最終章#38 Da capo
SIDE:友斗
たくさんの秘密を抱え、幾度となくすれ違い、間違いを見ないふりし、全力で誤った方向に走り、失敗と成功未満のそれっぽいラストばかりを経験して、ここに立っている。
何度かぶつかってきた問題を、俺は今まで、一度だって真っ直ぐに解こうとしてこなかった。出された問題をわざと読み違え、別の問題に変換して答えを出して、その解法のとんでもなさに相手を絶句させることで『間違っている』と言わせない日々ばかりを過ごしてきた。
以前、大河に言われたことがある。
『百瀬先輩は、いつでも、思ったことをまとめずに言う方ですから。もしかしたらまとめてるつもりなのかもしれないですけど、いつもぐちゃぐちゃで、直球で、かと思えば遠回りで、聞き手が頑張って汲み取らないとわけわからないですもんね』
当然だ。
俺はいつもいつも、貧困な頭がやっとの思いで考えたことを絞り出して言葉を紡いできた。一貫した信念などありはしない。その日話したことを次の日に思っているとは限らないし、話す相手が変われば真逆のことを口にすることもある。
俺、百瀬友斗には自分がない。
主体性がない最近の若者そのものだと言えよう。流され、漂い、その時々で出されるタスクをこなすくせに、都合が悪いものを回避することで自分の在りたい自分だけを守っている。自己中だと誹られれば、否やの声は返せない。
それは俺の悪癖であり、習性であり、ある意味ではそれこそが自分だと言えよう。
『何もない』がある『0』のように、『自分がない』という『自分』を持つのが俺だ。
だから今度も、行き当たりばったりで誰もが呆れるような策を打った。
世界中の全てを絶句させてしまえば、間違いを指摘する声は生まれない。当然である。誰も二の句が継げないから絶句なのだ。
――キーンコーンカーンコーン
小生意気なチャイムが、今回ばかりは都合よく鳴った。
調理室を借りている以上、ここでこのまま話しているわけにはいかない。
「帰り道で話すとするか。暗いし送る。どうせ今日も三人で帰るんだろ?」
俺が言うと、三人は戸惑った様子のまま、渋々といった感じで頷いた。
冬は少しずつ終わりに近づき、夜はやや短くなっている。それでも短夜より長夜と呼ぶ方がしっくりきて、十二分に外は暗い。
「そうね……じゃあ片付けは私たちでやっておくわ」
「お、悪いな」
「いいえ。その代わり、約束は守ってもらうわよ?」
「分かってる。約束なんかしなくてもそのつもりだったしな」
如月とやり取りを済ませた俺は、行くぞ、と三人に告げる。
大河は調理室を見渡して申し訳なさそうに眉をひそめ、澪は意図を探るように俺を凝視し、雫は困った風に目をぱちぱちさせていた。
「いってらっしゃい、三人とも」
「うんうん。ボクも手伝うから大丈夫だよ」
援護射撃してくれるのは入江先輩と時雨さん。
入江先輩に至っては俺の意図すら分かってないと思うんだが……マジでいい人だなぁ。時雨さんを見ると、頑張って、と口の形だけで言われる。
「ほら行くぞ。今日は霧崎家で過ごす最後の日だから、帰ったらエレーナさんの料理を堪能するって決めてんだよ」
言ってから、俺はコートを羽織って調理室を出る。
ついてこなかったらどうしようと不安だったが、三人分の足音が追随してくれた。
バレないように頬をマッサージし、鼻っ柱をつまみ、眼鏡の位置を直してふぅと息を吐く。
「え、それ……」
玄関で雫が俺を見上げて声を漏らす。
その視線は、俺の首元に巻かれたマフラーに注がれていた。
「あぁ、これか? この前父さんと話したときに持ってきてもらったんだよ。大切な人たちから貰ったものだからな」
「……っ」
それに、他でもない雫自身が言ってただろ?
赤いマフラーはヒーローの証。かっこつけたいときには欠かせない。
「んじゃまぁ、帰りますか」
何も言わず、三人は頷く。
月の光に照らされる彼女らを見て、心底奇麗だ、と思った。
◇
慣れていたはずの百瀬家への帰り道は、たった一か月使わないだけで、少し特別な冒険のように感じられた。
或いはそれは、俺の気分の問題なのかもしれない。
夜空には、それこそ型でくり抜いたような綺麗な満月が浮かんでいる。月光が映し出す四人分の影は決して一緒になりはしない。つかず離れずを繰り返し、俺たち四人の距離は一定で保たれていた。
雫が真ん中を、その両サイドを澪と大河が歩く。三人を追うように後ろから歩くと、この後ろ姿を決して壊したくない、と思えてしまう。
『百合の間に挟まる男は~』などという言説には常々異論を唱えたいと思っている俺だが、今だけは自分が邪魔者に思えてならない。
俺さえいなければ、この子たちは幸せになれるのではないか。
男がいなきゃ、恋だの愛だのと考えずに済む。親友でいられる。事実、さっきだって楽しそうに話していた。バレンタインイベントも無事成功させているのだから、俺が出ていって盤面を引っ掻き回すなんて愚の骨頂だろう。
だけどまぁ、なんだ。
愚の骨頂ってことは、愚の世界でトップに立ってるってことだろ? そんなのなかなかできることじゃない。どんな世界でも一番になるのは難しいものだ。プレイヤー数の少ないスマホゲーですら、意味分からんガチ勢がいてトップにはなれなかったりする。
だから、
「知ってるか? 2月の満月はスノームーンって言うらしいぞ」
俺は厭わない。
何一つ、やめない。
愚の骨頂? 最低? 望むところだ。何か一つでも一番になれるなら、男たるもの、それを目指すべきだろ?
「北アメリカで2月に雪が多いことが由来らしい。他にも、ハンガームーンだとか、ストームムーンだとか、色々と言い方があるらしいけど……やっぱり、雪がいいよな。雪月って綺麗だし」
「…………私は雪は嫌い」
「まぁ寒いし、電車も止まるしな」
「大切なものが傷つけられてばかりだから、だよ。寒いのなんてどうだっていい」
「そっか」
力強いその一言が、ぴきりと空気にヒビを入れる。
澪はこちらを一瞥すると、振り返ることも足を止めることもなく進んでいく。
大切なものが傷つけられた、か。
一面の銀世界に囲まれたあの合宿で、俺は確かに彼女たちを傷つけた。
雫を泣かせ、澪を怒らせ、大河に別れを告げさせて。
俺たちはあの夜、明確に終わったのかもしれなかった。
エンドロールどころの騒ぎではない。
全てが終わり、Finとど真ん中に表示されていた。それでもなお映画館に居座るのは、ただの迷惑客でしかない。
そんなことは分かっている。
痛いほどに思い知っている。
何度も何度も悔いて、俺が主人公出なければ、と夢想した。
どうか彼女たちをハッピーエンドに導いてくれ、と。
いるわけもない神にねだった。
「それで……百瀬先輩は、どういうつもりなんですか?」
坂を上り終えたところで、大河が一度立ち止まって聞いてきた。
澪と雫も半身だけ振り向く。
だが俺は、いつかの誰かさんの言葉を思い出して、話を逸らした。
「まず、その百瀬先輩って呼び方をやめろ」
「っ……別に呼び方なんて何でもいいじゃないですか。どうして百瀬先輩に指定されなきゃいけないんですか?」
「他の人ならまだしも、俺のことだからな。俺が呼んでもらいたい名前を指定するのは当たり前だろ?」
それは、ずっと前のやり取りの焼き直し。
お互いに立場は真逆で、澪と雫はいなかったけれど、大河はそのときのことを思い出したらしい。目を見開き、唇を軽く噛んだ。
「そもそも、ここには百瀬が三人いる。戸籍上は綾辻澪も綾辻雫ももう存在しないんだ。だったら、友斗、って呼ぶのは当然だろ?」
「…っ」
以前、そう理屈をつけられて呼称を変えるように言われた。
特別な意味がある、ってはっきりと言われたのだ。
澪がきちんと振り返り、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「いつも通りに呼ばれない限り、俺は何も話さない。話さなくとも、物事は進んでいく。空気の力を舐めるなよ。本気で操れば、どんなことだってできるんだ」
「「……っ」」
「それを……それを、先輩が言うんですか?」
言葉に詰まる大河と澪。
二人と俺との間に立って言ってきたのは、雫だった。
儚さと強さが綯い交ぜになったその表情は、どうしようもなく眩しくて痛ましい。
「私たちはもう、先輩と繋がれないんですよ。あの日私のお願いを拒絶したのは先輩じゃないですか。だから私は…私たちは……先輩と関わるのを諦めたんです。なのに、自分のお願いだけ通そうなんて、卑怯ですよっ」
反論の余地のない、もっともすぎる言葉だった。
雫の言う通り、俺は約束を守らなかった。何でも一つ言うことを聞く。遊びのゲームで交わした約束だとしても、違えるべきじゃないと分かっていたのに。
何も言えず、言葉を探して視線を彷徨わせる。
澪は、はぁ、と溜息をつくと、雫の肩を叩いた。
「ま、いいじゃん、雫。名前の呼び方程度じゃ何も変わらない。《《友斗》》が終わらせるって決めたんだから……終わらせた後の作法にも、従ってあげようよ。それが《《正しいんでしょ》》。私には、よく分かんないけど」
「お姉ちゃん……」
「……そうですね。スムーズに会話をするために、相手の希望を汲むのは当然の対応です。《《ユウ先輩》》がそう望むなら、私はそれに応えます」
「ったく……皮肉がお上手なことで」
「友斗ほどじゃないよ」「ユウ先輩ほどじゃありません」
ズキン、ズキン、と傷痕が痛む。
拒絶の意思が溶けない雪みたいに冷たくて、息を呑んだ。
雫は二人を見て一瞬俯くと、ふぅぅ、と諦めるような吐息を零してから顔を上げた。
「じゃあ友斗先輩に聞きます。なんでこんなことをしたんですか?」
躊躇を押しやって、雫が尋ねてきた。
さて、なんと答えるか。どう答えれば、どう紡げば、彼女たちに俺の気持ちが伝わるだろう? この気持ちをきちんと届けられるだろう?
「それは――」
四人で刻んだ歴史がある。
その歴史を信じて、俺は一つの答えを口にする。
「――三人と3分の2ずつ縁を結ぶって約束をしたからな」




