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最終章#01 恋の在り処

 SIDE:友斗


 恋色の淡い雲は、少年少女の夢のようだった。

 あれは恐竜で、あっちはキャンディー。馬に、兎に、魚に……って。空は自由自在な落書き帳みたいになっていて、素敵さと夢に満ちている。

 ぶぅぅぅぅんと画かれた飛行機雲の向かう先を追って、追いかけて、追い続けて。俺は思いを馳せる。


 いつか見つけた、雨の終わりみたいに。

 恋の始まりがどこにあるんだろう、って考える。


 ――恋に落ちる。

 それはきっと、恋の始まりとは少し違う。だって恋が始まっていなければ、そもそも落ちるべき恋がないじゃないか。『恋に落ちる』というのはつまり、感情に『恋』って名前をつけることを指す。だから本当は、それよりずっと前に恋が始まる瞬間がある。


 じゃあ、いつ?

 一目見たとき? 意外な一面を知ったとき? 手と手が触れ合ったとき? 目が合ったとき?

 そう言えば、五秒後に恋をする有名な歌もある。

 あの歌はなんて言っていただろう?


 多分、恋の始まりを見つけるのは難しい。

 世界の始まりを知ることが難しいように、恋の始まりを見つけるのはほとんど不可能に近いのだ。

 なぜって、だって恋が始まったあとに恋が始まる前のことを思い出すのは不可能だから。それぐらい全く別の世界が始まってしまうから。


 だからこの恋がいつ始まったのは、今となっては定かではない。

 一目惚れだったのかもしれないし、話しているうちに好きになったのかもしれないし、その他に何かあったのかもしれない。

 ただ一つ言えること。

 それは――俺があの三人をずっと前からトクベツ扱いしていた、ということだ。


 “関係”を押し付けることで関わって。

 大切な存在だ、と再三のたまい続けて。

 四人でいることを強く望んで。


『俺は別に彼女がいるわけじゃないし、好きな子がいるわけでもないけど……「好き」って思えるかもしれない子たちがいるんだ』


 俺は文化祭のとき、伊藤に言った。

 あのときにはもうとっくに恋をしていたのだろう。

 目を瞑れば頭によぎるのは、三人の色んな顔。中でも鮮烈に浮かぶのは、どうしようもなく心地いい笑顔で――。


「笑っててほしかったんだろうな、俺は」


 ぼそりと呟く、12時ちょい。

 目が覚めて早々にこんなことを言う俺ってば、ちょっとだけ『何か大切なことを忘れたまま平和な日常に戻ってしまった異能モノの主人公』感が凄くない? これは何かの拍子に大切な記憶を思い出して、『こんなかりそめの平和なんて要らない!』とか叫ぶことになるんじゃなかろうか。


「くっだらねぇ」


 オタクってやつは、どこにいっても思考が変わらないらしい。

 見慣れない天井を見上げ、


「知らない天井だ」


 と忘れずにぼそぼそと言った俺は、喉の痛みが随分と収まっていることに気が付いた。まだ体は痛いし頭も重いが、眠る前と比べるとかなり楽になった。

 そう、眠る前……。


『俺は三人のこと、《《ずっと前から大好きだったんだ》》』

『『『……っっ』』』


 ……っ!?

 あーあー! 思い出しちゃったじゃん! 絶対に思い出したくないことを思い出しちゃったじゃん!

 いやまぁ、今になって恋の始まりとかを乙女チックに考えてる時点で忘れられてなんかなかったですけどね? でもあんまり考えたくなかったなー。できれば夢であってほしかったなー。


 と、心の中で拗ねていると、看護師と医者が部屋を訪れた。

 こほん、と咳払いをして、努めて落ち着いて話を聞く。

 今の俺はどんな状況なのかを話してもらい、逆に俺が昨日までどんな生活をしていたのかを話す。

 睡眠不足を無視してがんがん動き続けたことによる過労と、エナドリやブラックコーヒーなどでカフェインを取りすぎたことによる体の異常。

 それが今回の俺の状態らしかった。


 どちらも、重度のものではない。

 なので規則正しい生活さえ送れば元に戻れるらしい。

 もう一つ、


「あの。少し前から味を上手く感じられなくなってたんですけど……」


 と聞くと、医者の先生は少し頭を抱えた。

 とはいえ体には他に異常はなかった。疲労やストレスで味覚減退や味覚消失が起こる可能性はあるだろう、とのこと。

 十中八九精神的な問題だろうなぁ、と結論付ける。

 そもそも魘されてたのだってメンタルの問題の可能性が高い。味覚減退もそれに関わっていると思った方がいいだろう。


 そして、


「……うま」


 病院食を食べ、俺はメンタルの問題が改善されたであろうことを思い知った。

 味覚が回復していたのだ。

 薄味だと言われがちな病院食が美味く感じる。


「…………三人の料理、食いてぇなぁ」


 ここ一か月、食の喜びを感じていなかった。

 その反動なのか、バカみたいなことを口走ってしまう。

 雫の、澪の、大河の――あの三人の優しくて美味しい料理が食いたい。それも一人じゃなくて、四人で。


「寝よ」


 疲れてるからアホなことを考えちゃうんだ。

 ……いやまぁ、過労で倒れてるから冗談でも言い訳でもなく、マジでそうなんですけどね?


 俺は苦笑しつつ、目を閉じる。

 昨晩眠る前に口走ったことからは目を逸らして。



 ◇



「くぁ……っ」


 起きた。

 しょぼしょぼとした目のまま時計を確認し、16時過ぎだと知る。医者と話し、食事を摂ったのが合計一時間ぐらいだったから、俺は今日のうち16分の15を睡眠に当てたことになる。ナマケモノもびっくりだ。これはケッキングになるしかねぇな。ヤルキモノにはなれんよ……。


「あ゛……シャワー浴びてぇ」


 熱湯を頭から被らないと、どうにも頭がすっきりしない。

 口の中も気持ち悪いし、せめて歯磨きぐらいはするかなぁ。入院したこととかないから、何をしてよくて何がダメなのか分からん。こういうときに誰かが傍にいてくれると助かるんだが――


「残念でしたね、友斗先輩。退院するまでは絶対安静なので、シャワーも浴びに行っちゃダメらしいです」

「んあ? マジかよ」

「マジですマジです」

「……ん?」

「ん~? 友斗先輩、どーかしました?」


 …………。

 ベッドの横には、きゅるるんっと可愛らしい笑顔を浮かべる美少女がいる。

 ふんありと揺れるツインテールが兎や垂れ耳の犬を彷彿し、実に愛くるしくて……って、そーでなくて!


「なんでもお前いんのっ????」


 俺は意識的に声量を抑えつつ、叫んだ。

 昨晩叫んだのを怒られちゃったからな。

 俺の言葉を受けて、ベッドの横に座る綾辻雫は目をぱちぱちとさせた。


「え? だって学校はもう終わりましたもん」

「いや、それはそうだけど……」

「あ!」


 それでもどうして俺のところになんて来てくれるんだよ。

 俺は三人を酷いやり方で拒絶したんだぞ。

 一か月ほど無理矢理距離を置いて、逃げ続けたんだぞ。


 俺のそんな心中を知ってか知らずか、雫はぱちんと何かを思いついたように手を叩く。

 それから甘ったるい小悪魔な声で囁いてきた。


「もしかしてぇ……私と会いたすぎるせいで幻を見てるのかも、とか思っちゃいましたかぁ……?」

「――っ、別にそういうことじゃなくてだなぁっ!」


 くっそう。

 ここが病室であることが悔やまれる。本当なら今すぐにでも大声でツッコみたいところなのに……!

 でも実際顔を見たときに心が喜んじゃったのは事実だからあんまり強く言えねぇ……。惚れた弱み過ぎる。


「って、そーじゃなくて。真面目な話、どうして来てくれたんだ? そりゃ入院はしたが、介助がいるほど酷いわけじゃないし……それに、雫には色々と酷いことだってしただろ」


 言いながら、気付く。

 こんなの聞くまでもないことだ。幾ら霧崎家に居候していようと、俺は百瀬家の人間。看病が必要なのであれば、それは道理的に考えて百瀬家の役割であろう。父さんと義母さんはただでさえ昨晩無理をしたんだし、今日も当然のように休むわけにはいかない。

 義理とはいえ家族である雫がくるのは、それほど驚くことではないのだ。

 それなのにこんなことを聞いたのは、


「来たかったからですよ。好きな人が倒れたら心配ですし……友斗先輩、私がちょっと風邪引いただけでも駆けつけてくれましたもん。来たいに決まってます」


 多分、そう言ってほしかったから。

 好きだよ、心配だよ、って。

 みっともないことに、俺は言葉を求めてるのだ。傷を癒してくれる甘い言葉を。


「…………そっか」

「はい、そーなのです」


 自己嫌悪がしんしんと降り積もる。

 けれど、嫌な色の雪は傍にいてくれるお日様みたいな女の子の笑顔で自然に溶けていく。

 ふぅ、と息を吐き出すと、雫は続けて言った。


「本当は三人で来ようって思ってたんですけどね。それだとうるさくなっちゃうかもですし、大河ちゃんとお姉ちゃんはちょっと別件でやることがあったので。役立たずな私が参上したのです」

「役立たずて……いやまぁあの二人のスペックとは比べるべくもないけど」

「正直! 友斗先輩がそーゆうこと言うと、いよいよ泣きますからねっ!」

「悪い悪い」


 俺は、昨晩言った。

 友達としての『好き』だ、と。

 友達らしく弄って、笑って、適当に流す。そんな在り方がきっと正しいのだと思う。俺が苦笑交じりに謝ると、雫はむすぅっと頬を膨らませた。


「まったくもう……私だってこの一か月、色々あったんですからね」

「そう、なのか……?」

「そうなのです。鈴先輩が入ってるサークルにお邪魔しまして。一緒にゲームしたり、企画会議に参加したりしたんですよ」

「へぇ」


 伊藤と仲良さげにしているとは思っていたが、そんなことがあったのか。

 ちょっと楽しそうだな、と思う。

 同時に、心に微妙な靄がかかった。

 不揃いなその感情を押し込めようと唇を噛むと、雫がにまーっとにやけた。


「……なんだよ、その顔」

「いやぁー? 友斗先輩、可愛いなぁって思いまして♪」

「なっ……可愛い要素がどこにあった???」


 そんなのどこにもなかったと思うんだが?

 抗議の視線を送ると、雫はけたけたと笑い、返してくる。


「んー。だってほら、今ちょっとヤキモチやいてましたよね?」

「は……?」

「誤魔化しても無駄ですよ? 私がヤキモチやくときと似た顔してましたもん。私のことは誤魔化せません!」


 えっへん、と胸を張る雫。

 俺はそんな雫からぷいりと目を逸らした。

 別にヤキモチをやいたわけではない、はずなんだ。


「友斗先輩は私のこと、ずっと前から好きだったんですもんね~?」

「~~~~っ!? だから、それは…っ」

「あ、もちろん分かってますよ? 友達としての『好き』なんですよね? だから別の友達にとられちゃうかもってヤキモチをやいたんですもんね?」

「うぐっ」


 なんと卑怯な言い方を……。

 ニマニマと楽しそうに笑う雫。

 こいつには敵いそうがない。なら、ダメージが少ないうちに認めるか。


「あー、ったく。そうだよそう! 俺のことなんて《《友達として》》どうでもよくなって捨てちゃうかもって思って不安になったの。伊藤といるとき、楽しそうにしてたしな」

「へぇ……え? 鈴先輩と一緒にいるとこ、見てたんですか?」

「あ゛」


 語るに落ちた。

 真っ逆さまに落ちてしまった。


「ち、ちがっ」

「へぇ~? 一緒にいないときでも、私のこと目で追っちゃってたんですね。へぇ~」

「いや、だから、えっと」


 そうじゃない、わけではなかったから。

 ニヤケ度が爆上がりしていく雫とは対照的に、俺の逃げ場はどんどんなくなっていく。ぐぬぅと唸っていると、んんっ、と雫は咳払いをした。


「っと、あんまりからかいすぎちゃうのもよくないのでこの辺でやめにしておきますね。足りなかった友斗先輩成分は補給できたので」

「お、おう……」


 言うと、雫は俺に色々と説明してくれた。

 入院中のアレコレについて、伝言しておくように頼まれたらしい。家から持ってきてくれたものもあるらしく、その置き場所とかも教えてくれた。


「それじゃあ、そろそろ帰ります」

「もう帰るのか」

「ですです。今日は食事当番ですし……それに友斗先輩が起きてなかっただけで、実は30分前ぐらいからずっといたんですよ?」

「そうなのか。なんかすまん」

「いえいえ。寝顔が見れたのでオッケーです♪」

「それを言われると複雑なんだよなぁ……」


 が、帰ると言うのであれば引き止めるのもおかしい。

 帰っちゃうのが寂しいんですか? とでも聞かれたら困るので、素直に見送ることにする。


「まだ明るいけど……気をつけて帰れよ」

「友斗先輩って、ほんと過保護ですよねぇ」

「うっせぇ。お前らにだけだっつうの」

「………………それならいいんですけどね」


 雫はスクールバッグを持ち、バイバイです、とだけ言って病室を出ていく。

 一人残った俺は、雫と話したおかげで割とクリアになってくれた頭で思った。


「指輪、つけてくれてたな」

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