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十章#36 百瀬友斗の話

 SIDE:友斗


「――っていうわけで、合宿に行くことになったよ」


 水曜日の放課後。

 俺は時雨さんに、合宿に行くことになった経緯を話していた。

 参加費諸々はバイト代から出すつもりだし道具一式はあっちでレンタルするつもりだから迷惑はかけないだろうが、報告はしておくべきだと思ったのである。

 っていうか、時雨さんにその話題を振られたというのが正しい。


「そっか。友達と後輩と三人で相部屋……うんうん、いいね。普通の男子高校生っぽい」

「その言い方だと、俺が普通の男子高校生じゃないみたいにならない?」

「その言い方だと、キミが普通の男子高校生みたいになっちゃうけど?」


 だからそう言ってるんですけど?

 俺が視線で訴えると、時雨さんはくつくつ笑って言う。


「なーんてね、冗談冗談。キミは普通の男子高校生だよ。まだまだ成長途中で、友達もいて、ご飯もいっぱい食べて」

「うん」

「それで恋をして、夢も見る」

「……ぅ、ん」


 こんな風に、普通の会話の最中にいきなり急所をついてくる。こういうところが、この人はズルい。なんとも答えようがなくなって口ごもると、そこで会話のキャッチボールは終わる。


「ま、それは置いておいて。投げるよ?」

「え、あ、うん」


 代わりに始まるのは――ほんとのキャッチボール。

 グローブとボールを使った、清く正しい野球の延長線上の球遊びだった。

 時雨さんに言われ、俺はちょっと慌ててグローブを手にはめる。手に馴染むそれは、どうやら晴季さんが使っていたものらしい。よく手入れをされていて、あの人の人柄を感じる。


「いくよー!」


 元気よく合図を出すと、時雨さんは綺麗なフォームで投げてきた。

 流石は完璧超人。たかが投球程度はお手のもののようだ。程々な勢いのボールをグローブにぱしゅっと収める。

 野球なんて授業ぐらいでしかやったことがないけれど、ボールをキャッチする爽快感は割と嫌いではない。


 って、そーでなくて。


「ねぇ時雨さん。どうして俺たちキャッチボールしてんの?」

「彼女との放課後キャッチボールデート。なんだか素敵じゃない?」

「今まで野球のやの字も見せてこなかった時雨さんといきなりやるデートではないよね、それ」


 彼女との、って部分でいちいち反応せずに済んだ俺は、コメディぶってツッコむ。

 実際、スポーティーな彼女とするのであればともかく、文学少女然とした時雨さんとキャッチボールデートってのは不自然だろう。

 時雨さんがグローブを構えるので、俺はほいっと緩めのボールを投げる。

 見事にキャッチしてから時雨さんは言った。


「でも父親が子供の悩みに乗るときは、キャッチボールって相場が決まってるでしょ?」

「……っ、時雨さんは父親じゃないし、俺は子供じゃないよ」

「悩みがあることは否定しないんだね」

「それは……卑怯な誘導尋問だね。別にそういうわけじゃない。ツッコんでネタになりそうなところをツッコんだだけだよ」


 時雨さんが何を言いたいのか分かってしまうから、俺は何とか逃げようとする。

 数歩離れると、時雨さんも同じように離れた。

 俺たちの間に距離ができ、その分だけ時雨さんはボールを投げる力を強める。


 ――ぱしゅッ!


 さっきより強烈な爽快感。

 何とも言えない気分になりながら、ボールの縫い目をなぞった。


「今日、『進路希望調査』も配られたでしょ」

「……どうしてそれを?」

「如月ちゃんから聞いたんだよ」


 二年生には今日一斉に配布されている。今更それを驚くのはおかしな話だ。如月経由じゃなかったとしても、時雨さんなら幾らでも知る機会はあるだろうし。

 だから俺の言う『……どうしてそれを?』は、どうしてそれを『知っているのか』じゃなくて、


「どうしてそれを今聞くの?」


 という意味だった。

 二歩後ろに下がり、ボールを投げ返す。思いのほか球速が一気に上がったが、時雨さんは難なくキャッチした。


「キミがボクに道を教えてくれたから、だよ」

「……ッ。俺は別に、そんなことは――」

「あるよ。キミが提案してくれなければ、ボクは恵海ちゃんとドライブに出たりしなかった。雨の終わりを見つけられた」


 薄暗い河川敷。

 時雨さんと随分離れてしまったから、その表情を確かめることはできない。それでも、あの日の虹のような声は痛いほど届いてきた。


「あの日のキミは、ボクと恵海ちゃんの架け橋になってくれた。夢と夢を繋いでくれた。だからボクは、行く先をきちんと見つけられたんだよ」


 だから、と言いながら時雨さんはボールを投げる。

 さっきの俺と大差ない球速。


 ――ばしゅっっ


 突き抜けるような感覚が、掌から伝わってきた。

 かはっ、と喉から息が零れる。


「ねぇ。キミの夢も、教えて?」


 ……っ。


「それが見つかったら苦労しないよ。時雨さんみたいに、これっていう才能があるわけじゃないんだ」


 ――ばしゅっっ


 俺がボールを投げると、時雨さんはすぐに返してきた。

 何も言わず、球速を上げて投げ返す。それも恙なくキャッチすると、時雨さんは大きく振りかぶった。


 ――バシーンッ!!


「ったぁ……っ」


 土手でちゃんとキャッチしたのに、掌がちょっと痺れた。

 つい声が漏れると、時雨さんが言ってくる。


「ボク、授業でソフトボールやるといっつもエースで四番なんだよね」

「ああ、そうでしょうねぇ! この話の流れでよく才能を自慢できるねっ?!」

「事実だからね」


 そうですけども。

 胸の内で拗ねて、我ながらダサいなと思う。

 だって、才能なんて今の話には本当は関係ない。時雨さんは俺に道を示そうとしてくれているのだから。

 俺が強めに投げ返すと、時雨さんはボールを受け取り、グローブの中で握った。

 一呼吸置くと、時雨さんは聞いてくる。


「ねぇキミ。やりたいこと、本当にないの?」

「……ない――わけじゃ、ないけど」


 これ以上みっともないことを繰り返すのは嫌で。

 俺はとうとう、ぶちまけてしまう。


「やりたいこと、あるんだ?」

「……うん」


 望む未来は、胸の奥のスケッチブックに描きこまれている。

 それは泣きたくなるくらいのハッピーエンドで。

 けど、そこに向かっていいのかは俺には分からない。


「教えてよ。キミはどうなりたいの? キミの本当の望むは、なに?」

「…っ、それはっ――」


 口許に寄せたグローブから、革の匂いがした。

 男の子の本能なのだろうか。鼻孔をくすぐるその匂いに、俺の頬は自然と緩んだ。


「物語に関わる仕事がしたいんだ」


 気付けば、そう口にしていた。

 そうなったらもう、止まらない。ダムが決壊するみたいに俺は言葉を続けていく。


「美緒が教えてくれた物語の匂いが、今も忘れられないんだよ。本が呼吸をして生きてるんだ、って思えたあの日から、俺はずっと物語が好きなんだ」

「うん」

「美緒の『ブルー・バード』を読んで、時雨さんの作品を読んで、作品にこめられた思いを拾い集めることは、言葉にできないくらい素敵なことなんだって気付いた」

「…うん」

「物語には、色んな願いがこもってるって思うんだ。IFが起こらない現実に異議を唱えるみたいに、『こうなればいいな』が詰まってる。だから勇気を貰える。自分の臆病さから逃げられる。哀しいときは慰めてもらえて、どうしようもなくなったときには救ってもらえる」

「……うん」

「そういう誰かのための物語を、きっとみんなが持ってるんだ。俺が知らないだけで、誰も彼もがきちんとした歴史を刻んで、色んな物語を歩んでる」


 それは、間違い続けたからこそ実感できたことだった。

 晴彦は、如月は、伊藤は、入江先輩は、時雨さんは、父さんは、義母さんは――。

 色んな人に色んな人生があり、物語がある。


「だから誰かを救うのは、俺じゃなくてもいい。ただ俺は物語を届けるのを手伝いたい」


 下読みのバイトをしてみて、たくさん面白い話があることを知った。

 青春を送ってみて、俺なんかでは誰かのことを救えないと気付いた。


「でも――分からないんだ。俺がそれをしていいのか、そもそも目指していいのか」


 押し出すように、俺は言う。

 下読みのバイトをしながら、物語に関わる仕事をしたい、って思いは胸の内で大きくなっていった。けどそれを否定し、見なかったことにしたのは、能力以前に俺には物語と関わる資格がなと思ったからで。


「だって俺は……現実と向き合いもしない臆病者なんだ。逃げて、逃げ続けて、見たくないものはすぐに見なかったことにしちゃう奴なんだ。そんな俺は、多分物語に関わるべきじゃない。そんなことしたら、きっと誰かの願いを傷つけるから」

「そっ、か」


 話し終えると、時雨さんはゆんわりと山なりにボールを投げてきた。

 俺はそれをキャッチしようとして、グローブの隅っこにぶつけて落としてしまう。

 コロコロと転がるそれを拾って戻ると、時雨さんが声を張って言った。


「確かにキミはね、現実から逃げてばっかりでダメな子だよ。いつまでも美緒ちゃんのことを引きずって、しかも引きずることを悪いとも思ってない! 色んな人とすれ違ってばっかりだ!」

「っ……」

「でも! キミが届けた物語は、ちゃんとボクの胸に届いたっ! 雫ちゃんとの物語も、大河ちゃんとの物語も、澪ちゃんとの物語も……! 素敵な物語を、キミは編んで届けてくれた!」

「――ッ……っん」


 バチン、と胸の前でグローブを叩いて。

 何故だろう。これだけ離れているのに、時雨さんが優しくて強い表情をしているって分かる。それは――そう、美緒みたいに。


「キミは物語を、ちゃんと拾ってあげられてるんだよ! あの三人だけじゃない、ボクの物語もちゃんと拾ってくれた!」

「っ」

「誰だって、現実から逃げたくなる。自分自身の物語を直視なんてしたくない。それでもキミは、周囲の人に物語を届けてくれた! 澪ちゃんも大河ちゃんも雫ちゃんも、だからこそ今のあの子たちになれたんじゃないのかなぁ!」


 丁寧に、しっかりと、時雨さんは縫っていく。

 破れかぶれの夢の虹を縫って、渡っていい、って言ってくれている。

 あまりにも甘い。

 贔屓もいいところだ。

 なのに、


「最低なキミは、他のみんなの物語全部を素敵なものだ、って心から言えちゃうんだ。そう言ってくれるキミだから、色んな人がキミを好きになるんだよ」


 時雨さんはそう、言ってくれる。

 それは、遅れたサンタクロースが届けてくれたプレゼントみたいで。

 或いは、まだ半月にすら程遠い今日の月みたいで。


 時雨さんが、そう言ってくれるのなら。

 俺は目指してもいいんだろうか。

 この道を歩んで、いいんだろうか。

 ずっと見つからなかった生き方はこれだ、って。俺の中の本物はこれなんだ、って。宝物みたいに握り締めてもいいのだろうか。


「さあ、投げて? キミが満足いくまで、ボクが受け止めるよ。ボクのありったけの言葉で足りないなら、赤を入れて? それでボクに、キミの神様をやらせて」

「ぅぁっ」


 ぎゅっ、とボールを握る。

 強く、強く握って、この人がくれた言葉を抱き締める。

 もうとっくにこの人は俺の神様だった。

 この人が書いた物語は、紛れもなく俺を救ってくれたんだから。


 不器用で無力で最低な俺は、まともな言葉を紡げやしないから。

 代わりに大きく振りかぶる。

 どうか感謝ごと届きますようにと願って。



 そうして、俺は。

 物語と関わって生きていくことを決め――


「ぁれ、力が……?」


 ぽとり、と握っていたボールを落としてしまう。

 投球モーションに入っていたはずの体はバランスを崩し、目の前がチカチカと点滅して……。

 気付いたときには、俺は倒れていた。


「キミっ!? キミってばぁっ!」


 いやいやいやいや、なんだよこれ。

 こんな急展開、あってたまるかよ。フラグも伏線もありはしない。まるで物語を転がすためだけに起こるようなイベントを認めてたまるか……っ。


「あ゛」


 何かが終わるみたいに、体が一気に冷えていく。

 絵に描いたようなバッドエンド。

 だとすれば、或いは、許容すべきものなのかもしれないな。


 そんな風に自嘲しながら、俺は意識を手放した。

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