最終章#07 eye&I
SIDE:友斗
多くの学生にとって、どちらかと言えば縁遠い場所の一つが病院なのではないだろうかと思う。
平日だと学校が終わった後に相当急がなければ診察時間が終わってしまったりするし、そうでなくともなかなか行く機会がないような気がする。風邪程度で病院に行くのは……と何故か体調不良を軽々に扱う(自戒)日本人ならば尚更だ。
病院に行けば病気だと確定してしまうのだ。
体調不良を風邪と認めなければならなくなるし、歯の痛みを虫歯だと知らしめられてしまう。もちろん診察を受けなくとも事実は変わらないし、診察を受けずに見逃してしまう方が恐ろしいのだと分かってはいる。
それでも、やはり病院はどうも縁遠いものに思えてしまうわけで。
「ありがとうございました」
小学校の定期健康診断ですら来たことがなかった眼科にて。
俺は診察を終え、受付の人に挨拶をしながらクリニックを出た。
「ふぅぅぅぅ」
と、外気の冷たさをめいっぱい感じるような吐息を零す。
仄かな白さを纏う息は煙よりも早く姿を消すが、俺が受けたショックはすぐに消えてはくれなそうだ。
眼科には、下手をすれば生まれて初めてきた。
アイクリニックという横文字を通りすぎるときに見て、「意識高ぇ」とアホっぽいことを考えるぐらいしかこれまで縁はなかったのだ。
何せ、生まれてこの方視力検査ではいつも両目ともにA(1.0以上)で、その他諸々の目の病気にかかったこともなかったのである。
が、ここ最近の目の霞みが地味に気になったため、合宿前のまとまった休みで来てみた、というわけだ。
そしてその結果は、
『視力は確実に落ちてますね。でも病気ってわけではないから……おそらく、目を酷使しすぎたのかな』
とのことだった。
言われてみれば、そもそも今年は目を必要以上に酷使していた。パソコンを使うときにはブルーライトカットの眼鏡をつけていたが今は百瀬家に置いてきているし、そもそもあの手の眼鏡だって眼精疲労まで癒せるわけではない。
「眼鏡、マジで冗談じゃなくなってきたかもなぁ……」
スキーをするのに支障が出るほどではなさそうなので、今すぐ買うつもりはない。だが日常的に若干見えにくいって状態が続くのは困るし、真剣に考える必要がありそうだ。
晴彦や如月とキャラ被りするのはあれだが……まぁ、あの二人と俺じゃ雰囲気が違うしな。今度相談しよう。今はそれよか、今まで一度も落ちたことがなかった視力が落ちてしまったことがショックすぎてやばい。
「なんか、飯でも食っていくかなぁ」
折角味覚が回復したのだ。食を満喫したい。
そう思って、飲食店もある商店街に足を向けたところで、
「あ」
「……ユウ先輩?」
大河と出会った。
まるで、森のくまさんのように。
「お、おう……おはよう」
「はい、こんにちは。もう『おはようございます』の時間ではないですよ」
「それもそうか」
朝食というより、昼食な時間帯だしな。
俺は肩を竦めつつ、自分の心臓を落ち着ける。
……いやいやいや、マジでなんでここにいんの? そりゃ家から近いけども! でもこんな出会い方ある? 会うかもとか思ってなかったから覚悟してなかったんですけど? 身だしなみにがデフォで気を遣ってるつもりだけど、いざ大河と会うとなると話が変わってくるんですけど?
――って、何をときめいてるんだか。
この前まで大河を突き放していたのは俺だろう? 今更ラブコメな空気とか、許されるはずがない。
「んんっ……こんな風にニアミスするの、何気に初めてだな」
「初めてではないですよ。夏休みに一度会いました」
「夏休みっていうと……ああ! コンビニで会ったときか」
「はい」
言われてみれば、あのときもこんな予想外のエンカウントだった。
が、近くに住んでるくせにこっちの方ではニアミスしたことがなかったわけで。
好きな子に買い物中、たまたま出会ってしまったときのドキドキを感じて、ちょっとドギマギしてしまう。
そんな俺の様子を見かねたのか、大河は数歩こちらに近づいてきた。
「ユウ先輩? 様子がおかしい気がするんですけど……私、何かしてしましましたか?」
「へ? い、いや別に! そういうことはないぞ。本当だ、本当」
「繰り返されると逆に不安になるんですが」
「そうかもしれんが、これはマジだから」
「そうですか……ならよかったです。ユウ先輩に会えるのが嬉しくて、少し神経質になりすぎてました。すみません」
「~~っ、いや、別に。大丈夫だ」
どうして最後の最後にトドメを刺すような一言を言うかね……と苦笑しつつ、話を変える。
「で? 大河はこんなところでどうしたんだ?」
「こんなところと言うのは街の方々に失礼な気がしますが……私は少し、買い物に来たんです」
「買い物か……付き合おうか?」
「えっ」
「えっ」
大河が驚いた様子を見せるので、つい『えっ』をオウム返ししてしまった。
目を丸くした大河は、視線を泳がせ、やがて首を横に振る。
「いえ。買い物自体は終わったので大丈夫です。後日取りに来るので」
「ほーん……取り寄せたわけか」
「…………まぁ、似たようなものです」
微妙に噛み合ってない気もするが、まぁよかろう。
「ユウ先輩こそ、どうなさったんですか?」
「ん? あー……俺はちょっと、昼飯でも食おうと思ってな」
眼科に行った、とは言いにくい謎のプライド。
視力検査万年Aなのは地味に俺の自慢だったのである。
大河は、なるほど、と頷くと腕時計を一瞥した。
「あ、あの……ユウ先輩が嫌じゃなければ、私もご一緒していいですか?」
「えっと。昼飯を、ってことか」
「はい。というか、それ以外にありませんよね」
「ごもっとも」
なんだか、こういうやり取りも久々な気がして心が喜んでしまう。
一緒に食事に行けば、この時間が続くんだろうか。
そんなことを考えてしまったら、嫌だ、と突き放すことはできなかった。
「もちろん、嫌なわけないだろ、誰かと食う飯も美味いしな」
「……! ありがとうございます!」
「別に、お礼を言われるようなことじゃねぇよ」
むしろ、だ。
お礼を言うべきはこちらだろう。
口をもにょらせつつ、じゃあ、と俺は口を開く。
「どっか行きたいところあるか?」
「ユウ先輩は、どこか行くところを考えていたわけじゃないんですか?」
「そういうわけじゃないぞ。この辺の店なら色々あるし、適当にぶらつこうと思ってた」
グルメに詳しいわけじゃなければ、行きつけの店があるわけでもないからな。
俺が言うと、大河は一考の後に言ってきた。
「そういうことでしたら、ラーメンを食べに行きませんか?」
「ラーメンか……いいな」
男女二人で行くと怪訝な目で見られそうな気はするけど、そこはこの際無視だ。しゃらくさいオシャンティーなカフェで一緒にいる方が周囲の目が気になってしょうがない。
「では案内します」
「おう、よろしく」
はい、と頷くと、大河は歩き始める。
大河の後をついていく自分の頬が緩んでいることは、見ないふりをした。
分かってないふりは、しなかった。
◇
大河が連れてきてくれたのは、俺も聞いたことがある有名なラーメン屋だった。
豚骨と激辛ラーメンが有名なはずだ。
昼食の時間帯より少し早いこともあってか、少し並ぶだけで店に入れた。それぞれ食券を買い、ラーメンが来るのを待つ間にセルフサービスの水で誤魔化す。
「こういうところ、よく来るのか?」
店内の人口比は男:女が9:1って感じだ。
最近は色々と変わっているだろうが、それでも女性がラーメンを食べに来るのはなかなかハードルが高い気もする。
俺が聞くと、大河は逡巡してから答えた。
「いえ、私もこういうところにはあまり……」
「そうなのか」
「はい。ただ最近、澪先輩と如月先輩と外出する機会がありまして。如月先輩はラーメンがお好きらしくて、三人で来たんです」
「ほーん」
何となくその光景は想像できる。
澪は絶対替え玉しただろうなぁ……割とご満悦で、今度は一人で来ようとか思ってそう。
「いいな、そういうの」
「そういうの?」
「女子だけでラーメン屋って、なんか色々萌えるだろ。漫画とかでありそうだ」
「なる、ほど……? よく分からないです」
「ま、そうだろうな」
何かとおっさん趣味を美少女キャラたちにやらせたがる風潮あるよな。キャンプとか釣りとかさ。俺も嫌いではないので文句ないけど。
と、そんな益体のないことを考えている間にラーメンが来た。
俺が豚骨ラーメン、大河が醤油ラーメンである。俺の方はからあげも追加で注文した。
「「いただきます」」
二人で言って、箸をつける。
もぐもぐもぐ……うん、美味い。無言で何口も食べるぐらいには美味かった。ラーメン屋とか滅多に来ないけど、たまにはいいかもしれん。
ラーメンはもちろんだが、からあげも結構美味しい。ちょっとカレー風味のようだ。程よい辛さも相まって、箸がするする進む。
暫く食べ進めてからふと見上げると、大河と目が合った。
え、なんか超見られてる……俺、汚い食べ方してたかな。
「大河、どうかしたか?」
「えっ、いや。ユウ先輩と一緒にご飯を食べるのが久しぶりだなぁ、と」
「あー……まぁ、そうだな」
何故か、なんて言うまでもない。
俺が家を出たからだ。
その前であれば、週に一度は泊まっていたし、止まらない日でもご飯だけは一緒に食べたりもしていた。
口の中に溜まりそうだった苦虫をスープで押し流す。
「まぁ、また機会があれば一緒に飯でも食いに行こうぜ」
口をついて出たのは、そんな言葉だけ。
気まずさを誤魔化すようにコップの水を飲み干した。
「……もちろんです。機会なんて、幾らでも作りますから。一緒にご飯、食べてましょうね」
大河は、大人びたあどけない笑顔を浮かべた。
矛盾の孕む表現だ、とは承知で。
でもそうだとしか言えないのだからしょうがない。
「そうだな」
魅力的な笑顔だったから。
強くて眩しい女の子だから。
体の火照りを言い訳するために、俺はラーメンを食べ進めた。




