十章#19 家族のカタチ
SIDE:友斗
買い物を終えた頃には、もう4時を過ぎていた。一週間分を一気に買うとはいえ、かなりの量だ。これだけ買い込むなら車じゃないと無理だな、と妙に納得した。
百瀬家ではどうだっただろうと考える。
思えば、何だかんだ買い物は雫や澪に任せてしまうことが多かった。俺も自分が料理するときに足りなそうなものを買いに行ってはいたが、それだけだ。生徒会で忙しいからと言い訳をして、あの二人に委ねてしまっていた。
その前は……俺も、こんな風に一気に買っていたかもしれない。
インスタント食品を一か月分ぐらい買い込んで、外に出なくていいようにしていた。まぁ買っているものがどう考えても違うので、当時の俺と霧崎家のライフスタイルを並べて語るべきではないだろう。
食料品を一度家に帰って冷蔵庫にしまうと、今度はお祝いのために再び車で出かけた。
夕食を外で食べるらしいのだが、一体どこへ行くのやら。
そんな風に悠長に窓の外を見ていられるのも束の間のことだった。
「えっ……」
「ん? 友斗くん、どうかしたかい? もしかしてお寿司はあんまり好きじゃないのかな?」
もしかして、という疑念は、晴季さんの言葉によって確信に変わる。
そしてその確信は、間もなく駐車場に車が止まることで事実になった。
「い、いや、全然そんなことないです。前にここに来たのを思い出しただけで」
「あー、なるほど。ここ、家から近いもんね」
「そうですそうです。それで、前に父さんと来たことがあって」
父さんと来たことがあるのは嘘ではない。
嘘ではなく事実だからこそ、胸のうちに鈍い痛みが広がるのだ。
よりにもよって、ここでお祝いをするだなんて思ってもいなかった。
オキ寿司。
父さんが再婚相手と俺のファーストコンタクトとして選んだ場所にほかならず。
より性格に言うならば、俺が雫や澪と書類上だけの兄妹になることを知った場所でもある。
端的かつキャッチーに述べるのであれば。
全てが始まった場所、とでも言えてしまうのかもしれない。
呆けている間に、三人とも車から降りていた。
時刻は5時半。
霧崎家的には充分夕食の時間だ。俺も車を降り、後に続く。
やはり、それなりに需要があるらしい。日曜日であり夕食時一歩手前の時間ということもあり、少しだけ待たされる。
10分ほど待ち、テーブル席に通されたところで、給湯器が目についた。
そういえばあのとき、これを写真に撮ったんだっけ。
雫に笑ってほしいと思って、ネットのネタ混じりで送ったんだ。その後、すぐに再会することになるんだからあのときは本当に驚いた。
お茶を飲んで人心地したところで、さて、と晴季さんが口を開く。
「今日は時雨の作家デビュー決定のお祝いと《《友斗くんの初仕事を労うため》》に来たんだ。二人とも、好きなだけ食べてくれ」
「うん」「えっ?」
時雨さんと、期せずして声が被る。
すると、時雨さんはふふっと優しくこちらに微笑んだ。
ううん、それは時雨さんだけじゃない。エレーナさんも晴季さんも、俺のことを慈しむような目で見ていた。
「友斗くん、下読みのバイト頑張ってるんですってね。凄いなぁって思うの。だから何かご褒美をあげなくちゃ、って話してたのよ」
「ああ。友斗くんは、仕事なんだから頑張るのは当たり前だ、って思うかもしれないけどね。友斗くんの頑張りは、一つ屋根の下で暮らしていたら分かる。本当に熱心に取り組んでくれているんだろ?」
「それは、だって……当たり前のことですから」
と言って、まさに晴季さんに指摘された通りのことを言っちゃったな、とばつが悪くなる。
慌てて、ふるふると首を横に振った。
「っていうか、俺は居候の身ですし。労われるようなことは何にもないですって。時雨さんのデビューはおめでたいんですから、今日はそっちのお祝いに専念しましょうよ」
この居候自体、俺のエゴとわがままによって成り立っているものなのだ。
父さんと義母さんが手にした幸せに水を差して、晴季さんやエレーナさんに物理的な負担を強いて。もちろん食費とかは父さんたちと晴季さんたちの間でそれなりにやり取りがされているのだろうけど、そもそもそのやり取りが生じている時点で余計な手間をかけてしまっている。
何もかも、俺が悪い。
そんなのは全て知っている人なら誰だって分かることなのに……この人たちは事情を知らないから、俺に優しくしてしまうんだ。
いっそのこと、言ってしまおうか。
俺は好きな人が三人もいて、その三人の中から誰かを選ぶのが嫌だから代わりにあなたの娘さんと付き合ってるんです、って。
最低に最低を上塗りしてるクズ野郎なんだ、って。
「……っっ」
「友斗くん? そんな、泣くほど嫌だったのかい?」
「い、いや、違うんです。ごめんなさい……嬉しくて。それだけ、なんです」
こんなに優しくしてもらっているくせに。
それなのに、澪と雫との思い出を上書きされたことへのモヤモヤの方が勝ってしまうようなどうしようもない奴なんだ、って。
そう言えたら、楽なのに。
言ってしまえたら……っっ。
「友斗くん。ほら食べよう?」
「うん……ごめん。時雨さん、本当にごめん」
「今日は『ごめん』より『おめでとう』が欲しいかな」
隣に座る時雨さんに小声で謝ると、時雨さんは髪を耳にかけながら言った。
息が詰まって、うん、と漏らす。
「おめでとう、時雨さん」
家族の一員みたいにお祝いをしてることが、どうしようもなく申し訳ない。
だからだろうか。
余計に鮮烈に記憶が蘇った。
前にここに来て帰るとき、俺は思い知ったんだっけ。
自分が家族に飢えてるんだ、って。
「いただきます」
◇
食事を終えて車に乗ると、後部座席の時雨さんとエレーナさんはものの数分で眠ってしまった。バックミラーの中で寄り添う二人を眺めていると、親子なんだな、って実感する。
「寝るの早いですね、二人とも」
「ああ……だから助手席に座ってもらったんだよ」
「なるほど」
晴季さんは、幸せそうに微笑みながらハンドルを操作する。
二人が寝るのは想定内だったらしい。流石は父親ってところだろうか。俺は苦笑しつつ、晴季さんに言う。
「何かいいことがあると、いつもこんな感じなんですか?」
「うーん……そうだね。いつもここに来るわけじゃないけど、お祝いしたいことがあると来るよ。誕生日とか、修羅場を乗り越えたときとか」
「後者の方はお祝いなんですかね……」
「それ、いつも思ってる。僕じゃなくて締切をぶっちする作家が悪いのに、って」
「うわぁ……大変ですね」
どこまで冗談なのか分からないのが余計に大変そうだ。
ははは、と枯れ葉みたいな笑みを浮かべつつ、俺は言う。
「晴季さんは結構家族との時間を作る人なんですね」
「うん? ああ、まぁそこそこにはね。孝文の場合は……一時期、仕事に逃げてたから。そのときの癖で、仕事中心の生活に慣れすぎてるんだと思うよ」
「それは……まあ、分からんでもないです」
もちろん、それは仕事で逃げていただけではないと思う。俺を男手一つで育てるために、俺に哀しんでいる姿を見せないように、あえて仕事に情熱を向けていた面だってあるのだろう。
でも確かに、仕事に逃げていた面があるのも否定できない。事実、美緒や母さんが死ぬ前の父さんはもう少し家に帰ってきていた。
「色んなものを誤魔化すために仕事に逃げて、その結果どんどん忙しくなって、いつの間にか帰る時間もなくなった。情けないよな、あいつは」
「ははは……そうかも、ですね」
と呟いて、気付く。
俺がやってることって、もしかして父さんと同じなんじゃないのか?
……なんて、それは父さんに失礼だな。
「あの。晴季さん、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「家族って、何だと思いますか?」
「……唐突だね」
「すみません。いいお父さんしてる晴季さんを見たら、聞いてみたくなって」
答えを求めるのは違うのかもしれない。
でも聞いておきたかった。
こんな風に、家族みたいに扱ってもらえるうちに。
「そうだなぁ」
と言ってから、晴季さんは探り探りといった感じで答えてくれた。
「家族なんて、色々だと思うよ。ほら、よく夫婦別姓の話題とか『同じ苗字であることで家族の結束が~』とか言うだろう?」
「言いますね」
「僕にはその感覚は分からないけど……苗字で家族の絆を感じる人がいるのなら、それは間違いじゃない。一緒に暮らしていることを家族だって思うかもしれないし、離れていても血が繋がっている限りは家族の絆はなくならないって思う人もいるだろうね」
「…………」
「逆に血が繋がっていなくとも、名前が同じじゃなくても、家族だって思う人もいる。だから家族なんて曖昧なものだよ。というか、それを明確に定義できるなら、万人が泣くファミリードラマを作るのに苦労なんてするはずがない」
その上で言うけど、と晴季さんは続けた。
「僕にとっての家族は……帰る場所であり、一番かっこつけたい相手、かな」
「帰る場所であり、一番かっこつけたい相手……」
「うん」
晴季さんの言葉を反芻する。
「帰る場所っていうのは……まぁ、言わなくても分かるかな。忙しくても、必ず帰りたいって思える。帰れば必ず安らぎを得られる。幸せがある。そう、確信できる」
「何となく、分かります。じゃあ、一番かっこつけたい相手って?」
「それも単純だよ」
ニッと晴季さんが口角をつり上げてキメ顔で言う。
「かっこよく見られたいだろ? 妻にも、娘にも。嫌われてもいい。厳しいって思われてもいい。どうしようもないって思われてしまうときだってあるかもしれない。それでも、かっこいいって思ってもらいたい。意地を張りたい。尊敬されたい。それが家族だと、僕は思う」
その声には、とても力強い芯があった。
色々あってエレーナさんと結ばれて、時雨さんみたいな立派な子を育てて、今も父親を頑張っている。そんな晴季さんだからこその、芯のある言葉。
「ありがとうございます。参考になりました」
「そうかい? それならよかった」
強く、強く、再認識する。
俺はこの人のようにはなれない。
勤め人としても、父親としても、男としても。
窓が切り取る夜の街は、ひっそりと静かだ。
その闇に溶けて消えてしまえればどれだけ楽なんだろう、と思う。何もかもを捨て去って逃げることができたのなら、片想いと心中できたのなら、それはとても幸せだろう。
幸せで、そして独善的。
誰とも交わることのない俺にはぴったりなように思うのに、色んな人が俺の手を握ったままでいてくれてしまうから、そんな終わりを迎えることができない。
弱虫は、幸福さえおそれる。綿で怪我をする。
かの文豪が遺した言葉が頭をよぎった。




