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最終章#05 逃げた先には

 SIDE:友斗


「じゃあ俺はここで」

「えっ……家、上がっていけばいいのに。今日は晴季さんも休みだって聞いたよ」


 ドライブを終えて、俺は父さんに霧崎家まで送ってもらった。

 俺が言うと、父さんは顔をしかめる。


「いや。ちょっとこの前本気で説教された後だから顔を合わせにくいんだよ……」

「あー、そういうこと」

「だから今日は帰る。っていうか、職場に行く」

「ダメな大人、いや弟だなぁ」

「うっ、い、いいだろ別に」


 ばつが悪そうにそっぽを向くと、父さんは窓をボタンを押して閉めた。

 車の外にいる俺の声は、ほとんど父さんに届かなくなる。なんとも幼稚なバリアだった。イマドキ鬼ごっこ中の子供だってもうちょっと大人だぞ……大人げねぇ……。


 苦笑しつつ、数歩後ろに下がって見送った。

 父さんはふるふると手を振ったあと、車を発進させる。

 その様子を確かめたあと、俺は振り向き、霧崎家に向き合う。


 俺が入院している間に、父さんと晴季さんの間で話し合いがあった。その中で決まったのが、俺の居候の期限だ。

 2月中旬までに霧崎家を出て百瀬家に戻る。

 これが両者の見解だった。細かな時期の違いがあれど、父さんも晴季さんもだいたい同じ頃合いをリミットに設定していたらしい。


 俺は2月上旬には戻ろうとしていた。

 そういう意味ではやや延びた形だが、正直、その方が助かる。入院初日の失言の後にあの二人と顔を合わせるのは気まずいし、それ以前にダメだから。


 ――ぴんぽーん


 一度インターフォンを鳴らしてから、ドアノブを捻る。

 ドアを開くと、やがて三人が出迎えてくれた。


「あら友斗くん。おかえりなさい! 過労なんて大変だったわね。ごめんなさいね、私たちも気付いてあげられなくて」

「キミ……おかえり」

「友斗くん。おかえりなさい」


 口数の多いエレーナさんとは対照的に、時雨さんと晴季さんの表情は暗い。

 当然だった。

 晴季さんは言うに及ばず。俺は時雨さんとキャッチボールをしているときに倒れたんだし、迷惑と心配をかけてしまったはずだ。俺が寝ていて気付かなかったみたいだが、時雨さんは一度お見舞いに来てくれたらしいし。


「えっと……ただいま帰りました。ご心配おかけして申し訳ありません」


 深く頭を下げる。

 それが最低限の道理だ。

 わがままを言って居候させてもらっておいて、色々と手厚くしてもらったくせに勝手に倒れた。何度考えても悪いのは俺だ。


「ううん、友斗くんが謝ることなんて――」

「――友斗くん。部屋に来てくれるかな」

「……はい」


 エレーナさんの言葉を遮って、晴季さんが言う。

 明確に『大人』が伝わってくる厳格な声だった。


「じゃあ先に行って待ってる。荷物だけ置いたら来てくれ」

「分かりました」


 エレーナさんと時雨さんは何か言いたげに俺と晴季さんの間で視線を行ったり来たりさせる。俺は二人に何も言わず、部屋に荷物を置いてから晴季さんの部屋に向かった。


 ――こんこんこん


 ノックすると、入っていいよ、と晴季さんが言う。

 ドアを開くと、晴季さんは正座をしていた。座りなさい、と視線で言ってくる。


「失礼します」

「うん」


 晴季さんと向き合う位置に正座する。

 両者の間にあるのは、丸テーブルと気まずく張り詰めた空気だけ。

 晴季さんは、ほぅ、と小さく溜息を吐いた。


「まずは、退院おめでとう。取り返しがつかないことになっていなくてよかったよ」

「あっ、ありがとうございます。俺の方こそ、本当にご迷惑をお掛けしました」


 改めて頭を下げる。

 すると、


「本当にそうだよ、友斗くん」


 と晴季さんは言ってきた。

 力強い声。

 呑み込んだ息は鉛のように重く、苦々しい。


「分かっているだろう、と分かっている。それでもあえて言わせてほしい」

「はい」

「友斗くんは居候の身だ。孝文と美琴さんから、僕たちは君を預かっている立場になる。僕らは君を保護しなければならない。その責任が、たとえ口約束だろうと発生するんだ」

「……はい」

「ということは、だ。君が倒れればもちろん僕らの責任になる。どんな事情があろうと、結局のところは僕らが責任を果たせなかった、ということになるんだ」

「…………」

「別に、責任を取らされるのは困る、という話をしているんじゃないよ。僕らが全力を尽くして、それでも抜けがあったのなら幾らでも責任を取るつもりだ。責められる覚悟をしているし、たとえ責められなくとも君に危険な目に遭ってほしくないと心から願っている」


 問題はね、と晴季さんは強く話を区切って言う。


「そのとき、孝文がどう思うか、ってことだ」

「えっ」


 思ってもいないことを言われ、変な声が出た。

 顔を上げると、晴季さんは真剣な視線をぶつけてくる。


「君は誰よりも知っているはずだよね。家族を失う辛さを」

「――っっ」

「自分がどうしようもないところで、家族が奪われてしまう。それがどれほど残酷なことか、君なら分かるだろう?」

「……っ、はい」


 言われて、震えた。

 寒気がした。

 その通りだ。俺は自分の大切な存在を失ってしまうことの恐ろしさを知っている。


 自分に何か非があるならいい。自責に酔える分、まだマシだ。

 でもそうじゃないのなら?

 もしも自分がこうしてたら。

 そんなIFすら思いつかない状況で家族を失うことは、恐ろしい。悔やんでも悔やみきれないんじゃない。そもそも悔やむことすらできないのだから。


 後悔できないから、一生後になってくれない。

 それでも後にするために、どれだけの痛みに耐えねばならないのか、俺は分かっているはずだった。


「ごめんなさい」


 口から出たのは、そんな言葉だった。

 『すみません』でも『申し訳ありませんでした』でもない。謝罪の中では稚拙な部類に入るであろうその言葉が、口からまろび出た。


「気付きませんでした。ごめんなさい……そして、言ってくれて、ありがとうございます」


 晴季さんに言われなければ考えもしなかった。

 父さんに心配や迷惑をかけた。

 そうとは思っていながらも、その痛みを真の意味で実感できていなかった。


「友斗くんと孝文は家族なんだ。美緒ちゃんや君のお母さんがそうであるように、孝文にとって君は家族なんだよ。そのことをもっと、強く認識してやってくれ」

「……っ。はい、今、すげぇ反省してます。俺の考えは、浅すぎました」


 家族の痛みを、実感できていなかった。

 それは当たり前のことだった。

 だって俺は――自分が父さんの家族だと、真の意味で思えていなかった。

 父さんは美緒と母さんを失った大人で。俺も失ったものは同じだから、同じ哀しみを共有できる存在で。

 でも俺の考える家族に、多分俺は入っていなかった。


 眠れないなら相談するべきだった。

 事情を話したくないのなら、それでもいい。何かしらの声を上げるべきだったんだ。病院に行くなり、問題を解決するなり、幾らだって方法はあったのに。


「分かってくれたなら、いい」

「はい。ごめんなさい」

「ううん、これに関してはいいんだ。孝文だって悪いんだからな」


 それで、と言って、晴季さんは話を転換した。


「ここからは仕事の話だよ」

「っ……はい」

「単刀直入に聞くけど……君は睡眠時間を削って仕事をしていたかい?」


 聞かれて、一考する。

 が、すぐに答えは出た。


「いえ。眠れなかったのは事実ですけど、その間仕事をしたりはしてませんでした。進捗としては九割方終わってますけど、それはあくまで休日とか放課後とか、空いてる時間が多かったからです」

「…………そうか。じゃあもう一つ質問。仕事以外に、この家に来てから君は何をした?」

「えっとそれは、家で、ってことですよね?」


 晴季さんが首肯する。

 質問の意図が分からないまま、俺は答えた。


「掃除と洗濯の手伝いと、あと勉強もしてます。それから……時雨さんと少し話をしてました」

「他には?」

「これだけだと思います」


 もちろん、いわゆる『名前のつかない家事』は手伝っている。だがそれは大した負担ではないし、言う必要もないはずだ。

 そうか……と小さく呟くと、晴季さんは言った。


「じゃあこうしよう。下読みのバイトの方は続けてもらう。これは契約だし、僕の一存でどうにかできることではないからね。勉強も、だ。君の将来に関わることである以上、やるな、とは言えない」

「え……?」

「でも家事は一切やらないでくれ。その分の時間、きちんと休むんだ。眠れなくてもゆっくりするだけで効果はあるはずだろうしね」

「えっ、いや、……え?」


 唐突、ではなかったのだろう。

 晴季さんの視点で言えば、俺が色々とやりすぎだと思ったのかもしれない。

 だがそれは間違いだ。


「あの。晴季さん、違うんです。今回の件は過労でしたけど、それはただ悩み事があって寝付けなかっただけなんですよ」

「けれど、色々とやりすぎだと僕は思う。君は言わなかったけれど、他にも色々と手伝いはしているだろう?」

「それは…っ、そうですけど。でも違うんですよ。忙しさで言えば、もっと忙しいときがあって――」

「――と。こうなるんだよ、友斗くん」


 俺の言葉を遮って、晴季さんは言う。

 それは諭すような声であり、同時に叱るような声でもあった。

 然して、晴季さんの瞳にこもるのは憐憫と憤怒であった。


「いいかい? 何かに悩まないための逃げ場に仕事を使えば、絶対にどこかで上手くいかなくなるんだ。たとえ仕事と関係ない理由でミスをしても、仕事の場では仕事のみで評価されるし、仕事場で見えてることのみで仕事に対する全ての理由を考えられてしまう」

「っ」

「仕事のせいじゃなかったとしても、過労で倒れる人間に『信じて任せる』なんてことはできない。こちらで能力を推し量って、こちらで管理をしなければいけないと考えられてしまう」


 言いたいことは、理解できた。

 公私混同をしてはいけない。それがマイナスの意味を持つ場合には尚更だ。『私』の部分が理由で失敗しても、それは『公』の評価になる。


「もちろん、公私が混ざることはあるよ。完全に切り離すことはできないし、『私』の部分が上手く『公』に作用してくれることもある。そもそも両者を完全に区切ることはできないしね」


 ただね、と晴季さんは続けた。


「仕事に逃げたらダメだよ。そんなのは、逃げた先にも、逃げたかったものにも失礼だ。逃げ足で堂々と別の道を歩むなんて烏滸がましいんだよ。逃げ足で進んでいいのは逃げ道だけ。他の全ての道は、その道を歩む意思がある者だけが歩んでいいんだから」

「――ッ」


 グサリと刺さって言葉が抜けない。

 そうだった。

 俺は紛れもなく、逃げていた。

 考えないために体を動かして、頭を動かして。

 もちろんそのせいで倒れたわけじゃない。結局のところは、それだけ体や頭を動かしても眠ることを許してくれなかった自分の心が悪い。


 でも――そんなのは俺の事情だ。


 自分の事情は他人の迷惑。かけた迷惑は、自分への評価となって返ってくる。ならせめて、評価に対して胸を張れる事情でなくてはならない。

 力不足とか、経験不足とか、そういう事情じゃなきゃダメなんだと思う。


「だから、僕は今の友斗くんを信用できない。信用を取り戻すためにも、ちゃんと休んでほしい。しっかり休んで、自分で自分を管理できるって示してくれ」

「……分かりました」


 おそらくだけれども。

 仕事に逃げるのは、父さんも同じだったのだ。だから父さんは何も言えなくて、晴季さんが代わりに言ってくれた。

 だとすればきっと、両者の間には俺の知らないやり取りがあって。

 俺はそれを今は知る由もないのだけど、いつか晴季さんの言うような存在になれたとき、聞けたらいいと思った。


「ちゃんと休んで、やれることだけをきちんとやります。なのであと半月弱、よろしくお願いします」

「うん、よろしく頼むよ」


 晴季さんはそう言って、柔和に笑った。

 差し出してきた手を握って、その大きさを実感する。


 父さんと晴季さん。

 二人の、父であり仕事人でもある大人の男。

 俺は二人の尊敬できるところを学んで、俺なりに大人になれるだろうか。尊敬してもらえるようなデカい男になれるのだろうか。


 そうなれたらいいと思った。

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