最終章#18 恋バナ③
SIDE:友斗
夕食が終わり、俺たちはぼんやりとテレビを見ていた。
とはいえ旅行先でわざわざテレビを見たところで、面白くない。地方局の見慣れない番組にはやや興味があったのだが、それも30分も見ていると飽きてしまっている。
結局めいめいにスマホを弄りだしてしまうのは、イマドキの若者の業と言えよう。かといって男三人でトランプをするのはアホらしいし、やむを得ない部分もある。
「あ~、暇! もういっそのこと女子の部屋でも突入するか?」
スマホを枕元にシュートしながら言うのは晴彦。
さっきまではスマホでパズルゲームをやっていたんだが、それもスタミナが切れたらしく、ごろごろとベッドの上を寝転がっている。
「いいっすね。こういう行事じゃ、女子の部屋に行くのは定番みたいなところありますし!」
ノリノリに同意するのは、言うまでもなく大志だ。
晴彦よりデカい体をやや小さめなベッドでじたばたしている絵面は、割と見ていられないものがある。明日は絶対ベッド変わってやろう、と心に決めつつ、俺が口を挟む。
「普通に考えてそれは無理だからな。数年前に忍び込んだ挙句アレなことをしやがったことがバレて以来、先生たちが見回りにマジで力入れてるんだから」
「えっ、マジで? そんなことあったの?」
「さあ」
「さあ?!」
「いや、先生たちが見回りに力入れてるのはマジだぞ。施設に迷惑かけたらヤバいからな」
忍び込んだのがバレたのも本当である。が、シたかどうかについては先輩たちの間に広まっている細やかな噂にすぎないため、真偽は不明だ。
「それよか話。もっと実のある話をしよう。大志、なんか話題ないか?」
「んー。なら恋バナしましょうよ、恋バナ」
「恋バナて。男子でそれやるのは割とキモくね?」
たまに聞く晴彦の惚気は例外だ。あれは恋バナとは別種の何かだしな。
などと思っていたのだが、
「別にいいじゃん、恋バナ。俺は聞きてぇな、友斗の話」
と、晴彦はさっきまでの空気とはまるっきり違う声で言った。
それは、真剣な話をするときのトーン。
駄弁るのではなく、語る。そんなセンチメンタルでアンニュイな雰囲気だった。
「俺も、聞きたいっす。俺なんかに聞かせたくないって言うなら出て行ってもいいっすけど。ダメっすか?」
「いや、ダメって言うか……話せること、ないし」
後半に行くにしたがって自分の声が消え入りそうなほど弱くなっているのを自覚する。しょぼしょぼとした俺の声は、もしかしたらもう、誰にも聞き取れていないのかもしれない。
恋バナなんて、できるわけがない。
そもそも俺はこの恋を――って。そんな風に言い訳して、逃げ足で進む先にあるのが誰もが不幸になる未来であることを、改めて自覚する。
――また逃げるのか?
俺はもう何度、晴彦から逃げてきた? 話せない、今度話す、って言って、何度こいつと話すのを避けてきた?
「折角の合宿だぜ。この夜にしかできない話、してくれよ」
「……ッ」
晴彦の言葉は、僅かな疼痛と共に鼓膜を叩いた。
この夜にしかできない話。
『何事にもけじめがあるって思うので!』
『軽蔑だけは、させんなよってこと。俺、友斗のこと結構好きなんだぜ』
二人の言葉を、思い出す。
前者はほぼ他人でしかなかった大志の言葉。
後者は今も親友でいてくれる晴彦の言葉。
だったら俺は、
「話すよ。恋バナっていうよりは懺悔とか告解になるかもしれないけど」
「……うん」「うっす」
「聞いてくれ。最低な男の話を」
話そう。
逃げたくないことから逃げないために。
恋から友情に逃げないように。
「まず前提として……俺は文化祭の頃にはもう、三人に恋愛的な意味で好いてもらっているって自覚があった。雫と澪と大河。あの三人が俺のことを好きだって分かったうえで、俺がまだ誰を好きなのか分からないから答えを待ってもらってたんだ」
「……その時点で最低だな」
「だろ? でも、中途半端な気持ちで答えるよりはマシだと思った。あの三人は当時から俺にとっては特別で、自分があの三人に持ってる気持ちにはいつか絶対名前を付けられると思ってたから」
まだ『好き』が見つかっていない頃は楽だった。
見つからない『好き』を見つければいい。ただ一つ、恋と呼べる気持ちを見つければいい。
「それが変わったのは、冬星祭だった。大志も言ってたけど……あの三人のステージは、俺のためのものだった。俺を惚れさせるために色んな人に頼んで準備をしたものだった」
「…………」
「俺はあの日、自分の気持ちに恋って名前を付けられた。付けることはできたけど……その気持ちは、三人に対してのものだった」
「…っ、それって――」
「そうだよ。俺は雫のことも澪のことも大河のことも……三人のことを好きになった。誰のことも好きじゃないかと思えば、今度は全員を好きになった。酷い皮肉だよな」
はは、と自嘲して見せるけれど、二人はぴくりとも笑わない。
当然だった。笑えるはずがない。
晴彦は三人のことを知っている。大志は雫を好きだったはずなんだ。殴られたってしょうがないけれど――それでも俺は、話を続けた。
「当然、三人を好きだなんて許されるべきじゃない。本当なら三人の中から誰かを選ぶべきだ。そうじゃなきゃ三股になって、誰に対しても不誠実になるもんな」
「……そうだな」
「でも俺はそれができなかった。誰のことも選べなかった。三人のことが等しく好きで、その気持ちは日増しに増えていった。冬休みに言っただろ。好きな人はできたけど、叶わない恋だ、って」
「言ってたな。だから気持ちを隠す、とも」
うん、と俺は頷いて続ける。
「三人の中から一人を選ぶことはできない。誰かへの気持ちを消すこともできない。そんな状態で誰かを選ぶことなんてできないから、三人全員への気持ちを諦める。そういう意味だったんだ」
「っ……それは――」
間違ってる、と糾弾しようとしているのが分かる。
しかしこの話はまだ終わっていない。俺は晴彦の言葉を封じて、言う。
「俺は三人への気持ちを諦めるつもりだった。きっぱり捨てるつもりだった。けど……そんなときに俺の前に現れたのが時雨さんだった」
「……霧崎会長?」
「あの人とは従兄妹でな。俺が三人のことを好きだってことを分かったうえで……俺と付き合わないか、って言ってくれた。俺が三人を好きなまま、あの三人に俺への気持ちを諦めさせる。そんな方法を提案してくれて……俺は、それに乗ったんだ」
「っ!?」
「家を出て、生徒会にも行かなくなって、避けるようになった。時雨さんと恋人になったから、三人の想いには答えられないって言った」
話していて、口の中が苦くなる。
最悪だ。やはりこれは、恋バナではない。おぞましい罪の自白だ。
「……これ以上話すことはない。終わりだよ」
言って、俺は口を噤んだ。
これ以上先はない。進むことも戻ることもできないどん詰まりに立っているのだから。
俺が二人を見遣ると、大志がぐっと唇を噛んでから言ってきた。
「俺は……百瀬先輩がそんな奴だとは、思ってなかったっす。考えてる以上に最低なことばっかして、正直、あの三人が百瀬先輩を好きな理由がさっぱり分かんねぇっす」
「……だろうな。俺も分からない。どうしてあの子たちがあんなに好いてくれるのか。ここまで最低なことをしても好きでいてくれる理由が、さっぱり分からない」
「っ、けど。一番ムカつくのは今の態度っすよ。どうして終わったみたいに話すんすか? 悪いって分かってるんすよね? そうじゃなきゃ、そんな苦しそうな顔しないっすよね? なのになんで、過去形で話すんすか?」
失望の色は、彼の瞳には宿っていなかった。
凄いな、と思う。
俺が彼なら、俺は俺に失望する。期待したのに、尊敬したのに、その気持ちを裏切りやがって、ってキレる。
でも彼はそれをしなかった。あくまで今の俺の実像と向き合い、話している。
「間違ってるって自覚があるなら直してくださいよ。あの三人、めちゃくちゃ百瀬先輩のことが好きなんすよ。冬星祭のステージを見たら、その想いの強さは誰にだって分かるんすよっ!」
「うん……」
「だったら、うだうだ言ってないで選ぶべきなんじゃないっすか? ちゃんと自分の気持ちに決着をつけるべきでしょ?」
「――ッ…どうしてそれが正しいって言い切れるんだよ」
彼は正しい。
最低なのは俺だ。俺は最低じゃない、なんて議論をするつもりは毛頭ない。
それでも、
「俺は三人のことが好きなんだ。誰かを選んだとして、仮に他の二人への気持ちを消せたとして……三つの気持ちのうちの過半数を捨てたのに、どうして残り一つをいつまでも持っていられるって言えるんだよ?」
「でも誰のことも選ばないなんて、最低じゃないっすか!」
「最低だってことはて分かってんだよ。けどな、最低にだって種類がある。本当は三人のことが好きなのに誰かを選ぶなんて……そっちの方が、最低だろうが!」
俺は間違わずにはいられない。
『好き』を選ぶことの最低さを自覚しているから。
「……大志、ちょっと黙ってくれるか?」
何かを言おうとしている大志を、晴彦が止めた。
歯痒そうに拳を握り締める大志は、しかし、晴彦の言う通りに黙る。
晴彦は俺を一瞥すると、今まで見た中で最も冷たくて温かい目をした。
「はっきり言う。俺は友斗を、心底軽蔑した」
「……ッ、だろうな」
「けど勘違いすんなよ。それは三人のことを好きになったからじゃない」
「…………うん」
「俺がお前を軽蔑したのは、お前に覚悟がねぇからだ」
晴彦は拳を突き出し、俺の胸をこつんと小突く。
「選べない理由はよく分かった。確かに三人のことが本気で好きなら、その気持ちを諦めるのは間違いなのかもしれない。そんな風に気持ちを捨てるのは最低で、そんな風に気持ちを捨てられる奴の愛なんて信じてもらえないのかもしれない」
「……うん」
それでもさ、と続ける晴彦の言葉には熱がこもっていた。
「三人のことを好きになっちゃったなら……だったらその償いに、本当の最低になる覚悟をするべきだろ。間違ってるって分かってても三つの中から一つを選んで、信じてもらえないなら信じてもらえるように言葉を尽くすべきなんじゃねぇの?」
「――っっ」
「だいたいさ。なんだよ、自分の気持ちはそのまま三人の気持ちを捨てさせる、って。そんなのできるわけないだろ。振るなら本気で振らなきゃダメだろ。全部を捨てたくないなんてわがままを言っていいのは、本気で捨てる覚悟をしてる奴だけだ」
胸に押し当てられる拳が、優しすぎて痛かった。
口の端から零れそうになる嗚咽じみた弱音を呑み込んで、晴彦の言葉を反芻する。
俺は結局のところ、どうしようもなく最低で。
だったらせめて、選ぶべきなのかもしれない。他の二つを捨てることができないとしても、無理矢理に捨てて、残る一つの『好き』を捨てることはないんだ、と全身全霊で叫ぶしかないのか?
何かを捨てて、何かを選ぶ。
そういう最低さを選ぶべきなのか……?
ううん、きっと選ぶべきなんだ。
だって、あの子たちが言う『ハーレムエンド』は妥協の産物でしかない。
なら、
「ありがとう、晴彦、大志。ちょっと行ってきたいところがあるんだけど、行ってもいいか?」
俺はまず、向き合うべき人がいる。
俺の弱さを委ねてしまった人から、その弱さを受け取らなきゃいけない。
言うと、晴彦と大志が顔を見合わせる。
そして、
「おう、行ってこい」
この期に及んでまだ、俺の背中を押してくれた。
「さんきゅ」
俺は感謝しなければならないと思う。
俺の間違いを間違いだと指摘してくれる親友と後輩に、誠意を示すべきだ。
間違いを指摘してくれた大河にそうしたように。
俺はこの二人に報いるために、きちんと変わろうと決めた。
――それが正しいのかは、分からないまま。




