最終章#50 二つの条件
SIDE:友斗
――時を、一度今朝の伊藤とのやり取りにまで巻き戻す。
「但し、その話を受けるには条件が二つほどあるんだよ。条件っていうか、お願いかもだけど」
そう告げた伊藤は、まず一つ、と言って一本指を折った。
そして満面の笑みを浮かべたまま、とんでもないことを言い出す。
「歌うのはオリジナル曲! それも、百瀬くんが書いた詞を使ったやつ」
「えっと……『WHITE RUNNER』のことか?」
「ううん、新曲だよ」
「は?」
……今こいつ、なんて言った?
「新曲、とか言ったか?」
「もち。いい歌詞を見たら一晩もあれば作曲できるし、時間とか負担は気にしなくていいよ」
「そ、それはありがたいが……え、なんでオリジナル曲? しかも俺が作詞って……え?」
頭の中がはてなマークでいっぱいになる。
もしかして、感謝祭やらライブやらといった話を知ったあの三人は、こんな気持ちだったのだろうか。だとしたら申し訳なくなってくる。それくらいには、俺は混乱していた。
伊藤が曲を作る速度は凄まじい。文化祭のときに短めとはいえ何曲も自作していたし、歌詞だって『WHITE RUNNER』以外は伊藤が書いていた。だから間に合わないかもしれない、という不安はない。
しかし、
「サークル、忙しいんだよな? それなのに新曲って……マジで分からないんだが」
正直、今とあのときでは状況が違う。
あのときも『WHITE RUNNER』の歌詞で詰まって待たせてしまったし、今の伊藤はめちゃくちゃに忙しいはずだ。
俺が言うと、伊藤はニコーっと笑って答える。
「まーすっごい忙しいんだけどさ。でもウチ、好きなんだよ。百瀬くんの詞も、あの三人のことも」
「――っ」
「うん……? 急に顔赤くなったけどどーした?」
「な、なんでもない」
言えるものか。
俺の詞を好きだって言ってもらえたことが嬉しい、だなんて。
ふるふると首を横に振ると、伊藤は不思議そうな顔をしながら続ける。
「あの文化祭で百瀬くんの詞に曲をつけて、ウチはクリエイターとして更に大きくなれた。冬星祭で歌う三人を見て、もしも百瀬くんとウチで作った曲をあの三人に歌ってもらえたら、ウチはもっと先に行けるって思ったんだよね」
「もっと先に、か」
「ウチはこんなんだから信じてもらえないかもだけど……本気で、プロとしてやっていくつもりだから」
はっきりと言ってのける伊藤を見て、ああすげぇな、と思った。
身近にここまで純粋に夢を追いかけている奴がいるなんて、今まで気づきもしなかった。時雨さんや入江先輩はどこか遠くの存在で、俺はまだ歩き出せてもいない、って。
でも違う。
進んでる奴らは進んでる。全速力で走る奴に追いつけはしないけど、それは立ち止まる理由にはならないはずだ。
「ウチの代わりに300%の恋を詞に詰め込んで。そうしたらウチが『好き』を曲に詰め込む。それをあの子たちに歌ってもらいたい。それが一つ目の条件」
「……分かった。その話には乗る。俺が歌詞を書くから、曲を作ってくれ」
「あれ、もっと渋るかと思ってたんだけど。意外とすんなりじゃん」
「まぁな。ちょっと色々事情があるんだよ」
物語に関わると決めた。
紡ぐ人か、編む人か、それとも別の関わり方か。
それは定かではないけれど――でも逃げるのは違う。
「俺の三人への気持ちを詞にすればいいんだろ? 願ったり叶ったりだ。イタいラブソングにいい曲をつけてもらえるとか、逆にこっちが礼を言いたいくらいだからな」
「へぇー、言うじゃん。ヒューヒュー、かっこいい~」
「煽んな」
煽られると恥ずかしさが一気にこみ上げてきて死んじゃうのでやめてほしい。最近の俺、そんなんばっかりだから。
んんっ、と喉を鳴らすと、伊藤は我に返ったようにしてもう一本の指を折った。
「もう一つのお願い。実はこっちの方が無茶で、この件がなくてもお願いしようかなーって悩んでたことだったんだけど」
伊藤は気まずそうに苦笑し、そして言った。
「ウチらのサークルを助けてくんない?」
「は?」
どうやら天才ってやつは、どいつもこいつも凡人には到底理解できない思考回路をしているらしい。
俺は頭がパンクして倒れそうになった。
◇
「――ということがあってな。結局サークルを手伝うことになったわけだ」
「は、はあ……?」
そんなわけで放課後。
俺は雫と共に伊藤の家に向かっていた。生徒会には入江先輩を派遣したため、ここから暫くは庶務の仕事をサボることになる。俺ってばサボってばっかりなダメ人間!
……ちなみに、伊藤は先に家に帰った。サークルのメンバーに説明したいから、俺と雫は後から来るように、とのこと。なので買い出しをしてから行くつもりだ。
「サークルを手伝うっていうのは分かったんですけど、実際には何をやるんです?」
「んっと……ディレクター、というか全体の進捗管理とかその辺のマネージメントだな」
「それ、新入りに任せる仕事じゃないですよね」
「それな」
俺はそれも思った。
何しろ俺はゲーム制作もサークル活動もしたことがない。せいぜいゲームを作るアニメを見て、クリエイターモノの熱さとかヒロインの可愛さに萌えていた程度だ。
だが伊藤はそれでもいいと言う。
「何でも、これまでそういうマネージメントをしてた人が今回、シナリオの執筆に専念したいらしい。今までのシナリオライターと二人で書くんだと」
「へぇ」
「伊藤曰く、生徒会とか文化祭とかでのノウハウを活かせばそこまで難しくはない……らしい。前任者がいろはは教えてくれるらしいからな」
それでも力不足な気はする。だいたい、こんな感じでサークルに加入していいのかよとも思うし、終わりが見えない仕事を引き受けてよかったのだろうかとも感じる。
だがこれも経験だ。
『誰かとモノづくりをしたり、何か行事を成功させたり、修羅場を潜り抜ける経験はしておくといい』
晴季さんも言っていた。
才能の奴隷になる覚悟と経験があれば、どんな形であれ物語と関わっていける。
作家になるにしろ、編集者になるにしろ、経験は積んでおきたい。
「まぁそんなわけで、修羅場に飛び込んでみようと思ったんだよ」
「はぁ……感謝祭でまさに学校は修羅場な気がしますけどね~」
「も、もちろんそっちもやるぞ? 時雨さんと入江先輩を大河に任せたから暫くは俺の出る幕がないだろうなぁってだけで」
ぶっちゃけ俺も、ここまでやるべきことだらけになるとは思っていなかった。
生徒会は感謝祭で忙しいし、入江家・百瀬家両方に挨拶しにいかなきゃいけない。もう一件約束していることがあり、そのうえサークルでも役割と持っている。バイトが一区切りついたことだけが唯一の救いか。
「友斗先輩って、仕事お化けですよね」
「それを大河とか澪じゃなくて雫に言われると地味に堪えるよな」
「あ~。まぁあの二人もやりたいことがあるとやりすぎちゃうタイプですしねぇ」
こくこく、と雫が頷く。
「それに比べると雫は入社して四年目くらいで寿退社する気満々なタイプだよな」
「酷くないですそれ!?」
「いや、いい意味だぞ?」
「それ言えばいいってわけじゃないですからね? まぁ友斗先輩と結婚するようなものですし、あながち間違いではないですけど」
「………っ」
「この程度で照れるとかチョロインさんですかそうですか」
「うっせぇ!」
流れるように結婚とか言われたら誰だってこうなるんだよ!
俺が顔を背けると、にししーっと雫が悪戯っぽく笑った。
「まぁ私も隠してるだけで気を抜くとニヤケちゃうんですけどね」
「なっ……!?」
「だってかな~り長いの片想いですし。ずっと前から好きだった、って、それ私の台詞だよって感じでしたし!」
「…………」
雫の口撃に、俺はノックアウトされそうになる。
そうなんだよなぁ……この子、俺が小学五年生のときから一緒にいてくれて、ずっと好きでいてくれたんだよなぁ。やばい、なんだそれ贅沢すぎる。
「私は大河ちゃんやお姉ちゃんと違うのでずっとずっと、友斗先輩が頑張るのを見てることしかできませんでしたけど……その分、友斗先輩が無理できちゃう人だってことも分かってますから」
雫は、たったかと数歩前に出て、こちらを振り向いた。
コートからはみ出るスカートがふんありと揺れ、眩しい笑顔が瑞々しく弾ける。
「無理しすぎないようにしてください。《《私たちのために》》」
ふっ、と自然と笑みが零れた。
「当たり前だろ。《《お前らのヒーロー》》をあんまり見くびんな」
雫に追いついて、ぽん、と頭を一撫でする。
雫は嬉しそうな微笑を浮かべた。
「やーい、かっこつけすぎてイタいんだー」
「それを言い始めたら小悪魔ムーブメントもイタいからな」
「言いましたね! それ言ったら戦争ですから!」




