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最終章#49 先輩と後輩

 SIDE:友斗


 昼休み。

 俺は今朝伊藤と話したばかりの屋上で、人を待っていた。伊藤がした想定外の()()提案への驚きはあるが、それにばかり気を取られているわけにはいかない。目下の一番の課題が感謝祭なのは日を見るよりも明らかなのだから。


「そろそろか」


 指定した時刻の5分前。

 時間ぴったりにくる時雨さんとは異なり、あの人は余裕をもってやってくる。屋上と階段とを隔てるドアに目を遣ると、きぃ、と音を立てて開いた。


 澄み渡った冬空を背景に屋上に入ってきたその人の名は、入江恵海。

 ……将来の俺の義姉である。


「あら早いわね。お待たせしちゃったかしら?」

「多少は。入江先輩は時間より早く来るだろうと思ってたので、10分前に来ておこうと思ったので」

「いい心がけね。でもいいの? あの子たちと一緒にお昼を食べなくて」

「まぁ今日は重要な相談をしに来てますからね」


 俺は肩を竦め、苦笑と共に返す。

 付き合い始めたっばかりだし、四人で仲良く昼食を摂りたいという気持ちもないわけじゃない。だがやらなきゃいけないことがあるのはあの三人も理解してくれてるし、入江先輩を入れて五人で食べるのは純粋にエネルギーを使いそうだったからな。今回は一人で来ることにした。


 なお、入江先輩が来るまでに昼食はさっさと済ませた。今日は大河が作ってくれたので、入江先輩の目の前で食べて嫉妬されるのも面倒だった。

 昼食を済ませてきたのは入江先輩も同じらしく、彼女は何も持っていない。

 さらさらと風で靡く金髪を押さえ、フェンスの際にまで近づいた。


「すぅ……いいわね、この空気」

「バカと煙は高いところが好きって言いますけどね」

「バカと天才は紙一重、とも言うけれど」

「その論法だと自ずとあの人のことが思い浮かぶんですが」


 言うと、入江先輩は無理やりに視線をグラウンドに向けた。

 グラウンドでは陸上部が昼練をしている。食った後だろうに、よくやるものだ。走るのは嫌いじゃないが、俺も同じことをやろうとは思わない。


 生徒会で何かをやるのも、誰かと何かをするのも好きだ。

 けれど部活動に所属しなかったのは――多分、“何か”に全力になるんじゃなくて、『好き』に全力になりたかったからなんだと思う。


「あなたたち、付き合うことにしたのね。大河から聞いたわ」

「まあそうですけど……大河って、そういうこと入江先輩に話すんですね」

「それはもう、嬉しそうに報告してきたわよ。そのときの可愛い大河を演じてあげてもいいけどどうする?」

「大河を真似したところで大河の可愛さには一ミリも届かないので結構です」

「あら。即答なのね」


 くつくつと入江先輩は肩を震わせる。

 確かに、今のは自分でも驚くぐらいに即答だった。俺もつられて、くすくすと笑う。我ながら大河のことを好きすぎるな。

 入江先輩はフェンスに手を触れ、けれど、とどこかアンニュイな横顔で告げた。


「選挙の件がなければ、そんな風に報告してくれることもなかったんだと思う」

「そうですかね?」

「そうよ。私はあの子の敵であることしかできなかったもの。そんな姉に恋バナをしたいなんて思う妹がいると思う?」

「さあ。少なくともうちは、バリバリ話してましたよ」

「あのねぇ……時雨と私を一緒にしないでくれる? というか、あなたと大河を一緒にしないで」

「おっと、失礼」


 そりゃそうだ。

 うちとこの人たちとでは関係が違う。

 俺と時雨さんはあくまで従姉弟だ。時雨さんは俺のお姉さんのようになって導こうとしてくれたけれど、本当の姉とはきっと感覚が違う。


「ま、俺の身近には百合カップルかと思うくらいに仲がいい姉妹がいるんで」

「あの二人と比べられるのが一番嫌ね……あんな仲のいい姉妹、普通はいないわよ」

「さいですか」


 関係が同じでも、そこに刻まれている歴史によって色んな事情が変わってくる。同じものなんて一つもないし、真の意味で共感することはできないのだろう。

 それでも似ているものは確かにあって。

 だからこの人は、俺に期待したのではないだろうか。


「付き合うことになりました。俺と大河と雫と澪と。四人で付き合って、生きていきます」

「……そう」


 入江先輩の瞳が俺を映す。

 そこには羨望と期待と後悔の色が混じっていて。

 そのまま、入江先輩は口を開いた。


「私はね、本当は反対なの。『ハーレムエンド』なんてバカげてる。ただの三股だ、って」

「っ……そうですね」

「魅力的な三人の女の子が好いてくれているのだから、誠意をもって選ぶべき。それができない《《百瀬くん》》は最低よ」

「…………否定はしませんね。自覚してますし」

「けれど――ずっと罪悪感を抱えてきたから、後押しするしかなかった」

「罪悪感、ですか」


 反芻したその言葉に、えぇ、と入江先輩は首肯した。


「私は夢を追うつもり。25歳で結婚するつもりはないわ。無理やりにでも自分を貫く。それはずっと昔から決めていたことで…………でも、そうすることで結果的に大河に重荷を背負わせてしまうかもしれない、って分かってもいた」


 それでもやはり、夢を追う。

 そこまで強く抱ける思いは、或いは業と呼んでも差し支えないのかもしれない。時雨さんがそうであるように、この人もそっちの世界で生きていく人なのだ。強く、そう実感させられる。


「だから罪悪感を抱えていて、大河が望む幸せを後押しした。時雨に言われてね、あなたの妹さんの演技をしたのよ」

「美緒の、ですか?」

「そう。美緒ちゃんを演じて、あの子たちに立ちはだかった。時雨が思うそれぞれの課題を指摘した。ちょうど、あなたと時雨が付き合い始めた日にね」

「っ、そんなことがあったんですか……」


 知らなかった。

 あのときの俺は自分のことでいっぱいいっぱいで、三人のことを気にかけることすらできていなかったのだろう。

 悔いがジクジクと胸で膿む。

 そんな俺を、入江先輩は少し驚いた顔で見つめていた。


「入江先輩、どうかしました?」

「えっ、いいえ、何でもないわ。ただ《《だから間違えたのね》》、と思っただけ」

「え……?」


 どういうことだ?

 俺が首を傾げるが、入江先輩は詳しく説明してくれる気がなさそうだった。今は入江先輩が話したいことがあるようだし、強いて聞くべきことでもない気がするので黙っておく。


「私は時雨に指示通りにあの三人に立ち塞がったのだけれど……本当のところ、挫けてくれてもいいのに、って思っていたのよね。『ハーレムエンド』なんて認められるとは思えないから」


 でも、と言いながら、入江先輩は眩しいものを見るときのように目を細めた。


「あの三人は乗り越えた。だから期待したのよ。あなたなら……あなたたちなら、私がこれからどうすべきなのかも見せてくれるんじゃないか、って。身勝手でしょう?」


 言って、入江先輩は自嘲した。

 確かにこの人は身勝手極まりない。時雨さんもそうだし、俺たち四人だってそうだ。他人のことを慮るふりをしても、それは所詮、いい人で在るためのツールとして使っているにすぎない。


「今更ですか。選挙のときから割とずっと思ってることですよ」

「ふふっ、それもそうね」

「それに期待されるのは好きじゃないですから。つーか、入江先輩は俺の義理の姉になる人なわけですしね。姑ぶって好き勝手やるくらい許されるんじゃないですか?」

「あなたの姑観、歪みすぎじゃない……?」


 さあ、と俺は肩を竦めた。

 入江先輩はふっと破顔すると、それで? と話のレールを変えてくる。


「取引したいことがある、って言われたのだけれど……どんな取引をするつもりなのかしら?」

「あぁ、その話ですね」


 そうそう、今日は入江先輩の告解を聞きに来たわけではない。

 こほんと咳払い、俺ははっきりと言う。


「単刀直入に言うと……俺が頼みたいことは二つです」

「二つ、ね」

「実は今、感謝祭って行事を企画してましてね。そこで雫と澪と大河がまたライブをすることになったので、衣装をお借りしたいんですよ。冬星祭のときみたいに」

「それが一つ目ってことね……まぁそれくらいならいいわよ。綾辻澪がいくなら、演劇部の子も歓迎してくれるだろうしね」


 演劇部?

 そういや、澪が入江先輩と一緒にいるところを見かけたな。演劇部と絡みがあったのかもしれない。まぁその辺はいずれ澪から聞くとしよう。


「それでもう一つは?」

「俺たち四人で入江家に挨拶にしに行きたいので、日程調整と引率を頼みたいんですよ」

「……挨拶に四人で行くの? 正気?」


 入江先輩が俺を疑るような視線を向けてくる。

 俺は苦笑し、まあ、と肯いて見せた。


「少し考えがあるんです。一緒に来てもらえれば、入江先輩の期待にも少しは応えられるかと思いますよ」

「…………へぇ。詐欺師みたいな顔をするのね」

「酷くないですか?」

「事実だもの」


 事実なら何でも言っていいってことじゃないですからね?

 俺がジト目を向けると、入江先輩は肩を竦めた。


「そういうことならいいわよ。あなたのお願い、聞いてあげる」

「そりゃどうも」

「けれど、あくまで取引なのよね? あなたは何を見返りに差し出してくれるのかしら? 大河のオフショット?」

「嫌に決まってんでしょ……シスコンも極めると引かれますよ」


 つーか、俺だって大河のオフショットとか欲しいっつうの。

 ……今度、改めて四人で写真撮ろうかな。それこそ感謝祭で撮ってもいいかもしれん。

 と、考えている間に、入江先輩は視線で問うてくる。


「俺が差し出す見返りは……感謝祭の運営に関わる権利、ですかね」

「は?」

「さっき言いましたけど、3月に感謝祭って行事をやるんですよ。人手も時間も足りてないので、あの入江恵海の力をお借りしたくて」

「あなた、バカにしてる?」


 文化祭のときを思い出すような鋭い視線が飛んできた。

 俺は時雨さんのようにのらりくらりと躱し、にへらっと笑って言う。


「まっさかぁ。むしろ俺、入江先輩は先輩として一番尊敬してますよ」

「ならどうしてそれが見返りになるのか説明してもらっていいかしら?」

「説明していいんですか?」

「…………いいに決まってるでしょう?」


 引くに引けないと言った感じで、入江先輩が言い切る。

 或いは、《《指摘してほしいのかもしれない》》。

 ならば、


時雨さん(初恋)と向き合う最初で最後の機会になるからですよ」


 俺はこの人にお世話になった後輩として、こう告げるべきだろう。


「時雨さんも入江先輩も、大学に入ったらお互いに忙しくなりますよ。大人になればなるほど、自分の気持ちと向き合うのも難しくなる。今のうちに向き合っておかなきゃ、絶対に燻りますよ」

「……っ」

「そんな風に逃げた入江先輩の演技には、《《自分がしっかりいるんですか》》?」


 いつか、入江先輩が澪に告げた台詞。

 それを思い出したのか、単に図星だったのかは分からないけれど、入江先輩はニヒルに口角をつり上げた。


「そこまで言うなら、乗ってあげるわ」

「どうぞどうぞ。乗らせてあげますよ」

「その上から目線、ムカつくわね……ほんと、こんな詐欺師みたいな男の子のどこがいいのかしら」

「それ二度も言います!?」


 俺がツッコミを入れると、入江先輩はフェンスから離れた。

 そして、


「幾らでも言うわ。これからも末永く付き合っていきましょう、詐欺師さん」


 と、言い残して、屋上を去った。


「ほんと素直じゃねぇなぁ……」


 俺も雫も澪も大河も拗らせてるし面倒だし最低だし間違ってるけど。

 でもこの人たちも同じくらい拗らせてるし面倒だし最低だし間違いだらけだよな。


 俺は、血は争えないんだろうな、と思った。

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