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最終章#12 永遠に捧げる本物の愛

 SIDE:澪


「嫌だよ」


 霧崎先輩は、一言そう口にした。

 は……?

 予想外の言葉だった。つい眉間に皴を寄せてしまう。私は、何かを読み違えただろうか。また間違えてしまったのか。


 歯噛みする私をよそに、霧崎先輩は続けて言う。


「勘違いしないでね。ボクは彼のことは好きだけど、恋を成就させたいとは思ってない。別に彼を独占したくて断ってるわけじゃないよ。もちろん、『返して』なんて物扱いが気に入らなかったわけでもない。澪ちゃんがあえてそういう言い回しをしてくれたのは理解できるから」

「じゃあ、どうして?」


 霧崎先輩と話していると、どうにもこうにもリズムが崩れる。

 なるほど、これは友斗が敵わないと思うわけだ。私が全てを看破しているはずなのに、まるで霧や天気雨のように掴みどころがない。

 それはね、と霧崎先輩は続ける。


「これは彼の課題だから。澪ちゃんたちに頑張らせるだけじゃダメなんだよ」

「あ、あの。霧崎先輩、一つお聞きしていいですか?」


 言い切る霧崎先輩に、トラ子が言う。

 どうぞ、と手で合図を出すと、トラ子は尋ねた。


「そもそもこの課題をユウ先輩が達成したとして……それは、どんな意味があるんですか?」

「いい質問だね」


 霧崎先輩は、こちらを一瞥する。

 分かっているんでしょう? といった感じの視線だ。

 私が肩を竦めて返すと、霧崎先輩はトラ子の問いに答える。


「簡単な話だよ。全て、『ハーレムエンド』に必要な要素なんだ」

「『ハーレムエンド』に、ですか……」

「うん。まず『生き方』。これがなければ、『ハーレムエンド』なんて成しえない。自分とすら向き合えない子が、他の誰かと一緒に生きるなんてできないからね」


 霧崎先輩は、卓上にあるナプキンを一枚とり、どこからともなく取り出したペンでするすると書いていく。


【1.生き方】

【2.家族】


「そして家族を知ること。どんな形式であれ、社会を一緒に生きていくのであれば、その共同体は家族と呼んで差し支えない。それが基本的な形で、そこから様々に発展し行くものだ。だから『ハーレムエンド』を目指すのであれば、まず基本的な家族のカタチを知る必要があった」


 雫とトラ子が息を呑む。

 それは、おそらく今私たちが抱える『ハーレムエンド』の現実的な障壁に関わることだったからだろう。


【3.愛への信頼】


「更に、今抱いている愛が特別でかけがえのない本物だと信じることが必要だ。思い上がりでも勘違いでもいい。その愛が強く特別なものだと信じないといけない。そうじゃないと……節操なしに愛が増えるかもしれない、という考えがよぎるからね」


 納得はできる。

 好きになったからと言ってほいほいハーレムに加えていたら、それはただの節操なしだ。ハーレムの中にいる存在がどれだけ特別なのかを、きちんと認識している必要がある。


「ここまでは、既にある程度達成できてる。でも……最後のひとつが足りない」


【4.最低になる覚悟】


 霧崎先輩の書いたその一文は、どこか歪んでいるように思えた。


「あえて言うなら……『ハーレムエンド』なんて、ただの浮気なんだよ。三股でしかない」

「っ、それは違うと思います」

「私たちがそれを求めてるなら、浮気なんかじゃ――」

「――と、いうことを他の誰が信じる?」


 雫とトラ子の反論を、しかし、呆気なく霧崎先輩は受け流す。

 抉るようなその言葉はどうしようもなく鈍い響きを伴っていた。


「君たちが本気で『ハーレムエンド』を望んでる、なんて。そんな事情を誰も推しはかってはくれない。世間は君たちを見て、彼に浮気者の烙印を押す。最低だと断じる。当人たちの事情なんてどうでもいいんだよ」

「「……っ」」

「君たちを見れば、誰もがハーレムじゃなくて三股だと考える。君たちは彼のことが好きだから許さざるを得ないんだ、とね」


 当たり前の話だ。

 たとえばそれは、夏のトラ子に似ている。

 もちろんあのときのトラ子は、雫と友斗が苦しんでいることを察していた。でももし本当は当事者全員が望んでいるとして、トラ子がそれに気付いていなければ、無慈悲に振り下ろされる常識の暴力でしかなかったはずだ。


 霧崎先輩は二人を見て、少し罰が悪そうにペンを置いた。

 ナプキンとトントンと叩きながら、話を続ける。


「だからこそ彼は、どんなに苦しんでも今のうちに最低になる覚悟をしなきゃいけない。最低でありつづけることに慣れなきゃいけない。まだ子供で在れるうちに、ね」

「それで友斗の体が壊れても、ですか?」

「それは……ボクも、想定外だった。けど、そうだね。好きに恨んでくれていい。望むならビンタだって甘んじて受け入れる。それでもボクは、彼が自分で乗り越えてくれるまで、離れる気はない。今澪ちゃんたちによって救われてしまったら……素敵な四人の関係は、すぐに壊れる偽物になってしまうからね」


 霧崎先輩の言葉は、どこまでも独善的だった。

 否、独《《悪》》的と呼ぶのが正しいかもしれない。

 そんな彼女を罰することなど、できるわけがなかった。

 どこまで不器用で愚かな人なんだ。

 もっと幾らでもやり方はあるだろうに。


「偽物、ですか」「偽物……」


 二人に合わせて、私も同じ言葉を胸の内で呟く。

 本物と偽物。

 LOVEとLIKE。

 善と悪、幸せと不幸。


 その境界線は、誰が引くのか。


 ココアを飲む綺麗な霧崎先輩を眺めながら、私はそんなことを考えていた。



 ◇


 SIDE:友斗


 合宿へ向かうバスの中は、わいわいと明るく楽しい空気に満ちていた。

 まぁ、参加してるのは大抵がスキーでも何でも学校行事なら参加してやろうっていうリア充たちだ。いつもより遥かに集合時間が早かったところで、問題なくはしゃぐに決まっている。


 そんななか、俺は隣の席で黙りこくっている少女へと目を遣った。

 彼女はこの三学期に急遽転校してきたミステリアスな少女で――というわけでは、もちろんなくて。

 黙っていればミステリアスで魔性の魅力を放つ少女・綾辻澪だった。


「なぁ澪。さっきからやけに静かだけど、体調でも悪いのか?」


 出発してから約一時間。

 移動時間の長さを考えれば今からはしゃいでた方がガス欠になるのは目に見えてるし、澪のような過ごし方をするのが正しいのは分かっている。

 だがそれでも、一時間ほどずっと隣で黙られていると俺だって居た堪れなくなってしまう。

 俺が言うと、澪はややアンニュイな表情のまま俺を見遣った。


「……別に。ちょっと考え事してるだけ」

「考え事?」

「そ」


 考え事、か。

 なら黙っているのはしょうがないこと……なのか?

 再び頬杖をつき、窓の外を見つめる澪。変わりゆく景色を眺める彼女は、とても絵になっている。写真にでも撮って、アルバムに大事に保存していたいくらいだ。


 ……ちなみに。

 雫や大河などの一年生、入江先輩や時雨さんなどの三年生はそれぞれ別のバスに乗っている。学年ごとにバスを一台使う感じで済む人数が参加しているらしい。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 俺たちの間では、沈黙と無言が煮込まれていた。

 別に、沈黙が苦なわけではない。

 むしろ普段であれば心地よく思っている。流れゆくときを感じながら、お互いの息遣いや身動ぎが排泄する音に耳を澄ませていた。


 それは澪に限った話ではなくて。

 たとえば雫と勉強するときの極限まで無言な時間とか、大河と黙々と仕事をしているときの張り詰めた沈黙とか、そういうのを愛おしく感じてもいる。


 でも、なんだろう。

 今日の澪の生み出す沈黙は、あまり好きではなかった。

 キシキシと軋むような静けさで、何とかしたくなる。

 なんとか――あ、そうだ。


 この前病室でされたことを思い出し、俺は澪の頬をつついた。

 うわっ、柔らか……なのにすべすべして――


「いてっ!? ちょ、タンマタンマ! 指折ろうとしないで!」

「いや、今のは友斗が悪いでしょ。急につついてくるのは反則だから。圧倒的にギルティーだから」

「この前澪がやってきたよね?!」

「私はいいの。友斗のこと、恋愛的な意味で好きだから。でも友斗は友達としての『好き』なんでしょ?」

「うぐっ」


 それ関係ないだろ、ってツッコミをしようものならフルボッコされそうなので口を噤む。

 澪が離してくれたので大人しく指を引き、よしよし、とさすった。

 そんな俺の様子を見ていたのか、はぁ、と澪が溜息をつく。


「あーもう。シリアスになってる私がバカみたいじゃん」

「別に俺、コメディやってないんですけど?」

「そうなの? その滑稽さとか、まさに喜劇王なんだけど」

「毒舌をいかんなく振るうのやめてもらっていいっすかね?」


 言うと、ぷっ、と澪は吹き出した。

 くつくつと可笑しそうに笑った後、ぐいーっと上方向に伸びをした。


「やーめた。考え事とか、どうでもいいや。折角の合宿だし、役得でゲットできた隣の席だし、充分に活用しないと勿体ないよね」

「お、おう……まぁ折角なんだから満喫しようぜって意味では同意だな」


 俺の隣なのが役得って言われるのは地味に胸に来るので、不意打ちはやめてほしい。禁止カードだと思うんですよ、俺。トレーディングカード系で遊んだことないけども。

 俺が言うと、ん、と澪も短く言って首肯した。


「と言っても、テンションは上がらないけどね。雫と一緒がよかったし、トラ子を弄って遊びたかったのに」

「お前、マジで大河のこと好きだよな……」

「は? 別にそんなんじゃないし。勘違いしないでほしいんだけど」

「すげぇ。澪至上一番のツンデレを見たわ」

「…………ツンデレがいいなら幾らでもツンツンしてあげようか?」

「目が怖いんだよなぁ」


 それはツンツンじゃなくて加虐&甘えでしかない。バイオレンスデレ、略してバイデレだ。ちょっとありな気がしてくるんだけど?

 ちぇっ、と可愛らしく舌打ちをした澪は、じゃあ、と話を振ってきた。


「質問ね。童話のシンデレラと王子様の愛は、永遠の愛だと思う?」

「急にファンシーな質問だな……」

「ま、ね。でも割とこういうの考えるの楽しくない?」

「ちょっと分かる」


 つーか、『八面鏡の白雪姫』なんてまさに童話を元に色々と話を膨らませたものなわけだしな。

 童話にケチをアレコレと言うのは捻くれ者にとって結構楽しいことなのだ。

 俺も澪も捻くれ者だしなぁ……。


「で、どう思う? 王子様は、シンデレラに一目惚れしたくせに、靴がないと相手のことを見つけられないような男。シンデレラもシンデレラで、虚飾に身を染めて王子様を騙した女。二人の愛は、本物?」

「俺もびっくりな捻くれ解釈なんだけど……シンデレラってそんなダメ人間の集まりだっけ?」


 まぁ、言いたいことは色々とある。

 そもそも童話って原作だと登場人物がかなりエグイ奴だったりするし、それを一般向けにした話でも色んな解釈のされ方があったりするから、一概には言えないし。

 それでもあえて、永遠だとか本物だとか、そういう愛の在り方にのみフォーカスをするのなら、


「永遠とか、本物とか、そういうのはどうでもいいけど……語られる部分だけじゃ、二人が恋に落ちた理由も割と曖昧だからな。理解できないような愛をお互いが持ててるなら、それは最強なんじゃねぇの?」


 この答えに尽きるだろう。

 愛ってやつは、気持ち悪いものだ。

 胸に抱える想いはいつだっておぞましくて、気持ち悪くて、万人には理解されなくて。


「最強の想いと誰もが拍手せざるを得ないような“理由”が組み合わさってるからこそ、シンデレラって物語は人を惹きつけ、語り継がれてきたんだと俺は思う」


 とか、シンデレラの有識者に言ったら怒られそうだなぁ……。

 苦笑交じりに澪の方を向くと、鳩が豆で銃撃を受けたような顔をしていた。


「澪?」

「……ぁ、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって。気持ち悪いことをなんの迷いもなく言うからさ」

「えぇ……今ちょっといいこと言ったつもりだったんですけど?」

「全然いいこと言ってないし。むしろかなり気持ち悪い…………のに、そういうところが好きすぎるから腹立つ」

「~~っ!?」


 ぼそり、と最後の漏らした一言。

 それだけで俺は悶絶させられてしまう。

 これが、バイデレなのか……っ!?


「あーっ、もうムカつく。クイズしよ、クイズ」

「クイズ?」

「教科不問。範囲は二年の教科書およびその応用」

「なるほど」


 そういや、前に母さんの実家に行ったとき似たようなことをやったっけ。

 懐かしくて、自然と頬が綻んだ。


「いいぜ。じゃあそっちから」

「ん」


 

 結局俺たちは、前回に負けず劣らずの泥仕合を繰り広げることになった。

 バスでうるさいのに英語のリスニング出したり、今年の共通テストの数Ⅱの問題を設定だけ変えて出したり、お互いに大人げなさで掃き溜めができるくらいの難問を出し合ったのだった……。

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