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最終章#27 期待と分かり合い

 SIDE:友斗


 バスが動き始める。

 行きとは違う席に座った俺は、窓の外の景色を眺めていた。

 窓に映る自分の顔のみっともなさに、苦笑一つさえ零れはしない。今のこの表情に何と名前をつければいいのか、俺には分からなかった。


 昨日、大河が部屋を去って。

 何もかもが終わったあと、俺は何もかもを放棄してベッドで眠った。

 もう倒れるわけにはいかない。寝不足で心配をかけるわけにもいかない。だから最低だと分かっていても、考えることをやめて、疲れをとった。


 今朝聞いた話だけれども。

 澪はあの後、部屋に戻ったらすぐに大人しくなったらしい。晴彦と大志が拍子抜けするほど大人しくなって、雫と大河と三人で抱き締め合って眠ったらしい。



 朝食のとき、入江先輩と話した。

 あの人は怒りとも呆れとも諦めとも同情ともつかない顔のまま、言ってきた。


『昨日は大変だったわね』

『……その節は、ご迷惑をお掛けしました』

『…………それなら、迷惑をかけないようなやり方だってできたはずだと思うけれど?』


 皮肉じみた言葉。

 俺がくしゃっと顔をゆがめると、入江先輩の顔色は罪悪感でいっぱいになる。


『ごめんなさい。今のは、言い過ぎたわ。あなたにはあなたなりの考えがあったのだものね。それを否定する気はないわ』

『…………』

『決断しなかったわけじゃない。決断した結果があの子たちの思い通りにならなかっただけで、あなたを責める権利なんて誰にもないもの』


 うん、うん、と自分を納得させるように入江先輩は首を縦に振る。

 『責める権利』がないのとは違うと思った。『責めてもらう権利』が俺にないのだ。

 それでも、と。

 入江先輩は正しくないことは百も承知だと開き直るように、言った。


『私はあなたに期待してしまっていた。私にはできないことをあなたならしてしまえるかもしれない。そう、身勝手な期待を押し付けていた』

『……そうですか』

『それだけじゃない。今もあなたに期待している。メサイアコンプレックスのあなたなら、何もかもを救ってしまえるんじゃないか、ってね』

『それ、は…っ』


 悔いが杭となって、刺さっていた。

 飛び出た分だけ叩かれて、もう逃げようがなく心に突き刺さる。離れてくれないその言葉に顔をしかめていると、


『これも、罰なのかしらね』


 と自嘲気味に呟いて、入江先輩は去ったのだった。



「はぁ……」


 思い出すと、名付けられなかった自分の表情が『苦悶』の名札を手に入れた。

 あんなにも弱々しいあの人を、俺は初めて見たかもしれない。

 俺にとって、入江恵海という女性はどこまでも強い人だった。残念なところはあるし、大河へのシスコン度には苦笑せざるを得ないときもあるが、その芯には確固たる強さがあった。


 しかし、あのときの自嘲気味な表情は、俺が思うあの人とは一線を画するものだった。

 あの人が俺に期待を押し付けていたのだとすれば、俺だってあの人に期待を押し付けていたのだろう。


 多分、あの人に対してだけじゃない。

 誰もが誰もに期待を押し付けている。

 あるがままの自分を曝しあえるのはせいぜい家族ぐらいであるように思えるが、家族だってそうもいかないときがある。家族だからこそよく見られたいし、かっこつけたい。期待されていたいと思うのは当然だ。


 ならば俺は、誰と分かり合えていたのだろう?

 誰かと分かり合えていたのだろうか?


 期待を押し付けることも、押し付けられることもなく。

 かっこつけることも、かっこつけられることもなく。

 誰かと剥き出しで関われていたのだろうか?


「――と。友斗ってば、聞いてんのか?」


 考えていると、ゆさゆさと隣に座る奴が揺さぶってきた。

 見遣れば、晴彦が心配そうな顔をしている。


「悪ぃ、ちょっと考え事してた」

「……そっか。まあ考え事はしてもいいけどさ。さっきからガム食いすぎ。体壊すぞ?」

「え?」


 言われて、口の中にいっぱいになってるガムの存在に気付く。

 そういえばさっきから、ちょっとでも刺激がなくなったらガムを追加してたんだっけ。


「ほんとだ……ほぼ無意識だったわ」

「だとしたらそれ、マジでよくないからな。俺が数え始めてからもう12粒は口に入れてるぞ」

「そんなに……?」


 流石に嘘だろう、と手元のケースを振ってみる。

 からからから。

 明らかに軽い音がしていた。蓋を開けて中を覗くと、残り5粒ほどしかない。


「目つきも、前の比じゃないくらいに悪い。いやもしかしたら他の奴には今の方がよく見えるのかもしんないけど……俺は、その目は嫌いだ」

「目が嫌いって言われてもな。昨日はちゃんと寝たし、どうしようもないんだけど」


 前は明らかに寝不足だった。

 でも今日はそうじゃない。目つきが悪い理由なんて、あるわけがなかった。


『別に。嫌な目をしてるな、と思って』


 澪に言われたことを思い出す。

 よくアニメの登場人物は、目を見てあーだこーだと言う。

 いい目をしてる、だとか、嫌な目をしてる、だとか。でも目を見た程度で何が分かるんだよ。目を見て全てを判断するなら、目が見えない奴はダメ人間か? カラコンするだけで変わるのか? ふざけるなよ。


 目を見た程度で何かが分かるなら言葉なんて生まれてない。

 人は言葉を求める。

 言葉があるから物語がある。


 だからきっと。

 言葉が届かなかったあの三人と俺は、分かり合えてはいなかったのだ。

 ならせめて、


「昨日、悪かったな」


 今傍にいる人たちとは分かり合うべきだろう。

 そうできるよう、言葉を尽くすべきだろう。

 俺が言うと、晴彦はばつが悪そうに顔を歪めた。


「俺の方こそ……すまん。一昨日のこと、大志の分も謝らせてくれ」

「一昨日って……謝ることなんて、何もないだろ。むしろ一昨日のことは感謝してる。二人が俺を叱ってくれたから、俺は変われた」


 変わった結果、あの三人を傷つけたのかもしれない。

 それは許されるべきことではないだろう。

 しかし、俺は変わった。

 一昨日の晩に俺を二人が叱ってくれなければ、俺は何もできずに立ち尽くすだけだった。


「もちろん、ああなったのは俺の責任だ。二人のせいにするつもりはない。でも、俺が代わったのは紛れもなく二人のおかげだろ?」

「……違うんだよ、友斗」

「え?」


 俺の言葉に、しかし、晴彦は首を横に振った。


「友斗には言ってなかったけどさ。この合宿、本当は参加するか迷ってたんだよ。白雪は去年参加して満足してたし、サッカー部の先輩とそこまで仲いいわけじゃなかったし、行ってもいいけど行かなくても……って感じで」

「そう…だったのか」

「うん」


 でもな、と晴彦は続ける。


「綾辻さんに頼まれたんだよ。友斗と向き合うために時間が欲しい、って。逃げられないような環境で友斗と向き合いたい、って」

「それで……合宿に?」

「そゆこと。雫ちゃんとかは、自分のせいで友斗が修学旅行に行けなかったことも結構気にしてたみたいでな。友斗と向き合いたい。でも、それ以上に友斗にはいい思い出を作ってほしい。だから今までに友斗が関わった人をなるべく巻き込んで楽しい合宿にしよう、って色々と考えてくれてたんだよ」


 そうだったのか。

 あの子たちは、そこまで……っ。


「前にすごろくで遊んだときもそうだし……この後にも、色々あったりしてさ。あの子たち、友斗を惚れさせるために三人で色々と考えたんだよ。考えて、色んな人に協力を頼んで」

「そっか」

「だからこそ、俺は友斗がきちんと選ぶべきだ、って思ってた。それが唯一の誠実さだろ、って」

「うん」


 間違いではないはずだ。

 むしろどうしようもなく正しい。

 なのに晴彦は、それが間違っていたんだって認めるかのように、俯いていた。苦々しい表情のまま、悔いるように続ける。


「でもそれは間違ってたのかもな、って昨日思った。友斗を殴る綾辻さんを見て、綾辻さんに叫ぶ友斗を見て、そもそも俺は友斗のこと何にも知らねぇじゃん、って」

「俺が話さなかったせいだろ」

「そーなんだけどさ。けど親友ってそういうことじゃねぇじゃん? 知りたいことは聞かなきゃダメだし、聞いてないのに分かったことにするなんて絶対にダメだった。それは……多分、大志も同じだな」


 だからさ、と晴彦が言ってくる。

 後悔のその先に行こうとする、強い決意のこもった表情で。


「聞かせてくれよ、友斗。あの子たちのどこがどんぐらい好きなんだ?」

「え?」

「俺はな、白雪の全部が好きだ。特に俺にだけ見せる、大人ぶった子供っぽいところが好きでさ。白雪がいてくれるだけですげぇ頑張れるんだよ」

「は? え、いや、急になに惚気てんだ? 全然話が見えないんだけど?」

「えぇー? だってほら、この前の恋バナって重くなり過ぎたじゃん? でもよく考えたら恋バナってもっと楽しいじゃん?」

「いや、今まで誰ともしたことないから知らないけど」

「楽しいものなんだよ! 世界で一番楽しい『好き』って気持ちを語るのに、どうして楽しくならないことがある、いやない、ってな。反語だぜ、反語」


 その笑顔は、晴れ空みたいに眩しかった。

 きゅぅ、と胸が締め付けられる。

 どうしてこいつは、こんな風に眩しく在れるのだろう。かっこよくいられるのだろう。こんなヒーローみたいな奴になれたならよかったのに。


「で、友斗は? あの三人のこと、どこがどんくらい好き?」

「それは――」


 口にしようとして、やっぱり無理だ、と首を横に振る。

 上手い言葉が見つからなくて、それでも気持ちの輪郭は分かっていて。

 だから俺は、言語化したいのだと思う。

 だって――言葉にしないと、あの子たちには伝わらないから。


「――また今度でいいか?」

「えっ?」

「今度、絶対に話す。でも今はまだ、自分の中ではっきりしてないんだ」

「そっか」


 ニィと晴彦が口の端を上げる。

 それから、ニマニマとからかうようにニヤけた。


「なぁ友斗、その目は好きだぜ」

「うっせ。目なんて見ても、何にも分からないだろ」

「いやいや、めっちゃ分かるから。『目は口ほどに物を言う』って言葉、知らねぇの?」

「お前より遥かに頭がいい俺がどうして知らないと思っちゃった?」


 この親友のようにはいかないかもしれないけれど。

 でも後悔のその先へ向かえるように。

 少し考えてみよう、と思った。

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