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最終話#04 父からの話

 SIDE:友斗


 土曜日。とうとう退院の日がやってきた。

 長きにわたる闘病生活を経て、ようやく俺は外の世界に出ることができる。お世話になった人たちへの感謝とまだ見ぬ未来への期待を胸に、俺は退院する。


 ――なんてことはなくて。

 むしろ、ちょっと医者の先生には怒られた。


「いいかい? 睡眠不足なんて以ての外だ。若いから無理をできるって思うかもしれないけど、無理をした分だけ体は堪えるんだ。だからしっかり休養をとること」

「は、はい……あはは」


 目がマジだった。

 ここまでガチなお説教を食らったのは初めてかもしれない。過労なんて本人が無理をしすぎるせいで起こるわけだし、休養っていう基本的なことぐらいはちゃんとやれ、って思われてもしょうがない。俺だってそう思うし。


 加えて言われたのは、エナジードリンクの過剰摂取のこと。

 食事で栄養を取ることの重要性やカフェインの危険性を吶々と諭された。カフェイン中毒になったら怖いし、暫くはコーヒーも控えようかな、と思う。


 ともあれそういうことが終わり、俺は無事退院することになった。

 来てくれたのは父さんだった。義母さんは父さんが休んだ分も仕事をやっているらしい。またどちらにも迷惑をかけてしまったな、と思う。


「なぁ友斗。少し寄りたいところがあるんだが、いいか?」

「え、まあいいけど」


 車の助手席に座ると、ハンドルを握った父さんが言ってきた。

 どうせこの後、霧崎家に戻るつもりだったのだ。

 こくりと頷いてシートベルトを締めると、車は出発した。


 駐車場を出て、道路を走る。

 ぐん、ぐん、ぐん。

 外の景色はだんだんと移り変わり、けれども街という本質だけは違えない。窓の外を眺めながら、ふと思う。


 東京が嫌いだ、なんて思うことはない。

 空気は地方より汚いかもしれない。近所付き合いが浅いという意味では、人の冷たさも否定できないだろう。街ぐるみの付き合いなんてないしな。

 時間の流れも、多分都会の方が早い。田舎特有の空気を俺は帰省のときにしか知らないし、あそこでしか感じられないものはたくさんある。


 それでも東京は悪くない。

 空気の汚さを知れば知るほど、他の場所の心地よさを知れるから。この街だからこそ、一度関わった人を大切にできるから。時間の流れが早いから、ゆったりとした微睡みのような時間を愛せるから。


 不意に晴季さんと話したことを思い出す。

 晴季さんと比べたら、父さんはいい親じゃないのかもしれない。仕事をしている時間がほとんどで、それこそ今年こうして話したのは帰省していた時期を除けば初めてなのだから。


 でもやっぱり、俺は父さんを尊敬している。

 それは地方と都会のようなもので。

 どちらにも良さがある。それだけのことだと思うから。


「なぁ友斗」


 車は未だ走り続けている。

 俺は外を眺めながら、なに? と言って続けた。


「もうすぐ着くの? もうかなり走ってる気がするんだけど」

「いや。まだだな」

「ふぅん……どこ行くの?」

「どこにも行かない。ただ、ドライブがしたかっただけなんだよ」


 自動車の駆動音とラジオの音が、綯い交ぜになっている。

 父さんのあっさりとした告白は、どうしようもなく胸に残った。


「ドライブがしたかっただけって……忙しいんじゃないの?」

「まぁな。なるべく早く帰らなきゃいけない」

「だったら、ドライブなんて――」

「――でも、俺も反省したんだ」


 俺の言葉を遮って、父さんは言った。

 深い悔恨のこもったその言葉は、さほど大きな声ではないのに車内によく響く。俺が息を呑んでいると、父さんはそのまま続ける。


「兄貴と、少しケンカしたんだよ。どうして友斗のことをもっと見てやってくれなかったんだ、ってな」

「っ、それは……悪いのは俺だよ。そもそも居候させてもらってるのだって俺のわがままで、晴季さんたちの厚意なんだから」

「分かってる。でも分かってても、やっぱりイラついたんだ」


 俺の身勝手が、二人をケンカさせてしまった。

 もちろん二人はいつもニコニコ仲良くしてるわけじゃない。会えば言い争っているし、まさに男兄弟って感じで酒を飲みあうこともしばしばだ。

 でもガチのケンカをしたのは、俺が生まれてからは初めてなんじゃないだろうか。


 そう考えて、いや、と否定するようにかぶりを振った。

 一度だけあった。

 あれは一昨年か、三年前か。

 まだ父さんが母さんの死と向き合えていないときに、一度だけ怒号を聞いた覚えがある。


「もしも友斗のことも失ってしまったら……って考えたら、怖かったんだよ。怖くて怖くてしょうがなかった。だからただの過労だって聞いたとき、兄貴から仕事を貰ってるってことが頭をよぎって、八つ当たりしたんだよ」

「それは…ッ、本当に関係ないから。晴季さんが任せてくれたのは常識的な量だし、むしろちょっと少なめだった」

「あぁ……聞いたよ。けど兄貴は、自分も悪い、って言ってたぞ。友斗のことだから無理してしまうかもしれないって分かってたのに、って」

「……っ。違うんだよ父さん。それはマジで違うんだ」


 下読みバイトと俺の過労は、本当に何の因果関係もない。

 だって下読みバイトがなくとも、俺は魘されて眠れなかったに違いない。バイトをしない代わりに勉強をして、結局は倒れていた。


「その話は……今はしない。俺も言えたことじゃないし、兄貴がきちんと叱ってくれるはずだ」

「っ、うん」

「だから俺は父親として話す」

「…………うん」


 重いと思った。

 空気が、言葉が、凄く重い。


「どうして倒れた?」

「――……ッ」


 聞かれるとは思っていた。

 父さんは分かっているだろう。仕事を一つ抱えた程度で俺が倒れるはずがないのだから。


「兄貴に言われたんだよ。お前の方が自分の息子のことを見てないじゃないか、ってな。それでハッとした。ちょこちょこ友斗と話しているつもりだったし、大丈夫だって思ってたけど……でもそれは、自分に都合が悪いことを見てなかっただけなんだろ、って」

「別に……それは、俺が話さなかっただけだよ」

「かもしれない。けど親なら、話されなくなって気付いてやるべきなんだよ。親父はそうしてくれた。兄貴だって、多分そうだ」


 言われて、そういえば、と気付く。

 晴季さんは時雨さんに“何か”があることを見抜いていた。それはたまたま壬生聖夜の書いた作品と出会ったからなのかもしれないし、元々察していたからなのかもしれない。でも気付いてはいたのだ。


「気付く機会だってあったんだ。家を出て兄貴の家に居候するって言ったとき、ちゃんと何があったのか聞いてやればよかった」

「…………」

「年末にも、変なことを聞いてきただろ。あのときにもっとちゃんと話を聞いてやればよかった」

「………っ」


 父さんは、正しく後悔していた。

 終わった後のことを悔い、その上で今を改めている。

 この正しさを突き返すことは、俺にはできなかった。


「ごめん、父さん」

「…………」

「俺は……少し前から、どうしようもないことで悩んでて。悩みのが苦しくて逃げて、そのくせ逃げたせいで寝ようとしても魘されて眠れなくて……そのせいでこうなったんだ」


 話していて、自分の弱さに嫌気が差した。

 全て俺が悪いのに、色んな人に心配してもらっている。優しさをたくさん分けてもらっている。俺は何一つ返せていないのに。


「その悩み、っていうのは?」

「それは――」


 父さんの問いに、唇が震えた。

 口にしろ、と理性が叫ぶ。そうすればきっと、父さんは叱ってくれる。三人を好きになった挙句、誰のことも選ばずに時雨さんに逃げるなんて、叱って当然の悪だ、


 けれどもだからこそ、言えない。

 叱ってくれてしまうから、今の俺が口にしていいはずがないのだ。

 だって叱られれば救われてしまうから。

 何一つ選ばれない俺が救われるなんてこと、あっちゃいけないから。

 だから、


「――恋の悩みと、あと将来のこと」


 俺は本当のことを嘘にならない範囲でぼやかして答えた。

 そして、誇れることだけを抽出して続ける。


「父さん。俺、決めたんだ」

「…………決めた?」

「うん。俺は、目指すことにした。晴季さんと同じ編集者を」


 それは、倒れる前に決意したこと。

 倒れたせいでなあなあになってしまったけれど、俺は物語に関わって生きていく。これは包み隠さない本心だ。


 父さんの顔色を窺うと、ぽかーんと間抜けな顔をしていた。

 俺に見られていることに気付くと、へなぁっと破顔する。


「そうか……そうか、そうか! 夢、見つかったんだな」

「うん。元々興味はあったんだけど……今バイトをしてみて、改めて思った。物語に関わって生きていきたいって」

「そうか。よかったな。うん、よかった」


 うん、うん、と父さんは何度も頷く。


「そんなに感動するところ?」

「当たり前だろ。友斗は昔から美緒のことを大切にしてくれてたからな。それはすっごく嬉しかったけど……その分、自分がしたいこととか言わなかっただろ?」

「そう、だったかな」


 意外と言っていたように思う。

 そもそも美緒がしたいことが俺のしたいことだったし、美緒が喜ぶことをしたいと思っていたのだから、父さんがこう思うのはしょうがないんだけど。


「まあそれに、そういう理由がなくたって子供から夢を聞くのは嬉しいことだよ。友斗もいつか親になったら分かる」

「親、か」


 ごめん、と思った。

 俺は人の親にはなれない。好きでもない相手(時雨さん)()る気はないし、諸々の危険があるのに出産させることなんてできるはずがない。

 そうでなくとも、俺は人の親になる資格はない。人の子供すら上手にやれてないんだから。


「だからさ、友斗」


 赤信号で車が止まる。

 父さんは俺を一瞥し、そして言った。


「恋や愛の悩みだって、聞かせてくれてもいいんだぞ。今すぐじゃなくてもいいから」

「――っ……」


 親を誤魔化せるわけもなかったみたいだ。

 俺は唇を噛み、俯く。


「…………いつか。話せるときが来たら話す。今は、多分自分で考えなきゃいけないから」

「そうか。なら待ってる。今更いい親を気取るつもりもないしな」

「……うん」


 こういうところだ。

 こういう父さんを、俺は心底尊敬してる。

 ううん、父さんだけじゃない。時雨さんが言っていた通りだ。


 俺は昔からずっと最低だったから。

 世界中の全ての人を、何かしらのことで尊敬してるんだ。


 窓を開ければ、冷たい風が吹き込んでくる。

 まだ何も終わってはいない。

 冬も、恋も、何もかも。


 だからちゃんと終わらせるために考えなければいけない。

 冬は否が応なしにでも終わり、必ず春になるのだから。

 美緒が死んだ日が、やってきてしまうのだから。

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