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十章#24 恋物語

 SIDE:友斗


 窓の外に広がる宵闇の昏さを、俺はどれだけ測れば気が済むのだろう。今日はあいにくの朔月で、空には月影一つ見えやしない。

 あっという間に終わった一週間だった。

 中身がなかった、と言い換えても相違ないだろう。


 月曜日に一度、澪とぶつかりそうになって気まずくなったが、目立った事件と言えばそれぐらいだ。雫とも大河とも会うことはなかった。

 会うことはなかった――が、二人の姿を遠目で視認したことはある。

 たとえば火曜日の午後。

 やや難しめの範囲を扱うようになった授業に辟易しながら窓の外を見遣ったとき、ちょうど一年生が外で体育をやっていたのだ。


 今でも、ありありと思い出せる。

 やっていた競技は持久走で。二、三番目をキープして走り続ける大河と、それとは対照的に真ん中の辺りで頑張っている雫。持久走なんてサボって適当に済ませる奴だって多いのに、あの二人の頭にはサボタージュのサの字もありはしないらしかった。


 そんな姿を見ていたら、何だか元気が出て。

 遠目から見て元気を貰っているような自分の浅ましさがどうしようもなく忌々しくて、複雑な気分になった。


 それ以来、何の気なしに窓の外を見るのはやめにした。あの三人の俺への恋がきちんと終わるまでは、片想いをちゃんと封印しなくちゃいけないから。


「はぁ……こんなもんかな」


 一言呟いて、今日の仕事を自覚的に区切った。

 こうでもしないと、いつまででも読み続けてしまう。実際、昨日だったか一昨日だったかに時間を忘れて仕事を続けて、気付いたときには朝だった、なんてことがあった。

 ……いや、あれは火曜日だったっけ?

 日付感覚が自分の中でぐちゃぐちゃになりすぎていて、その辺のことは分からん。まぁ、誰に聞かせるわけでもないんだからどうでもいいんだけど。


「んっ…んーっ……っ」


 ぐいーっと伸びをして、そのままベッドに倒れ込んだ。

 ぼんやりと天井を見つめると、否が応でもあの三人のことを考えてしまう。


 雫は少しは元気になってくれたかもしれない。何日前だったかは覚えていないけど、伊藤と一緒にいるところを見た。具体的な話の内容は聞いてないが、どこかに行こうとしていたみたいだ。空元気でも元気のうちだし、それすら出せないよりはマシだと思う。


 大河は生徒会長として立派にやっているみたいだ。一度癖で生徒会のSNSにログインしてしまったのだが、そのときにDMで誰かとやり取りしているのを見た。きっと目安箱の企画だ。私情をさておいて仕事に取り組もうとする姿は、やはり眩しかった。


 澪は授業でもちょくちょく発言するし、クラスの奴らとも仲良くやっている。最近は伊藤たちと一緒に昼食を食べているから、接触したのは月曜日の一度だけ。晴彦には心配をかけていると思うけど、多分、こうやってなくなっていくのが正しい在り方なのだ。


「って、ばからしいな、俺」


 ほんと、何を考えているんだろうか。

 クールタイムのつもりがフールタイムを送ってしまった。

 考えるべきじゃないと思っておきながら、あの子たちのことは当たり前のように目で追ってしまう。見まい見まいとしているはずなのに、無意識のうちに知ろうとしているのだ。


 とんとんとん、と時を刻むようなノック音。

 もうこの音を何度聞いただろう。時雨さんは毎晩のように俺の部屋にやってきてくれる。ベッドから体を起こし、


「どうぞ。鍵、開いてるよ」


 と言った。

 うん、と言って時雨さんが部屋に入ってくる。


「こんばんは。月が綺麗だね」

「今日は月、出てないけどね」

「うーん……文学少女に『月が綺麗だね』って言われたら、男子たるもの喜ぶべきだと思うんだけどなぁ」

「確信犯な人に言われてもね。毎晩のように似た台詞を言ってくるしさ」


 俺が肩を竦めると、時雨さんはくつくつと楽しそうに笑った。

 ちっとも照れる様子がないあたり、つくづく確信犯だと思う。捉えどころがないところなんて、まさに今日の月みたいじゃないか。


「それで今日は何? 今度は何のどっきり?」

「どっきりって……あのねぇ。ボクのことを何だと思ってるのかな?」

「何だとって……そりゃ、気まぐれに俺を振り回してくるお天気雨ってところかな」

「ボクの扱い酷いよね?!」


 勢いよく時雨さんがツッコみ、ぷっ、と俺は吹き出した。

 けらけらと笑った後、こほん、と話を元に戻す。


「まあ冗談はさておいて。いつも俺が振り回されてることは事実だからさ。今日は何をしにきたのかな、って警戒してたんだけど」

「警戒って……ふふふっ。あ、でもそうだね。友斗くんに頼み事をしにきてるのは確かだし、そういう意味では警戒しても間違いじゃないかも」

「え゛」


 時雨さんが俺に頼み事……?

 わざわざそんな風に前置きをしてる辺り、警戒せずにはいられない。

 時雨さんは俺の隣に腰かけ、話を始めた。


「前に、ボクの新作を見せたのは覚えてる?」

「新作……うん。確かハーレムモノのだよね」

「そうそう」


 こくこく、と時雨さんは頷いた。

 あの晩に読んだ楽しくて愉快な物語を思い出して、チクリと胸が痛む。

 それは紛れもなく『ハーレムエンド』って言葉が頭をよぎってしまうからで。

 嫌になるほど主人公に共感できてしまうから、千切れそうなほど苦しい。


「続けて、いいかな?」

「……っ、もちろん」


 口から吐き出したその声は、思いのほか小さくて震えていた。時雨さんは膝を使って頬杖をつき、俺の表情を窺うようにしながら続ける。


「分かっているかもしれないけど……あの物語の主人公は、キミをモチーフにしてるんだよ」


 え、という声も出なかった。

 もしかしたら、とは思っていた。主人公のキャラ造形は俺とは全く違うけど、それでも、俺の心情と一致しすぎている。だからもしかして時雨さんには見透かされているんじゃないか、って。

 けど、まさか本当にそうだったなんて――


「嘘、じゃないんだよね?」

「こんなことで嘘つかないよ。友斗くんがあの三人を好きだ、ってボクは気付いてた。だからモチーフにした」

「……うん」


 それでね、と時雨さんはクッションを挟んで言う。


「あの作品を書き切るために、友斗くんの話が聞きたいんだ」

「あの作品をって……そんなこと、してる暇ないんじゃない? 書籍化するんでしょ?」


 触れたくないところには触れずに、俺は返す。

 時雨さんは、首を横に振った。


「それなんだけどね。編集の人に原稿を見せて、もしよかったら新作を出してみないか、ってことになったんだよ」

「何だそれ……時雨さんって、やっぱり時雨さんだよね」

「ふふっ。でしょ」


 ほんとつくづく常識外れでチート性能な人だ。そのせいで折角の逃避がものの数十秒で意味を失くしてしまう。

 ううん、それどころの話じゃない。もう不誠実な逃げ方をできないように追い込まれてしまった。切るカードがいちいち強力すぎるんだよ。


「……俺の話って言われても、分からないんだけど。何を話せばいいの?」


 もう、俺にはこう聞くしかない。

 話さない、なんて選択肢は選べない。


 時雨さんは俺の『好き』を守るために、愛されることすら求めず彼女になってくれている。エレーナさんと晴季さんは家族の一員のように扱ってくれた。時雨さんのデビューを喜ぶ二人を、俺は見てしまっている。


 そんな俺が、断れるはずがない。

 そこまで時雨さんは読んでいたのだろう。


「あの子たちとの物語を聞かせてほしい。どんな風に出会って、何を思いながら関わって、百瀬友斗にとってどんな存在だったのか。キミが思うあの子たちとの物語を、聞かせてよ」

「……っ、それは――」

「――大丈夫だよ。あくまで参考にするだけだから。ボクの心に、そっとしまっておくから。だからキミの愛する人たちの話を聞かせてほしいな」

「っ…それは、だって……っ…」


 優しいお月様の光みたいに、時雨さんの肩がコツンと当たる。

 話すべきではないんだと思う。

 決して叶わぬ片想いの話。

 妄想なら自由だけれど、口にしてしまえば途端に正しさを失ってしまう。絶対無敵の片想いのままにしておくのなら、ずっと俺の胸だけに秘めておけばいい。


 でも、誰かが言った。


『小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います』


 と。

 時雨さんなら、物語にしてくれるかもしれない。

 叶わないIFを請け負って、たとえば淋しい子供に笑顔をあげられるような、そんな物語にしてくれるのかも。

 なら、俺は――


「――話すよ。でも長い話になるよ」

「大丈夫、幾らでも聞くから」


 思いっきりあの子たちのことを想って。

 俺とあの子たちの物語を語り始めた。

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