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最終章#23 叶わない恋

 SIDE:友斗


 スキーでめいっぱい遊んだ俺たちは、一人で風呂に入っていた。

 晴彦と大志はどちらも友達に呼び出されたらしい。俺を気にしているみたいだったが、友達を束縛する趣味はない。俺も一人になりたかったから、と告げて送り出した。


 やだ、俺ってば迷ってる男の背中を押せるいい男♡

 ……と、いうのはもちろん冗談で。

 一人になりたいというのは、事実だった。


「ふぅ……」


 大浴場には、それなりに先客がいた。

 ほとんど浴場を独り占めで来た今朝とは違う。だからこそ、今朝以上に『一人になれている』という感覚を強く抱ける。


 畢竟、孤独とは他に人がいるからこそ抱く感情なのだ。

 世界が端から俺一人なら、寂しいだなんて思わない。君がいて、僕がいて、誰かの温もりを知っているからこそ孤独の温度を知ってしまう。

 であるならば、果たして誰かと関わることは正しいことなのだろうか。


 誰かと関われば、失うのが怖くなる。

 友情を感じた分だけその消失を恐れるようになり、絆を育むほどにその決裂に怯えてしまう。人と関わり交わるということは、即ち、弱くなるということではないのか。

 まぁ、この考えは最終的にはもっと極端なものに派生しかねない。

 どうせ生きて色んなものを得ても死んだら失うんだから、それくらいなら頑張って生きるのはやめて死んでしまった方がいい、みたいな感じに。


 『どうせ』を積み上げたところで陳腐な塔の一つすら建ちはしないだろう。

 だから考えるべきは、そこではない。

 もう孤独でなくなってしまった俺が、この先選ぶ“何か”についてだ。


「はぁ……ぁ…」


 抱える懊悩を溜息に換えても、答えはちっとも出て気はしない。

 溜息を吐いたら幸せが逃げるなら、幸せと溜息はきっと同一のものなのだ。だったら溜息を溜め続ければ幸せになれるのか、と思うけれど、そんな言葉遊びに意味がないことは既に自覚している。


 ダメだ、そういうのは。

 そうやって余計なことばかりを考えて、考えるべきことは考えなくて。

 直視すべきものから目を逸らし、そのくせ苦しんだふりをして間違った道を行く。そんなやり方ばかりを繰り返してきた。そのやり方に、色んな人を巻き込んできた。


 だからこそ今、この合宿で俺は正さなければならない。

 時雨さんの、俺のための優しい嘘は既に正した。

 家には、この合宿が終わって少ししたら戻ることになっている。

 正すべきは、あと一つ。

 俺の心の問題だけ。


 体に染み入る熱湯は、澪とシたあとに浴びるシャワーを彷彿とさせる。冬場は二人で湯船に浸かって、まったりと弄り合ったりもしたんだっけ。

 あのとき俺が自分の気持ちに名前をつけられていたなら、ここまで拗れなかったのだろうか。

 セフレから恋人へと名前を変えるために、そりゃ、色んな苦悩はするだろう。戸惑い、躊躇し、傷つくことだってあると思う。それでも今の宙ぶらりんな状態よりはマシな気がした。


 或いはそれよりも前。

 雫への想いをもっと早く自覚していたのなら、澪とセフレになることはなかっただろう。いや、推量なのはおかしいか。絶対になるはずがない。あのときから雫を『好き』だったのだから。


 ――本当に?


 ピエロが哂う。

 果たして本当にそうなのだろうか?

 雫への想いを自覚し、付き合っていたとして。俺は澪を好きにならなかったと言えるのか?


 そんなIF程度で吹き飛んでしまう『好き』なら、時雨さんに弱さを委ねてまで守ろうとしねぇだろうが。


 誓ってもいい。

 雫と付き合っていても、俺は澪を好きになった。


 それは大河にだって言えること。

 仮に雫や澪と付き合っていたとしても、俺は大河に惹かれていたことだろう。俺を信じるからこそ叱ってくれた真っ直ぐなあの子を、好きにならないはずがない。


 IFもパラレルも意味はない。

 世界は帳尻が合うようにできているのだから。


 どんなIFを通過しても、俺はあの三人を好きになったに違いない。

 そして―――こうして、分水嶺に立ったはずだ。


 『ハーレムエンド』。

 あの子たちに言わせ、願わせてしまった未来を、この俺が掴むことなど許されはしない。そりゃゲームではそれがトゥルーエンドなのかもしれないけれど、現実では思考放棄だ。

 晴彦も言っていたじゃないか。


『全部を捨てたくないなんてわがままを言っていいのは、本気で捨てる覚悟をしてる奴だけだ』


 俺は何一つ、捨てる覚悟なかった。

 捨てる覚悟ない奴が求めていいはずがない。

 だからこそ、捨てよう。


 目の前にある大切なものを三つ並べる。

 そのどれをとっても、かけがえのないもので、俺にとっては自分の血肉よりも遥かに大切だ。腕や脚を捨てた代償に全てを手にできるのなら喜んでそうしよう。

 しかし、現実には代償を払えば願いを叶えてくれる悪魔さえいない。

 代償を払った程度では願いは叶わない。

 だって、叶えてはならないのだから。


 だから選ぶ。

 どれも同じ重さだから、天秤に乗せたら釣り合うはずがないけれど。

 それどころか選ぶと決めた一つを乗せた皿が上がってしまうけれど。


 《《選ぶという最低に染まる》》。

 《《より多くを捨てるという最低を犯す》》。

 その上で、それでも願うことが許されるのなら。

 グッドエンドではなくトゥルーエンドが欲しい、と祈るのだ。


「俺は……っ」


 俺は。

 俺は……。

 俺は―――。



 ◇



 考えて、考えて、結論は出た。

 涙を流す資格はないのに、自然と泣いてしまって。

 誤魔化すように湯船に浸かり続けたら、軽くのぼせてしまった。自販機でいちごオレを買ってストローでちゅるちゅると吸うと、甘ったるさが口の中に広がる。完全にセレクトを間違えた気がする。


「買うならフルーツ牛乳だったかな。風呂上がりだし」


 こうして、俺はこれから先ずっと、自身の選択を悔いるのだと思う。

 って、飲み物の選択と一緒くたにするのは不適切かもしれないけどな。

 でも選ばなきゃ、前には進めない。

 ノベルゲームは、プレイヤーが選ばなきゃ先のルートが見れない。小説とは違うんだ。

 人生は後者ではなく前者で、ノベルゲームとの違いはセーブができないということで。


「うん、これでいい」


 ちゃんと、後悔をしよう。

 全てを『後』にして、きちんと悔いよう。

 そう思っていると、


「うわ、友斗……よくそんなの飲めるね」


 どこからともなく、俺の選択を謝っていると断じるかのような言葉が降ってきた。

 …………っ。

 見上げれば、そこには澪がいた。

 綾辻澪。俺史上最強のいい女。


「人が飲んでるものにいきなりケチつけるって、人としてどうなんだ? っていうかいちごオレ普通に美味いだろ」

「美味しいかなんて知らない。知らないの? 着色料、虫なんだよ?」

「いやだから、それ言い始めたら何も食えなくなるからな? 着色料なんて虫とか植物から取ってるんだから」


 俺が言うと、澪は嫌そうな顔をして身を竦めた。

 ぶんぶんと首を横に振ると、自販機で牛乳を買う。瓶ではなくあくまでパックの牛乳にストローを刺し、ちゅーっと吸いながら俺の隣に座った。


「昔さ」


 澪は、唐突に口を開いた。


「すっごい昔の話だけど……スポーツ選手になりたかったんだよ。陸上の選手」

「そうだったのか……」

「ん。ま、小学校入る前の話だけどね。その頃って、何でも好き勝手に夢見るじゃん? 警察とかパティシエとか」

「電車とかヒーローとか?」

「そ」


 あの頃、世界はシンプルだった。

 何にでもなれると思ってた。どこへだって行けると思っていた。

 今ならそれが、何故なのか分かる。

 何にもなれずどこにも行けなかったからだ。


 何かになれてどこかに行ける俺たちは、何にでもなれてどこへでも行けるなんて思えない。

 なりたい自分となれる自分の公約数を探して、それが夢だとのたまうのだ。


「その頃、めっちゃ牛乳飲んでたんだよね」

「身長を伸ばすために?」

「そゆこと。飲んで、食べて、運動して」

「じゃあ……どこで諦めたんだ?」

「パパが、学歴にうるさい人でね。小学校受験させられて、そのときに諦めた気がする」

「勉強がきつかったから?」

「ううん、違う。勉強はそれほどきつくなかった。努力するのは苦じゃなかったしね」


 じゃあどうして?

 そんな俺の問いに、澪は天井を見上げながら答える。


「私は雫と守りたかったから、本当は受験なんてしたくなかったんだよ。雫が小学校受験で受かるとは思わなかったし、パパもママも受けさせるつもりなかったみたいだから」

「……それで?」

「私は、抵抗できなかった。自分を貫けなくて、屈した。あの頃は自分で名前を付けられず、ただ何となく『別に』って感じで自然と諦めてたけど……今から考えてみると、あの程度のことに抗えなかった自分に失望したんだと思う」


 ちゅぱっ、とストローに口をつける。

 半透明なストローを牛乳が通った。


「友斗はさ。夢、見つけたんだってね」

「時雨さんから聞いたのか」

「ま、軽くだけどね。編集者だって?」

「あぁ。物語に関わる仕事をしたいな、って思ってさ」

「ふぅん…………」

「なんだよ」

「別に。嫌な目をしてるな、と思って」

「はぁ?」


 何を言ってるのか、イマイチ分からない。

 首を捻る俺をよそに、澪は席を立つ。もう牛乳を飲み終えたらしい。肺活量が半端ない。


「ま、いいや。今ここで言ったところでしょうがないし、折角の合宿を台無しにするのも嫌だし」

「そ、そうか……」

「ん。じゃ、私はもう行くから。汗気持ち悪いからシャワー浴びに来ただけだし」

「そっか。了解」


 澪は牛乳パックを捨てると、廊下を進んでいく。

 反射的に伸ばしそうになった自分の手を、俺はパチンと叩く。


 俺は、綾辻澪を《《引き止めない》》。

 選ばないことを、決めたから。

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