最終話#03 幸せすぎるから
SIDE:友斗
入院二日目、いや倒れた日を含めて三日目になった。
ちゃんと栄養をとってしっかりと寝た甲斐もあってか、体の疲れはだいぶ取れてきた。動かなすぎて体が鈍っているが、今日は日中に軽く動ける程度には回復している。
そうなると、余計に暇になってくるわけで。
眠れもしないし、勉強道具もない俺は、看護師に確認をとってから売店に行った。俺の場合は深刻な病気ではないため、どうしても足りないようなら間食をしてもいいらしい。
適当なお菓子を買い込んだ俺は、部屋で暇な時間を過ごした。
いやしょうがないんだって。
俺は単行本はだから週刊誌買っても暇潰せないし、かといってよく分からん占いの本とか見てても面白くないでしょ?
勉強道具を持ってきてもらいたかったなぁと思いつつ、わがままを言っていられる立場じゃないことを再認識して、だらける。
今朝、スマホにメッセージが届いていた。
珍しく時雨さんからの連絡だ。
曰く、
【rain:合宿の参加承諾書、澪ちゃんに託しておいたからね】
とのこと。
今日までに提出しなければ参加できないし、そういう意味ではめちゃくちゃ助かった。
過労で倒れておいてスキー合宿に行くのはどうなんだ、と思うが、一週間先だし容赦してほしい。
「って、待てよ? もしかして俺、かなり休むことになるのでは……?」
今週は今日で終わり、来週は休みである。
土日を含めれば大型連休だ。GWも真っ青である。それはBWじゃねぇか。なんか外国産の車みたいだな……。
それがいいことなのかは分からない。
雫や大河、澪と会えないと思うと複雑だ。でもきっと会わない方がいいのだろう。一昨日、昨日と口走りまくってはいるけれど、俺はあの三人を騙すと決めた。初志貫徹しなければ誰に対しても申し訳ない。
と、思いつつ退院の準備を軽くし始めていた17時。
ベッドとベッドを区切るカーテンが引かれ、少女が姿を現した。
「友斗、元気?」
「……澪。来たんだな」
「ま、ね」
そこにいるのは、綾辻澪。
俺の同級生にして元セフレ兼元義妹であり、俺の好きな人でもある少女だ。
澪と話すのは、一昨日を除けば前回廊下でぶつかりそうになったときだろうか。何となく気まずくてそっぽを向くが、澪はお構いなしでベッド横の椅子に腰かけた。
「顔逸らして……なに? 私に会えたのがそんなに嬉しいの?」
「別に、そういうんじゃねぇよ」
「じゃあ……昨日は雫とトラ子が来たのに私が来なかったからちょっと拗ねてたとか?」
「ねぇお前らの中での俺ってどうなってんの!?」
すぐ嫉妬したり、三人がいないとダメだったり、拗ねたり、まるで面倒な男だ。
……違う、と胸を張れないあたりが非常に居た堪れないのだけれども。
「ちぇっ、違うのか」
「違ぇよ」
「ふぅん……私は、昨日私だけ来れなくてちょっと拗ねたけどね」
「っ!?」
ぼそりと呟いたその一言が、妙に女の子っぽくて頭に残る。
いやいやいやいや、来なかった奴が拗ねるのもおかしいだろ。どんだけ俺に会いたかったんだよ――っっっ!?
よくない、よくないぞ。
思考が完全に良くない方向に行ってる。これも澪の策略に違いない……と思って見てみると、澪は俺のことをじっと見つめてきていた。
必然、ぱちっ、と目が合う。
「……なんだよ」
「ん。いや、やっぱり顔が好きだなぁって」
「っ……」
「何だろうね。その顔に抱かれ続けたせいか、体が疼くんだよ。好きだな、って」
「っ、よくそういうことを恥ずかしからずに言えるな」
つーか、めっちゃ唐突だし。
堪らずぷいっと顔を逸らして窓を見遣ると、窓とは反対側の頬がむにゅりと指でつつかれた。
「ばーか。恥ずかしいに決まってんじゃん。でも久々に話せてるから舞い上がってるんだよ。それくらい分かれっての」
「~~っ!?」
なにそれズルくない?
またいい女になっただろこいつ……いや、雫と大河もそうだったんだけどさ。
バックバックと鳴る心音がバレないようにふぅぅと息を吐いた。
「……そうかよ。その割に、一昨日は冷静に時雨さんを演じてたよな」
誤魔化すためにも、俺は口を開く。
暇だった俺は、一昨日の晩のことを何度か思い出したのだ。
『二人とも、静かに。今は友斗に色々考えさせない方がいいでしょ?』
あの晩、澪は俺のことを第一に考え、自分を隠してくれた。
自分がいることを隠し、徹底的に時雨さんを演じてくれたのだ。途中で気付いたことで台無しになったとはいえ、最初に演じてくれてなければもっと苦い寝起きになってしまったことは想像に難くない。
だから感謝をするべきだと思った。
だって俺なら、澪のようにはできない。
好きな相手を前に、別の存在を演じるなんて……そんなの苦しいはずだ。
「ありがとな。あのおかげでだいぶ落ち着いたから」
「ん。ま、別にあれは打算込みだし、お礼を言わなくてもいいよ」
「打算……?」
はてと首を傾げると、澪は続けた。
「そ。あーやって献身的にしたら友斗の私への好感度が上がるだろうな、って打算。雫とかトラ子が傷つく顔も見たくはなかったし。それに確かめたいこともあったし」
「確かめたいこと?」
「ま、それはどうでもいいよ。友斗に言ったところで意味はないだろうし」
「そっか」
最後のはよく分からなかったけれど、少なくとも他のものは打算なんかじゃなかった。好感度上昇を狙ったならこんな風に正直に言うのがおかしいし、雫と大河を守りたいって気持ちを打算と呼ぶべきではない。
それでも澪は、打算と言い切るのだろう。なら、俺がその偽悪的な態度をどうこう言うべきではないと思う。
「それより、いいのあるじゃん。これ食べていい?」
「ん? あー、別にいいぞ」
澪が指したのは、俺がさっき買ってきたエクレア。
小さいのが幾つも入っているのを買ったんだが、二つほど食べたところで飽きたため、後で食おうと思っていたのだ。
「やった。じゃあ、いただきます」
「おう」
澪は嬉しそうに言うと、エクレアを一つ摘まむ。
はむ、はむ、と食べている姿は、何だか無性に可愛らしい。エサを食べている小動物を見ているようだ。小動物って意外と獰猛だったりするし、そういうところも含めてめっちゃ小動物。
一つ、二つとぺろりと平らげた澪を見て、俺は何の気なしに呟いた。
「澪って、マジでよく食うよな」
「まぁね。最後の一個、貰っていい?」
「いいけど……夕食入るか?」
聞けば、澪は最後の一個を一口食べてから頷く。
「大丈夫。最近、いつも以上にカロリー使ってるからその分食べないとやってられないんだよ」
「ほーん」
そういえば、先週あたりに放課後どこかに行くのを見た覚えがある。カロリーを使う“何か”とやらも、きっとその関連なのだと思う。
でも俺に聞く資格はないだろうから、口を噤んだ。
もぐもぐ、とあっという間に澪は最後のエクレアを食べ終えた。
口もとのカスタードを舐めとる舌の動きを目で追ってしまい、いけないことをしているような気分になった。いや『ような』でも『気分』でもなく、紛れもなくいけないことをしてるんだけどさ。
ごちそうさまでした、と手を合わせてから、澪は俺に目を遣る。
「で、体調はどんな感じ?」
「おぉ……ちゃんと見舞いにきてる自覚はあったんだな」
「それ、どういう意味?」
いやほら、ここに来てやったことって俺をからかうかエクレア食うかだけだったし。
が、そんなことを口にすると入院日数が延びそうな気がするので肩を竦めるだけに留める。澪は一瞬ジト目になり、ふぅん、と言って続けた。
「そういうこと言ってると、折角いいものを持ったのに見せてあげないよ?」
「いいもの?」
「そ。見たい?」
「うーん……まぁ、見たいかな」
いいものと言われると、気になるのが人情である。
こくりと頷くと、澪はがさごそと鞄を漁り、差し出してきた。
それは一枚の色紙だった。いわゆる、サインとかを書いてもらうあれである。そこには何人か分のメッセージが書かれており、これがなんであるかを俺は悟った。
「寄せ書き。友斗が胸を張って友達って呼べそうなごく数名と生徒会の子に書いてもらった」
「人数少ないせいでスペースめっちゃ空いてるし、そもそも俺明日で退院なんですけど? これ、長期闘病する奴のために書くものだろ」
「…………ちっ」
「沈黙の上の舌打ち!?」
これ、俺が悪いんですかね……?
だって寄せ書きを書いてくれてるの、合計で十人超えるかどうか何だぜ? 俺、もうちょっと胸を張って友達って言える奴いるよ? クラスメイトは友達だよ?
と、思いながらも、色紙はありがたく受け取る。
半分ぐらいネタだろうが、こんな風に寄せ書きを書いてもらえるのは素直に嬉しい。
……マジでスペース余りまくってるけど。
「もしかして、これを集めるためにカロリー使ったのか?」
「ん? いや、別にそうじゃないけど。適当に休み時間に集めただけだし」
「そうなのか――って、適当に集めたとか本人に言うんじゃねぇよ!」
「いいじゃん別に。どうせネタだし」
「あっ、そう……」
分かってたけどね。
苦笑していると、澪は胸ポケットからスマホを取り出した。画面を一瞥し、彼女は席を立つ。
「私、そろそろ帰るよ」
「おう……なんかあったのか?」
「あったと言えばあったし、なかったと言えばなかったかな。とりあえず現時点では後者とだけ言っておくよ」
「なるほど……?」
何だか意味ありげな言い方である。
はてと首を傾げていると、澪がべっと舌を出した。
「私たちを突き放した罰ってこと。暫く悶々とするといいよ」
「っ……そうかよ」
「ん。じゃ、またね」
「うい」
言って、澪は病室を去った。
残ったのは色紙一枚。書いてくれたメンツもネタだと分かっているのか、コメントまで割とふざけたものが多い。
それでも、
「嬉しいのがズルいよなぁ」
人たらされ、と言われたことがある。
あれはきっと否定できない。俺は人にたらされやすいのだ。この程度の優しさだけで、めちゃくちゃ嬉しいんだから。
その中でも、あの三人はトクベツで。
日を追うごとに好きになるのは、突き放して過ごしたこの一か月ですら、変わらなかった。
「友達としての『好き』なんだよな」
だから、自分を洗脳するように独り言ちる。
それでも……やっぱり、変わってはくれなくて。
「はぁ」
溜息の分だけ幸せが逃げるなら、どこまでも逃がしてしまいたい。
だって今の俺は、幸せ過ぎるから。
世界中に申し訳なく思えるくらい、幸せすぎるんだ。




