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最終章#48 夢

 SIDE:友斗


 夢を見ていた。

 夢と現のはざまで揺蕩うような夢。これが夢だと分かるという意味では明晰夢に違いなくて、同じ意味で現実らしくない現実のようにも感じていた。


 それはまるで、冬の桜みたいだった。

 真冬の桜がさらさらとふぶく。

 白とも桃色ともつかないその光景は、お日様とかお月様とか奇跡とか、そういう素敵な魔法を全部閉じ込めたように思えた。


 かち、かち、かち、と時が刻まれていく。

 未来が降っていた。

 ちろちろと降っていた。

 俺が目を瞑ってもその世界はそのまま視界にあって、その中に一人の少女の姿が浮かび上がってくる。


 色んな気持ちが込み上げてきた。

 その子を抱きしめたい、って思いとか。

 その子を離したくない、って思いとか。

 その子が大好きなんだ、って想いとか。


 けれどその少女は、ふっ、と花びらみたいに笑った。


「まだ、終わってないよ」


 彼女は言う。


「分かってる。まだ何も終わってない。幸せの向こうにも、ちゃんと道はあるもんな」


 幸せの向こうには、いつだって道が続いている。

 茨と薔薇に満ちた道。

 その道を進むことを放棄すれば、時間泥棒に追いつかれてしまうことだろう。今日と明日を月と太陽が代わりばんこで報せてくれるように、前に進まなきゃいけない。


「何をしなくちゃいけないか、ちゃんと分かってる?」


 彼女は聞いてきた。

 心底心配そうにしているのは、俺が何度も情けないところを見せてしまったからだろう。すべきことから目を背けて、ずっと逃げ足ばかりを動かしていた。


「分かってる。もう目を逸らさない」

「……本当に?」

「本当だよ。ちゃんと《《乗り越えるから》》」


 だから、俺は少女に手を伸ばすことはない。

 俺と彼女の間には三途の川が流れていて、渡ることはできないし、渡りたいとも思わない。だってどうせいつか渡らなくちゃいけなくなるから。


「そっか。なら安心だね」


 彼女はいつもみたいに、俺よりずっと大人びた表情ではにかんだ。


「待ってるよ、《《兄さん》》。

 絶対来てね、あなたのお嫁さんと一緒に。

 義姉さん、って呼ばせてね」


 うん、分かってる。

 約束するよ。俺の好きな人を連れていく。それで、


「初恋を終わらせるから」



 ◇



 冬の朝は冷たく、誰にとっても辛い。

 けれどそれも、好きな子たちと一緒だと苦じゃなかった。

 目を覚まし、ランニングをし、四人で朝食を摂る。

 俺にとって100点の幸せな日常だった。

 ……のだけど。


「いやぁ百瀬くん。朝から凄かったねぇ~」

「うっ、まだ弄るか、それ」

「弄るでしょ~! 三人の美少女に取り合われるイケメン男子! これはもう新聞部に特集されること間違いなしだね!」

「そこは安心しろ。別のネタを流す代わりに報道規制をかけてある」

「抜かりなかった!?」


 2月15日。

 俺はニヤニヤとする伊藤にからかわれつつ、屋上で話していた。教室で話すようなことじゃないからと上がってきたが、流石に2月の屋上は寒すぎる。早々に話を切り上げたい物だ。


 とか言いつつ、既にこんな風に弄られながら10分ほど食いつぶしてるんだけどな。

 では伊藤の言う『朝から凄かった』こととは何か。

 説明するためには約25分ほど遡ることになる――。



『寒いし、手繋ぎたい』


 四人で登校していたときのことである。

 澪は何の脈路もなくそんなことを言い出した。澪は手をにぎにぎしながら視線を彷徨わせ、やがて俺の手に目をつけた。


『彼女だし、恋人繋ぎでいいよね?』

『えっ、あ、おう』

『やった』


 言って、澪は上機嫌で俺の右手を取った。

 指と指の隙間に澪の指が挿入される。指の腹が澪の指の付け根の出っ張ったところに触れた。それだけのことであるはずなのに、何故かそこはかとなくスリリングなことをしている気分になる。


『あー! お姉ちゃんズルい! じゃあ私は左手もーらいっ!』

『ちょっ、雫――っ』

『ん~? お姉ちゃんはいいのに、私はダメなんですかぁー?』

『ダメじゃ、ないけど……ほら。そっちは車道だし』

『道広いですしだいじょーぶですよ。あっ、でも広がると迷惑になっちゃいますし……そうだ! 手を繋ぐんじゃなくて、こうしましょっか♪』


 にししと笑うと、雫は腕を絡めてきた。

 一気に密着度が増す。腕の細さとか柔らかい感触とか、そういうのを意識してしまい、頭の奥を弱めの電流が走った。

 まるで「この人は私のです」と主張しているかのようなその行為は、否が応なしに、俺がこの子の彼氏であることを思い知らせてきて――ヤバい、好き。


『む……その手があったか。なら私も』

『み、澪まで!?』

『これだけ密着すれば、パンケーキの柔らかさも分かるでしょ?』

『――っっ』


 服越しだから分かんねぇよ、と言ったら嘘になるのは明白だった。

 二人に挟まれ、とうとう俺は逃げ場を失くす。


『た、大河。二人に何とか言ってくれ』

『……い、嫌です。私は後ろ貰います』

『大河?!』


 ぎゅっ、とコートが摘ままれた。

 息苦しくなるような力ではないのに振りほどこうとしても簡単には離れていかなそうな強さも感じて、「私だって負けない」と言った感じの密やかな意思が伝わってきた。ヤバい、可愛い。


『嫌ですか……?』

『嫌ならやめるけど』

『どーしますか? 友斗先輩』

『…………毎日これだと流石にアレだから、程々にな』



 ――というわけで。

 俺は今朝から三人と登校してきたのだった。

 学校が近づいたらやめてくれると思ったのだが、


『昨日のバレンタインのこともあるし、ちゃんと私たちの彼氏だって主張しておきたいよね』


 という澪の一言により、ちっとも離してくれなかったのだ。

 そのせいで、雫と付き合い始めたとき以来の周囲からの反応を聞きながら登校するはめになった。教室に行ったらクラスの奴らから色々と聞かれたしな。

 まぁぶっちゃけ、伊藤と屋上に来たのもそういう奴らから逃げる目的があった。物理的な意味で教室で話をできる空気じゃなかったし。


「夏休み前に流れた噂よりインパクトが強いことばっかりだし……これは暫くずっと話題に上がるだろうね~」

「やっぱりそう思うか……?」

「そりゃそーでしょ! あの三人が冬星祭で好きって言ったのが百瀬くんかもしれない、って話は流れてたわけだし。いよいよ四人でイチャイチャし始めたとなったら、ねぇ?」

「まぁ…仰る通りで」


 人の噂も七十五日と言う。

 雫のときには俺がそこまで表に出てなかったこともあって一週間もすれば収まったが、今回はそうはいくまい。俺はミスターグランプリで優勝したりして人前に出てたし、雫だけじゃなくて大河と澪までいるわけだからな。


 問題があるとすれば、三人を害するような声が上がることだろう。

 冷たい目で見られてしまうことはしょうがない。多様性とは認めないことも含めて多様性なのだ。一般的な在り方をしないくせに「俺たちのことを認めろ。奇異の目を向けるな」などと呼ぶのは傲慢が過ぎる。

 俺がすべきは、あの三人が耐えられないような傷を防ぐこと。傷ついた場合にはその傷を塞ぐこと。言葉以上の被害が生じないように気を張ることだ。


 まぁそのためにも、あの三人の格が落ちないような男でいないといけない。


「それにしても……まさかあのときに言ってた子たちみんなを好きになるなんてね」


 伊藤はけらけらと笑いながら言う。

 そういえばそうだった。文化祭のとき、既に俺は複数人のことを好きになれるかもしれないって言っていた。


「百瀬くんって意外と節操なし?」

「まさか。俺は一途だぞ、あの三人に対して」

「だよねー。そうじゃなきゃ、ウチの告白を断ってないだろうしぃ?」

「……だな」


 言われて、つい顔をしかめてしまう。

 伊藤の告白を断っておいて三人と付き合うことを決めた。責められても文句は言えない。

 けれど、


「ま、いーけどね。それよりも例の件、話そっか」


 伊藤はあっさりとそのことを流してくれる。

 いや『くれる』ではないのだろう。伊藤にとって恋とはそんなもので、あの文化祭での告白はすぐにネタにできる火傷のようなものなのだと思う。

 恋も、愛も、人それぞれ。

 それでいいし、それがいい。


「そうだな」


 今日話すのは三人のライブの件だ。

 俺が頷くと、伊藤は目をキラキラと輝かせて話を切り出した。


「それで! 百瀬くんはあの三人のライブを企画してるんだよね?」

「お、おう……圧が凄いな」

「三人のライブで、演出とか音響をウチに任せてくれるんでしょ?」

「任されてくれるなら」

「じゃあもちろんやる! と言いたいところなんだけど、ちょっと問題もあるんだよねぇ~」

「やっぱりそうか……」


 そりゃ早々上手くは行かないよな。演出家だって金を貰ってるわけだし、出来る奴にほいほい頼んでやりがい搾取することが正しいわけがない。


「そうだよな。すまん、いきなり無理言って」

「ん? あ、勘違いしてるかもだけど、断ってるわけじゃないよ? むしろ断るつもり一切なし!」

「えっ、そうなのか……?」

「もち!」


 ぶいっ、とピースサインをしてくる伊藤。

 俺が呆気を取られていると、伊藤は悪戯っぽい表情で言った。


「但し、その話を受けるには条件が二つほどあるんだよ。条件っていうか、お願いかもだけど」

「お願い?」

「そー!」


 そうして伊藤が口にした条件(お願い)はどこまでも俺を振り回すもので。

 けれど同時に、この青春に一区切りをつけるためには願ってもみない話だった。

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