最終章#55 結婚の報告・続
SIDE:友斗
『ハーレムエンド』がバカげていることは、誰だって分かる。この国は一夫多妻制じゃない。婚姻制度を軸に常識的に考えれば、『ハーレムエンド』を認めてもらえるはずがない。
晴彦や大志は、俺に選ぶべきだと告げた。入江先輩だって最初は反対だったらしい。その判断は決して分からず屋のものではなく、真っ当なものだ。
だから反対されるのは予想していた。
けれど、
「友斗くん、私は反対よ」
いざ真っ直ぐに反対されると、顔をしかめずにはいられなかった。
頭ごなしに否定しているわけではなく、優しくて温かい声だったからこそ、かなり堪える。それでも――諦める気は毛頭ない。
「反対の理由、聞いてもいいですか?」
「そうね……少し二人で話しましょうか」
義母さんの言葉を受けて、三人が俺を見遣った。
心配そうなその表情に、にっ、と笑って見せる。
「いいですね。義母さんとは一度話すべきだと思ってたんです。一度外に出ます?」
「それがいいわ。四人とも、ごめんなさいね。先に食べていてくれていいわよ」
言って、義母さんが席を立つ。
大河に退いてもらってから俺も義母さんに続いた。
「じゃあ、ちょっと話してくる。娘さんを貰うためにな」
「……ん」「待ってますねっ」「頑張ってください」
義母さんは店の外に向かって歩き出す。
その後ろ姿は儚くも力強く見えて、きっと父さんはこの人のこんなところに惚れたんだろうな、と邪推した。
◇
冬の夜空は、都会でも星屑に満ちていた。
金平糖みたいに綺麗な星の輝き一つ一つを拾い集めて口に放れたらな、なんて子供じみたことを考えてみる。
義母さんは店の外の階段を下りることなく、踊り場から街を見ていた。
目の前には中原街道が通っている。
ぐぉぉぉぉぉんとトラックの駆動音が鳴ったかと思えば、ぶぉぉおんとバイクが走る。ちゃりんちゃりんと自転車が軽やかに進んだり、学校帰りの高校生の話し声が聞こえたりした。
「こんな風に二人っきりで話すのって、いつぶりかしらね」
「ゴールデンウィークのときの旅行以来じゃないですか? 夏も年末年始も、二人で話す機会はありませんでしたし」
「確かに。……普通の家なら、そういう特別な日以外にも幾らでも話すタイミングはあるんでしょうけど。うちはそうじゃなくてごめんね」
「それ、前も似たようなことで謝ってましたよ」
「あらそうだったかしら?」
些細なやり取りだったし、覚えていなくても当然だ。
俺がよく覚えているのは――ただ、あれが久々の家族旅行で、心の底から嬉しかったからなのだと思う。
「あのときも、普段何もできていなくて謝りたい、って言ってました」
「そう。……まあ、今もそのときも同じように思っているんだし、しょうがないわね」
「だったら、あのときと同じように言いますよ。俺もあの二人も慣れてますし、不自由なく生活させてもらってるだけでありがたいです」
それは紛れもない事実だ。
あのときも今も、嘘を吐いているわけではない。
「一か月家出したのはごめんなさい。家に親がいないのが嫌とか、そういう理由だったわけじゃないんです」
「それは何となく分かるけど。でも、思わなかった? 家に親がいて、一緒にご飯を食べられる。そんな家がいい、って」
「思いましたし、思いませんでした」
「…………どういうことかしら?」
「どっちもいいな、って思ったんですよ。自由を貰えて、休みとか特別な日に一緒にいてもらえるのも、毎日いて家族らしい日々を送れるのも、どっちもいいな、って思いました」
それは、今の俺が高校生だから言えることで。
小学生だったら後者がいいと思っていただろう。寂しくて泣いて、どうして家に誰もいてくれないんだと嘆いたことだろう。
だがそのIFに意味はない。
俺たちは高校生なのだ。大人未満のガキなのだ。
「家族のカタチはたくさんあって、愛のカタチもたくさんあって……だからこそ俺は、あの三人と一緒に家族になって愛を育んでいきたいんです。認めてもらえませんか?」
もしも父さんと義母さんが毎日家にいたのなら、俺たちは幾つもの間違いを犯さなかったと思う。
澪と義妹ゲームをすることはなかった。雫と付き合うハードルも多分高くなっていたと思う。一家団欒を崩すわけにはいかない、とか思っていただろうから。大河と関わる機会は減ったはずだ。俺と大河の間に恋は生まれなかったかもしれない。
そのIFの中で俺たち四人は今よりも傷つかずに済んだけど、その代わりに、一番の幸せを掴めはしなかった。
IFに意味はない。
IFの先の自分たちを俺は想像したくないから。
「あのね、友斗くん。私も母親だし、一人の大人よ。友斗くんを含め四人が本気で幸せだってことは分かる。あなたたちのそれは、三股とは少し違うのよね?」
「三股の定義が微妙ですけど……本気で幸せです。というかきっと、四人じゃないと本当の意味で幸せにはなれません。俺たちはもう、そういうところに来てるんです。《《来ることができたんです》》」
言い切ってから、喉がカラカラに渇いていることに気が付いた。
冷気が喉奥に触れ、僅かに痛む。コートを着て来ればよかったな、と後悔した。
「その考えは否定しないわ。けれど――私は賛成できない」
「っ」
「理由は一つだけ。友斗くんたち四人の関係がとても脆いものだから」
「脆い、ですか?」
「えぇ、とてもね。だって友斗くんたちを繋げるのは気持ちだけ。戸籍上の繋がりはあくまで周囲に一緒にいることを納得させるため。そういうことになるでしょ?」
「……そうですね」
それの何が悪いのか、と視線で尋ねる。
すると義母さんは自嘲気味にふっと口許を歪め、アンニュイな表情を浮かべた。
「じゃあ質問。《《もしも私と孝文さんが離婚したらどうするの》》?」
「――ッ」
「たったそれだけで均衡が崩れる関係を、本当に続けていけると思う?」
「っ……離婚、するつもりなんですか?」
全く予想外の方向から殴られ、俺は混乱しながら言った。
義母さんはふるふると首を横に振る。
「いいえ、離婚するつもりはない。孝文さんを愛してるわ」
「なら――っ」
「けれど、《《永遠の愛》》はない。一度は離婚したことがある私だからこそ、断言できるのよ」
ああそうか、と今更になって気付く。
父さんと義母さんには、その一点に於いて大きな差がある。再婚同士でも、死別と離婚では意味合いが大きく異なるのだ。
「雫たちの父親と私は、好き合って結婚した。それは紛れもない事実よ」
「…………」
「けれど私は仕事に熱中しすぎてしまった。彼も仕事が忙しくて、お互いに愛を育む余裕がなくなった。愛し合ってると思えたのは、もしかしたら雫が小学校に入学する前までだったかもしれないわね」
「………っ」
二人の父と義母さんが別れたのは――澪が中学校に入学してからのことになる。
つまり、
「五、六年もの間、私たちは愛し合っていなかった」
ということになる。
「冷たい関係だと思う?」
「……寂しいな、とは思います」
「そうね、凄く寂しい。でも多分そういう夫婦はたくさんいるわ。結婚して暫く経てば、男とか女とかそういう意味での愛はなくなる。残るのは人としての情と戸籍上の繋がりだけ」
強く思う。
やはり、それは寂しい。
晴季さんとエレーナさんがそうであるように、祖父ちゃんと祖母ちゃんがそうであるように、いつまでも愛が続いてほしいと思う。
父さんと母さんがそうであるように、死にすら分かたれず続いてほしい。
でも分かるんだ。
恋も愛も人それぞれだ。色んな人と出会ったから、自分の気持ちと向き合ったから、痛いほどに実感できてしまう。
義母さんが話すようなことは《《寂しくなんてない》》、《《当然のことなのだ》》。
「人としての情と戸籍上の繋がり。この二つが残っているなら幸せよ。男と女でなくなっても、人と人として寄り添っていけるんだから」
「じゃあ……情も、なくなったら?」
「《《それでも戸籍上の繋がりは残る》》。たとえ一時何か事情があって情を失くしてしまっても、戸籍上の繋がりがあれば、繋がっていられる」
義母さんは、寂しそうに続けて言う。
「結婚式とかでよく言うでしょう? 『健やかなるときも病めるときも喜びのときも悲しみのときも~』って。あれはね、永遠の愛を誓う言葉じゃない。《《永遠の愛じゃないかもしれないけれど》》、《《互いの手を握り合っておく》》。そういう誓いだと、私は思う」
そうじゃない、と言えればよかった。
永遠じゃない愛を知らない、と厚顔無恥に叫べればよかった。
でも《《いざ大切な人たちと結ばれたとき》》、《《愛が終わることに気付いてしまったから》》。
俺にはその言葉を口にできない。
「彼は私と別れた。それは戸籍上の繋がりをどうにかしてしまいたいと思わせてしまうほどに私が努力を怠って……私があの人を裏切ったから。けれど、いいえ、だからこそ言える。戸籍上の繋がりに頼らずに繋がり続けようとするのは、本当に難しい。不可能に限りなく近いわ」
義母さんの言っていることは理解できた。
以前に何かで見たことがある。婚姻関係を結ぶことの一番のメリットは、別れるときに書類を必要とすることだ。ケンカしたり、お互いを嫌い合ったりしても、書類が必要であれば別れる前に冷静になることができる。
けれど俺たちにはそれがない。
大河と結婚するし、澪や雫とも戸籍上の繋がりはあるけれど、俺たちはそれにこだわらないと決めた。
「戸籍上の繋がりなしで四人の関係を続けるためには、それこそ《《永遠の愛》》が必要になる」
「……っ、それは――」
「友斗くんたちは、本当に感情だけで繋がり続けられるの?」
本当に痛いところを突いてくる。
澪や雫の母親だな、としみじみ思った。
この人は澪と雫の母としてだけでなく、俺の義母としても、こうして反対しているのだ。俺たちが自分と同じ未来を辿ることがないように、とわざわざ傷口を明かして伝えてきている。
だったら俺が言うべきことは、
「できますよ」
子供じみた言葉を、全身全霊で吐くことだけだ。
「逆に俺たちは――多分、二人じゃダメなんです。二人じゃ繋がり続けられない。俺たちは最低で、足りないところと間違っているところばっかりだから、戸籍上の繋がりとか気にもせずに関係を終わりにできちゃうんですよ。10年、20年先、きっとどこかで限界がくる」
もしかしたらそうじゃないのかもしれない。
そうじゃないと願いたいし、そうじゃないと叫びたい。
けれど誓えはしない。だって同じように誓って、それでも破れた関係が世の中には溢れているのだから。
ラブストーリーの果ての愛なら永遠?
主人公とヒロインは絶対に破局しない?
そんなことはない。
だって恋をする全員がラブストーリーの主人公なのだから。
それなのに、別れる人がいるのだから。
「四人だから、繋がり続けられます。二人なら片手を離すだけで終わってしまうけれど、四人なら片手を離してももう片方で繋がっていられる」
「…………」
「永遠の愛はないかもしれない。でも――」
俺がその続きを口にすると、義母さんははっと息を呑んだ。
眩しそうに目を細めて、そう、と小さく頷く。
「なるほどね。確かに乙女ゲーの隠しキャラじゃなくてギャルゲーの主人公だわ」
「っ、それ、今言います?」
「言うわよ。だってこんな口説き文句、ギャルゲーの主人公しか言わないもの。あの子たちが惚れちゃうのも納得ね~」
「ぅっ、それを言われるとマジでハズいんですけど」
ぱたぱたと手で顔を扇ぐと、義母さんはくすくすと笑った。
それから義母さんはくしゃりと俺の頭を撫でて、慈母の如く微笑んだ。
「そこまで言うなら、認めてあげる。娘のことも息子のことも、信じてあげたいしね」
「――っ……っ」
「だから、それでもどうしようもなくなったときは私たちに言いなさい。友斗くんたちの親として、いつまでも子供な友斗くんたちを叱ってあげる。そんな簡単にバラバラになるんじゃない、って叱ってあげるから」
「…っ、ありがとう、ございます」
その瞬間。
俺はこの人と真の意味で親子になれたような気がした。




