最終章#29 初恋と向き合って
SIDE:友斗
考えなきゃいけないことで、頭がいっぱいになった。
あの三人が『ハーレムエンド』を望んでいるかもしれない。
そんな都合のいいことだけでも頭はパンクしそうなのに、今後どうするかも考えなくてはならない。そのうえ、ようやく見つけた生きた道すら分からなくなってしまった。
時雨さんが導いてくれたことを、俺は何もかもふいにしてしまっている。
『ハーレムエンド』のために示してくれた幾つものことを、それでは足りないんだ、と突っぱねて。
挙句の果てに時雨さんが照らし出してくれた生きる道すら否定して。
――そもそも生き方と将来の夢はイコールで繋がっているのだろうか?
――将来の夢を見つければ美緒の生と向き合ったことになるのだろうか?
全部の前提をひっくり返すような問い。
だがそれが正しいのだとすれば――俺はまだ、美緒の生を向き合えていないのか?
「そりゃそうか」
自分で考えて、納得してしまえた。
だってそうだろ?
こんなたった一冊のノートの存在すら忘れてたんだ。向き合えていたはずがない。
ならば、読むしかないのだろう。
まだ美緒の傍にいた頃の俺が紡いだ物語を。
俺の初恋は美緒だ、ってこと。
ただ一つ、それだけは絶対に否定してはならないことだから。
◇
晴季さんからノートを受け取った日の翌日。
俺は近所のファミレスに来ていた。待ち人が来るまでの間、俺は持て余した空腹を適当に頼んだランチセットで落ち着けていた。
昨日、あのノートを読んだ。
読んで、もしかしたらこれが答えなのかもしれない、ってものを見つけて。
けれどまだ自分の中で消化しきれない蟠りがあったから、俺は世界で一番尊敬している人を呼んだ。
【ゆーと:相談したいことがある】
たった一文。
たった一言。
それを告げるためだけに、俺はどれだけの時間を要しただろう。幾つの間違いを犯し、何度失敗しただろう。
しかし、後悔はしない。
『後』にするつもりがないからではなく、その膨大な時間が俺には必要だったんだと胸を張れるから。
「悪い、待ったか?」
「あぁ、めっちゃ待った」
「そこは今来たとこ、じゃないのか?」
「いやなんで実の父親とデートみたいな話をしなきゃいけないんだよ……アホか」
「それもそうだな」
《《父さん》》は子供みたいにくしゃっと笑う。
それから席につき、ドリンクバーとドリアを注文した。
「そんだけで足りんの?」
「ん、まぁな。食べすぎると太るから気を付けてるんだよ。中性脂肪が怖いから」
「中性脂肪って……別に年なんだし、ぽっこりお腹くらいしょうがないんじゃない? 美琴さんだって気にしないでしょ」
「かもな。でも俺が嫌なんだよ。美琴さんにも由夢さんにも、かっこいい俺でいたいから」
「――っっ、そっか」
はっ、と笑みが自然に零れた。
つくづく俺は父さんの息子らしい。蛙の子は蛙、蓋し至言である。
「なんかこうして相談するのって、3月以来だと思わないか?」
「3月……って、あのときは父さんからの相談だったじゃん。めっちゃ照れた感じで再婚の話を持ち出してきて、しかもその日に再婚相手とその娘たちと会わせて。割とあれ、マジでクズな親だと思ったんだからな?」
「うっ、あのときはしょうがなかったんだよ。なかなか言い出す機会がなくてな……友斗が色々と考えるだろうってことも、分かってたから」
そりゃそうだ。
ただの離婚ならいい。けどこっちは、母親と妹を事故で亡くしたのだ。再婚するぞ、義妹ができるぞ、なんて言われたら複雑な感情になるに決まってる。
だからこそ、まずはここから聞いていこう。
「なぁ父さん。俺が反対するかもって思ってたのに、どうして再婚することにしたの? 俺が家族に飢えてたから?」
答えは分かってる。
父さんは一瞬顔を曇らせ、答えた。
「そういうわけじゃない。というか、すまん。友斗のためを思ったわけじゃなかったんだ」
「じゃあ、どうして?」
「それは…………美琴さんが好きだったから」
「ぷっ」
「ちょ、そこで笑うかっ?!」
あんまりに真顔で答えるので、つい吹き出してしまう。
あぁ、おかしくてしょうがない。まるで喜劇だ。
「好きだったんだからしょうがないだろう? そりゃあ、友斗には悪いと思ってるけど……」
「別に責めてるわけじゃないって。むしろそうだよな、って納得してた」
「納得?」
「うん、納得。やっぱり父さんじゃなきゃダメだわ」
晴彦でも、如月でも、時雨さんでも、入江先輩でも、晴季さんでも、エレーナさんでも、伊藤でも、大志でも、もちろんあの三人でもダメだ。
世界でただ一人、父さんにだから相談できる。
「なぁ父さん。話したいことが山ほどあるんだ」
「山ほど、か」
「そう、山ほど。言っておきたいことも、相談したいことも、たくさんある」
「そっか……じゃあ、聞くよ。役に立てるかは分からないけどな」
「そこは役に立てるって言ってほしいんですけど?」
「保証はできない。だってほら、俺って親としてアレだし」
「威張るんじゃねぇよ」
テーブルの下で足を軽く蹴ると、父さんがくしゃっと笑った。
それを見て、俺も笑う。
けたけた、けたけたと笑った後で、俺はいよいよ口を開いた。
「まず話したいこと。本当はずっと前から話すべきだった……俺の初恋のことだ」
「お、おう……初恋か。別に話さなきゃいけないってことはないんだからな? 俺だって親父に初恋の相手を言ってない」
「別に初恋だから話すってわけじゃない。けど、この話を言わないと何にも始まんないから」
もう何年になるだろう。
俺はこの想いを、父さんに隠し続けていた。それは単に話す機会がなかったからというわけではないし、初恋が恥ずかしくて言えなかったというわけでもない。
昔も今も、この想いを隠した理由はただ一つだけ。
「俺の初恋は美緒だ」
「んっと……澪ちゃん?」
「違う。百瀬美緒。俺の二つ年下で、真面目で、俺よりしっかりしてて、天才で、ちょっと運動が苦手で、世界一可愛い俺の妹のことだよ。俺の初恋の相手は妹の美緒なんだ」
「っ……!?」
この想いを、俺は秘めるべきことだと思っていたのだ。
美緒の想いを突き放したのと理由は同じ。俺たちは実の兄妹で、結婚できない。だからたとえ両親に対してでも、この想いを口にしてはならないと思っていた。
そう断じて、勝手に自分の恋を終わらせていた。
父さんは目を見開き、口をパクパクさせている。
状況を理解するようにモゴモゴと口を動かすと、んんっ、と咳払いをした。
「それはその…冗談じゃ、ないんだよな?」
「冗談でこんなこと言わねぇよ。俺は美緒のことを愛してた。それだけじゃない。美緒も、俺のことを男として好きでいてくれた。死ぬ前、あの子に告白されたんだよ」
「…………」
「美緒の死をずっと受け止められなかったのは、美緒を妹として大切に思ってたからじゃない。美緒と愛し合ってたからなんだ」
「そう、だったのか……」
ありがちな言葉で表すなら、これは近親相姦であろう。性的なことは一切していないが、そんなことは父さんからすれば微々たることだ。
自分の息子と娘が愛し合っていた。そんな話を聞かされた父さんの胸中は、俺には理解できない。
だって俺はまだ子供なんだ。親の心子知らず。当然だろ?
果たして、父さんはこくこくと頷くと、グラスに一口つけてからしみじみと笑って言った。
「そっか……ま、当然だよな。美緒は由夢さんに似て可愛かったし、友斗は俺に似てるとことがあるからなぁ。由夢さんと俺が惹かれ合ったんだから、美緒と友斗が好き合わないわけがないわな」
「いや、それはそれで全国の兄妹に謝れとは思うけど」
「それもそっか。二人の気持ちは、二人だけのものだもんな」
父さんはそう言って、やや黄ばんだ歯を覗かせる。
あっさりと受け入れてくれたことに拍子抜けになったりはしない。分かっていたのだ。父さんが俺と美緒の気持ちを咎めるはずがない、って分かってたんだ。
それなのに言わなかった。
俺は俺の初恋すら否定していた。
それは―――今の俺の状況と酷似する。
あのときに戻ることができたなら、なんてIFはとっくに焼き消した。
手元にあるのは今だけ。
あのときを『後』にして、きちんと悔いた今の俺がここにいる。
「それで? その話を俺に言ってどうしたかったんだ? 『娘さんを俺にください』って言いに来たなら、また後日仕切り直すことになるぞ。ちゃぶ台をひっくり返さなきゃいけないからな」
「ひっくり返さなくていいから。別に、今日はその挨拶に来たんじゃない。俺が相談したいことの前提として、聞いてもらわなきゃいけないことなんだよ」
「なる、ほど……?」
未だによく分かっていなさそうに首を傾げる父さん。
俺は苦笑し、飲み物に口をつけてから言った。
「恋愛相談、聞いてくれるんだろ? だから聞いてくれ。そんで、背中を押してくれ」




