十章#28 入江大河との話
SIDE:友斗
入江大河は、俺にとって最強の後輩だった。
大河との出会いは、おそらく最悪なものだったと思う。
雫と澪と同居生活を始めることになった4月。雫に告白され、しかし、半ば雫を裏切るような形で澪と義兄妹になった俺は、胸のうちに色んなものを抱えていた。
罪悪感とか、自責心とか、それよりももっとおぞましくて甘やかな感情とか。
そんなときに出会ったのが大河だった。
『あなたはどなたですか?』
ライトブラウンの髪と鋭いつり目。
警戒心と敵意をびしばし感じるその声は、ビリリと体を痺れさせた。
『あの……あまりジロジロ見ないでください』
『あっ、ああ、悪い』
『いえ、別に。私はもう失礼します』
『あ、そうか? 俺はいなくなるし、もう少し雫と話しててもいいんだぞ』
『雫ちゃんとはいつでも話せますから。百瀬先輩のような方の目があると思うと気が休まりませんし』
きっぱりと拒絶するような反応。
少なくとも、大河の俺への第一印象は最悪だっただろう。
そんな俺たちの関係が僅かに変わったのは、GWの頃。
『あ・の! 今変な顔しながら歩いてる冴えない……けど、もしかしたらほんの少しかっこいい……? 可能性を秘めているかもしれなさそうな先輩!』
待ち伏せしていた大河は、失礼極まりないことをずばずばと言ってきて。
気付けば俺も、大河と言い争いをしていた。
最終的に『妹子』なんて呼び方をすることになったんだから、あの頃の俺は結構酷いよな。澪が『トラ子』って呼んでケンカしてるのを色々言ってたけど、俺だってあまり人のことを言えないかもしれない。
腹に来るような皮肉を言って、半ば強引に俺と二人っきりになって。
それで大河は問い詰めてきたんだ。
三股してるんじゃないのか、って。
奇しくもそれは、俺が三人に言わせてしまった『ハーレムエンド』と似たようなものだったけど。あのときの大河は、俺に真っ直ぐ挑んできた。
『雫ちゃんは私にとって大切な友達なんです。入学して一か月で何を言っているんだと思われてしまうかもしれないですが……。それでも、雫ちゃんを傷付けるような真似をしてほしくありません』
強い子だな、と思った。
ヒーローって呼ばれるのはこういう子を言うのかもしれない、と。
全てを打ち明けて断罪したいって思って。でもそれは大河に寄り掛かることに他ならないって分かってて。
だから打ち明けることはしないけど、傍にいてほしいって思ったんだ。俺に厳しくなってくれる存在ってのが、凄く心地よかったから。
補佐っていう“関係”を押し付けたのは、それが理由。
いつでも俺を叱ってくれるように、逃げないように、って。
でも一緒にいて、いつの間にかそれだけじゃなくなっていた。
『あの、モモ先輩。これってどうすればいいんですか?』
『ん? ああ、これはだな――』
頼られるのが嬉しかった。
『モモ先輩、そのやり方は間違ってませんか? ここは――』
『んあ、ほんとだ。悪い悪い、気が抜けてたわ』
『まったく……教育係ならちゃんとしてください。でも教えていただいてありがとうございます』
『お、おう……』
間違ったらちゃんと指摘してくる生真面目さとも生意気さともつかない強さも楽しかった。
俺が正攻法を取らずにやろうとすれば、いちいち突っかかってきて。
けど間違えたらすぐ謝るし、間違えていなくてもお礼を欠かさない。
大河は知らないだろうけど。
一年生のときはここまで生徒会に前のめりになってはなかったんだ。時雨さんに頼まれたときに頼まれたことをやって、時々機転を利かせたことをする。あくまでその程度でしかなかった。
大河にかっこいいところを見せるために、去年以上に生徒会にのめり込んだんだ。
しかし、その“関係”は俺の弱さによって終わってしまう。
大河が風邪で倒れたかもしれない。
その事実に気付いたとき、俺の頭は大河を失うことの恐怖で埋め尽くされていた。美緒みたいに、大河を失ってしまったら……って。
雫が彼女で、澪が義妹で、大河が補佐で。
そんな“関係”は本当は頭の片隅にもなかったくせに、認めてしまうことが怖くて、“関係”を貼り付けた。
そんな俺に、
『私には、百瀬先輩が雫ちゃんの恋心を利用しているようにしか見えません』
と辛そうにしながらも言ってくれた大河を見たとき、ぱりぱりーんと心の何かが割れたような気がした。
だってそれは――ずっとずっと、誰かに言ってほしかったことだったんだ。
罪悪感でぐちゃぐちゃになっていて、誰かに叱ってもらえなければどうしようもないところにまで来ていた。誰か俺を叱ってくれよ、って本当は叫んでたんだ。
それなのに俺は、
『関係ないだろ。これは俺と雫の問題だ。関係ない奴が、口を出すなよ』
なんて、拒絶して。
それでもなお大河は踏み込んできてくれた。
『嫌です』
『っ……どうして!』
『好きだからですよ。好きだから、無関係でなんていたくないんです。好きな人が苦しそうな顔をしてるのを、これ以上見たくないんです!』
自分の『好き』を、俺を叱って助けるための道具みたいにぽいって使ってしまえる。
そんな強さが、危うさが、どうしようもなく眩しかった。
『……ごめんなさい、百瀬先輩。言いすぎてしまったかもしれないです』
『…………』
『でも……私のことを嫌いになってもいいですから、もう少しご自身の気持ちを大切にしてあげてください』
『…………』
『百瀬先輩は、優しい方なんです。私なんかの看病に駆け付けてくれる人なんです。だから』
大河は俺が彼女の手を振り払ったあと、それでもギリギリの義務感で看病を続けているとき、ずっとそんな風に語りかけてきた。
それ以上話せば置いていかなきゃいけなくなる。
そう話したはずなのに、大河は自分が一人になることを厭いもしなかったんだ。それよりも俺に踏み込もうとした。
大河はずっと迷い、迷いながらも踏み込んだ。
俺だけじゃなくて、澪にも踏み込もうとした。
『私は気付けるはずだったのに……見ないふりをして、見つけようともしないで、そのせいで澪先輩を傷つけてしまったのかもしれません』
誰かを知ろうとして、その結果、自分を責めて。
それでも真っ直ぐな大河の在り方にかっこよくて憧れた。
だからこそ、俺は大河に幻想を押し付けてしまったんだと思う。
俺なんかと違って、かっこいい奴だ、って。
色んなものにぶつかっていって、解決できる奴なんだ、って。
雫に指摘されて、俺は初めて気が付いた。
大河は強いんじゃない。強く在ろうとしてるんだ、と。
大河の核たる部分は、真面目さじゃない。正しさでもない。強さなんかではもちろんなくて。
『信じます。あらぬ誤解をかけてしまい、すみませんでした』
『約束します。タイムリミットは8月13日。その日まできっと、百瀬先輩は思い出しますよ』
『そういうことなら、お任せします。百瀬先輩のそんな顔、初めて見ましたし』
あの子は、人を信じることができるんだ。
信じて、期待することができる。
だからこそ叱るときは叱るし、間違ったことがあれば指摘する。何故ってそれは、信じているから。
あの子はいつも、俺の後輩をしてくれていた。
ダメな俺を叱って、間違いを指摘して、それでもなお俺を信じて。俺の背中を押し続けてくれたんだ。
眩しいほどに、あの子は最強の後輩で。
だから俺は入江大河のことをずっと愛している。
◇
「――って、感じ。これで大河のことも終わり」
土曜日の夜。
俺は時雨さんに、また拙い話をしていた。雫や澪と違って大河との歴史は短いはずなのに、話し出したらキリがなかった。
学校で過ごした時間の長さゆえ、なのだろう。
「雫ちゃんのときに聞いたこと、今回も聞いていいかな?」
「……どんなところが好きか、ってこと?」
「うん。《《キミ》》は大河ちゃんの、どういうところが好き?」
時雨さんはベッドを席を立ち、俺より目線を高くして聞いてくる。何となくそうなんだろうな、と予想していたから戸惑いはしない。
雫のときと同じだ。
色んなところが全部好きに決まっている。
叱ってくれるところも、教えを乞うてくるところも、頑張っているところも、大好きで。
じゃあ一番はって聞かれたら、
「笑顔、かな。大河は世界一可愛く笑うんだよ」
「ふふっ。それ、雫ちゃんのときにも言ってたよ?」
「そうだけど……事実なんだからしょうがないじゃん」
俺はあの子の、笑顔が好きだ。
「一生懸命頑張った後に緊張がほどけたときに零す笑顔とか、怒ってる間隙の笑顔とか、みんなで写真を撮るときの不器用な笑顔とか……そういうのが、大好きなんだよ」
だから俺はあの子にも笑っていてほしくて。
でも――他でもない俺が壊してしまった。
「そっか。素敵な話だね」
「……うん」
「今日はもう寝るよ。明日はちょっと用事があるから……澪ちゃんの話は月曜日に」
「分かった」
時雨さんが去った部屋で、俺はスティックゼリーをちゅるりと吸った。
早めの時間に話し始めたからだろう。夜は、まだ深くない。……といっても、今日と明日の境界はとっくに超えてるけど。
「甘いなぁ……」
味は分からないけれど。
大河が好きだった七夕ゼリーを思い出して、補完する。
「寝る、か」
大河と二人で眠った夜みたいに、心地いいものにはならないだろうけど。
睡眠時間をがんがん削る大河に注意できなくなってしまうから。
俺は、せめてベッドで眠ることにした。




