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十章#29 入江大河は、諦めない。③

 SIDE:大河


 こんこんこん。

 月曜日、放課後。

 強い意志を感じるノック音は、今日の経緯を私に思い出させた。


 先週の月曜日、SNSにきた意見要望(お悩み相談)に返信を行った。そのうちの一件の相談を直接顔を見ながら話すことになり、あれから日程を調整していたのだ。

 諸々の事情が重なり、今日、ようやく会うことになったというわけだ。


「どうぞ~」


 と言う如月先輩は、何故だか月曜日からやたらとソワソワしていた。

 その隣にいる花崎さんや土井さんも、何やら険しい顔をしている。

 ……書記の先輩はいない。別に仲間外れにしているわけではなく、たまたま今日はこない日だっただけだ。二日に一度は来ているだけなので、念のため。

 と、考えている間に扉が開かれる。


 そこに立っていたのは――私も知っている人物だった。


「お邪魔します」


 その人は、意外と丁寧な口調で言う。

 爽やかな髪型とスポーツマン然とした雰囲気。教室で色んな人に囲まれて、分かりやすく眩しい青春を過ごしているタイプの人だった。

 杉山大志くん。

 私や雫ちゃんと同じクラスの男子で、一年生の中ではかなりの人気者だ。


「杉山くんだったんですか……?」

「あれ、気付いてなかったんだ? 苗字そのまんまだし、サッカー部が忙しいって話もしてたから気付いてると思ってた」

「苗字……ああ、なるほど」


 SNSのアカウント名は『杉山クラーク』。

 言われてみれば、かなり分かりやすい。クラークというのは『少年よ大志を抱け』のクラーク博士だろうか。

 随分と安直なアカウント名だ。


「杉山くん。SNSは不特定多数の目に入るので、もう少し分かりにく名前にした方がいいですよ。万が一にでも本人が特定されてしまうと危険な目に遭う可能性も――」

「それ入江さんが言うんだっ!?」

「こういうところが大河ちゃんよねぇ……」

「あはは」


 三人が口々に言った。

 まぁ、気付いていなかった私が言うべきことではないかもしれないけれど、一応気になったことは言っておくべきだろう。男子だから犯罪に巻き込まれず、女子だから警戒しなきゃいけない、なんてことはないはずだ


 杉山くんはくしゃっと笑い、


「忠告ありがとう。今後は気を付ける!」


 と言って、手近なパイプ椅子に腰かけ――


「その椅子はダメです。そっちに座ってください」

「え?」


 ――ようとして、私は反射的に止めていた。

 何故か。

 簡単だ。その椅子は、ユウ先輩が座っていた席だから。


「あぁ……ごめんなさいね。悪いけど、そっちに座ってくれるかしら?」

「あ、はい。了解です」


 私が言葉に詰まっている間に、如月先輩が言う。

 杉山くんはこくりと頷き、別の席に座った。


「なんか、一週間ぐらい空いちゃって申し訳ない。部活が忙しくて、どうしても抜けられなくてさ」

「そうなんですか……別に構いません。こちらも返信が遅れてしまいましたし」

「そっか。……っていうか入江さん、どうして敬語? 同い年なんだし、タメ口でいいよ」


 こうやってコミュニケーションを取ろうとするのは、雫ちゃんに似ている。人と上手くやれる、友達が多い人に特徴だ。

 そんな人たちのもう一つの特徴が、やたらとタメ口をよしとする傾向があることだった。

 私は顔をしかめ、すぐに返す。


「杉山くんとは敬語で話したいので結構です。それに私は杉山くんのことがあまり好きではありません」

「うわっ、正直……!」

「当たり前です」


 だって、と呟いて頭によぎるのは雫ちゃんのことだった。

 杉山くんは一時期、雫ちゃんと付き合っているという噂が立っていた人だ。ミスターコンの出場者選出のときのやり取りから見て、雫ちゃんにしつこくアプローチしたのだろう。

 好意を伝えることが悪いとは言わない。

 でも相手が嫌がっているのにそれを続けるのは別だ。


 って、あれ?

 ちょっと待って。確か、杉山くんの相談内容って……。


【二学期にクラスの好きな子に告白しました。でも振られてしまい、その後もアプローチをしすぎてしまったせいか、教室でもほとんど話さなくなってしまいました。もう恋を叶えるのは諦めています。でも人として素敵な相手だから、友達としてあと二年間一緒にいたいんです。振られた相手と友達になるためにはどうすればいいですか?】


 ……っ、まさか――


「――杉山くんが友達になりたい相手って、もしかして雫ちゃんですか?」


 自分の声が震えていることに気が付いたのは、全て言い終えた後だった。

 杉山くんは私を見つめ、ああ、と首を縦に振った。


「そうだよ。俺はしず……綾辻さんと、友達になりたい。でもそのためには多分償わなきゃいけなくて……だから、相談したんだ」


 その言葉には、DMの文面と同じように切実さが滲んでいた。

 だからこそ、余計にジクジクと心が膿んだ。


 雫ちゃんと友達になりたい、だなんて。

 私だって本物の友達にはなれていないのに、どうしてこんな相談を受けなくちゃいけないんだろう。


 ……ああ、そうだ。

 それもこれも、仕事に逃げたせいだ。

 雫ちゃんともユウ先輩とも向き合わず、生徒会を逃げ場にした罰だった。


「ええと……入江さん?」

「っ、すみません。如月先輩、お願いしてもいいですか?」


 この相談は受けられない。

 能力的にも、資格的にも、意思的にも。

 なのに、


「いいえ、大河ちゃん。この相談は大河ちゃんが受けるべきよ。ちゃんと話を聞いて、考えるべき。そうしないと《《ずっとこのままよ》》」

「……っ、それは…っ」


 このまま。

 雫ちゃんと話すことも、ユウ先輩と仕事をすることも、……澪先輩と言い争うこともなくなってしまう。

 それは……嫌だ。

 嫌なんて言う資格、ないかもしれないけど。


「分かり…ました。相談、お受けします。杉山くん、まず改めて事情を話していただけますか?」


 私は生徒会長だ。

 雫ちゃんと、ユウ先輩と、澪先輩。あの三人と一緒に、不恰好で情けないやり方だったけど、それでも四人で協力して手に入れた立場なんだ。

 ならその役目から逃げちゃいけない。


「分かったよ。じゃあ話すな?」

「はい」


 一呼吸置いてから、杉山くんは話し始める。

 私は背筋をピンと伸ばし、彼の相談に耳を傾けた。


「知ってると思うけど、俺は綾辻さんのことが好きだった。入学式の日に一目惚れして、それからずっと目で追ってたんだ。綾辻さんが一つ年上の先輩と付き合い始めたって聞いたときは諦めかけたけど、夏休みが開けて、別れたって話を聞いて、アプローチしようと思った」

「…………」

「告白したけど、すぐに振られてさ。それできっと元カレに未練があるんだ、って思ったんだよ。だから言ったんだ。あの人の周りには、他にも女子がいる。綾辻さんのお姉さんと入江さん。必ずあの先輩はどっちかと付き合うから、未練なんて捨てて次の恋に行くべきだ、みたいなことを」

「………っ」


 言葉に詰まった。

 怒りか、或いはそれ以外か。

 何かが逆流して、口から零れてしまいそうだった。

 でもそれより先に、杉山くんの表情が歪む。罪悪感とか申し訳なさでいっぱいの顔だ。


「しつこく言って、そのせいで話せなくなって。それでも懲りずにミスターコンのときに先輩の突っかかったりして……けど、その後にすぐに思い知ったんだ」

「その後?」

「綾辻さんと、お姉さんと、入江さん。三人のステージを見て、自分がどれだけバカだったか気付いた。綾辻さんの想いは、俺があれこれ言っていいものじゃなかった。俺が思ってるよりずっとずっと強かった」

「――っ……っ」


 ああそうか、と気付いた。

 杉山くんは私と同じなんだ。4月の、勉強合宿で雫ちゃんから恋バナを聞いたときの私と同じ。

 雫ちゃんの想いに気が付いて、その想いが揺らがないことを思い知って、それでも綾辻雫という少女に惹かれてる。


「だから俺は、償いたい。そんなにも誰かを好きになれる子が悪い子だとは思わないから……償ったあとに、友達になりたいんだ」


 杉山くんは、はっきりと告げた。

 その声にはひとかけらの未練も残ってはいない。最初に警戒してしまったことに、申し訳なさすら抱いてしまう。


「償い、ですか」

「うん。俺が綾辻さんに何か影響を及ぼせるような男じゃないってことは分かってる。償いが必要なことをできてすらいない。でも……だからこそ、何か力になりたいんだ」


 言って、杉山くんは私を真っ直ぐに見つめた。


「綾辻さんと入江さんが仲直りする手助けがしたい。お節介だって分かってるけど、でも、三学期になってから一言も話してないから」

「えっ……?」


 思いもよらない杉山くんの言葉に、私は間抜けな反応をしてしまった。

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