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最終章#52 届けて

 SIDE:友斗


 夕飯の時間が近づいた頃、俺は雫と共に伊藤の家を後にした。

 業務内容を教わり、リモートでも仕事をできるように幾つかのアプリをスマホに入れた。そのため毎回伊藤の家に来る必要はない。まぁそれでも何だかんだ来なきゃいけなくなりそうだが。


「ふぅ……」


 家を出て、俺は溜まっていた吐息を漏らした。

 隣を歩く雫は、くすくすと肩を振るわせて笑う。


「お疲れ様です、友斗先輩」

「あぁ……ほんと疲れたわ、精神的な意味で」

「でしょーねー。皆さん自由人ですから」

「本当にな」


 シーラカンスと蝉しぐれは言うまでもないが、伊藤もサークルにいるとねじが吹っ飛ぶようで、学校の比ではないほどに自由だった。猿センパイの苦労は計り知れない。あの人の後を継げるのか俺もかなり不安だ。


「濃いわ、マジで濃い」

「ほんとそれです。私も最初に来たときは戸惑いましたもん。新世界って感じで」

「新世界か……その気持ちは分からんでもない」


 自由人なら時雨さんがいるし、修羅場は生徒会で慣れているつもりだった。

 事実、単なる負担だけで言えば、ピークの生徒会の方がキツいだろう。

 しかし、


「あそこには『好き』しかないですからね。ゲームをやるのも、モノづくりをするのも、本能の赴くままですから」

「そうなんだよな」


 サークルでの負担は、全てが『好き』を貫くために必然的に生じる負担でしかなくて。

 それゆえに生徒会よりも遥かに濃いし、能力だけじゃなくて気持ちの面でも全力でぶつからないとやっていけないだろう、と思わされた。


 僅かな油断も諦観も妥協も許されない。

 ――才能の奴隷。

 晴季さんに言われた言葉をひしひしと実感した。


「でも友斗先輩、楽しそうでしたね」

「……そう見えたか?」

「見えましたよー! 猿さんと仲良さそうに話してて。あれは嫉妬しちゃいましたね~」

「え゛、マジで?」


 男女とか意識せず接しすぎていたため、もしかしたら嫉妬されうることをしていたかもしれない。

 そもそも女子オンリーのサークルに混ざるのだ。心配させてしまう可能性はあるだろう。必要であれば直して――と思っていると、雫がからかうように笑った。


「もちろん嘘です♪」

「は?」

「嘘に決まってるじゃないですか。むしろちょっと嬉しかったです。友斗先輩の目が活き活きしてましたから」


 俺を気に病ませないための嘘かとも思ったが、どうもそうは見えない。

 まぁそりゃそうか。あのサークルで男女を意識することがありえないことぐらい、何度も参加している雫が分からないはずがないだろう。


「俺の目が活き活き、か」

「ですです。メラメラ燃えてましたよ」

「そっか」


 目を見る程度で何が分かるんだ、と思っていたけれど。

 存外、こんな風に指摘されるのは悪い気分ではなかった。むしろ嬉しい。俺はあの場で、燃えることができてたんだな。


「俺はさ」


 と、気付けば口にしていた。


「まだ具体的なことは分かってないんだけど……作家とか、編集者とか、そういうので物語を作ることに関わっていきたいんだよ」


 はっきりと夢を口にするのは、やはり照れ臭い。

 俺が明後日の方向を向くと、雫はそっと手を握ってきた。

 俺たちの関係の名を冠した繋ぎ方。

 それを背徳的だと思う必要はもう、どこにもない。


「それが友斗先輩の夢ですか」

「そういうことになる……変、かな?」

「それを変って言うと、お義父さんもお母さんも変な人ってことになっちゃいますからね」

「確かに」


 雫の小指には指輪がいた。

 俺が渡したピンキーリング。雫だけじゃない。澪も大河も、着け続けてくれている。


「いいと思います、私は応援しますよ」

「そっ…か」

「オタクがクリエイターを目指すなんて割とよくある話ですしね~」

「言い方が最悪なんだよなぁ」


 しみじみと呟くと、冗談です、と返ってきた。

 雫はぎゅっと手を握って、えへへ、と笑う。


「友斗先輩が私にラノベとかゲームを教えてくれたから、今の私がいるんです」

「……うん」

「だから……そんな友斗先輩なら、きっと何かしらの形で関わっていられますよ。私がそうだったように、友斗先輩だってなりたい自分になれる人ですから」


 そうか、と思った。

 美緒が俺にそうしてくれたように、俺も雫に物語の良さを伝えられたのかもしれない。雫の場合はもともと本好きで、俺が伝えたのはオタクカルチャー全般だったけど。

 それでもこの子の世界を俺が広げられたのなら――。


「なぁ雫」

「なんですか?」

「好きだわ」

「きゅ、急ですね……!?」

「毎秒思ってるけど、今、改めて思った。こんな風に言ってくれる雫が好きだよ。めっちゃ好きで、好きすぎてヤバい」

「~~っ! 急にアクセル踏みすぎですよっ!」


 手を握ったまま、雫がぷんすかとむくれる。

 そんな風に怒る姿も可愛くて、だから、俺は自分がまだまだ知らないことだらけの子供なのだと実感した。


 きっとこれから俺は、たくさんの世界を知っていく。

 幾つもの言葉と出会って、その度に世界観も変わって、何度も何度も過去と今とで自己矛盾を起こすのだろう。


 それでもいい。

 俺は毎秒毎秒の全力で言葉を紡ぐから。


「むぅ! 私だって大好きですからねっ!」

「おう。雫のこと、世界一タイで愛してる」



 ◇



 伊藤たちのサークルに行った日。

 今日は大河が家に帰っているらしく、我が家は久々に俺と澪と雫の三人っきりだった。まぁ昨日帰ってきたばっかりなので『久々』も何もないかもしれないが。


 夕食を終えた俺は、テレビを横目に作業をしていた。

 パソコンとスマホのアンリミテッドダブルワークス。家でまったりする時間すら仕事に侵されているのには色々と思うところがあるが、それもこれも俺の行動が元凶なのでしょうがない。


 サークルの情報はしっかり頭に詰め込んでおきたいし、感謝祭について決まったことも理解しておきたい。基本は大河を軸とし、時雨さんと入江先輩を加えた生徒会メンバーに任せるつもりだが、引っ掻き回した責任を持つべきだ。


「なるほどなぁ……」


 今のところ、昨日時雨さんが送ってくれた通りに決まっているようだ。

 基本は冬星祭と同じ。

 但し有志の発表の数を絞り、合間合間でダンスタイムのようなものを設け、プロムナード的に実施していくらしい。踊りたくない生徒はケータリングを食べながら歓談してもいい。そんな、割と自由な流れで行くつもりのようだ。


 なるべくタスクを減らし、その上でイベント自体の満足度は保つようにする。

 そんなやり方で進めるのは時間も人手も足りない今の状況では正しいと思うし、これならかなり実現性も高いと言えよう。


 と、考えていると、


「問題。誰でしょう?」


 眼鏡が外され、視界が塞がれた。

 手で押さえられているのだろう。ホカホカと温いその手は、どうにもこうにもこそばゆい。


「澪だろ。声と手のサイズで――やめて力入れないで」

「ふんっ……そう思うならいちいちサイズとか言わないの。声だけでいいじゃん」

「彼氏の小粋な弄りぐらい流してくれよ。だいたい、言うほど小さいのを気にしてないだろ」

「ま、ね。私は私が好きだし、友斗も愛してくれてるし」

「……っ」


 手を離すと、澪は俺の隣に腰を下ろしてから眼鏡を渡してきた。

 さんきゅ、と言って眼鏡をかけ直すと、澪はじぃと見てくる。


「……どうかしたか?」

「ん、いや。今更だけどそれいいな、って」

「それ?」

「眼鏡とか、髪型とか。前のも好きだけど今のも好き」

「っ、そ、そっか」


 ストレートに褒められたのが恥ずかしくて、口ごもってしまう。

 ぽりぽりと頬を掻いていると、くすっ、と澪が笑った。


「照れてるのかわいい。好き」

「っ、照れてねぇし。つーか、可愛いとか言うな」

「可愛いんだからいいじゃん。ま、その何倍もかっこいいけどさ」

「急にフルスロットルすぎじゃねっ?!」


 前から顔が好きとは言われてたし、事あるごとに口説き文句を言われてもいた。

 それでも恋人になってから言われるのは破壊力が違う。“関係”にこだわらないとは言うものの、結ばれたか否かで差が生じるのはしょうがないのだ。

 

「ま、今日は朝以来、甘えられなかったしね」

「その分、朝から飛ばしてたけどな」

「溜まってたからね」

「……さいですか」


 言われて、ふと思い出す。

 そういえば入江先輩が言っていた。

 美緒を演じて、三人の前に立ちふさがった、と。時雨さんが思うそれぞれの課題を突き付け、三人はそれを乗り越えたのだという。

 だとすればその分、今が飛ばし気味になるのはしょうがないことのように思える。


「溜まってなくても友斗のことは愛してるし、ぐいぐい行くけどね。欲しいものを我慢する主義じゃないし」

「澪のそれは主義って言うよりただ強欲なだけだけどな」

「強欲な女、いいでしょ?」

「…………悪くはないな。むしろ最高まである」

「ん」


 澪は太腿に頬杖をつき、そっぽを向いた。

 ほんのりとピンクに染まった耳は風呂上がりゆえなのか、それ以外に理由があるのか。確かめるのは野暮だろう。


「そういえば。歌詞、書くことになったんだね」

「ん、あぁ。伊藤がオリジナル曲がいいって言い出してな」

「ふぅん」


 オリジナル曲でいく旨は〈水の家〉で朝のうちに報告済みだ。

 三人とも驚きつつ好意的な反応をしてくれたが……澪には、改めて言っておきたいと思っていた。


「謝るのも変だけど……なんか悪いな。あの曲で終わりじゃなくて」


 俺が詞を書くのはこれが二度目。

 一度目は『WHITE RUNNER』。他でもない澪のためだけに書いた詞だからこそ、何となく申し訳なさがあった。

 けれど、ふっ、と澪は肩を竦めて言う。


「それ、本当に謝るの変だから。歌を物語の軸にするR18ゲームの主人公みたいなこだわりはキモイよ」

「罵倒の仕方がピンポイントかつ対応に困るやつすぎるんだが?」

「具体的なタイトル出す?」

「出すな! 何となく分かるから!」


 あの作品は胃が痛くなるタイプのアレだから。『ハーレムエンド』を迎えてる俺たちと比較すると色々と複雑な気分になっちゃうから。

 俺がツッコむと、澪がくつくつと笑った。


「冗談冗談……けど、謝る必要がないのはほんと。あの歌が私の歌なのは変わらないし、次が《《私たちの歌》》なのも変わらないから」

「そう、だな」


 『ハーレムエンド』を迎えた今でも、『WHITE RUNNER』を澪のために書いた事実は変わらない。あれは澪に向けたメッセージだ。

 澪は目尻をきゅっ、と下げて呟く。


「なら楽しみにしてる」

「……おう」


 だからこそ、紡ごうと思う。

 今の俺の全力で、三人に向けたラブレターを。

 キモイって言われるくらいの言葉を詰め込みたい。


「締切、守りなよ」

「……………………善処はする」

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