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十章#25 綾辻雫との話

 SIDE:友斗


 綾辻雫は、俺にとって最強のヒロインだった。

 だって、出会いからして物語に満ちていたから。


 美緒が4月に死んでから、俺はずっと迷子みたいになっていた。頭の中に響く美緒の言葉だけを頼りに、周囲の大人に決して迷惑をかけまいと『ちゃんとする』ことばかりを考えていたように思う。


 クラスメイトとも距離を取り、上手くやることばかりを考えていた。踏み込ませないように、踏み込まないように。その頃は“関係”だとか“理由”みたいなものを強く意識していたわけじゃないけれど、不用意に誰かと関わることを恐れてはいたはずなんだ。


 休み時間は遊びに誘われても断るし、自分から『入れて』の一言を言うわけでもない。

 ぽっかりとエアポケットみたいに空いた休み時間に校庭を放浪していると、誰も見向きもしない物陰にその子は蹲っていた。

 最初は、体調が悪いのかな、と思いもした。でもすぐに、ぱらぱらぱらと本をめくる音が聞こえて、それが勘違いなんだと気付く。


 そうか、と思った。

 この子も美緒と同じく、自分の世界をちゃんと持ってる。

 自分で生きていける子なんだ。

 でもそれは同時に、孤独な在り方にも思えて。寂しそうなその姿を見て、俺は声をかけた。


『なーにやってんの』

『きゃっ』


 雫は、心底驚き、そして怯えているようだった。

 ふるふると身震いしていて、顔には警戒の二文字が書いてあるみたいだった。


『ごめんごめん。急に話しかけるのはよくなかったよね

『……別に。ここは私がいるからあっちいって』

『あちゃー、超怒ってるじゃん。ごめんって』


 ビー玉みたいにキラキラ輝いた瞳。

 脆くて、でも奇麗なその瞳を守りたいと思った。

 それから俺は、毎日のように雫を探した。あの頃のことを雫に掘り返されたら、羞恥心で軽く死ねるレベルだろう。俺は本当にしつこかった。


 次の日、俺はぬいぐるみを持って行った。

 美緒のために習得した腹話術擬きを使って、驚かせてやろう。そうすればきっと笑うはずだ、と思ったのだ。


『こんにちわんっ。僕は百瀬友斗だわん。よろしくだわん』


 ふよふよ、とぬいぐるみを出して、ちょっぴり高い声で言う。

 雫はくすくすと笑って、そのまま笑顔で言った。


『あっち行って』


 今だから言うけれど。

 そのときの雫の嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。雨が止んだ後に空に虹が架かるみたいな、そんな素敵な笑顔だったから。



 図書室で、教室で、教室で、校庭で――。

 色んなところで雫を見つけた。

 それはかくれんぼみたいで。思えば見つける時間が遅れると、雫はちょっぴり不機嫌だったように思う。


『むぅ……遅い』

『遅いって、別に約束してるわけじゃないじゃん』

『そうだけどっ!』


 でもぉ、と可愛らしく拗ねる雫の姿に、果たして俺は本当に美緒を重ねていたんだろうか?

 今となってはもう、分からない。



 まぁ、何はともあれ、だ。

 俺と雫の出会いは、よくできた物語みたいだった。

 じゃあどちらが主人公なのかって考えたら……多分、主人公は雫なんだと思う。だって雫は、自ら変わっていくことができた。


『ねぇ。き……も、百瀬くんは、このゲームだとどの子が好き?』


 ある日のことだ。

 雫にそう尋ねられ、俺はそのときちょうどの好みだった小悪魔な後輩を指名した。

 これも雫には言えないことだけど。

 ツインテールの髪とか、実は人懐っこいところとか、俺が指名したキャラは雫と似ている部分がそこそこあった。だから好きだったんだ。


 だから少しして雫が本当に小悪魔な後輩になったときには、実は結構心が揺れた。

 口調も変わって、俺のことを『先輩』って呼ぶようになって、俺をからかうことも増えたし、何より人と関わりを持つようになった。

 自分の意思一つで、変わりたいと願った通りに姿を変えていった。


 可愛いな、と何度思ったか分からない。

 だって当時小学生だぜ?

 しかも、思いっきり傷心だった。傍にいて笑ってくれる雫の存在が、どれほどありがたかったか。


『遅れちゃったのは残念ですけど……誕生日、おめでとうございますっ! 先輩がいてくれて私は……その、嬉しいです!』


 どうしようもなく、あの言葉に救われた。

 何度も、何度も、泣いた。

 いてくれて嬉しい、って。そう言ってもらえて、生きていいのかな、って思えた。



 でも俺は――あの子から逃げた。

 雫を美緒の代わりにしてしまってるって自覚があったから、自分の幼稚さにゾッとして、父さんに頼んで中学受験をさせてもらった。



 なのに、雫は俺の手を離しはしなかった。


『ねぇ先輩! 中学受験するってことは頭いいんですよね? だったら私の勉強見てください!』


『ねぇねぇ! デート行きましょうっ♪』


『今日、実はクラスの子に告白されちゃったんですよね~。返事、どっちにしたと思いますか?』


 小悪魔っていうより忠犬だろ、って思うときもあった。

 けどこんな風に誰かに慕われたのは初めてだったから、めちゃくちゃ嬉しくて、呼び出されると必ずと言っていいほど駆けつけた。


 一番雫と長く関わったのは、去年だろう。

 

『私、先輩と同じ学校に絶対に行くので! 可愛い私と一緒に青春を過ごしたかったら勉強を教えてください♪』


『な、なんちゃって……あの、本気で勉強教えてもらえませんか? 合格できるか、不安なんです』


 小悪魔ぶって頼めばそれでいいのに、俺が苦笑しているのを見て、雫は改めて真剣なトーンで頼んできた。そんな態度を取られて無視できるはずもなく、俺は暇を見つけては雫の勉強を見たり、問題集を作って渡したりしていた。


『みてっ! 見て先輩! 合格っ! ごうかく、できました……ぁっ!』


 ぐしゃぐしゃに顔を濡らして、それはもう嬉しそうに報告してきたときには、不覚にも泣いた。だって、本気で嬉しかったから。

 美緒の代わりにしたとか、そんなこと関係なかった。

 可愛がってる後輩の願いが叶った。

 そのことが、どうしようもなく嬉しかったんだ。


『なあ、雫』

『なんですか?』

『……いや、なんでもない。明日からはちゃんと俺の後輩なんだなって思っただけ』

『何を今更。今までだって後輩でしたよ、ずっと』

『それもそっか』


 そうして雫は、本当に後輩になって。

 かと思えば同棲するようにもなって。


 複雑な思いはあった。

 一度は美緒の代わりにしてしまった女の子が、本当に美緒の代わりみたいに妹になったんだ。よしてくれよ、って神様に泣き言を言った回数は数えきれない。

 けど、多分、それ以上にドキドキもしてた。

 家でのリラックスする姿を見るのも、一緒の家に帰ることができるのも、『ただいま』も『おかえり』も全部が、嬉しかった。


 だから告白されたとき、心は高鳴った。

 罪悪感で囚われて、失ってしまう恐怖に駆られながらも、嬉しかったのは事実なんだ。雫に好いてもらえたことが、嬉しくて、嬉しかった。


『だから――付き合ってくれ』

『……っ、はい。もちろんです』


 彼氏と彼女になったとき、『好き』とは言えなかったけれど。

 でも大切だと思っていたのは本当なんだ。

 愛おしい、と思っていたのは本当なんだ。



 けれども、『好き』と言えないのに恋人になったせいで俺たちの関係は瓦解した。

 瓦解したのに――それでもやっぱり、雫は俺を見放さなかった。


 文化祭のときも、選挙のときも、俺の背中を押してくれたのは雫だった。

 あの子は俺を好きだったのに。

 なのに、他の女の子のところへ送り出してくれた。


『先輩は分かりますよね? どうしてお姉ちゃんがこうなったのか、今お姉ちゃんがどうしてほしいのか』


『力になってあげたいなら、かっこつけたりしないで、素直になればいいじゃないですか。かっこ悪く言えばいいんですよ』


 あの子はいつも、いつも、どこまでもヒロインだった。

 どれだけ酷いことをしても、離れようとしても、俺の手を掴み続けてくれた。



 ほんとの本当に、あの子は最強のヒロインで。

 だから俺は綾辻雫のことを一生愛し続ける。



 ◇



「――雫のことは、こんな感じかな」


 拙い話を終えた。

 金曜日はもう、終わろうとしている。今日はこの辺りにするべきだろう。


「《《キミ》》は……雫ちゃんの、どんなところが好きなの?」


 話を切り上げようとしていると、時雨さんがベッドから立ち上がって聞いてきた。これが最後の質問。そう言いたげに。


「どんなところ、か」

「そう。もちろん色んなところがあると思うけど……一番好きだったのは、なに?」


 言われて、一瞬考えて。

 頭によぎるのは、出会った日に見た笑顔だった。


「笑顔だよ。雫は、世界で一番可愛く笑うんだ。太陽なんかよりずっと眩しく、星なんかよりずっとキラキラした顔で笑ってくれる。そんなところが、大好きなんだ」

「そっか」


 だから俺はあの子にずっと笑っていてほしくて。

 でも――もうその願いは、叶うことがない。

 俺が壊してしまったから。


「もう今日は寝るね。また明日、続きを聞かせてほしいな」

「……分かった」


 時雨さんが出て行って、一人っきりの部屋になる。

 俺は冷蔵庫に入れず机に飾ったままの瓶ラムネを一撫でしてから、眠ることにした。


 どうせ今日は眠れないけれど。

 でも雫に言われたから。

 寝ろって言われたから。

 だから寝たふりでも、することにした。

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