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最終章#53 勉強

 SIDE:友斗


 バレンタインがあり、感謝祭のために動き出し、サークル活動にも参加した今週もようやく終わりを迎えようとしている。

 時の流れはだくだくと流れる川のようにとめどないわけで。

 特に限られた日々を生きる俺たち学生は、ただ一つのことに気を取られているわけにもいかなかったりする。


 たとえば――そう。

 我が田々谷大学附属高校では、2月下旬に学年末試験が迫っている。


 学年末試験の難易度は、これまでの定期試験と比べても一段階高いものとなる。二学期末から三学期にかけて履修した内容のほか、一年間で学んだこと全てが復習問題として出題されるからである。


 もちろん俺たち四人は赤点の危機を感じていない。テスト対策以上に基礎学力をつける勉強をしているから復習問題が出ても対応できるしな。

 しかし、一筋縄でいかない人ももちろんいるわけで。


『百瀬くん……あなたの作戦に乗ってあげる代わりと言うのはなんだけれど、私と晴彦を助けてくれない?』

『期末テストは本気でヤバいからな……勉強会開いてほしいんだよ』


 知能的な意味でのバカップルである如月と晴彦は、感謝祭の件に協力する見返りとして、そんなことを申し出てきた。

 まぁ半分は前のみたいに勉強会を開けるよう、ちゃんと三人との関係を修復しろっていう喝だったんだろうけど。

 だが二人のテストがヤバそうなのは事実である。


 そんなわけで、


「「お邪魔しまーす!」」


 土曜日。

 俺は、おバカな二人を玄関で出迎えていた。


「よう。靴脱いで適当に入ってくれ」

「む……百瀬くん? こういうときは四人揃って出迎えてくれるものじゃないの?」

「教えてもらいにきた分際でわがままを言うんじゃねぇ。三人は合間でつまめるお菓子作ったり勉強の準備したり仕事したりしてるんだよ」

「約一名可哀想なのは誰のせいなんでしょうね……」

「そこは自覚してるから何も言うな。それ、禁止カードだから」


 大河は今日も今日とて感謝祭のために忙しそうにしている。

 と言っても休みの日にできることは少ないため、パソコンを使って資料を作っている程度だ。きっちり勉強会には参加する予定である。何気にあいつも学年1位を死守してるしな。


「こーやって友斗に出迎えられると、一気に亭主っぽく感じるよな」

「それねぇ! 『俺の家にようこそ』っていうドヤ顔がちょっとうざかったわよね」

「お前らなぁ……? そんなこと言ってるとテスト対策問題集渡さねぇぞ」

「「すみませんでした」」


 こいつらを家に招くのはこれで二度目になる。

 冬休みのときは完全に不意打ちだったわけだが、あのときは色々と事故が起こりまくったからな。要らんことを言わせないためにも、今日は俺がイニシアティブを握ると決めた。

 リビングまで向かうと、


「ふぅん? じゃあ今回も1位取れるんだ?」

「もちろん、1位を取れるように頑張るつもりです。そういう澪先輩こそ今度こそ足元を掬われないように気を付けてくださいね」

「私の足元を掬うようなライバルいるかなぁ」

「とか言って、ユウ先輩のこと意識しまくってるじゃないですか」

「あ? ふぅん…ふぅぅぅん? そういうこと言うんだ?」

「事実を言って何が悪いんですか? 朝いつもよりランニングを早く切り上げて勉強時間を増やしているの、私だけじゃなくて雫ちゃんだって知ってますよ」

「事実なら何を言っていいって考えがもうぼっちだよね。っていうか、それ言ったら――」

「あ、はいはい、二人とも。如月先輩と八雲先輩が来たし、もうケンカは終わりだよ」


 澪と大河がいつものように口ゲンカをし、雫が台所に立ちながら宥めていた。

 澪と大河は絶対意味もなく口ゲンカして楽しんでる節があるし、雫は雫でそれを分かってるから宥めるのがどんどん雑になってるんだよなぁ……。

 ここ数日で見慣れた光景に苦笑していると、後ろにいた如月がぼそりと零す。


「清く正しい家族団らんの光景すぎて何も言えないのだけれど」

「それな。『夫婦かよ』って茶化そうと思ってたのに、当然のように家族すぎてるし」


 気持ちはめっちゃ分かる。

 けど家族団らんってほど、ぬるま湯みたいな関係でもないんだよなぁ。時に刺激的で、時に平和。そんな四人での日々が幸せで――おっと、危ね、ニヤケそうになった。


「『ニヤケそうになった』とか思ってるかもしれねーけど、既にニヤケてるからな」

「……とっとと手を洗って荷物を置いて勉強始めるぞ、問題児ども」


 少し表情筋を鍛えよう。

 そんなことを思いつつ、勉強会が始まった。



 ◇



 勉強会を一度始めると、一気に会話はなくなる。

 晴彦と如月も本気で危機感は持っているらしく、俺と澪の話を素直に聞いていた。

 ちなみに教師と生徒の組み合わせは前回と同じだ。

 俺が晴彦、澪が如月、大河が雫を教えることになっている。


「なぁ友斗、こ――」

「そこは――」

「あっ、そか。さんきゅ……。てかよく分かったな」

「見てれば分かるからな。ほら、次」

「うい」


 するする、しー、かりかり。

 しゅぅ、するすら、ん、ふぅ。

 シャーペンや鉛筆がノートの上を滑る音と、六人それぞれの息遣いが綯い交ぜになって排泄される。


 百瀬家を離れていた頃は、逃げるようにバイトと勉強に時間を使っていた。

 時雨さんに教えてもらったこともあり、おかげで俺の学力は底上げされている。晴彦との付き合いが長くなったこともあり、前よりもテンポよく教えることができていた。


 一年間の復習をしていると、自然と春からのことを思い出す。

 新しいクラス。学級委員になって、学級委員長になって、体育祭で奔走したっけ。その後は打ち上げに行って、七夕フェスのために動きながら、こんな風に勉強会を開いた。

 それが終われば夏休み。脚本会議を開いてもらい、文化祭の準備に突入した。そこからは忙しくなって勉強はやや疎かになっていたけどな。


 ふと、前の勉強会のことを思い出す。

 あのとき俺は勉強をする意味を考えていた。

 今も一概に言えるわけじゃない。

 そんなものは人それぞれだし、勉強を必要としない人だっているだろう。高校レベルの勉強となると知らなくても生きていけるしな。


 けれどもきっと、俺はこうして勉強した日々を礎にするのだろう。


 組み立てた方程式も、頭に叩き込んだ歴史も、一目見ても分かりっこないミクロな世界も、古人が紡いだ三十一文字も、全てを礎にして。


 意味がないことも意味もあることも全部を混紡し、俺は俺なりの言葉を紡ぐ。


「澪ちゃん、これは?」

「そこは――」

「あっ、そっか」

「この公式は色々使えるから、ちゃんと頭に入れておくこと」

「うん……頑張ります」

「ん」


 顔を上げれば、澪が如月に勉強を教えている。

 前よりも手厚く、距離も近い。

 その変化が嬉しくて、頬が緩んだ。


「大河ちゃん、ここは――」

「それは、この問題で出た解答を使って――」

「なるほど」


 大河も、以前より雫との付き合いが長くなったからか、テンポよく教えていた。雫もうんうんと真剣に教わっていて、見ていてほっこりする。

 こんな些細な勉強会一つとっても、あの頃と今では少しずつ変わっているんだ。

 そのことが素敵に思えて――


「なぁ友斗。どうでもいいんだけど、伊藤って赤点大丈夫なん?」

「………………………やめろ、一番の問題児のことを思い出させるのは」

「いやほら、なんかいい顔して浸ってたから」


 そう思ったなら浸らせてほしかった。

 俺は軽く晴彦と睨んでから、ふぅ、と溜息を吐く。


「まぁ安心しろ。伊藤には特別製の問題集渡して、テストまではそっちに集中するように言ってるから」

「友斗って割と周囲に甘いよなぁ。流石人たらされ」


 うっせぇ、と一蹴して、俺は勉強に戻る。

 らしくないことを考えるのはやめておこう。

 そう、しみじみ思った。



 ◇



 勉強会はあっさりと終わり、俺は大河と二人で街を歩いていた。

 晴彦と如月を駅まで送り、今は大河の家に向かっている。今日は休日だが、大河は事情があって自宅で過ごすことになったのだ。


「今日の勉強会、なんか懐かしかったですね」


 自動車の駆動音が横を通る。

 大河がしみじみと呟いた言葉に、そうだな、と俺は頷く。


「勉強会自体は6月ぶりだし……もう半年前になるわけか」

「半年前……この半年で、色んなものが変わりましたもんね」

「そう、だな」


 半年前と今で変わっただけじゃない。

 この半年間で色んなものが変わり続けた。変わって、戻って、壊れて、ひっくり返って、ぐちゃぐちゃになって、ようやく今の在り方に辿り着けたのだと思う。


「呼び方も変わりました。あの頃はまだモモ先輩でしたし」

「あー、それな。桃太郎みたいなやつ」

「今のユウ先輩がそれを言うと、私たち三人が犬猿雉みたいですね」

「それ大河が言っちゃダメな奴だから! ……いや、ちょっと思ったけども」


 言うと、大河はくすくすと口許に手を添えて笑った。


「犬は絶対に雫ちゃんですよね。忠犬って感じがしますし」

「それは分かる。雫に言ったら、絶対に嬉々としてわんわん言いそうだけどな」

「ですね……私もやりましょうか?」

「なんでだよ」


 大河が恥ずかしがりながらわんわんって言ってるのも、それはそれで魅力的かもしれなん。犬耳カチューシャでもつけてたら絶対に可愛いよなぁ。

 ただその場合、犬種がシェパードとかに変わりそう。警察犬っぽいんだよな、大河は。


「そうなると……猿は絶対に澪だな。運動バカだし」

「それ、本人に言ったら絶対に怒るでしょうけどね」

「それな。殴られるところまで想像できたわ」

「ふふっ。この前は凄かったですからね……『猿の手』を思い出しましたよ」

「あ~」


 『猿の手』。

 持ち主の願いを三つ叶えてくれるが、その叶え方が持ち主の思い通りになるとは限らず、高い代償を払うことになる。そんな物語だ。


「そうなると、残るは雉ですが……雉は逸話も特徴もピンときませんね」

「確かに。犬と猿に比べると縁遠いよな」

「あっ、でも乱婚性だと聞いたことがあります」

「乱婚性?」

「はい。オスとメスが共に複数の個体と交尾する、みたいなことです」

「あー」


 言われて腑に落ちる。

 動物社会ではそういうのは別に珍しくないだろう。よく知っているものだ。俺は苦笑し、何となく大河の手を取った。

 指を絡めて――手を繋ぐ。

 びくっ、と大河の肩が僅かにはねた。


「じゃあ大河は雉じゃないな。むしろどっちかっつうと俺の方が雉に近い」

「その宣言はただのセクハラでは?」

「否めないけど乱婚性を言い出した奴にそれを言われたくねぇ……」


 くしゃっと俺は顔をしかめる。

 大河は俺を覗き込むと、恥ずかしそうに口をもにょらせて、言った。


「そ、そもそも……私はユウ先輩専用の…め、メスですから」

「ぶふぅぅぅっ!?」


 端的に、噴いた。

 当たり前である。

 急に何言ってんだこいつ……?

 正気を疑うような視線を大河に向けると、夕陽のせいとか言い訳できないレベルで顔を真っ赤に染めたまま、ぅぅぅと可愛らしく唸っていた。


「ち、違うんです! 今のはその……澪先輩や雫ちゃんに負けたくないな、と思って。あの二人みたいに刺激的なことを言おうかな、と思って参考文献を漁っていて……」


 ??????

 なんだこの可愛い生き物。

 今すぐ抱きしめたいのだけど、道のど真ん中でそれをやるのも気が引けるのでやめた。つーか、この会話の後に抱き締めるのは無理。


「いや色々と待て」

「は、はい、待ちます……」

「まずな、澪や雫と張り合うのはいいよ。俺は嬉しいし、取り合ってくれって言ったし、それで無理してる感じもしないし」

「ま、まぁ、はい。無理はしてないですし、二人とユウ先輩を取り合ってるのもいいなって思います」

「う、うん」


 可愛い生き物図鑑を作るときには必ず収録してほしいレベルで可愛い。

 が、それはそれ、これはこれ。


「だが、参考文献は捨てような。情報が偏ってる。普通は自分をメスとか言わないからな」

「……分かりました」

「うん、いい子だ。今度おすすめのラノベかマンガ貸すし、まずはそれを読もうな」

「ユウ先輩の好みを教えてくださるわけですね」

「そういうところで勉強熱心な面を出さなくていいからなっ!?」


 大河は大河で変に不器用だよなぁ。

 「頑張ります!」って感じで力強く頷いてるのが可愛い。こういう一生懸命なところも好きなんだけどさ。

 ぎゅっと手を握る力を強めると、大河も握り返してくれた。


 いち、に、いち、に。

 小学生みたいだと笑われるかもしれないけれど、そんな風に握り合っているのがこそばゆかった。


「ねぇユウ先輩」

「どうした?」

「……好きです」

「…………俺もだよ」


 いつかは大河も手を繋いだ程度で照れないんだと思う。

 慣れて、馴れて、熟れて。

 そうして幸せな四人になれたらいいと思った。

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