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最終章#40 バレンタイン当日

 SIDE:友斗


 バレンタイン前日の夜を超えて、街はバレンタイン色に染まっていた。

 バレンタイン色って、チョコ色なのだろうか? だとしたらなんか汚ぇ……やはり、バレンタインなんてろくなものじゃないな。


 そもそもバレンタインにチョコを渡すっていう日本の習慣自体、どこかの企業が考えたものなのだ。一企業の戦略に乗っかって幾つものトラブルを起こし、挙句の果てに社会さえ分断するバレンタインデーは、唾棄すべき悪だと言わざるを得ないだろう。


 今朝からテレビはバレンタイン特集ばかり。

 シンプルなチョコはともかく、チョコをピザに乗せたり、唐揚げにかけたりするらしいから驚いた。チョコってそんな万能な食い物じゃなくね? でもちょっと唐揚げは食ってみたい。焼きそばは前に食ったけど、死ぬほどまずかったからな……。


 ――と、朝から悪態をつきまくらなければ自分を保てないほどに、俺は昨日の一件に対する羞恥で悶えまくっていた。


 考えてみれば、その前から全部イタくてやばかった。

 全てのきっかけはかのノートだ。小四の俺が自意識駄々漏れの物語を綴った黒歴史ノートを読んでからというもの、俺は燻っていたエネルギーを一気に放出してしまった。


 父さん、晴彦や如月、時雨さんや入江先輩。

 あの日から昨日まで色んな人と話したわけだが、その誰に対しても恥ずかしくてしょうがないようなかっこつけ方をしていた気がする。

 否、それだけではない。

 イメチェンだって酷いものだ。あの三人を落とすためだと言ってみたものの、雫以外は触れてさえこなかったし、効果があるとは考え難い。


「あー……どうしよ」


 朝、鏡と見つめ合い、思う。

 眼鏡はつけなくてもまだ日常生活は送れるし、ヘアセットはどうとでもなる。やはり元に戻すべきだろうか……?

 うん、なんかそんな気がしてきた。 

 やっぱり、どう考えても変だし――


『かっこいいじゃん!』『百瀬くん、眼鏡似合うね!』『百瀬、その髪いいな』


 ふと、昨日色んな奴から言われた言葉が頭をよぎる。

 …………好評ではあったんだよな。

 三人とも俺の眼鏡姿にお気に召してはいたみたいだし、一日で諦めるのは早いような気がする。つーか、昨日一日でやめる方がよっぽどイタイだろう。


「っし、やるか」


 晴彦や如月にも協力してもらったわけだしな。

 うん、決めた。今日も昨日と同じモードで行こう。

 自分を励ますようにうんうんと頷いて身支度を整えた後、霧崎家の三人と朝食を摂る。昨日も言ったが、今日百瀬家に帰ることになっている。既に荷物はまとめてあるし、今日だけで運びきれなそうなものは郵送済みだ。


 最後の朝らしい会話を交わしてから登校する。

 なるべく遅刻ギリギリで行こうとする俺の企みは、


「おやおや、こんなところで日和っちゃうようでいいのかな? ボクと戦っていけないよ?」


 という時雨さんの挑発によって崩され、いつも通りの時間に家を出た。


 ああいうことがあっても、地球は回るし、いつも通りの日常が続いていく。

 俺の選択は世界に何ら影響を及ぼさないし、世界を変える力なんて誰にもありはしない。変わるとすれば、それは世界観なのだろう。


「――ってわけで、晴彦。今日の俺はバレンタインデーを心底憎く思えてるから、俺の前でチョコのやり取りをしないことだ」

「朝から何言ってんのお前」


 今日で最後になる、霧崎家からの登校路。

 途中で出会った晴彦に今日の俺の心境を伝えると、小馬鹿にした声でツッコまれた。実に業腹である。


「話聞いてたか? バレンタインデーってのは――」

「あー、はいはい、その面倒な話はいいから。で? その急に陰キャ臭く闇落ちしてるのはなんでなんだ? 昨日、振られたとか?」

「うっ……」


 晴彦に言われ、俺は「図星です」と自白するような反応をしてしまう。

 えっ、と晴彦が目を丸くした。


「マジで振られたのか? あんだけ啖呵切っておいて?」

「っ……別に、振られたわけじゃねぇよ。むしろ――」

「むしろ?」


 続きを言おうとすると、くすぐったさが背筋を這った。

 半ば無意識のうちに頬が緩む。


「あー……その反応でもう分かったわ。友斗、ちょっとそれキモイぞ」

「う、うるせぇよ」

「そう思うならにやけるのはやめることだな。折角イメチェンしたんだし、かっこいい彼氏っぽく振舞えよ」

「だな」


 晴彦に指摘され、うん、と頷く。

 昨日――俺は、雫と澪と大河の三人と付き合うことになった……と思う。具体的な話は、今日帰ってすることになっているのだ。そのため、ぶっちゃけ俺たちの関係は曖昧なものになっている。


 もちろん、曖昧なままでいるつもりはない。

 現実的な問題についてはどうにでもなるし、そのための準備もしている。問題があるとすれば、むしろ感謝祭の方であろう。ま、そっちも今日帰ってから話すつもりだ。逆に、今日帰って決めないと時間的にヤバい。


 やらなきゃいけないことも、考えなきゃいけないことも、たくさんある。

 だがそれを全部こなして、かっこよく在りたいと思う。

 それがあの三人に釣り合う男になるための、必要最低限の努力だと思うから。


 あれこれと話している間に学校に着く。

 見れば、玄関でチョコのやり取りをしている奴らだったり、ロッカーにチョコやらラブレターやらを入れたりしている奴らがいて、実に胸焼けする。


 ぐぬぅ……いや、素敵だと思うよ? 昨日はバレンタインイベントで、チョコを渡す女子の気持ちに共感したりしたしね? でもこうもバレンタイン一色だと、色々と思うことがある。具体的には、メッセージカードだけでなくクッキーにも仕込んだ死ぬほどハズいメッセージを思い出して、悶えそうになる。


「晴彦は、結構チョコ貰いそうだよな」

「ん? あ~、まーそうだな。去年も義理チョコ本命チョコ問わず貰ったわ」

「本命チョコ? 如月以外にってことか?」

「そりゃな。別に彼女がいるってことを知ってる奴ばっかりじゃねーし。彼女にいるの分かってて告白する気もないけど、チョコだけは渡したい、みたいな子もいるっぽいぜ」

「ほーん」


 その気持ちは、まぁ、分からないでもない。

 実る実らないに関わらず、好きな相手に何かしたい。そう思うことはおかしくないはずだ。


「つーか、それを言ったら友斗だって貰ったことあるんじゃねーの?」

「俺は……まぁ、数回だけ」


 なお、その内訳はほとんど雫である。

 去年までは、


『義理だと思います? 本命だと思います? どっちがいいですか~♪』


 とかからかってきたんだよなぁ……。

 しみじみと思い出していると、


「ま、私も渡したことあるしね」


 と、後ろから声が聞こえた。

 振り向けば澪がいる。


「お、綾辻さんおはよう」

「ん、おはよう。友斗もね」

「お、おう……おはようさん」


 挨拶を済ませたところで、ちょうど玄関に着く。

 晴彦とは去年クラスが違った関係でロッカーの位置が離れているため、一旦別れた。代わりに澪が隣を歩く。

 ……ヤバい、ちょっと顔が見れない。


 今日も可愛いなぁ……この子が俺の彼女なんだぜ、でへへ。ヤバい、にやける。頬を引き締める意味も込め、俺は澪に話を振った。


「で、さっきのはなんだ?」

「さっきのって?」

「チョコを渡したことある、ってやつ。澪から貰ったことないんだけど」


 というか、流石にバレンタインには会っていない。何せ、毎年雫と会う約束をしているのだ。流石にその後で澪を呼んで()る、って気分にはならなかった。

 俺が首を傾げると、はぁ、と澪は呆れたような溜息を吐く。


「忘れたんだ。最低」

「忘れたって……いや、絶対に貰ったことないぞ。貰ってたらホワイトデーのお返しで悩んでるはずだし」

「ううん、渡したよ、チョコの香りのゴム」

「ゴ――ぶふぅっ!?」


 思い出した瞬間、俺は勢いよく噴いた。

 澪は、くすくすと可笑しそうに肩を震わせている。いや、笑いごとじゃないからな? 公衆の面前で、しかもバレンタインを使った下ネタとか……昨日の件もあり、余計にクる。


「ん、どうしたの? 顔赤いよ?」

「赤くなるに決まってんだろ。つーか、それはチョコには入らないからね?」

「ちぇっ」

「いちいち可愛いから舌打ちすんな」

「――っ」


 俺が言うと、澪はぷいっと顔を背けた。


「今はとりあえずこの辺で」

「そうだな、痛み分けってことで」

「ん」


 俺はもちろんだが、澪だってヘナヘナとにやけているわけにもいかないはずだ。浮ついたバレンタインの空気に飲み込まれるのは癪だからな。

 休戦協定を結んで、俺たちはロッカーを開け――


「あっ」


 ――ると、そこにはラッピングされた箱が入っていた。しかも二つほど。

 晴彦との会話の後で、これはなんだ? と惚けることができるほど、俺は厚顔無恥でも鈍感主人公でもない。

 言わずもがな、これはチョコであろう。義理チョコをこんな渡し方するとは思えないし、おそらくは……うん。


 受け取るべきか、それとも「彼女がいるから」とでも理由をつけて返すべきか。

 どうしたものかと首を捻っていると、先に履き替えたらしい澪が覗き込んできた。


「友斗どうかしたの――って、ああ。チョコ貰ったんだ」

「っ、あ、あぁ……」


 あれ、思いのほかリアクションが薄い?

 実はこんな感じでチョコのやり取りをするのって珍しくなかったりするのだろうか。友達がいなさすぎて知らなかっただけ?


「何その顔」

「えっ、いや」

「私がヤキモチやくかも、とか思った?」


 澪が試すように聞いてくる。

 意地を張って、別に、とか言ってもしょうがない。俺がこくりと頷くと、急にネクタイを引っ張られた。

 そして、


「正解。だから代わりに、帰ったらとびきり美味しいチョコ、用意するね?」

「――っっっ!?」


 耳朶を溶かすように、囁かれる。

 ふありと漂うのは香水の匂いだろうか。『女の子』を詰め込んだような甘やかな刺激に、卒倒しそうになった。


「じゃ、先行ってるから」

「……おう」


 ――女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かでできている。

 ありがちな惹句を思い出し、俺は吐息を零した。

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