために奔走しているはずだ。詞が書き終わるまでは霧崎先輩や入江先輩、あとトラ子に仕事を投げていたけれど、終わってからは責任者として毎日働いている。無茶苦茶なイベントを企画したわけだし、当たり前だ。ざまぁみろ。


 窓から入ってきた空気は冷たい。

 けれど、雪降る日よりも温かい。


「もうすぐ春だねぇ」


 と、雫が呟く。

 その横顔はセンチメンタルに優しくて、時を惜しんでいるようにも、明日を楽しみにしているようにも見えた。


「春分の日は過ぎたから、暦の上ではもう春だけどね」

「いるよね。季節の話をするとすぐに『暦の上では』とか言いたくなるぼっち」

「別にぼっちじゃなくてもいると思いますよ、澪先輩。というか別に私はぼっちじゃありません」

「トラ子のことだとは誰も言ってないけど?」

「暗に言ってました」

「と、感じるのは、自覚があるからなんじゃないの? 火のないところに煙は立たないって言うし」

「澪先輩の言い方があからさまだからそう捉えざるを得なかったんです。そうやって煙に巻くのはやめてください」

「あっ、煙って言葉を使って返せたからちょっと上手いこと言えたと思ったでしょ」

「~~っ、思ってません!」


 あー、楽しい。

 トラ子を弄って遊ぶと、トラ子はむすぅと頬を僅かに膨らませた。膨らんだ頬の赤らみが愛くるしくて、可愛がりたくなるのだ。


 そんな風にけらけらと三人で話しながら玄関へ向かう。

 友斗が働く分、トラ子の仕事は一気に減っている。前日に疲労をため込んでは元も子もないため、今日はリハーサルが終わったら帰っていいことになっていた。


「明日で終わりなんだね、こーゆうのも」

「4月にも色々あるし、忙しいとは思うけど……」

「ま、友斗の傍にいる限りは巻き込まれるだろうしね」


 それでも、明日で“何か”が終わる。

 それは雫に言われずとも分かっていることで、認めるべきことだった。

 だって、決して哀しいことではないから。


 そうして、帰ろうとしていたとき。

 明日を迎えようとしていた私たちの前に、


「待っていたよ、三人とも」


 その人が現れた。

 春の雪のように柔らかくて白いその人は、最初からずっと、非現実的な存在だった。不確かで曖昧で、儚くて淡い。

 夕陽を吸った白銀の髪は、私と同じように長く、天の川のようだった。


 ――霧崎時雨


 幾度と私たちの関係を引っ掻き回した存在だ。

 もちろん、悪い意味でも、いい意味でも。


「待ってたって……私たちに何か用事ですか?」

「うん。最後に、ちょっと話がしたくてね」

「話、ですか」


 はっきり言ってしまえば、この人の話を聞く気にはならない。

 良くも悪くもこの人の言葉は影響がありすぎる。行動はどうしても読みきれないし、何を考えているのかも分からない。雫やトラ子を傷つける可能性は大いにある。ぶっちゃけてしまえば、この人に恋した入江先輩は正気じゃないとすら思ってるし。


 ……まぁ、私たちも人のことは言えないけどさ。

 雫とトラ子を見遣り、どうする? と尋ねる。

 返ってきた首肯を受けて、私は霧崎先輩に向き直った。


「いいですよ、話しましょうか。何だかんだ恩を感じてはいますしね」

「その恩がお礼参り的な意味な気がするのはボクの勘違いってことでいいのかな?」

「さあ。天才ならそれくらい自分で読み取ってください」

「……じゃあ、勘違いってことにしておくよ」


 霧崎先輩が笑うと、一番星のような泣きぼくろが動く。


「それで話って?」

「うん……確かめたいことがあるんだ。三人に言うべきなのか、それとも彼に言うべきなのか迷ったんだけど……澪ちゃんがいるし、ちょうどいいと思って」

「私がいるのがちょうどいいってことは……美緒ちゃんが絡みですか」

「ご明察。流石だね」


 別に言い当てるのはそれほど難しいことではない。

 霧崎先輩の行動は読みにくいけれど、友斗と美緒ちゃんを一番に思っているという点に於いては推測が容易い。

 友斗と美緒ちゃん。

 あの二人のためなら何でもできてしまうのがこの人の怖いところで、強いところで、厄介で危ういところなのだ。


「恵海ちゃん曰く、君たち三人が彼の美緒ちゃんへの気持ちを上書きしてしまったらしい。彼はもう三人のことが好きで、美緒ちゃんのことは恋愛対象として見てない、って」

「「「…………」」」

「でもね、ボクはそれが信じられない。だってボクには、彼の君たちへの想いが《《美緒ちゃんへの未練から来てると思ったから》》」


 消え入りそうな声で霧崎先輩は言った。

 付き合って一か月になる恋人たちに何を言ってるんだ、とは思う。あんな無茶苦茶なやり方を選んでまで『ハーレムエンド』への道を拓こうとしたくせに、今更なんなんだ、と。


「私たちを美緒ちゃんの代わりだと思うのはやめたんじゃないんですか?」

「それはやめたよ。でも……美緒ちゃんに似ているところがあるのは否定できないと思わない? 澪ちゃんは顔と名前、大河ちゃんは真面目さ、雫ちゃんは彼との関係や強さ。三人は美緒ちゃんに似ているところがあって……彼は美緒ちゃんへの未練から三人に恋をした。だから彼の美緒ちゃんへの想いが消えたなんて、そんなことはありえない」


 違う? と髪を耳にかけながら霧崎先輩は問うてくる。

 雫とトラ子は、即答しようとし、しかしすぐに二人とも口を噤んだ。答えが見つからなかったわけではないだろう。


 二人が私を見てくる。

 私は、うん、と頷き返して、一歩霧崎先輩に近づいた。


 雫もトラ子も、そして私も、確かに美緒ちゃんと似通った部分はある。

 友斗が私たちを美緒ちゃんの代わりにように思ったことがあることは否定できない。するつもりもない。

 けれど今は―――。

 その答えはもう、知っている。


「その答えは、私たちには言えません」

「彼に聞くべきってことかな……?」

「いいえ、それも違います。誰かから貰えるような答えを、霧崎先輩は信じられないんじゃないですか?」


 友斗も、私たちも、色んなものが足りない同士の四人だ。

 だから言葉だけでは伝えられない。

 この想いを正しく言い表すのなら、幾つもの伝え方を混ぜこぜにして、その果てに絞り出せるような言葉じゃなきゃ伝わらない。


「伝えます、《《私たち四人で》》。だから今度こそ読み違えないでください」

「……伝えて、くれるんだ?」

「えぇ。まぁ……私たちのイチャイチャの肴にするだけですけどね」

「そっ…か」


 霧崎先輩は淡く笑んで、儚い泡のようにその場を立ち去った。

 ふと、あの人を『先輩』と呼ぶのも明日で終わりなんだ、と気付く。大学に行ってからも先輩と呼び続けるほど、私はあの人を尊敬していない。不承不承ながら、私が先輩だと素直に呼べるのは入江先輩くらいだろう。


 それでも、長い付き合いになるのは明白で。

 『時雨さん』と、友斗のように呼ぶことになるのだろうか。


 振り向けば二人がいる。

 雫はちょっと勝ち誇った感じで。

 トラ子は逆に照れた感じで。


「ふっふっふー! お姉ちゃん、大河ちゃん! 私が考えてた作戦が功を奏してると思わない?」

「やっぱり《《あれ》》やるんだ……?」

「霧崎先輩のためにもやらなきゃだって思うんだけど……大河ちゃんは嫌?」

「い、嫌じゃないけど……ユウ先輩に申し訳ないというか、気が引けるというか」


 困ったように笑うトラ子の肩を、私はそっと叩いた。


「大丈夫でしょ。その代わりにちゃんとホワイトデーのお返しも用意してるんだし」

「う、うぅぅ……そっちの方が緊張するんですが」

「の、割に一番色々調べてるよね、大河ちゃん。この前も――」

「わーわーわー! やめて雫ちゃん!」

「ふぅん? 緊張もしてるけど期待もしてる、と」

「そういうわけじゃ――なくもなくもないですが! ユウ先輩には言わないでください!」

「大丈夫だよ、大河ちゃん。私も楽しみにしてるもん」


 明日で“何か”が終わる。

 けれど、終わりはきっと“何か”の始まりだから。


「行くよ、三人とも。不意打ちする以上、私たちが買っておかなきゃだしね」

「うっ……会計はお任せしてもいいですか?」

「何言ってんの、三人で行くに決まってるじゃん」

「お姉ちゃん、それはそれで倒錯しすぎじゃない?」


 好きな男がかっこつけた文句を口にするための手伝いくらいは、してやろう。

 ……お代は高くつくけどね。


 ホワイトデーまで、あと1日。

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