最終章#39 Daisuki
「じゃあ友斗先輩に聞きます。なんでこんなことをしたんですか?」
躊躇を押しやって、雫が尋ねてきた。
さて、なんと答えるか。どう答えれば、どう紡げば、彼女たちに俺の気持ちが伝わるだろう? この気持ちをきちんと届けられるだろう?
「それは――」
四人で刻んだ歴史がある。
その歴史を信じて、俺は一つの答えを口にする。
「――三人と3分の2ずつ縁を結ぶって約束をしたからな」
「「「……は?」」」
「本当なら冬星祭で結ぶつもりだったけど……考えてみろよ。冬星祭で一気に結んだら、大河だけなんか効力弱そうだろ。だから3分の2の縁を結ぶために、四つ目の三大祭が必要だった」
歴史とはつまり、伏線だ。
人生何があるか分からない。伏線なしに起こる悲劇は山ほどあるし、未来を推測することも、他人の思考を推し量ることも容易くはない。
それでも――張られた伏線は回収する。
そうでなくては、『後』を超えて今を歩く意味がない。
「意味が、分かんないです。なんですかそれ」
「本当に意味が分からないんだとしたら、読解力不足だな」
「っ、友斗先輩の言葉が足りないんです。だってそれじゃあまるで――」
雫は続きを口にしようとして、歯噛みした。
微かに戦慄く唇を見て、澪が言葉を継いだ。
「それじゃあまるで、『ハーレムエンド』を認めたみたいじゃん。あの日あれだけ拒絶しておいて……今更そんなことを言うの?」
「っ」
「そんなの、認められないよ。私たちは友斗を分かった気になって、色んなものを押し付けて……友斗はあの選択をした。それを覆すのは、本当に友斗の意思? 私たちのわがままに応えてるだけ? もう私には友斗が分からない」
澪はそこまで言うと、くるりとターンし、再び歩き始めた。
大河が、俺を見て告げる。
「私たちはユウ先輩に依存していたんです。傷つけてくれたから、その分、幾らでも傷つけていい、って甘えて。そんな歪な偽物を続けてもしょうがないですよ。だから……あの日に打たれたピリオドを受け入れるって決めたんです。もうそれでいいじゃないですか」
「それ、は…っ」
大河は澪の後を追う。
雫と目が合うと、彼女は何かを堪えるように言ってきた。
「ごめんなさい、友斗先輩。私は友斗先輩を傷つけたくないです。幾らヒロインの私たちが喜んでも、友斗先輩が傷つく選択なんてハッピーエンドじゃない。だから、わがままはもう言いません。ヒーローになってなんて思わないから――もう、やめにしましょう?」
言って、雫も二人に続く。
三人分の背中が遠ざかる。
はっきりとした拒絶の分だけ、心がどうしようもなく軋んだ。
俺はここまで言わせてしまうほど、彼女たちを傷つけたのだ。俺が本当の願いを認めようとしなかったから、あの子たちの願いを仮初の思いで突き返したから、こんなにも赤い糸はぐちゃぐちゃになってしまった。
あの日、俺は誰のことも追いかけなかった。
手を伸ばさなかった。
けれど――今、手を伸ばそうとして気付く。
俺の腕は二本しかなくて。
なのに捕まえたい女の子は三人いて。
だから俺は手首を掴むことも、後ろから抱き締めることもできない。
足りていないのだ。
何度も、何度も、何度も、何度も、自分の想いの不純さを自覚した。
あらゆる恋物語の名言が俺を責め立てる。
三人を好きになった俺を、選ぶことを拒絶した俺を、間違っていると詰り続ける。
この先もきっと、こういうことが起こる。
その度に手が足りないことを悔やんで。
三人を繋ぎ止めたいと思う自分を責めて。
毎度のように立ち尽くすのだろう。
――ひゅぅぅ
追い風が背を押す。
アスファルトを蹴り上げろ。前へ進め。手を届かせることができないのなら、抱きとめることも叶わないのなら、全速力で追いついてみせろ。
「ふぅ……朝ランニングを始めた甲斐があったな」
雫を、大河を、澪を追い越して。
俺は道を塞ぐように前に立つ。バッグを持っていたせいで走り方は不恰好極まりなかったし、急に走ったから息も切れてるが……間に合ったことに、変わりはない。
「お前らの目は節穴かよ。俺の腕は二本しかねぇの。三人同時に逃げられたら、捕まえられるわけないだろ。それとも何か? 俺が第三の腕を出すことができる魔法使いだとでも思ったか?」
「……っ、どうして、追ってくるの? これで終わりだって言ってるじゃん」
澪の力のない睥睨は、臆病な猫のようだった。
俺は三人を掴んでいられない。せいぜいこうやって立ち塞がることしかできず、逃げようと思えば幾らでも逃げられてしまう。
けれど、三人は立ち止まってくれた。
ほぅと安堵の息を零し、拳を握り締める。
「澪は……あの夜、言ったよな。一言言ってくれさえすれば、それでいい、って。けど、それじゃダメなんだ。そんなんじゃ、全然足りてない。俺の願いはそんな単純じゃなくて……もっと、気持ち悪いんだよ」
雫と視線が合って、思う。
最初から『好き』を叫び続けてくれたこの子は、やはり本当に眩しかった。俺は雫のようにはなれない。
深い溜息を情けなさごと吐き捨てる。
「俺は三人のヒーローになりたいんだ。力になりたい。助けたい。助けた後にお礼を言われたい。三人を助けて、俺自身が生きてていいって認めてやりたい」
ずっと昔、俺のノートにつけてくれた花丸を見て、思い出したのだ。
美緒が俺の物語に救われたのを見たとき、この上なく嬉しかった。自分の命を、本当の意味で愛せた。
俺は昔から変わってなかった。
好きな子の力になりたい。助けたい。守りたい。それが俺の願いで……それは、直視するのも嫌になるくらい、気持ち悪い思いなんだ。
「でも、そもそも三人にはヒーローなんて必要ない。強くて、優しくて、かっこいいお前らは……三人一緒にいれば、もう勝手に立ち直る。立ち直れなくても、色んな人と繋がって、前に歩いて行ける」
そんなこと、ずっと前から分かってる。
誰も俺のことを必要としていない。美緒も、雫も、澪も、大河も、ヒーローを求めてはなかった。
「そんなことは――っ」
否定しようと口を開く雫より先に、けどな、と俺は続ける。
最低最悪の言葉を、紡ぐ。
「俺と一緒に四人で生きていけば、傷つかざるを得ない。周囲の色んな視線とか、四人で生きていくからこそのトラブルとか、劣等感とか、嫉妬とか、まぁ色々あるだろうけど……俺と四人でいれば傷つく」
「それでも、私たちは――」
「俺はお前らを傷つけたいわけじゃない。傷つけてほしいなんて被虐的なこと言われても、俺に加虐趣味はない。でも――俺と一緒にいたらお前らが傷つくから、俺はその傷を塞ぐためのヒーローになれる」
かはっ、と喉を息が通る。
ピリピリと痺れるけれど、知ったこっちゃない。
唇を噛めば、口の中に血の味が広がる。ひりひりと冷たい外気を取り入れながら、俺は心底気持ち悪い宣言をする。
「たまに優しくなるDV男とか、自ら放火して回る消防士とか、そういうのと同じだって自覚してる。マッチポンプだよ。けど俺は、お前らを傷つけたい。傷つけた後に救いたい。お前らのヒールもヒーローも全部を俺がやりたいんだ」
メサイアコンプレックスよりも遥かに酷い。
救うために傷つけたいなんて、気持ち悪くてしょうがない。
――それでも、これが俺の願いなんだ。
俺が傷つけたい。傷つけて、癒えがたい傷痕をつけて、その傷を癒して、俺は三人を救いたい。
そんなの傲慢ですらない。強欲だなんて言葉で片付けられるわけもないし、醜悪とか最悪とか、その程度の言葉で定義してしまえるほど小綺麗じゃない。
ぐちゃぐちゃだ。
ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで、吐き気がするほど気色が悪い。話していて、自己嫌悪で吐いてしまいそうだ。
「俺の願望を押し付けるわけだし、俺だって代償を差し出したいんだが……悪いな。地位も名誉もろくになければ、富や名声を今後手に入れられる見込みもない。目指す未来を変えるつもりもないし、俺は俺が在りたいように生きる。俺の気持ちは俺のものだ。だから俺が差しだせるものは、ほとんどない」
そも、三人に俺の全てを差し出したところで、満足できるとは思わない。
俺みたいなキモイだけの凡人の人生には限界があって、三人で分けようものなら一人の取り分はめちゃくちゃ少なくなるに決まってる。
「その代わり、残り全部を三人にやる。店主ですら存在を忘れてるような掘り出し物がどっかにあるかもしれないからな。少ない在庫をどう扱うのかは三人に任せる。好きに見つけて、シェアするなり奪い合うなり、勝手によろしくやってくれ」
思考も、交渉も、平等も、公平も、何もかもを放棄する。
これは押し付けだ、悪質な訪問販売だ、誹られるべき詐欺だ。
「何ですかそれ……そんなの、全然釣り合ってないじゃないですか」
大河が、震えた声で言ってくる。
「あぁそうだな。釣り合ってない。釣り合わせるつもりもない」
「最低です。私や雫ちゃんや澪先輩と比べても、圧倒的に最低です」
「それな。最低さを競うオリンピックなら余裕で金メダルゲットだ。霊長類最低の男って名乗ってやるよ」
「間違ってます。どう考えても正しくなくて、上手くいくはずがなくて――」
「分かってるよ。上手くいくわけがない。トラブルが絶えないだろうな。何せやってることは三股とマッチポンプだ」
大河は、紡ごうとした言の葉を引っ込めた。
引き結んだ唇を噛んで、目にいっぱいの涙をためて、
「卑怯者です。結婚詐欺師より酷いです。そんなの…嫌なわけ、ないじゃないですかぁっ」
と呟いた。
滲むようなその一言は、夜に溶けていく。
大河の代わりに、雫が一歩踏み出してくる。
「友斗先輩は……それで本当に傷つかないんですか?」
優しさの雫が、ぽとり、零れる。
「友斗先輩が私たちに傷ついてほしくないって思うように、私たちだって友斗先輩に傷ついてほしくないんです。あなたが罪悪感で苦しんでるところも、必死になって傷つくところも、私は見たくない」
「…………」
「自分が一番最低だ、って。そう思っていられれば友斗先輩は楽かもですけど……そんなの、気持ち悪い自己犠牲じゃないですか。私だって、私たちだって最低なんです。友斗先輩をこれ以上傷つけたくない。傷つけるくらいなら、もう一緒にいるのは…っ」
ぽと、ぽと、雨涙が降る。
「傷つかない――とは言わねぇよ。こんだけ酷いことしたくせに罪悪感一つ抱けないってほど俺は人をやめてないからな。三人が傷つく分だけ俺だって傷つくし、三人を満足させてやれないことでめっちゃ気に病む」
「なら――」
「だから、そのときは頼む。一人に寄り掛かるのは気が引けるけど、三人だからな。重さも3分の1だし、そもそも俺はチョロいから、上手いこと片手間で処理してくれ」
ヒロインとは攻略対象ではなく、女ヒーローのことを指す。
俺を救ってくれるヒロインは三人いるんだ。憐れまれることも、心配されることも、どこにもない。
「面倒なら放置してくれていい。三人につけられた傷なら望むところだ」
「…っ。主人公なら、もっとかっこよくキメてくださいよ……! こんなかっこ悪い告白でときめいちゃう私が、チョロインみたいじゃないですかぁ!」
「なってくれよ、俺専用のチョロインに」
「……………………しょうがない、ですねぇっ。口説かれてあげます。大天使の慈悲なんですから、ねぇっ……?」
「おう。ありがとさん、大天使」
安心してくれ。
俺もチョロいから。何をされてもドキドキするし、何かをねだられたら速攻で陥落する自信がある。男の意地もプライドも、好きな女の前じゃかたなしだ。
二人は納得してくれた。
残るは―――澪だけ。
「私にはやっぱり分からない。信じられない。隠して、捨てて、なかったことにして……『ハーレムエンド』は嫌だったんじゃないの? あれだけぶつかっても本音を言ってはくれなかったのに、その言葉が本当の気持ちだってどうやって信じればいいの?」
俺と澪は、同類だった。
同類で、分かり合っていて、それなのに俺はあの日ケンカをしようとすらしなかった。だから信じろなんて言えるわけがない。男と女以前に一人の友達として、そんなことを言える立場じゃない。
「歪だから本物だとは限らない。《《あの日諦めることを選べた友斗は》》、《《いつかまた諦めるかもしれない》》。それをどうやって信じればいいの?」
「……信じろ、なんて言えねぇよ。諦めたのは事実だし、俺は色んなものを諦めざるを得なくなっていく。全部欲しいし手を伸ばすけど、どうしたって零れ落ちるものはある」
「っ」
「信じてもらえないのは分かってる。信じてくれた大河と雫がチョロいだけだ。疑って然るべきだし、二人を思ってるからこそ疑ってくれることも分かる」
信じろ。
ただ一言、そう言えればよかった。そう言ったら澪は頷いたことだろう。大河と雫がそうであるように、澪だって極端なくらい俺を贔屓してるんだから。
それでも言うべきじゃないことは言わない。
代わりに、言えることだけを口にする。
「ただ……少なくとも今の俺は、《《本物じゃない愛なんて知らない》》。《《永遠じゃない愛も知らない》》。何千回諦めても諦めきれなくて、俺の手に余ることなんて嫌ってほど分かってるくせに、この気持ちだけは諦めきれない。諦めたふりだって上手くできない」
証明なんてできない。
それでも誠意を尽くす方法は考えたけれど、今この場で切れる手札じゃない。
結局俺にできるのは、開き直ることだけ。
「それでも信じられないなら、疑念を上手く隠して俺の傍にいてくれ。俺が裏切りそうだったら寝首を掻いてくれ。俺はお前ら三人の前でぐーすか寝るし、幾らでも隙を見せるからな」
澪は嘆息を漏らすと、じゃりじゃりとアスファルトを踏み、俺に近寄ってくる。
振りかぶった拳は、こつん、と胸を軽く叩いた。
「信じられなくて御託を並べる女の唇を奪うくらいしろよ、ばか」
「ファーストとセカンドだけじゃなくて、サードまで持ってこうとするとか強欲かよ……」
「私だけじゃなくて、二人の唇も奪えばいいでしょ。それぐらいの気概、見せてよ」
「やだよ。今は三人の声が聴きたい。言葉が欲しい。つーかキスしたら軽く死ねるレベルで心臓が悲鳴をあげてんの」
言うと、澪はグーをパーに変え、鼓動を確かめるように胸に当てる。
ふっ、と頬を緩めると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ほんとだ。やらしー」
「っ、やらしくはねぇだろ……!」
「どうだろうね。ほら、雫とトラ子も触ってみな。友斗、キモイくらいにドキドキしてるよ」
「ちょっ、この流れでそれやるか!?」
「流れとか知らないし。流れ全部無視してんのはそっちでしょ」
ほら、と澪が言うと、雫と大河は目元をごしごしと拭ってから近づいてくる。
ぺたり。
三人分の掌が胸に触れた。
……っ、これ、やば……!
「あっ、また早くなった」
「ほんとだー! とくとくとくとくって、すっごい動いてる」
「……というか、ユウ先輩の顔も、真っ赤です」
「うっ、うっせぇよ! 当たり前だろ! こっちは一世一代の告白をしたんだ。ドキドキしないはずがない!」
「ふぅん?」「へぇー?」「告白……?」
「あれ、なんか既視感がある反応!?」
これは、そう。
まさに病室で三人に好きだと告げたときのような――
「告白だって言うなら、大切なものを忘れてるんじゃない?」
「そーですよ、友斗先輩♪ 今まではぐらかしてばっかだったんですし、ちゃんと言ってくれなきゃ信じてあげませんよ~?」
「ユウ先輩……ちゃんと、言ってほしいです」
「うぐっ」
今度は、逃げるコマンドが用意されていない。
そも、選択することを自分に許してもいない。
この期に及んでたった一言にビビるなんて、ありえない。
しかし―――この状況で口が回るほど、俺は恋に慣れてない。
「だったら……これをやるから。これで許してくれ」
俺は数歩後ずさって、バッグから袋を取り出す。
それは三人分のクッキー。
がめつくも三人分の便箋とラッピングをしたそれらを差し出すと、三人は呆れたように受け取り、袋を開けた。
「じゃ、じゃあ今日はここで――」
「待って。どうせ、またなんか仕組んでるんでしょ」
「ぅっ、そんなことないょ」
「お姉ちゃん! そういえば友斗先輩、なんかメッセージカード書くときにめっちゃ周りをキョロキョロしてたよ」
「雫ナイス。私は友斗を捕まえとくから、トラ子は私の分も出して」
「わ、分かりました!」
「ぐ……そういうのは、マナー違反じゃね?」
「三人に本命チョコ渡してるよりはマシでしょ」
「それを言っちゃおしまいだ!」
ぐぬぬ……やめてくれ。今日の俺は完全に攻勢に立ってたじゃん? 最後の最後に逆転するのはヤメテ。
「えっと……おっきく『き』って書いてある。便せん一枚にこれだけって……」
「私、なんとなくオチが読めた気がするんですが。私の方は『大』で、澪先輩の方が――」
「『好』か。なんて古典的な……ねぇ友斗。なんて書いてあるのか、読んでくれるよね?」
三枚の便箋には一文字ずつ書いてあって。
三人一緒じゃないとメッセージにすらならないようにした。
完成した言葉を、三人は無言の圧で読むように強いてくる。
逃げ道は…………どこにもない。
「…………」
「「「…………」」」
「…………大好き。大好きだ」
やけになって顔を上げると、三人はチョコより遥かに甘い笑顔になっていた。
あぁ、本当に敵わない。
敵うはずがない。
最強のヒロインで、最強の後輩で、最強のいい女。
キモくて最低なだけの俺が敵うわけないんだ。
「私も……大好きです。世界で一番、愛してます」
「大大大大大好きですよ、友斗先輩♡」
「ん。私も…………好き」




