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最終章#33 Re:初恋の終焉

 SIDE:雫


 泣いちゃダメだ、って本当は気付いていた。

 涙は何も解決しない。女の武器だなんて言うけれど、あれは間違いだ。溜息が幸せを逃がすように、涙はハッピーエンドに雨を降らせる。

 だから泣いたらダメだったのに――私は、わんわん泣いてしまった。

 そのせいで終わった。

 終わったんだ。


『だから、俺は綾辻雫と結ばれたい。世界中の誰でもない、雫とだけ結ばれたいんだ』


 選んだ彼を見て、どうしようもなく心が軋んだ。

 哀しそうで苦しそうな瞳と、その気持ちを隠そうとするピエロみたいな微笑が、切なくて切なくてどうにかなってしまいそうだった。


 いっぱい悩んで、苦しんで、その果てに見つけた彼なりの答え。

 そんなこと分かっていたはずなのに。

 分かっているなら、その手を取るべきだったのに。


 私はできなかった。


『どうしてッ!? どうしてそういう話になるんですかっ?! あの二人のこと、好きじゃないんですかッ??』


 だって、彼は彼女たちのことも好きなはずだから。

 今更疑う余地もなく、私たちは彼のことを分かっているから。

 けど、と思う。

 もしも本当の意味で彼のことを分かっていたのなら、もっと別の方法を取れたんじゃないだろうか?

 だってあんな言い方をしたら、彼が苦しむことなんて分かっていたはずだ。困らせて、傷つけて、彼が自分を責めてしまうことなんで分かり切っていたはずだ。


 たとえば、そう。

 彼が選んでくれた事実を受け入れて、喜んで見せて。

 その後に二人への想いも捨てなくていいと告げる。浮気を公認する。考えていた方法とは少し違うけれど、それなら求めていた未来を手にできた。


 私がもっと頭がよかったら。

 私がもっと大人だったら。

 

『私は……正しいあなたの、ヒロインにはなれません。最低な私は、最低じゃないあなたのヒロインには、なれない』


 あんなこと、言わなければよかった。

 あんなこと、言っちゃいけなかった。


 ヒロインなら選んでもらえたことを喜ぶべきだ。

 選んでもらったくせに泣き喚くなんて、どうしようもなく最低で。


 それなのに涙は止まってくれない。

 それなのに時は止まってくれない。


 何度も、何度も、振り返る。

 そうして私は気付かざるを得なくなる。

 振り返るまでもなく、間違いがそこにあることを。

 どうしようもなく私が間違えてしまったことを。


 このわがままな気持ちは、やっぱり太陽だった。

 手を伸ばせば灼け、火傷して、何もかもが終わってしまう。

 それでも手を届かせたいのなら、やらなきゃいけないことがあった。


 きちんと告げるべきだった。

 言葉を紡いで、彼と分かり合うべきだった。

 言葉がなくても分かり合っている、って。

 言葉なんかじゃ伝えきれない、って。

 そんな風に思い上がってしまったから、こうなった。


 すべきことは最初から分かっていたはずなんだ。

 どうしようもなく簡単で、正しくて、誰も傷つかない方法が。


 だから、泣いてしまったらダメだった。

 涙が彼の傷口に一番染みるものだから。



 ◇


 SIDE:澪


 握る拳が痛かった。

 掴まれた胸が苦しかった。

 暴力を振るうなんて最低だ。殴ったところで何も変わらない。みんなが頼らないようにしてる暴力に頼った時点で負けで、分かり合うことを放棄するようなものだった。

 でもしょうがなかったんだ。

 私と彼は、体で繋がっていたから。

 世界でただ一人、私だけが彼と体の芯で繋がっているんだから。


『私たちは選んでくれ、なんて言ってない。四人でいたい、って。そういう結末がいい、って。大切な場所で、言ったでしょ! どうしてそれを分かってくれないの……っ!』


 結局のところ、八雲くんが言っていた通りなのだと思う。

 彼が出した結論が私好みじゃなかったから理不尽に怒っている。

 彼の決断にどれほどの痛みが伴っていたのか、分かってあげるべきだったのに。

 何を思ってどれだけ傷ついて選んだのか、分かってあげられるはずだったのに。


 私はそれをしなかった。

 しなかったんだ。


 理由は幾らでも挙げられる。

 たとえば、彼が私の同類だ、って思っていたこと。

 出会ったときからそう思っていた。立ち位置こそ違えど同じ考えを持っていて、同じ歩幅で歩いて行ける関係だと信じていた。妹への愛を知り、共に間違い、その気持ちは確固たるものになった。


 彼と私はどこまでも同類だった。

 わがままで、醜くて、かっこ悪くて、輝けなくて。

 それでも、本当に欲しいものを諦めることはできない。

 そんな身勝手で最低な人種同士だと思っていた。


 でも、


『なんだよ、それ! 諦めるのが一番簡単? んなわけねぇだろ! お前は俺のことなんて、何にも分かってない! 俺がお前らをどれだけ好きか、ちっっっとも分かってない! 全部諦めずにいられるなら、俺だってそうしてぇよ! でも無理だろうが!!』


 彼の切実な叫びが頭から離れない。


『……っ、できるわけ、ないだろうがッ。これ以上お前らを傷つけることなんて、できるわけがない』

『なにそれッ!? こんだけ、叫んでも……友斗には、届かないのッッ?!』

『それはこっちの台詞だろうが!』


 私はきっと、彼のことを分かっていなかった。

 彼と私は同類なんかじゃなかった。

 だって彼は殴らなかった。

 あれだけ殴っても私のことを傷つけてはくれなくて、本当に欲しい物すら口にしてはくれなかった。


 彼は私よりも一足先に大人になったのだ。

 同じ歩幅で進んでいられる、だなんて。

 そんなのは都合がいい幻想だった。


 諦めて、諦めて、諦めて。

 苦しくてしょうがないそれは、けれど言葉の帝王と書く以上、どうしようもなく正しいに決まっていて。


『幾らだって言えよ! 殴れ! それで気が済むなら好きにすればいい!』


 私は彼に甘えていた。

 私の歩幅に合わせてくれる彼に甘えて、子供みたいにわがままを言っているだけだった。


 握る拳が痛かった。

 掴まれた胸が苦しかった。

 けれどそれ以上に、体でぶつかっても届かないことが千切れるほどに哀しかった。


 『WHITE RUNNER』

 彼が紡いだ歌は、もう歌えない。



 ◇


 SIDE:大河


 私は何をしたんだろう?

 泣きじゃくる彼女を慰めることも、憤怒する彼女を止めることもせず、ただ立ち尽くしていた。何をすればいいかが分からないのを不慣れだからと片付けてしまうのは簡単だけど、それがどれほどズルくて最低なのか知っている。

 大切な人たちだ。

 大切な親友と、大切な先輩と、大切な想い人。

 どれ一つが欠けても本当の意味で幸せになれなくて。それでも諦めなきゃ、って思っていたとき、照らしてくれたのは彼であり彼女たちだった。


 『好き』の力を私に信じさせてくれたのは、他でもない彼だった。

 全部どうにかしちゃえる魔法だ、って。

 あの晩私の背中を押してくれたあの言葉は、嘘だったの?


 ――なんて、彼を胸の内で責めている自分が嫌になる。

 彼が悪くないことなんて分かり切っている。

 そもそも、最初から彼は間違いに付き合っただけなのだ。

 彼女たちが間違えて、それでも彼女たちの手を握っているためにその過ちに付き合った。一緒に堕ちようとした。


 それを邪魔したのは私だ。

 『好き』を免罪符にずかずかと土足で踏み込んで、間違いを指摘したのは私だ。

 なのに今更、間違って、なんて言えない。

 まして、


『俺が最低なのはいい。三股をかける覚悟だってある。現実的にどうか、なんてどうだっていい。けど…………三人は、どうなるんだよ? 三人は、《《三股をかけられてる女》》になる。そういう目で見られるようになる。祝福してくれる人は当然少なくて、世界を敵に回す可能性だってある』

 

 彼は私たちを傷つけるのが怖くて、間違わない選択をしたのだ。

 正しく在りたくてそうしたんじゃない。

 私たちを傷つけたくないから、傷つけずにいられる方法を選んだ。


 彼は夏から、根っこのところでは変わっていない。

 私が彼と《《最初に出会った夏》》から、ずっと彼は彼のままだ。

 私は知っていたはずだ。

 彼は大切なものを選ぶ人だ、って。全てを握っている人ではないんだ、って。

 百人の友達より五人の親友を選ぶ。

 そんな人が、選ばないなんて間違いを犯してくれるはずがなかったんだ。


『雫ちゃんは、最低です』

『っ……いや、そんなことは――』

『ありますよ。ユウ先輩がもがいて苦しんで選んだのに、わがままを言って突き放したんですから、最低に決まってます』


 彼女は最低で。


『澪先輩も、最低です。暴力なんて絶対にしちゃいけないことです。ユウ先輩の傷を分かっているなら、尚更殴るべきじゃなかった。言葉にすべきでした』


 彼女も最低で。

 なら私は何をした?

 ――何もしなかった。彼と彼女のせいにして、私は臆病に立ち尽くしていただけだ。

 だから、せめて、とピリオドを打つ役目を請け負った。彼が正しく在れるように、最低な私たちに足を引っ張られることがないように。


『けれど私たちは、あなたに傷つけてほしかった。あなたから貰う傷なら嬉しくて、愛おしくて、心地よかったから――だから、今まで、ごめんなさい。勝手に最低だなんて言って、期待して、傷つけて、甘えて……ごめんなさい』


 二人の分も謝って、『さようなら』を口にした。


 どうかこれが正しい終わり方でありますように、と祈って。


 どうかこれで終わりませんように、と希って。



 ◇


 SIDE:Girls


 2月13日、バレンタイン前日。

 学校に行くと、玄関に人だかりができていた。

 何だろう?

 そう思って背伸びをして、息が止まった。


 そこにいたのは、眼鏡をかけた男子。

 見たことがある彼の面影があって、けどまるで魔法にかかって変身してしまったかのように雰囲気が違っていて。

 とくん、とくん、とくん、と高鳴る。


 ――百瀬友斗


 私が、私たちが、心から愛した男の子。

 ただ普段の彼とは眼鏡と髪型と……まぁ色んなものが違っていて、ちょっと埒外にかっこよかった。

 そんな風になれるんだ。

 もっとかっこよくなれちゃうんだ。

 乙女らしいときめきは、しかし、一瞬で問いへと変わる。


 ――どうして彼は、あんな風になった?


 答えはすぐに出た。

 ううん、本当は自問する前から気付いていた。


 全ては『後』になったのだ、と。

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