二章#11 後輩とのゲーム2
雫の部屋は、同居を始めた当初からは考えられないほどの変貌を遂げていた。
可愛いぬいぐるみやアロマ的な何かが置いてあるあたりはJKっぽく、でも勉強机の周りにはアニメやゲームのグッズが飾られていて、そのアンバランスさがちょっとだけ可笑しい。
鼻歌混じりで俺を部屋まで案内した雫は、部屋に入るなりベッドの上でPCを起動し始めた。
だらーんと学校の奴らが見たら卒倒するようなだらしなさで寝転がり、完全にリラックスモードでパソコンを向き合っている。子供っぽくバタつく足に目が奪われそうになるが、幸いにも他にツッコむべき点があった。
「なぁ雫」
「先輩、そんなところで突っ立ってないで早く来てくださいよ~。昨日の夜のうちに読み込んでおいたので、今すぐプレイ可能ですから!」
「パソコン周りの環境への配慮より先に乙女的な環境への配慮をすべきじゃないのか、お前っ⁉」
いや、事前に読み込んでおくのは大事だよ?
意外と読み込みに時間がかかったりソフトウェアの更新がきたりして、出鼻を挫かれることってあるもんね?
けど流石の俺もツッコまざるをえなかった。あるいは、さっきからのノリが続いていたからこそツッコめたのかもしれない。
「ん? 別に私、先輩を部屋に入れるのは嫌じゃないですよ。それとも密室になったら襲いたくなっちゃいますか?」
「それもそうだが、別に襲わないからいい。そうじゃなくてだな……」
はてと首を傾げる雫。
いつもなら真っ先に気にしたりからかってきたりするはずなのに。どんだけ『フレイム・チェリー3』を楽しみにしてたんだよ……。
微笑ましさもあって、自然と苦笑が零れた。
「部屋に入れるのはまだいいとして。男とベッドで寝転がりながらギャルゲーをやるってのは、綾辻雫としてどうなんだ?」
そもそも『フレイム・チェリー3』はエロゲーなわけだし。
未成年対応版は行為シーンをカットしているだけで、ラッキースケベ的なシーンは残してあるし。
そんなゲームを男女で寝転がりながらってのは、色々と胸が痛くなる。みおに知られたらムッとされそうだ。
あー、と雫が頷いた。
「確かにそうかもですけど……私、いつも寝ながらやってるので。座りながらだと肩が凝るんですよね」
今度は俺が、あー、と漏らす番だった。
寝転がりながらこちらを振り向くせいで強調されてしまっている雫の体のとある部分に目がいってしまった俺は、絶対に悪くないと思う。だってほら、大きいと肩凝りやすいって言うじゃん?
「分かったよ。そういうことならグダグダ言うのはやめとく」
渋々ながら俺は大人しく言う通りにすることに決めた。
どこかを凝視してしまった罪悪感から……ではもちろんなくて、雫が面倒そうな顔をしていたからだ。
無用な指摘は野暮ということだろう。
素直に雫の隣にうつ伏せになった。
二人分の体重を支えたからか、シングルベッドはほんの僅かに軋む。毛布からふんありと漂ってくる女の子らしい匂いがこそばゆい。
「えへへ」
「……っ、隙あらばあざとアピールすんな。それよかさっさとやろうぜ。俺もPVチェックして気になってたんだよ」
「りょーかいです!」
雫の方は見ない。
ほどけるように笑っているはずの雫も、可愛らしく敬礼しているであろう雫も。
この位置で顔を見合っていいのは先輩と後輩じゃないから。
彼氏と彼女か、あるいは兄と義妹だけだから。
「先輩、音どうします?」
「どうするって?」
「パソコンから垂れ流すよりイヤホンの方が没入感あるかなーと」
「あぁ、そういうこと」
他に誰かがいるわけじゃないんだから、PCから直で流したところで問題はない。でも他の音が世界から遮断され、物語に取り込まれたように感じるあの体験はイヤホンやヘッドホンじゃないと味わえない気がする。
「イヤホン、雫の借りていいか?」
今度は、ほんの躊躇もなかった。
ゲームを最大限楽しむのが、俺と雫らしい先輩後輩の“関係”だから。
そんな“理由”がありさえすれば、イヤホンシェアイベントだってこなせるのだ。
「はいっ! もちろんです」
多分笑ってるんだろうな、と。
声だけを聞いて思った。
◆
ゲームシリーズの三作目というのは、神作と駄作のどちらかだ、という言説が存在する。
3のおかげでシリーズ自体が有名になった作品もある一方、二作目までで築き上げた信頼を一気にぶち壊してしまった実例も少なくない。
では『フレイム・チェリー3』はどうだったかと言うと――。
「……」
「…………」
「……………………」
「ん」
「はぁ」
圧倒的な、神作だった。
雫の部屋には、|両親不在の《どっちのものか分からない》吐息と沈黙だけが寝転がっている。
俺と雫は、比喩だと認めることを躊躇するほどに物語の中に生きていて。
だから、俺も雫も、それまでの色んな想いなんて全部忘れ去っていた。
『フレイム・チェリー』シリーズは、三角関係を描く青春学園モノだ。
その物語の始まりは、一作目から共通して、入学式の日の桜が飾る。メロウなBGMと切なげな絵に、俺も雫も息を呑んだ。
息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
そこからもう、ずっと何も話していない。
かち、かちかち。かちかちかち。ん、かち。
マウスをクリックする音に時々どちらかの吐息が混じって、それよりも更に稀な頻度でどちらかが音量調整を申し出る。そのときには遠慮と不機嫌が混じったような息を漏らして、それで相手に意思表示をしていた。
かち、かちかち。
物語は進んでいく。
否、俺たちの手で進められていく。
ノベルゲームとはそういうものだ。本よりもなお、自ら進めるという感覚を強く抱く。選択肢があるゲームは当然そうだが、選択肢なんてなくてもそれは同じこと。
テキストを先に進めるときの『かち』という音を強く認識するのはそのためだ。
物語に引き込まれても、排泄されるその音だけは聞き逃さないし、聞き逃せない。
多分、だけど。
俺も雫も、ノベルゲームのこういうところが好きなんだ。
「あっ」
と、どちらかが漏らした。
物語も中盤に差し掛かり、プレイヤーに一度休憩を進めるかのように物語は緩やかな区切りを迎えている。
互いにPCの隅に表示される時計を見て、この後どうする、と問おうとしていた。
時刻は昼。厳密には13時15分。
いつも通りの休日なら、昼食を食べている時間帯。
お腹と背中がぺったんこになっていると気付く前に、俺と雫の視線がごっつんこした。
「あっ、えと……先輩、どうします?」
「どうするってのは?」
「お昼ですよ、お昼! 食べてからやるか、それともこのままぶっ続けていくか。私的にはぶっ続けてもいいかなーって気がするんですけど」
俺もだよ、と言いそうになってやめる。
なんだか同じことを思っていることが妙に気恥ずかしく感じた。あまりにも良質な物語を摂取しているせいで、心がやけに無防備になってしまっている。
「その気持ちは分かるが、今がちょうど休憩できるタイミングって感じもするだろ? 後で腹減りすぎてキツくなるより、先に食っておいた方がよくないか」
「んー、それもそうですね。流石は先輩。頭いい!」
「こんなところで頭いいとか言われてもなぁ」
確かに、と雫が笑った。
そしてマウスを丁寧に動かし、二つ同じセーブデータを作る。別にまだ致命的な分岐に達しているわけではない。それでもそうやって多めにセーブしておくのは、俺が最初のギャルゲーを薦めたときにアドバイスしたからだろう。
「雫、まだそうやって馬鹿みたいにセーブデータ作ってるのな。パソコンの容量大丈夫か?」
「そこは抜かりありません! っていうか、私が馬鹿なら先輩は大馬鹿ですから!」
ぷっ、と二人で吹き出した。
「明らかに時間忘れて熱中してる時点でどっちもどっちだけどな」
「ほんとですねっ。さぁ先輩。さっさとご飯作って食べましょう! お姉ちゃんを待たせてるかもですし」
ぴょん、と雫がベッドから起き上がる。
俺もそれに倣ってベッドから起き、二人で雫の部屋を出た。
リビングからプカプカと漂ってくる味噌汁の匂いを嗅いで、俺と雫は顔を見合わせる。嬉しそうに微笑んでいる雫。その瞳の中の俺も、雫とおんなじ顔をしていた。
「お姉ちゃん、作ってくれてるみたいですね」
「ほんとだな。今日は雫の担当だったはずなのに」
「これは怒られなきゃですね。一緒に怒られましょっか」
「なんで俺まで……と言いたいところだが、そうだな。怒られてやるよ」
「うわ、先輩ちょろっ」
「お前なぁ……」
悪戯っぽく笑う雫を見ながら、もし、と思った。
もし俺と雫が恋人同士になったりしたら。そんなハッピーエンドまで自分の手で進められたなら。
そのアフターストーリーは、こんな感じなのだろうか。
雫に振り回されて、かと思えば一緒にゲームして。
俺と雫の傍には、俺たちのきょうだいがいる。
「お姉ちゃん、ごめん! ゲームに熱中しすぎちゃった」
「ううん、いいんだよ。どうせ軽いものしか作ってないし、何となく知ってたから。誰かさんが一緒になって熱中しちゃうことも含めて」
「うっ、悪かったって。一つ年上のくせに同レベルで熱中しちゃって悪かった! でもほら、こういうのに年齢って関係ないじゃん?」
「あー、うんそうだね。言い訳はいいから食器運んでくれるかな。もうできるし、私もお腹ぺこぺこだから」
「はい喜んでッ!」
姉に、義妹に、こんな風に叱られて。
そうやって仲良くしていけば、三角関係なんてできようがない。図形は三つ以上の頂点がなければただの線なのだから。
みおに言われて、雫が味噌汁を、俺がお茶碗を運ぶ。
白飯と味噌汁、それと焼き魚。あと、だし巻き卵。
こういうの、いいな。
ほのぼのと、思った。




