最終章#37 終わりかけロジック
SIDE:大河
クッキーを型で抜いて、焼いて、ペンでデコレーションして、メッセージカードと一緒にラッピングして。
あっという間にバレンタインイベントは終わりを迎えた。
元は、ユウ先輩を捕まえるために企画したイベントだった。
ユウ先輩は庶務だから、生徒会の仕事だと言えば義務感で来てくれる。合宿に続いてユウ先輩を逃げられないようにすれば、後は簡単だ。三人でチョコを渡して、改めて『ハーレムエンド』がいい、と告げる。
如月先輩はバレンタインで何かをやろうと言っていたし、ちょうどSNSでバレンタインに関する相談も来ていた。流石に完全なるお料理教室を開くにはキャパや人員、準備する時間が足りないけれど、やり方はある。
大切なのは手作りのものを渡すことだ。
その一歩を踏み出すための勇気を、少しだけ分けてあげられるようなイベント。それが今回の趣旨だった。
合宿で、明確に終わってしまった私たちの関係。
そのせいで本来の目的を果たす意味も必要も資格もなくなってしまったけれど、このイベントで誰かの背中を押せるなら、絶対に成功させたいと思っていた。
私たちの恋は、もう叶わないから。
その分せめて、他の誰かの恋は叶いますように、って。
なのに――始まろうとしているときに、ユウ先輩が現れた。
他でもないユウ先輩が私たちを突き放したのに。
私たちはユウ先輩と一緒にいる資格がないのに。
『……どうして百瀬先輩がここにいらっしゃるんですか?』
出会って間もない頃ですら使わなかった呼び名で呼んだのは、せめてもの抵抗だった。
だって、そうしないと心がどうしようもなく喜んでしまっていたから。
一緒にいる資格も、ときめく資格もないのに、来てくれて嬉しい、って胸の奥で叫んでいたから。
なのにユウ先輩は、
『屁理屈だって立派な理屈だ。それをこねなきゃいけない理由があるなら、俺は幾らだってこねてやるよ』
ずかずかと踏み込んできた。
道化師のように笑って、半ば無理やりにバレンタインイベントに参加した。
もしかして……期待していいの?
私たちのわがままに応えてくれるの?
あえかに抱いたその幻想は、しかし、あっさりと砕かれた。
蓋を開けてみれば、ユウ先輩は本当にただイベントに参加しただけだった。姉さんや澪先輩、霧崎先輩や雫ちゃんと話していたようだけれど、本当にそれだけ。
文字通り、何事もなくバレンタインイベントは終わった。
あっという間に、呆気なく、終わった。
「入江会長! 今日はありがとね。すっごく助かったよ。うち、お菓子作りとかNGな家でさ~。でもどーしても手作りを渡したかったんだぁ」
「そう言って頂けると嬉しいです」
暗い顔をしてはいけない、と自分を叱咤する。
幸いなことに参加してくれた人はみんな、とても喜んでくれた。お菓子作りの経験がなかったり、彼氏や好きな人がいることを家族にバレるわけにはいかなかったり、人によって事情は様々。明るい人からどちらかと言えば暗い人までいるけれど、好きな人に手作りで何かをあげたいという想いだけは一致していた。
ねぇ、と思う。
ユウ先輩、やっぱり『好き』は魔法だと思うんです。女の子を素敵なシンデレラに変える魔法。神様が残した、世界を少しだけよくする魔法。
だから―――なんて、望むべきじゃないのは分かっている。
今日のユウ先輩は、何もかもが違った。
何時もと雰囲気の違う髪も、知的な眼鏡も、昨日までのユウ先輩とは別人みたいだ。生徒会の仕事をしているときの、ブルーライトカットの眼鏡をかけているときと比べても全然違くて、私の知らないユウ先輩を思い知らされてる気分になる。
私は、私たちは、彼にとって『後』になった。
エンドロールさえも終わりを迎え、Finの三文字が刻まれている。
「トラ子、お疲れ」
「澪先輩、お疲れ様です。すみません、片付けをお任せしてしまって」
「別にいい。絵を描くアドバイスはどうせできないしね」
「あぁ……絵、お下手ですもんね」
「下手に『お』を付けると一気にムカつくな……バカにしてる?」
「バカにはしてないです。だいたい、『お』を付けなくても怒るじゃないですか」
「当然じゃん。私、絵が下手なわけじゃないし。印象派なだけだし」
「それこそ絵が下手な人の常套句では」
「うぐっ……」
「大河ちゃん! お姉ちゃんをいじめないの! 絵が下手なのと色々小さいのは割と本気で気にしてるんだから」
「雫の言葉が一番刺さってるからねっ!? 下手じゃないし、小さくもないから!」
「「それは無理があるんじゃ」」
「二人とも……覚えときなよ」
ぐぬぬ、と悔しそうな顔をする澪先輩。
私は雫ちゃんと顔を見合わせ、ぷっ、と吹き出した。
不服そうな澪先輩もやがてつられて笑い、三人でけらけらとお腹を抱える。
ユウ先輩との関わりがなくなってしまったのは、素直に苦しい。
しかし、初恋は叶わない、とよく言う。
だからしょうがないことなのだ。恋の痛みを、誰かを愛おしく思う気持ちを、ユウ先輩は教えてくれた。
それだけじゃない。
ユウ先輩のおかげで、雫ちゃんや澪先輩と繋がれた。
この関係を大切にする。
それは合宿の夜、三人で泣いた後に誓い合ったことだった。
ユウ先輩とは関われなくなったとしても、私たちはずっと一緒に――
「あっ、ちょうどここに三人がいるじゃん」
「ほんとだ。ねぇねぇ! 三人に聞きたいことがあるんだけど!」
考えていると、二年生の先輩が私たちに声を掛けてきた。
バレンタインイベントは終わったけれども、調理室には未だにほとんどの人が残っている。もちろん、ユウ先輩も。
……ん、なんか笑ってる?
心の中に浮かぶ疑念の泡をよそに、先輩はスマホの画面を見せてきた。
「友達からこれが回ってきたんだけど、これってマジな話?」
「えっと……」
どうやら、それは新聞部の校内新聞の写真のようだった。
号外と書かれたその新聞には、
【第四の三大祭! 感謝祭・開催決定!】
【これが本当の『後の祭り』だ!】
とデカデカと書かれていて――は?
なに、感謝祭って? 私は知らないんだけど? というか、どうして新聞部がこんな情報を握ってるの? 生徒会長の私だって知らないんですけど?
「感謝祭……?」
「あー、それねー! そっちも聞きたいんだけど、私たちが言いたいのはこっちこっち」
先輩は画面を拡大し、見せ直してくれる。
雫ちゃんと澪先輩と三人で見ると、そこには大きく、
【スリーサンタガールズ復活ライブ決定】
と記されていた。
冬星祭のときの写真が添付され、何やらつらつらと書かれているのだけれど、あいにくとそちらには意識がいかない。読もうとしても目が滑る。当たり前だ。細々とした文章なんてどうでもいいと思えるくらい、書かれている内容が衝撃的だった。
「なにこれ!?」「……は?」
絶句する私に追随するように、雫ちゃんが驚いた声を出し、澪先輩はちょっとキレたような声を漏らした。
口をぱくぱく、目を白黒させ、私たち三人は顔を見合わせる。
――スリーサンタガールズ
それは私と雫ちゃんと澪先輩が、冬星祭で有志発表をしたときに使ったユニット名だ。雫ちゃんのネーミングセンスのなさが光るこの名前を、他の誰かが使うとは正直思えない。
「雫ちゃん、澪先輩、このことは――」
「知るわけないよ! 何これ?!」
「私も。トラ子の方こそ知らないの? 感謝祭とか、まんま生徒会の行事みたいだけど」
「知りません」
知るわけがない。
感謝祭も、ユニットの復活ライブも、何も知らない。第一、最近の私はこのバレンタインイベントを開催するために奔走していたのだ。小規模とはいえ、たった二週間で行事を実施するために東奔西走していた。
「あの、これって……?」
「んっと……今朝、新聞部の号外が配られたんだって。朝から話題になってたけど、三人とも知らなかったの?」
「「「あ、あー……」」」
知らなかった。
この行事のために動いていて忙しかったから……というのもあるけれど、一番大きな理由は、ユウ先輩のイメチェンに少なからず動揺していたから。
そういえば教室がいつも以上に騒がしかった気もするけれど、今日はクラスの人と話す気分ではなかったのだ。それは友達が多い雫ちゃんや、普通に人と馴染める澪先輩も同じらしい。
「すみません、この新聞って持ってたりしますか?」
「んー、友達は持ってるかもだけど、私は――」
「そういうことなら私が持ってるわよ、大河ちゃん」
私と先輩の間に入ってきたのは、如月先輩だった。
その手には新聞部が発行した新聞がある。スマホを見せてくれた先輩にお礼と、それから今はよく分からないという旨の話をして別れた後、如月先輩から新聞を受け取る。
何はともあれ、まずは情報収集だ。
新聞部だって真偽不明なデマを流したりはしない。そんなことをすれば生徒会だけでなく、先生方にも目を付けられ、最悪廃部になるからだ。それなりに伝統がある新聞部がそこまでのリスクを取るはずがない。
逸る頭を抑え、記事に目を落とす。
暫く読むのに時間をかけて分かったことは四つ。
感謝祭とは三月に予定されている行事である、ということ。
例年生徒会が主催している小規模イベント・謝恩会の規模を拡大し、卒業だけでなく一年間過ごしたクラスや部活動、先生への感謝の気持ちも込めた行事である、ということ。
現在詳細は協議中だが、スリーサンタガールズのライブが予定されている、ということ。
そして――これらの情報のソースは生徒会役員であり、既に教師の何人かにも話が行っている、ということ。
端的に言おう。
何も分からない。本当に、どうしてこんなことになってる? 生徒会長の私が知らないのに、どうしてこんな大きなイベントが動いてるの?
「待って……白雪ちゃん。どうしてこれを持ってるのに今までトラ子に何も言わなかったの?」
首を捻っていると、澪先輩が鋭く如月先輩に言った。
確かにそうだ。
これはどう考えても緊急事態。昨日までにほとんと準備を終えていたバレンタインイベントより、こちらの方が優先度が高い。
私がハッとして如月先輩の方を向くと、あはは、と惚けるような笑みを返された。
「さて問題です。こんなめちゃくちゃなことの首謀者は誰でしょう?」
如月先輩――は、首謀者ではない。
私たちのような特別な事情があるわけでもないのだし、花崎さんたち他の生徒会メンバーもこの件については知っていたと考えるのが妥当だ。そのうえで報告しなかったという点では怪しいけれど、一年生の二人の発言を新聞部が信じるとは考え難いし、書記の先輩がこんな悪だくみをするとも思えない。
新聞部に伝手があって、発言が信用されていて、如月先輩と繋がっていて、先生方に根回しをすることもできる人物。
そんなの――
「こんなセンスのない文句を考えるのは一人しかいない」
「ここまで意味わかんないことをするのなんて、一人しかいないよね……」
二人も答えにたどり着いたらしい。
別々の解法で、しかし、絶対に間違っていないと確信できる答え。
「だそうよ、百瀬くん」
如月先輩は、あっさりと答えを口にした。
視線の先を追えば、にしし、と悪戯っぽく笑っているユウ先輩がいる。
「正解って素直に言いにくいことばっかり言いやがって……ま、正解なんだけどさ。トロイの木馬ってやつだな」
「絶対違うから」「絶対違います!」「バカなんですか?」
「一人だけストレートすぎじゃねっ?!」
とくん、と鼓動が鳴ったのは、何かのエラーに決まってる。
だってこんなのでときめくはずがない。
意味も意義も概要も詳細も何もかもが不明なことをされてときめくなんて、そんなに私たちはチョロくない。
「ま、どうよ。最高に頭が悪くて意味が分かんないだろ? 何せ、霧崎時雨の弟子だからな」
窓から差し込んだ風が、部屋に残った甘い空気を揺らした。




