最終章#58 入江家(急)
SIDE:友斗
「凄ぇ、これで四勝じゃん」
「ん……ま、そりゃそうでしょ。雫この間、百人一首のマンガ読んでたし。ほら、完結近いから、って」
「ああそんな話してたな――って、じゃあ、なんだ。そのマンガに感化されて覚えたのか?」
「そ。好きなものには全力投球できるタイプだから、雫って」
「なるほどなぁ」
第二の試練・百人一首で、雫は無双していた。
時間の関係で一戦の時間を短縮していることもあり、女子高生が大人たちを勢いよくなぎ倒していくエグい光景が完成しつつある。
澪はようやく起き上がると、ぐいーっと伸びをした。
「雫ちゃんのそういうところは本当に尊敬できますよね」
「あー、まぁそうだな」
「私、雫ちゃんと友達になれてよかったです」
「そっか――っていうか、この圧倒的なコメディ展開でよくいい感じのことを言う気になれたな?」
「挨拶に来たのにコメディ展開を繰り広げているのは誰ですか」
大河がジト目を向けてくる。
うん? まるで俺のせいみたいな口ぶりはやめてほしいんですけど?
「どう考えても大河の爺さんのせいだよな? 俺のせいじゃないよな?」
「んー。友斗のせいでもあるんじゃない?」
「どんなに自責的スタンスで反省してもそれはありえないだろ……」
「そうでしょうか?」
大河ははてと首を傾げ、当主の方を見遣ってから続けた。
「私の知っている祖父は、もっと厳格で口数の少ない人でした。私や姉の髪を怪訝な目で見て、染めないのか、とよく口にしていて」
「そんな人がこうなってるのは、少なからず友斗のせいじゃない? 友斗って人の懐に入るのが上手いんだよ」
「何だそれ、始めて言われたぞ」
「ん……懐に入るのが上手いって言うのは違うか。懐に入れたところで別に害してこないだろう、みたいに思えるというか……害されたところで問題なさそう、って思えるんだよ」
「凄い言われようだな」
褒められている気がしないし、事実、褒めてはいない気がする。
澪はくすくすとからかうように笑うと、知らないけどね、と責任を放棄するように言い捨てた。その大阪人みたいな投げ方はやめろ。大阪人知らんけど。
「でも澪先輩の言っていること、分かる気がします」
「そうか?」
「はい。だからこそ――」
と、大河が続きを口にしようとしたところで、当主が立ち上がった。
のっそ、のっそ、と威厳そのものみたいに歩くと、雫と向き合う位置に座る。
って、おいおい、まさか……っ!!
「最後は私と勝負だ。構わぬな?」
「もちろんです。最初から分かってましたしね」
「え、最初から?」
雫の言葉に、あっ、と今更ながらに気付いた。
部屋の中にいる大人は、当主を除いて五人。さっきから同じ人が読み手をしていることを考えると、あの人は読む専門の人なのだろう。五戦するためには誰かが二回やるか、当主本人がやるかしか選択肢がない。
「ユウ先輩、もしかして祖父がやるとは思っていませんでしたか?」
「…………失念してただけだ」
っていうかこれ、気付かなくてもしょうがなくない?
そんなことを心中でぶつぶつ呟いていると、ふっ、と澪が笑う。
「友斗、そういうところだよ」
「うっせ。いいから三人で応援するぞ」
「ん」「はい」
俺のことはいいのだ。
問題は雫。さっきから無双しているとはいえ、相手はこれだけ圧が凄い当主だ。何が起こるかは分からない。
「じゃあ始めようか」
「はいっ。――友斗先輩。私のかっこいいところ、そこでよぉーく見ててくださいね♪」
「……おう。圧勝してこい」
雫が作ったブイサインを見て、ああ心配要らないな、と悟った。
雫は『好き』に関してはめちゃくちゃ強い女の子なのだ。『好き』を原動力に突き進む。そんな最強のヒロインが負けるはずがない。
だから俺は。
彼女の一番の『好き』を守るために、俺がすべきことを頭の中で確かめ始めた。
◇
最後の一戦は、熾烈な争いになった。
四人相手に無双していた雫だが、澪と違って無尽蔵に体力があるわけではない。頭にも体にも疲労がたまりつつある状態で、しかも相手は四人よりも数段強く、圧勝というわけにはいかなかった。
しかしそれでも――
「くっ、負けた……」
「ふぅ。えへへ、勝てましたよ、三人とも!」
――勝負は決した。
勝者たる雫は、ほどけるような笑顔をこちらに向けてくる。
「お疲れさん」「お疲れ、雫」「雫ちゃん、かっこよかったよ」
「んふ~! えっへん」
雫は勝ち誇るように胸を張り、ぐーっと伸びをした。
首筋にはほんのりと汗が滲んでいて、どれだけ激しい戦いだったかを物語っていると言えるだろう。
まるでスポコンじゃねぇか、というツッコミはしないでおく。雫は本当に頑張ってたし、俺も途中から二人の勝負に魅入ってたからな。
当主は、ふぅ、と浅く息を吐いてから雫を見つめた。
「一つ、聞いてもいいだろうか」
「ん? なんですか?」
「どうしてそこまで強いんだ? 私も、百人一首には自信があった。私より強い相手を、私は一人しか知らない」
ああ、と思った。
その一人っていうのは、きっと祖父ちゃんだ。祖父ちゃんから聞いた人物像と今の当主が、今になってようやく被る。
ったく、そういうことかよ。
苦笑する俺と対照的に、雫は向日葵みたいな満開の笑顔を咲かせた。
「好きだからです。百人一首も、お姉ちゃんも、大河ちゃんも、友斗先輩も……全部好きだから。『好き』は最強なんですよ♪」
「っ、ふっ……そうか」
「だから――」
それより先まで雫に任せるべきではない。
だから俺は席を立ち、雫の肩にぽんと手を置こうとして――もう一人の手と、こつんとぶつかる。
そうだよな。
俺だけじゃない。
ここからは話すべきなのは、俺と大河だ。
「俺たちの話を聞いてください」「私たちの話を聞いてください」
俺と大河の声が重なって。
当主は、呆気に取られたように破顔し、首を縦に振った。
◇
場所は移って、最初に話した部屋。
俺たち四人は当主と向き合っていた。入江先輩は障子の前で座しており、その横に大人たちも居並んでいる。その中には大河と入江先輩の両親もいて、その二人とはこの屋敷に来る前に話した。
きちんと俺たちの関係を説明すると、二人は少し迷った後で納得する様子を見せた。
曰く、
『僕らも家の常識から外れた恋をした。程度の差はあるし、親としては戸惑ってしまうけれど……大河が本当に幸せなら、止めない』
『但しそれは、お義父様を説得できたらの話よ。説得できるだけの強い想いなら両親として祝福します』
とのこと。
だからこれは、当主への挨拶であると同時に、大河の両親からのテストでもあるわけだ。
さっきまではちょっとばかし主導権を握られて振り回されたが、ここからは誠意をもって話す必要がある。
「それで。話とはなんだ? 何となく察していると思っていたが……少し違うような気もする。まずは二人の口から聞こう」
当主は湯呑みに口をつけてから言った。
空気の硬度が元に戻る。
「私はここにいる百瀬友斗さんのことを愛しています」
陶器のような響きを伴って、その言葉は張り詰めた空気に放られる。
「でも同じくらい、他の二人のことも大好きです」
「……ぬ?」
「一人は私にとって初めての友達です。大親友です。最初は、どこまでも突き進める眩しさが好きでした。でも付き合っていくに従って、彼女でも迷うのだと知って、迷いながらそれでも眩しく在ろうとできる彼女を心から尊敬しています。彼女に抱き締められると、お日様に包まれたような気分になるんです。温かくて、心地よくて、……だから私は彼女といつまでも一緒にいたいと思います」
入江大河ができることは少ない。
彼女は超人ではない。努力家だ。澪や時雨さん、入江先輩のように何かに秀でているわけではなく、クソ真面目な存在だ。器用貧乏とも万能とも違うが、少なくとも何かに特化した子ではない。
そんな彼女にできることは――と考えたのは、もうずっと前のこと。
学校での彼女と家での彼女は違うんだ、なんて感じたけれど。
そんなことはない。
日常は地続きなのだから。
「もう一人は私の不倶戴天の敵であり……時に私を守ってくれるかっこいい先輩です。出会った頃は掴みどころがなくて、何を考えているのかよく分かりませんでした。だからこそ知りたいと強く思って……いざ知ってみると、呆れてしまうほどにどうしようもない人で。強欲でわがままなのに、私たちのことを守ろうとしてくれる人です。……だから彼女とも、ずっと一緒にいたいです」
「…………」
「二人は私と同じく、百瀬友斗さんのことを愛しています。三人とも彼のことを愛し、妻になって生涯を共にしたいと考えています」
「………っ」
「日本の法律では、重婚は認められていません。ですが幸い、二人は彼と義理の兄妹の関係にあります。戸籍上繋がっているのであれば……事実婚で生じるデメリットの何割かは解消できると思います」
入江大河は真っ直ぐに走り抜ける。
篭絡も懐柔も狙わず、罠を仕掛けず、クソ真面目に全てを言う。
「私は将来的に彼と結婚し、《《四人で添い遂げたい》》と考えています」
「――ッ……!?」
ばたん、と湯呑みが倒れた。
半分ほど残っていた茶が零れるけれど、誰も拭き取ろうとはしない。目の前の男性の圧が、それを許さなかったのだ。
「四人で、と言ったな?」
「はい、四人です。彼と彼女たちと私。四人で生きていきます」
「そんなこと――許せるわけがないだろうっっ!」
一歩遅れの激昂。
空気がジンジンと震えた。大河が僅かに身を竦める。
彼は俺をジィと睨んだ。




