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十章#23 綾辻澪は、諦めない。②

 SIDE:澪


「みんな、待たせてごめんなさいね~!」

「あっ、入江先輩! こんにちはっ!」「こんにちは!」「全然待ってないです!」「今から練習を始めようとしてたところですよ!」「今日もお美しいですね!」

「はいはい、じゃあまずはいつも通りトレーニングからね……っと、そうだ、部長。今日、彼女も練習に混ぜてあげてもらえる?」

「えっと……綾辻さん!? もしかして入部希望なんですかっ?!」

「それはまだ検討中ってところ」

「なるほど! じゃあとりあえず――」

「――ちょっと待ってもらっていいですかっっっ?!」


 目まぐるしく進む会話に無理やり切り込みを入れて、私は大声で待ったをかけた。

 場所は――旧音楽室。今は、演劇部部室、と呼ぶ方が適切だろう。


『来なさい。相手してあげる』


 なんて言った入江先輩は、何の説明もなく私をここに連れてきた。その時点で「おかしくないか……?」とは思っていたものの、何か事情があるのかと思い、黙っていた。

 その結果がこれだ。

 よく分からないうちに演劇部の練習に参加させられそうになっている。部長であるらしい二年生の女子も、なんか妙にノリノリだったし。


「入江先輩。どういうつもりですか? 私は演劇部の練習に参加するつもりなんてありません。入江先輩と……いえ、美緒ちゃんと話をしたいんです」


 ギリリ、と入江先輩を睨みつける。

 どこか霧崎先輩を彷彿とさせるようなはぐらかし方だったからだろうか。無性に苛立ちを覚えていた。

 が、入江先輩は私の視線をのらりくらりと躱し、肩を竦めて言う。


「《《おままごとが得意な綾辻澪》》にはぴったりだと思ったのだけれど、違ったかしら?」

「――っ!? ……皮肉がお上手ですね。流石は《《学年2位》》です」

「あら? この程度の挑発に乗るなんて随分と血気盛んで可愛らしいわね。体の大きさと心の大きさは比例するのかしら?」

「っ……そういう、ことをっ!!」


 入江先輩は、これでもかと挑発をしてくる。

 挑戦的な瞳と余裕綽々な態度が苛立ちを加速させた。

 ちっ、と半ば無意識のうちに舌打ちをしてしまう。自分を落ち着かせるために一度耳たぶを摘まみ、はぁ、と吐息を漏らした。


 落ち着け、綾辻澪。

 私はここに何をしにきた?

 私はここで何をするべき?


「……それも霧崎先輩が糸を引いてるんですか?」

「時雨? ああ……いいえ、これは関係ないわ。私だけならともかく、私の可愛い後輩まで時雨に利用させるつもりはないわよ。見くびらないで」

「だったらどうして、私を演劇部の練習に参加させようとするんですか? 入部なんて考えてませんし、邪魔になるだけでしょ」


 少し落ち着いた。

 私はここにリベンジをしにきた。そうすることであの日から突き刺さって抜けない言葉の棘を抜こうとしたんだ。

 入江先輩の挑発に乗ってぶつかったところで、何の意味もない。あくまであの日の言葉を振り払い、私らしく在ることが目的なのだから。


「どうして、ね……まぁいいわ。説明してあげる」


 入江先輩はこくと頷き、指を二本立てた。

 そのうちの一本を折り曲げ、口を開く。


「一つは先輩としての後輩へのお節介。行き詰ったり悩んだりしているときには、汗を掻いた方がいい、ってよく言うでしょう?」

「……行き詰まりも悩みも、入江先輩がちゃんと話してくれれば解決できることなんですけどね」

「それはどうかしらね」


 どこか余裕ぶって鼻を鳴らし、残ったもう一本の指を曲げた。


「もう一つは、単なる私の欲ね。綾辻澪は、私が会ってきた中でもとびきりのいい女だから、あなたがギリギリまで力を出し切るところを見てみたいのよ」

「そんなわけが分からない理由で、参加するわけないじゃないですか」


 私が切って捨てると、入江先輩はじっと私を見つめた。

 それから口許に手を遣り、分かったわ、と首を縦に振った。


「私が満足いくまでやりきってくれたなら、一つ質問に答えてあげる」

「一つ、質問に……?」

「えぇ、何でもいいわよ。あの雪の日の真意でも、ね」

「っ!?」


 それは、とても魅力的な話だった。

 どうして入江先輩は美緒ちゃんを演じてあんなことを言ったのか。

 霧崎先輩は一体何を考えて、あんなことの糸を引いたのか。

 分からないことは幾つもある。


 入江先輩は意味もなく自分の妹を傷つける人じゃない。霧崎先輩も、もう悪意をもって雫を傷つけようとはしないはずだ。


「もちろん、あなたが望むならあの日のリベンジを受けてもいいわ。再挑戦に条件が要る、なんてよくあることでしょう?」

「…………」


 再び、ぎゅっ、と耳たぶを摘まんだ。

 痛みを感じるぐらいに、強く、強く。

 そして、入江先輩を真っ直ぐに睨んだ。


「その言葉、忘れないでくださいね」

「ええ、入江恵海に二言はないわ。私は自分の言葉の全てに責任を持つ」

「なら……やります」


 こくりと頷いて、入江先輩の隣で置いてけぼりになっている部長さんの方に向き直った。こちらの事情なんて、演劇部の彼女たちには関係ない。利用するのだとしても礼を尽くすべきだ。


「部長さん。二年A組、綾辻澪です。練習に参加させてください」

「あっ、う、うん……! もちろん! 綾辻さんとやれるなんて大歓迎だよ! 文化祭のミュージカルもミスターコンも、どっちも凄くてさ! 私、ちょっとファンになっちゃってるんだ!」

「そ、そうなんだ……ありがとう。じゃあよろしく」


 斯くして私は、演劇部の練習に参加することになった。



 ◇



 演劇部は、思っていた以上に体育会系の部活動のようだった。

 練習に参加することになってまず言われたのは、動きやすい服装に着替えてきてほしい、ということ。ちょうど今日は体育があったので、教室に戻ってジャージに着替えた。

 そこから始まったのは、地道な肉体トレーニングだ。


 まずは体育の授業でよくやるようなラジオ体操。

 それが終わると、次に20分ほどかけて念入りに柔軟運動を行った。元々体が柔らかい方だったため、ペアになってやってくれた部長さんに少し驚かれた。


 柔軟運動の後は、なんと持久走だ。

 学校の周りを一人二周。まぁ二周程度なら毎朝走ってる量の半分にも満たないし、入江先輩との口論で溜まったフラストレーションを発散するのに役立ったからいい。


 いよいよ演劇の練習に入るかと思えば、今度は筋トレが始まった。

 腕立て、腹筋、背筋、スクワット。それからついでに体幹トレーニング。水泳部か何かかと思うようなハードさのトレーニングで、流石に部員の中にも何人か苦悶の表情を浮かべている人がいた。何てことないトレーニング、というわけではないらしい。


 ここまでをきちんと終わらせると、ようやく発声トレーニングが始まる。

 入江先輩が主導し、腹式呼吸だとか「アメンボ赤いなあいうえお」だとか、そういう練習が続いた。


 そして――それは、下校時刻を報せるチャイムが鳴るまで続いた。


「これだけ?」

「ハァ、ハァ、ハァ……っ。そう、だよ? 綾辻さん、全然疲れてないね?」

「え? いや、別に疲れてないわけじゃないけど……」


 終わったとき、演劇部の部室はスタミナ切れで死体のように転がっている部員でいっぱいになっていた。

 冬とは思えないほどぐっしょり汗を掻き、ぜぇぜぇと肩で息をしている姿を見ると、ちょっと戸惑ってしまう。


 ぼんやりと立ち尽くしていると、お疲れ様、と入江先輩がドリンクを差し出してきた。


「……ありがとうございます」


 色々と思うところはあるのだけど、ひとまず大人しく受け取る。

 くっ、くっ、くっ……と半分ほど飲むと、流した汗を取り戻せたような気分になった。早朝ランニングの後に飲むサイダーに似た爽快感がある。

 ぷはぁと口を離し、唇についたスポーツドリンクを舌で舐めとった。


「随分と余裕そうね」

「まあ、これぐらいの軽めのトレーニングなら余裕ですから」

「ふふっ。それ、うちの子たちが聞いたら卒倒するわよ?」


 そんなこと言われましても。

 私は肩を竦めて見せる。

 そりゃ、体育会系の部活動かと思うほどのハードさではある。よく「吹奏楽部と演劇部は実質体育会系」と言うのも納得だ。

 でもそもそも私は、体育会系の部活動の運動量じゃ物足りないから部活動に所属していない部分もある。この程度で限界になることはないだろう。


「てっきり、もっと演技の練習をしてるんだと思ってました。いつもこんな感じなんですか?」

「そうねぇ……月水はいつもトレーニングに当ててるわね。火木は演技の練習で、金曜日は休みか、もしくはトレーニング。もちろん、公演が近いときには毎日そのときにやっている演目の練習だけれどね」

「なるほど」


 まぁ、そんなものか。

 中途半端なことを毎日するぐらいなら、曜日ごとにやりきった方がいい。そんな部活動のスタイルにはそれなりに交換が持てる。

 が、演劇部の練習のことは正直どうでもいい。


「それで。練習に参加したんです。質問に答えてくれますよね?」

「え、嫌に決まってるじゃない。何を言ってるの?」

「は?」


 さも当然のように約束を反故にする入江先輩。

 堪らず私が入江先輩を睨みつけると、やれやれと呆れたような苦笑が返ってきた。


「私は言ったはずよ。『私が満足いくまでやりきってくれたなら、一つ質問に答えてあげる』って」

「っ……!」


 言われてみればそうだった。

 あのときは頭に血が上っていたが、『私が満足いくまで』なんて条件はあまりに抽象的すぎる。見事にハメられたわけだ。


「あ、勘違いはしないでね。私は綾辻澪の限界ギリギリの状態を見ることができたら、約束をきちんと守るつもりよ。けれど今のあなたはちっとも限界に達してない。澄ました顔をしちゃって……そんないい子ちゃんと話したところで、何の意味もないわ」

「それは、演劇部の練習のレベルの問題では?」

「と、思うなら次からは同じ時間で2倍、3倍の量をこなせばいい。欲しいもののためなら手段を選ぶべきではないと私は思うのだけれど?」

「――っっ」


 端から今日一日で終わりにする気はなかった、ってことか。

 ちっ、と内心で舌打ちを打ちつつ、理性をちゃんと握っておく。

 そっちがその気なら、こっちだってやってやる。雫のために、トラ子のために……そして誰よりも、友斗のために。


「明日からも来てくれるかしら?」

「もちろん。入江先輩が何を求めてるのか知りませんけど……大切な後輩さんたちの心が折れないように気を付けてくださいね」


 びしっと指をさして、私は言う。

 へぇ、と入江先輩が頬を緩めた。


「楽しみにしておくわ」


 今も色んなものを覆う雪を融かすために。

 私は、そう吠えた。

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