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十章#37 一途な想いと三途の川

 人生は何が起こるか分からない。

 実の妹と本気で愛し合うこともある。

 家族を事故で失うこともある。


 妹とそっくりな顔の同級生と出会うこともあるし、そいつとセフレになることもある。


 セフレの妹が懐いてくれる後輩だった、なんてこともあるし、その姉妹と義理の兄妹になることもある。


 後輩に告白されるこがあったかと思えば、元セフレが妹の代わりになってくれることだってあるのかもしれない。


 こんがらがった関係を誰かに叱ってもらえることもあって、変わろうともがいた結果、色んなものを手に入れることもできる。


 だから、それに比べればこれは分かりやすく前兆があったんだと思う。


 不眠と味覚障害。

 病的な何がではないにしても、体が心に蝕まれているのは確実で。

 それなのにエナジードリンクと妄想で強引に体にエンジンをかけ続けたのだ。そりゃあ、体もおかしくなるというものである。


 昔から、かっこいい主人公が好きだった。

 ヒーローと呼べるような、痺れるほどにかっこいい主人公。悩んでもがいて、かっこ悪くてもかっこつけて前に進むような憧れるべき主人公が好きだった。


 何故ってそれは、そういう人に報われてほしいから。

 かっこよくて憧れる人に幸せになってほしいからだ。


 だってそうだろ?

 主人公が幸せになってこその物語だ。

 だったら幸せになる主人公は、トコトンかっこよくあってほしい。紆余曲折の末にヒロインと結ばれるラブコメ主人公が欠片も魅力のない奴だったら萎えてしょうがないし、世界を救う勇者が力だけで信念も哲学もない奴だったらチープで陳腐な物語になり果ててしまう。


 逆説的に言って、かっこよくない主人公は幸せになるべきではない。

 もしもこの物語の主人公が俺なのだとしたら。

 かっこよくないどころか色んな人を傷つけまくった俺は、幸せになるべきではないのだ。欲しいものを一つたりとも手にしてはいけない。手を伸ばしても届きはせず、幾千にも感じる絶対的な距離を思い知って絶望するぐらいがちょうどいい。


 きっと、ずっと前からバッドエンドフラグは立っていた。

 この程度ではデッドエンドにはならないんだろうけれど。


 まあ作中で三人も死ぬのは死を軽く扱いすぎだもんな。俺は倒れて軽い後遺症を……ってのがいい塩梅かもしれない。


 揺蕩うような思考の中、自分を納得させるための言葉を積み上げていく。

 人はそれを、負け惜しみ、と呼ぶのだろう。

 幸せの青い鳥を見失ったチルチルが口にする、情けない戯言だけれど。

 ミチルはそんな言葉でも聞いてくれるだろうか。

 しょうがないなぁって笑って、受け入れてもらえるかな……?



 ――兄さん。言い訳は聞きたくないよ



 ◇



「う゛あ……?」


 体はどうしようもなく怠く、瞼を動かすことすら億劫だった。おそらくは自分の喉から出たであろうその声は、しかし、微妙にぼやけて聞こえる。

 分かるのは体が痛いことだった。

 全身がとにかく痛い。

 今しがた震えた喉が痛くて、頭の奥が痛くて、体の節々が痛くて、何より心が痛い。どれもこれもが錆びたブランコみたいにきしきし軋んでいた。


「あ゛ぁ……ぁ」


 これは、あれか?

 死んで転生的なことか?

 それにしては思考が重たくて、ノイズ交じりなんだが。


「あっ、起きた……!」

「……っ!! とりあえずナースコールを」

「落ち着いて。さっき言ってたでしょ。重い病気とかじゃないから、目が覚めてもナースコールをする必要はない、って。過労と重めの風邪が重なっただけなんだから」

「うっ、そうですけど……」


 ん……なんか、声が聞こえる?

 もしかして三人――なんていうのはありえないか。

 だとしたら、


「時雨、さん…………?」

「「「――っ」」」


 ああ、やっぱりそうか。

 多分時雨さんだな。俺は時雨さんと一緒にいるときに倒れたわけだし、そもそも今は霧崎家に居候しているのだ。看病に来てくれたっておかしくない。

 喉がすっげぇ痛いし頭を動かすのもキツイけど、ちゃんと対応するのが礼儀というものだ。美緒のお説教を脳内再生して、声を絞り出す。


「えと。いま、何時?」

「ふぅ……『夜の11時だよ。キミは5時間くらい寝てたことになるのかな』」

「✕✕✕✕✕、どうして?」「✕✕✕?」

「二人とも、静かに。今は✕✕に色々考えさせない方がいいでしょ?」

「そっ、か」

「確かにそうですね……すみません、軽率でした」

「ん」


 11時か。

 いつもならまだ起きて、下読みのバイトをしている頃だな。もう一作は読み切れるな、ってコーヒーを一気飲みする時間帯。

 それにしても、そっか。そんなに寝てたんだ。寝れちゃったんだな、俺。今まであれだけ魘されてたのに、倒れたら呆気なく寝ちゃうわけだ。自責心も罪悪感も所詮はその程度かよ。体ぶっ壊すまで永遠に続けよ……っ!


 ぐじゅぐじゅ、ぐじゅぐじゅ、心が膿んでいく。

 吐き出しそうな思いを堪えて、俺は言う。


「時雨さん、なんか色々ごめん。エレーナさんと晴季さんにも迷惑かけちゃったよね?」

「『ううん、大丈夫。そうそうキミのお父さんとお義母さんも来てくれたよ。今、入院の手続きをしてくれてる』」

「そっ、か」


 父さんと義母さんにも迷惑かけちゃったんだな。

 最悪すぎるだろ。

 身勝手に家を出ておいて、勝手に体調を崩すとか……誰に対しても最悪だ。エゴばかりが積もり積もって、最悪と最低が沈殿する。


「二人に、謝んないと……エレーナさんと晴季さんにも、謝んないと。ごめん、ごめん、時雨さん」

「……『いいんだよ。お父さんもお義母さんも、キミのことを大切に思ってる。愛してるんだよ』」

「っ…そっか」


 愛してる。

 愛してる、か。


「俺のことなんて、愛さなくていいのに。俺みたいな親不孝者のことなんて、愛したってしょうがないのに……」

「『そういうことを思っちゃうのは体が弱ってるからだよ』」

「体が……」

「『そう。お医者さんが言ってたよ。ちゃんと寝れば、明後日には退院できるらしいから』」

「そっか」


 だから寝よう?

 そう言われたら、眠るしかない。

 たくさん思うことはあるけど、俺が寝ないせいで状態を悪化させてしまったら余計に迷惑をかけてしまうから。

 ずっと開けていない瞼を、意識的に閉じる。

 そのまま意識を手放せばいい。

 倒れて5時間も眠れたんだから。


 ……っ、ダメだ。

 目を瞑っていると、世界との距離感が分からなくなる。何もかもが遠くにいって、俺を置き去りにしていくようで…ッ。

 眠れるわけがないんだ。

 気絶でもしなきゃ、眠れない。もう心が、最低な自分が安らぐことを許してくれないんだよ……っ!


「っぐ、うっ、ぁはっ」

「✕✕✕✕っ?」「✕✕✕✕、大丈夫ですかっ?!」「✕✕っ!?」


 三人分の、誰かの声。

 同時にぎゅっと手が握られた。


「「「…………」」」


 言葉は、生じない。

 或いは聞こえていないだけなのかもしれないけれど、不思議なことに、手を包み込む温もりのおかげであっという間に心は凪いだ。


 熱が、伝えてくる。

 儚くも強い愛が、伝わってくる。


『この前みたいに聞こうかと思ってたけど……やめておくよ。もう《《キミ》》は気付いたみたいだから』


『前に言ったよね? 「そうやって気付いてるくせに気付かないふりを続けるのは、友斗くんの美点であり欠点でもある」って』


 夕凪のような思考の中で、時雨さんの言葉が再生された。

 今ならきっと眠れる。

 伝わってくる愛はどうしようもなく苦しくて痛いけど、その何倍も幸せだから。


 それなのに、急に思考はクリアになって。

 俺は一つのことを考えていた。

 それは恋とか愛ってなんだろう、ってこと。


 父さんは言っていた。


『恋は終わりを待つものじゃない。終わらせるか、実らせて愛にするか、そのどちらかだよ。どちらにもならなかった恋は、きっと呪いになる』


 恋の延長戦上にあるのは終焉か、或いは愛。

 どちらにもなれずに腐ってしまった恋は、呪いになってしまう。

 父さんは俺が二人を好きだと言っていた。もしかしたらあの場ではそう言っただけで、大河のことを好きだってことにも気付いていたのかもしれない。

 だとすれば父さんは、俺に対して示唆的に先述の言葉を告げたはずだ。終わらせるか、愛にするか、どっちかをちゃんと選べ、と。父親から受け取るには些か青臭いセリフだったけれど、十二分に俺の胸に響いた。


 義母さんは言っていた。


『私はね、愛っていうのは哀しみを共有することだと思うのよ』


 あのとき俺は、分からずにいた。

 ならそれは、家族を愛おしく思うことと何が違うんだろう、って。恋とか愛とかそんな名前を付ける必要はないじゃないか、って。

 多分その考えは、間違いではないのだ。

 だって愛の延長線上には家族がある。

 少なくとも俺にとって、愛のゴールは家族だった。


 じゃあ……そもそも、家族ってなんなんだ?

 晴季さんは言っていた。


『僕にとっての家族は……帰る場所であり、一番かっこつけたい相手、かな』


 帰れば安らぎを得られる。けど、その上でかっこつけていたいとも思える。それはともすれば矛盾を孕んでいるようにも見えるが、晴季さんの中では真っ直ぐな一本槍になっているのだろう。俺も晴季さんの考えには共感できた。


 恋は、終わらせるか愛にするかしなくちゃいけない。

 そして愛のゴールとは家族で。

 家族とは帰る場所であり、一番かっこつけたい相手。


 でももう一つ、考えるべきことがある。

 それは恋の始まりの話だ。

 人はどうやって恋に落ちるのだろう。どうして好きになるのだろう。


 ――なんて、そんなのを考えようとしている時点で、俺は時雨さんの言うように気付かないふりをしているのだろう。

 だって俺は、あの夜に気付いてしまった。

 時雨さんに三人のことを話しているうちに、気付いてしまったんだ。


「雫」

「へっ? えっと……?」

「大河」

「えっ、は、はい……」

「澪」

「…………なに?」


 俺は、本当は、


「俺は三人のこと、《《ずっと前から大好きだったんだ》》」

「「「……っっ」」」


 三人がここにいるわけがないから。

 一人で打ち明けよう。空に、神様に、打ち明けるのだ。全部を打ち明けて、認めてしまおう。


「冬星祭のとき、ようやくその気持ちに名前をつけられただけで……本当はずっと前から、好きだった」


 雫の笑顔が好きで。

 大河の笑顔が好きで。

 澪の笑顔が好きで。


 俺は三人の笑ってる顔が、どうしようもなく好きなんだ。

 大切な存在だとか、好きになれるかもしれない相手だとか、色々と理屈をこねくり回して認めなかったのは、《《気付いたら選ばなきゃいけない》》っていうのが怖かったからで。

 俺はずっと前から、恋をしていた。


「三人のことが、大好きだったんだよ……っ」


 これは何の意味もない独り言。

 或いは三晩に渡って聞かせた話の続き。告解のようなもので――


『友斗先輩っ?』『ユウ先輩、大丈夫ですかっ?!』『友斗っ!?』


 ――刹那、さっき聞いたばかりの声が頭に響いた。

 でもさっきのように靄がかかった状態じゃない。

 俺がまた気付かないふりをしようとしていたんだと思い知らされるほど、鮮明で。


「はぁぁぁっっ!?」


 痛みも気怠さも全部を捨ておいて、時間帯すら忘れて俺は大声を出してしまう。

 重くて開かない瞼を無理やりに開くと。

 微かにくすんだ視界のど真ん中には、


「えへへ」「あぅ……」「………ん」


 乙女みたいに顔を赤くした、雫と大河と澪がいた。

 本当に自分が過労で倒れたのかと疑いたくなるぐらい、頭はフル回転し、今の状況を理解する。

 同時にせりあがってくる羞恥心と危機感と罪悪感を全部吐き出すように、俺は慌てて言葉を紡いだ。


「ちがっ、今のは違くて……! そう! 友達としての『好き』だから! 俺は三人のこと、友達としてずっと前から好きだったっていうことで……!」

「「「ふぅん……?」」」

「どうしてニヤニヤしてるのかなッ!?」


 ぱりーん、と氷の壁が割れたみたいに重い空気が壊れていく。

 代わりに病室を蓋するのは、馴染みのあるコメディな空気で。


「友達としての『好き』ねぇ……?」

「にしては声が色っぽかった気がしますけど」

「そもそも友達としての『好き』をわざわざこの場で言うんでしょうか」

「っっ、だから、それは、その……」


 言い訳しないと。

 俺は三人のことを別に好きじゃない、って。


「ま、その話はまた今度ってことで」

「そーだね、お姉ちゃん。後でじ~っくりしましょうね♪」

「なので今日はちゃんと寝てください。そうしないと心配で私たちが眠れませんから」


 ぎゅっ、と。

 改めて三人は手を握ってくれる。

 その体温は、温かいというよりむしろ熱い気がして、


「………………寝るわ」


 どうしようもなくなった俺に逃げる(眠る)コマンドを選択させた。


「ん。おやすみ」「おやすみなさいっ!」「おやすみなさい」

「あぁ……おやすみ」


 非常に居た堪れない思いをしているのに。

 人間ってのは都合がいいもので、それしか道がないとなると、呆気なく眠りに落ちることができてしまうらしかった。



 ◇



 夢から覚めたら、青い鳥がいる。

 本当の幸せはすぐ傍にある。

 そんな都合がいい話はどこにもなくて、青い鳥はいつも天を翔けている。

 手を伸ばしても届かない。

 伸ばしても伸ばしても届かなくて、それでも伸ばしたくなるような大空に。


 透明なはずの空が青く見えるのは、きっと青い鳥の仕業なんだ。

 だから青い鳥には手が届かないままで――。


 青い鳥と赤い糸は、もうすぐ出会う。





 NEXT......FINAL CHAPTER

 『青い鳥と赤いマフラー』

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