最終章#02 好きだから
SIDE:友斗
雫が帰ってからそれなりの時間が過ぎた。
流石にこれ以上寝るのは怠いからと起きていたのだが、そうなると今度は新たな問題が出てくる。
暇なのだ。
端的に、暇なのである。
「退屈に殺されるって、こういうことなのかなぁ……」
手元にあるのはスマホだけ。だが充電器を持ってきてもらえていないので、万一のことを考えると軽々に使えない。
病室にはテレビがあるが、わざわざ使用料を払ってまで見たい番組もない。追っかけてるドラマもないしな。
スマホがなくとも、本があれば暇を潰せる。
俺は前々からそう思っていたが、本を持ってきてもらっていない以上、どうしようもない。そもそも百瀬家から本を持ってきてないし、たった二日の入院のために持ってきてもらうのも気が引ける。
結論。
この暇を俺は一人でどうにかしなくてはならない。
……と、いった感じのことを延々と考えることで暇を潰している俺だった。
暇潰しの方法を考えることそれ自体を暇潰しとするだなんて、我ながら哲学じみている。
だがそうでもしないと、もっと別のことに思考を持っていかれてしまうのだ。
「ご飯ですよ」
考えている間に、夕食の時間になる。
百瀬家的にはやや早め、霧崎家的にはやや遅めの時間。
運ばれてきたのは健康的なメニューだった。
白いご飯に、味噌汁に、白身魚のフライ。それからサラダとフルーツがおまけでついている。
量がやや少なめに思えるのは、日頃から量だけはがっつり食っていたからだろう。
味覚が鈍くなっていたここ一か月は別だが、百瀬家で暮らしていた頃にはご飯四杯はデフォだったし、おかずもそれに合わせて多めに作ってもらっていた。正直、この量だと物足りない。
「ま、食えるだけありがたいか」
文句を言ってはいけない。
いただきます、と手を合わせようとしていたとき。
しゅーっと控えめにカーテンが引かれた。
「ユウ先輩、失礼します……」
「ん、おお。大河か」
そこに立っていたのは、入江大河。
俺の後輩にして我が高校の生徒会長。
そして……俺の好きな人だ。今日も今日とて制服をきっちりと身に纏っていた。
「こんばんは。すみません、お食事の最中でしたか?」
「あー……今、ちょうど食おうとしてたところだ」
言いながら、時計を見遣る。
時刻は18時半。
窓の外はそれなりに昏く、わざわざ見舞いにくる時間としては些か遅いように思う。
「大河はどうしてここに? もう結構遅いだろ」
「え? それは確かにそうなんですが……やっぱり、どうしても心配だったので。お邪魔でしたか?」
不安そうな色を瞳に浮かべ、上目遣いで見てきた。
ぐぅ……こういうのはズルい。雫ならあざとさだと一蹴するものだが(と思いつつも、結局可愛さに揺れた挙句ほだされる)、大河のはそうではなくて天然だと分かる。この手のことになると不器用だし、そもそも駆け引きをしてこようとしてこないからな。
だからこそ、対応に困る。
俺は口ごもり、けれども嘘だけは言うまいと自分を叱咤しながら口を開いた。
「邪魔なんかじゃない。食事中だからあんまり喋れないかもしれないけど……ちょうど暇だったからさ」
「私が傍にいるの、嫌じゃないですか?」
今度は、どこか縋るような声。
その理由は俺にある。
強引に生徒会を休み、大河と距離を取ったのは俺だ。お前に傍にいてほしくない、と言っているように思われてしまってもおかしくない。
ならば言うべきだろう。
俺は、
「大河が傍にいるのが嫌なわけない。むしろ大河には傍にいてほしいよ。言っただろ? 友達として、ずっと前から好きだった、って」
と告白し、箸を持った。
大河がどんな顔をしているのかは分からない。
この期に及んで『友達として』なんて言葉のヘルメットを被せて逃げていることを怒っているのかもしれない。
ただ、女の子としての『好き』も友達としての『好き』も胸のうちにあるのは事実なんだ。
そう言い訳をして、いただきます、と告げる。
「……ユウ先輩。私が食べさせてもいいですか?」
「ん……は?」
こいつ、変なこと言わなかったか?
大河の方を見遣ると、ちょっとだけ頬を朱に染めて返してくる。
「食べさせてもいいですか? と聞いたんです」
「えっと……それはいわゆる、アーン、か?」
「俗な言い方をすればそうかもしれませんね。……嫌ですか?」
「嫌っていうより、どうしてだよって気持ちの方が強くてだな……」
いきなりにも程がある。
まぁ前に雫と三人でいたとき雫にアーンをしてたし、澪と三人のときに張り合ってたけども。
戸惑っていると、大河は平然と答える。
「ユウ先輩は過労で倒れたんです。なら少しでも体を休めた方がいいじゃないですか」
「いや手の動き程度で変わらんだろ……」
「そ、そんなのは分からないじゃないですか。ユウ先輩は医学を学んだことがおありですか?」
「え? そりゃないけど」
「じゃあもしかしたら手を休めるだけでも意味があるかもしれません。素人判断をするのは危険です」
「んな、めちゃくちゃな……」
素人判断も何も、そもそも判断をする必要もないことだと思う。
苦笑する俺だが……それでも、大河がどうしてこんな滅茶苦茶な論理展開をしているのかは理解できるつもりだ。
だからこそ、胸がちょっと苦しくなるんだけど。
「分かったよ。じゃあ味噌汁は自分で飲むから、他のを食わせてくれるか?」
「……! はい!」
味噌汁を自分で飲む時点で、手が動く量はそれほど変わらない。
そんな当然の論理破綻なんて、大河の頭にはないようだった。
「それでは、その……失礼します」
「おう」
大河が箸で白身魚のフライを小さく切り、口に運んでくる。
今になって唐突に、箸の持ち方が綺麗だな、とか思った。
「ん」
「ど、どうでしょうか……上手くできてますか?」
「んっ、んっ、んっ。あぁ。めっちゃ美味い。ご飯頼めるか?」
「はい」
本当ならご飯をかきこみたいところだが、食べさせてもらう以上、そうもいかない。そもそも今は口いっぱいに頬張って食べるより、きちんとよく噛んで食べることを意識しなくちゃいけないしな。
程よい量のご飯を口に入れてもらい、もぎゅもぎゅと咀嚼する。
味の感覚も、だいぶ元に戻ったらしい。ちょっとだけ薄味の物足りなさを感じるが、やはり美味い。
一口、二口、三口、四口。
どんどん食べさせてもらうが、大河はどこまでも真剣だった。そんな様子を見ていたら少し可笑しくて、誰かと食べる食事はいいよな、としみじみと実感する。
「ふぅ……あとはリンゴだけだな」
「ですね」
腹五分目といったところだろう。
だが大河のおかげで、幸福感がお腹を膨らませてくれた。
最後のリンゴを待っていると、何故か大河は箸をお盆に置く。脇に置かれた布巾で手を拭くと、リンゴを指で摘まんだ。
「え?」
「えっと、ユウ先輩? どうかしましたか?」
「どうかしたっていうか……どうしてリンゴだけ手なんだ?」
「え?」
「え?」
すげぇ。一つの会話で「え?」が三つも出たぜ。コミュニケーションが下手すぎるだろ。
苦笑していると、カァァァと大河の顔が赤くなった。
「あっ、す、すみません! 果物は手で食べるものだと思ってて」
「え、いや、まぁ。手で食べてもいいんだけどさ」
俺だってリンゴを食うときは手を使う。わざわざお上品に箸やフォークを使う方が驚いてしまうぐらいだ。
けど人に食べさせるわけだし、真面目な大河のことだし、てっきり箸を使うかと思っていた。だってほら……食べてるときに口に手が触れたら、色々とこそばゆいじゃん。
しかし、恥ずかしそうな大河を見ているとこっちが申し訳なくなってくる。
そもそも食べさせてもらうのは俺なのに、どんな立場で文句を言ってるんだって話じゃないか。
「悪い悪い。うっかり大河の指ごと噛んだら申し訳ないなって思ってただけだから。そのまま食べさせてくれよ」
「う、ぅぅぅ……」
「な?」
アーン、と口を開けて見せる俺。
大河は目を潤ませつつ、摘まんだままのリンゴをそっと口に入れて……。
しゃり、と半分ぐらいのところで噛んで咀嚼する。
うーん……あんまり甘くないな。
顔をしかめつつ、もう一口を貰って終わりにしようとして、
「あっ」
「っ!?」
案の定と言うべきだろうか。
大河の指先が俺の歯と唇に触れ、大河が小さな声を漏らした。恥じらいの混じったその声のせいで、こっちが変な気分になってしまう。おかげでリンゴの味が分からなくなる。っていうか、妙に甘い。
「わ、悪い」
「い、いえ! 私こそ変な声を出してしまってすみません」
「別に、いいんだけど……」
なんだこれめっちゃハズイんですけど。
口をもにょらせつつ、ごちそうさまでした、と告げて空気を切り替えようとする。大河はほっと安堵の息を零すと、そのまま続けた。
「全部食べられましたね」
「おう。ちょっと物足りないけどな」
「ふふっ。家ではいつも、もっと食べてましたもんね」
「そうそう」
――家ではいつも
大河は俺の家での『いつも』を知っている存在なんだ、と思う。
そのことを改めて意識すると気恥ずかしくなる。
「昨日。夜遅くに来てくれてありがとうな」
「……どういたしまして。と言っても、私がいられたのは雫ちゃんと澪先輩が無理を言ってくれたからなんですけどね」
「無理?」
「はい。ここの病院、10時以降は家族じゃないと原則的に面会できないんです」
「そっ、か……」
そういう病院はある。
というか、こういうときこそ家族かそうではないかの差がはっきり出るのだろう。同性愛や実質婚のデメリットとして挙がるのも、同意書に署名できないとかそういう感じのことらしいし。
〈水の家〉なんて嘯いてみても、結局、大河と俺たちの間には境界線が引かれている。本当の意味で四人でいることはできない。だって一緒にいることには“理由”が必要になってくるから。
けれど、大河はちっとも暗い顔をしていなかった。
晴れやかな青空みたいな笑顔で言う。
「あの二人が、ユウ先輩は私たち三人がいないとダメなんだ、って強く言ってくれて。目が覚めたときに私たちがいなかったら絶対に熟睡できない、って言ってくれて。それで、面会させてもらえたんです」
「なんだそれ……まるで俺が三人がいないと生きていけない奴みたいじゃねぇか」
「あれ、違うんですか? 昨日、ずっと前から好きだった、って言ってくださったじゃないですか」
「だからそれ、友達として、だからな?」
何一つ嘘ではないのが、タチが悪かった。
三人がいない日々は鉛のようで。三人がいたからぐっすり眠ることができて。だから三人がいないとろくに生きていけないことも本当は分かってるんだ。
俺が口許をもにょらせていると、大河はくすくすと笑いながら席を立つ。
「私はそろそろ失礼します。今日も無理を通すわけにはいきませんから」
「そうだな。気を付けて帰れよ」
「もちろんです。ユウ先輩も入院中の身なんですから、絶対に無理なさらないでくださいね」
「うい」
言われなくとも、無理はしない。
こんな風に倒れて誰かに迷惑をかけるのはごめんだからな。
「じゃあな」
「はい。また今度」
「おう」
『また今度』を素直に受け止めてしまうのは、きっと正しくない。
だって俺はあの子を自分から拒絶したのだ。拒絶したくせにこうやって心配してもらったら喜ぶだなんて、筋が通っていないにも程がある。
けれど――それでも嬉しいんだから、しょうがない。
ずっと前から、好きだったんだから。




