最終章#60 この想いを届けて
SIDE:友斗
百瀬家、入江家、両家への挨拶が終わると、俺たちを学年末テストが出迎えた。
学年末テストは四日間。2月下旬から3月上旬にかけて行われる。
難易度はこれまでのテストよりやや高めで、毎年数名は赤点を取るらしい。赤点を取った者は春休みに課題漬けになり、感謝祭だとか新学期だとか言っている場合ではなくなる。
ちなみに三年生は学年末テストはないため、その間にも感謝祭の準備を進めてもらった。二人っきりになることがいい方向に働けばな、と思いつつ。
俺たちは学年末テストでベストを果たした。
今度こそは澪に勝ってやろうと思って忙しい中でも勉強時間は多めに確保したし、休み時間には晴彦と如月と伊藤に特別授業を施した。
二年生でいられる時間も残り一か月。
3月14日には卒業式、そして午後に感謝祭がある。
それが終われば、もう三年生になると思っていい。
そのとき時雨さんや入江先輩はいない。
俺たちは『最後の』って言葉の冠をつけた行事ばかりが並んだ一年を過ごすことになるだろう。
雫と大河は二年生になり、新しく一年生が入ってくる。
日々は変わるのだ。
そんなことを思ったら、四日目最後の教科である現代文の小説が、ちょっとだけ切なく感じた。
現代文のテスト問題を解き終え、見直しも終わって残り時間でそんなくだらないことを考えていたときだった。
――あっ、書ける
何の兆しもなかった。
何か感動的な事件があったわけでも、心が動く体験があったわけでも、誰かの言葉に背中を押されたからでもなく。
ただ天啓のように、ペンが動いた。
紙は……ああ、もうどうせ問題用紙は使わないしいいか。邪魔な落書きを消しゴムで消して、真っ白になったページに文字を残していく。
教室の前の方では、澪が問題用紙と向き合っているのだろう。あいつは手を抜きはしないタイプだ。何度も何度も見直しをする。特に現代文はくだらない文章の読み違いで大きく変わるからな。
一年A組の教室では、きっと雫が頭をうんうんと悩ませて、大河は一問一問を丁寧に解いている。一年生の最後の教科は数学だったか。だとしたら大河はそろそろ最後の難問に挑んでいる頃かもな。雫は最後の問題を見て諦め、計算間違いがないかを確かめている気がする。或いは途中でちょいムズ問題に取り組んでいるか。
隣では晴彦が必死にペンを走らせている。澪の後ろでは伊藤も同じようにしているだろう。現代文は選択問題も多いしな。神に願っているかもしれない。如月は漢字が苦手なんだよなぁ……今頃、薄ら見覚えだけある字を思い出すために問題用紙に幾つもそれっぽい字を書いていそうだ。
意識すればするほどに書けた。
友達を、親友を、友達未満の他人の息遣いを。
何百、何千の糸の中でたった三本だけ存在を主張するように赤く色づく糸がある。
それを手繰り寄せて、紡いで――
「はい、おしまい。筆記用具を置いてね~」
と、試験時間が終わるよりも早く、詞は完成した。
書けた。
ここ暫く書けてなかったのに、こんなに急に!
「友斗。テスト、前に送んねーと」
「ん…あっ、ああ、そうだったな」
晴彦に声を掛けられ、ようやく我に返った。
っぶねぇ、トリップするところだった。でも何だろう。今の瞬間、時雨さんとか伊藤とかサークルの奴らが見ている“何か”が見えた気がする。
なんて、大袈裟なんだろうけどな。
解答用紙を前に送った俺は、書き終えた詞に目を落とした。
「~~っ、はっず」
「ん、友斗どしたん?」
「…………いや、なんでもない」
「そ、そうか……それにしてはすげぇ顔が赤いぞ。風邪じゃね?」
「違う。ちょっと、色々あってな」
「現代文のテストの最中に顔が赤くなるような色々があるって意味分からねぇ……」
晴彦に言われ、ますます恥ずかしくなってくる。
正直読み返すのも恥ずかしくて死にたくなるような歌詞だった。如何せん、ポエミーな部分があるからよくない。これくらいならアイドルのきゃぴきゃぴソングの方が頭のねじを外せる分楽だったかもしれん。
だが、それでも。
多分これだ、という確信があった。
俺の今の三人への気持ちを詞にするのなら、これ以外の詞は嘘になる。
「うん、全員分ある。じゃあみんな~おつかれ~! 帰っていいわよ~」
担任がそう口にした瞬間、俺は立ち上がった。
椅子ががたっと鳴り、自ずと教室中の視線が俺に集まる。でも今はそんなのどうでもよかった。問題用紙を握り締め、机の上に溶けている伊藤のもとに向かう。
「伊藤、起きろ」
「ん~? あぁ、百瀬せんせ~……ウチ、頑張ったよぉ。赤点は回避できたと思う」
「おお、それはよかったな。そんなことより――」
「そんなこと呼ばわりされた!? ウチ、ここ最近休み時間に怒られまくったのに!!」
むむむ、と不服そうに言う伊藤。
スライム化したかと思えば、今度は怒るとは器用な奴め。
「あー、はいはい、偉かったな。それでさ」
「流し方! みおちー!」
「ん……偉かったね、鈴ちゃん。で、友斗。そんなに興奮してなんなの?」
ぶわぁぁぁっと泣きつく伊藤を、澪がぽんぽんと宥める。
澪は澪で雑な気がするんだが……伊藤はそれで満足らしい。俺はげふんと咳払いをし、澪と伊藤に問題用紙を見せた。
「できたんだよ、ついに!」
「できたって何が~?」
「現代文の結果に自信があるって話なら、私もだよ。今回は満点を取れるはず」
「ん、いやそれはまぁ、俺もそこそこ自信あるけど。そうじゃなくてだな」
二人に問題用紙を渡すと、澪と伊藤は顔を見合わせてから用紙に目を落とした。
紙面を走る二人の視線。
やがて澪の耳は赤らみ始め、伊藤は目をキラキラと輝かせた。
「歌詞! いいじゃん、これ!」
「だろ!? テスト中に、なんかこう、降りてきたんだよ」
「あ~! あるよね、そーゆうの! ウチもあるある!」
そうか、やっぱりあるか。
満ち溢れるこの万能感。今俺は、自分を天才だと勘違いしている。自分で勘違いだと自覚しながら勘違いできるぐらいには調子に乗っていた。
「ってか、うん、これ本気でいいと思う」
そんな俺の勘違いの背中を押すように、伊藤がマジっぽい口調で呟いた。
その瞳はどこか虚ろで、それほどまでに集中しているんだと気付く。
「………………うん、今すぐでも曲作れる。明日には歌の練習始められると思う」
「そんなにすぐにいけるのか? あっ、いや、一日で曲を作れるってのを疑ってわけじゃないけどさ」
「んー、ウチもぶっちゃけ、色々言いつつ調整含め二日はかかると思ってたんだけどね。この詞に合う曲は、調整とか必要ない。聞こえてくるもん、曲が」
ぽつり、ぽつり、といつもよりも低めのトーンで言う伊藤。
聞こえてくる、か。
「天才みたいなことを言うんだな」
俺が苦笑交じりに返すと、伊藤が顔を上げて、首を傾げた。
「何言ってるの? これ書いた百瀬くんの方が天才じゃん」
「っ、そか。さんきゅ」
「言っとくけどお世辞じゃないからね。別に作詞の才能があるとか、プロになれるとか、そういうことを言ってるわけじゃないんだけどさ。けど少なくとも、これを書ける人は天才だよ」
それは、俺を調子づかせるような一言。
けれど、伊藤の目を見て、その横で悶えている澪を見て、《《そういう類》》の言葉じゃない、と理解できた。
「この言葉、届くと思うか?」
「届いてるじゃん。それでも不安なら、先の他の二人にも送ってみたら?」
「……そう、だな」
これは言うまでもなく、三人へのラブレターだ。ラブソングだ。
だから三人に俺の気持ちが伝わればいい。それさえできれば、俺は自信を持てると思う。
「送ってみていいか?」
「うん、送ってみな。てか問題用紙持って帰るの嫌だし、ウチも写真撮るけどね」
「それもそうだな」
ぱしゃ、ぱしゃ、とスマホで写真を撮る。
数枚撮ったうち、一番写りが綺麗なものをトリミングして見やすいように加工し、〈水の家〉に投下する。
ぶるるっ、と澪の鞄の中から音がした。
しかし澪は気にも留めず、机に突っ伏したり、俺をチラ見したりしている。
【ゆーと:詞ができた。明日から歌練習できるらしいから、今日のうちに目を通してくれ】
3月1日。
本番まで二週間ないと考えると、どう考えてもやっつけで歌い手のことなどちっとも気遣えていない。
ここまで引っ張ってしまって申し訳ないと心底思う。
けれど〈水の家〉に投下されたメッセージは、その文句を言うようなものではなくて。
【しずく:????????】
【大河:これ歌つんでずか?】
混乱と羞恥がこもったような、最高に可愛らしい反応だった。
「っし!」
「おっ、反応いい感じだった?」
「ああ、最高だった。どうしよう……めっちゃ嬉しいわ」
「ウチも最初に神曲だって思えるのを作れたときはそうだったなぁ」
そっか、伊藤もここを通ったんだな。
それは――WEB小説に投稿し続けていた時雨さんも、きっと同じ。
だったら、
「なぁ伊藤。俺、絶対にそっち側いくわ」
「え?」
「立場はまだ分かんね。自分で作るのかもしれないし、誰かが作るのを助けるのかもしれないし、その辺は分からん。自分に適正があるのを選ぶと思う。それでも――絶対に“そっち側”に行く」
編集者とかプロデューサーとか小説家とかシナリオライターとか、色んな立場があって、色んな人が一つの言葉を届けるために関わっている。
だからこの際、どれでもいい。
俺は、届ける側になる、と強く決心した。
「……このはっずかしい歌詞書いてそこまで決心できるあたり、向いてるんじゃないかな」
「おいこらヤメロ冷静になること言うな」




