十章#18 家族の日常・非日常
SIDE:友斗
三度目ぐらいに目覚めたときから気付いてはいたが、どうやら昨夜雨が降り始めたらしい。目を覚ますと、ざーざーざーとノイズみたいな雨音が聞こえた。
窓の外は水浸し。
思いのほか豪雨のようだ。さてこれでもデートには行くんだろうか、と思いながらのっそり起き上がると、ちょうどよくドアがノックされる。
「友斗くん、もう起きてるかな?」
「あ、時雨さん。起きてるよ」
言って、声が枯れ枯れとしていることに気付いた。
口もとは涎と血で汚れており、流石に人に見せられる状態ではない。何となく予感はしてたが、昨晩はいつも以上に寝つきが悪かったみたいだ。
「待った。時雨さん、今は寝起きすぎてヤバいからちょっと待ってくれない? 頭もあんまり回ってないし、一旦シャワーを浴びさせてほしい」
「ああ……友斗くんって昔から朝に弱かったもんね」
「朝に弱いんじゃない。朝が強いんだよ」
まぁ眠れていないため、頭は寝起きほど機能停止していないんだけど。
でも今の顔を見せてしまえば、時雨さんに要らぬ心配をかけるかもしれない。だから一度シャワーで色んなものを洗い流してからにしてほしかった。
「んー。分かったけど、その前に一つだけいいかな? ドア越しでいいから」
「ん、まあドア越しでならいいけど……今日のことだよね?」
「そう。今日のデートのこと」
時雨さんは屈託なく『デート』と告げる。
昨日誘うのに躊躇っていたとは思えない反応だ。
苦笑している俺をよそに、時雨さんはあっさりと言ってきた。
「本当は朝から行こうと思ってたんだけど、雨の日の朝はお父さんの体調があんまりよくなくてね。お昼食べ終わってから車を出してもらうことになったんだ」
「そうなん……だ? いやちょっと待って時雨さん。今、お父さんって言ったよね?」
「うん? 言ったけど?」
声が明らかにわざと惚けていた。
くっそ、そういう罠を仕掛けるのは性格が悪いんじゃないですかねぇ……。俺は呆れながらも質問を続ける。
「時雨さん。俺の記憶だと、今さっき『デート』って聞いたばっかりなんだけど」
「うん、デートだよ。お母さんとお父さんと一緒に買い物に行くの」
「それをデートとは言わないよねっ?! ラノベ作家志望として言葉は正しく使おうネ?」
くすくす、くすくす、と時雨さんが可笑しそうに笑う。悪戯に成功した子供みたいな反応だ。見事に引っかかった自分が嫌になる。
溜息をついていると、時雨さんは軽いテンションのまま言った。
「まぁ今日は、ラノベ作家志望からラノベ作家に変わったことのお祝いをしにも行くんだけどね」
「え? それって――」
「――昨日、話がついてね。お父さんが働いてるレーベルで本を出すことになったんだ」
どこか誇らしげに言う時雨さん。
なるほど、ついにか、と思う。
諸々の手続きを挟んで、ようやく書籍化が決まったらしい。事前に知っていた身としてはめちゃくちゃ感動したりはしないが、それでもやはり、嬉しさはある。
「なーんて、どうやら友斗くんも事前に知っていたみたいだけどね?」
「うぐっ……それ、晴季さんが?」
「うん、お父さんが言ってた。お姉さんショックだなぁ。こんな大切なことを隠されてたなんて」
「いや、俺から言うわけにもいかないって分かってるよね!?」
拗ねるような声に堪らずそう返すと、冗談だよ、と時雨さんが楽しそうに言った。
「そんなわけで。色々内緒にしてた友斗くんにはお買い物とお祝いに付き合ってもらうことになったんだよ。拒否権はないから、一緒に来ること」
「っ……分かったよ。っていうか、端から断る気なんてないって」
なんて、そんなのは嘘だ。
断る気満々だった。
だって、嬉しいことをお祝いするのは家族の特権だ。日常にも非日常にも、俺は本当はいてはいけない。
でも、罰として言われてしまえば、断ることはできない。
見事に先回りされた、というわけだ。
「いい子だね。じゃあ、また後で」
俺を子供扱いすると、時雨さんは部屋の前からトタトタと立ち去る。
胸にしこりが残っているのを自覚しつつ、俺は嫌な汗を流すためにシャワーに向かった。
◇
朝が過ぎ、昼食を食べ終えた午後2時ちょい。
俺は霧崎家の三人と共に、少し離れたところにあるスーパーにやってきていた。日曜日のお昼時よりやや後という微妙な時間を表すように、店内の客の数もまばらだ。
どうしてわざわざこんなところに?
そんな問いには、車の中でエレーナさんが答えてくれた。
霧崎家ではいつも、日曜日に一気に食品やら何やらを買い込むらしい。もちろん晴季さんの仕事の状況によって事情が変わることも多いが、基本的にはこうして家族全員で買い物に来るんだそうだ。
「お母さん。ちょっとお菓子見てくるね」
「ええ、いいわよ。友斗くんも一緒に連れて行ってあげてね」
「うん、そのつもり」
ぼんやりと周囲を眺めている間に、カートを押すエレーナさんとその隣の時雨さんが話を進めていた。
お菓子って……まだ食品も買ってないのでは?
そう思っているのも束の間、時雨さんが俺の手を握る。
「ほら行くよ。ここはお菓子の品揃えが結構豊富だから、見てて楽しいんだよ」
「えっ、う、うん……分かった」
晴季さんやエレーナさんに視線を遣るが、いってらっしゃい、と優しく見送られてしまう。まぁ俺だけ残ったところで買い物の手伝いができるわけでもないし、素直に時雨さんについていく他あるまい。
「時雨さん、なんかテンション高いね」
お菓子売り場に到着する頃には、時雨さんは小さく鼻歌を歌っていた。
普段と印象が違う……わけではないが、ここまで浮かれているのも珍しい。俺の指摘に、時雨さんはくしゃっと笑って答える。
「そうだね、ちょっとだけ浮かれてるかも」
「それは……お菓子を見に来てるから?」
「…………友斗くんはボクのことを何だと思ってるの?」
「え、違うの?」
「違うよ」
時雨さんがジト目になった。
駄菓子屋のときのことを踏まえると、完全にお菓子絡みだと思ってたんだけどなぁ……。苦笑していると、こほん、と時雨さんが咳払いをした。
「そうじゃなくて。友斗くんが家族の中にいることが嬉しかったんだよ」
「家族の中に?」
「そう。ボクの中で友斗くんは……ずっと、家族とは縁遠い一人ぼっちの子だったから」
その言葉は、どこか陶磁器のようだった。
「家族とは縁遠いって……そんなことないでしょ。時雨さんも俺の父さんのこと、よく知ってるじゃん」
「もちろん知ってるよ。でも、ボクには友斗くんがお父さんのことを家族だと思っているようには見えてなかった。変な言い方をするなら、そうだなぁ……男と男、みたいに見えてたんだよ」
「それは……」
そうかもしれない、と心の中で頷く。
父さんはもちろん父親だ。大人として尊敬しているし、父として見ている。けれど長いこと二人だったせいもあって、どちらかと言えば男と男として尊重している部分の方が強いようにも思えてしまう。
本当は、俺だって気付いている。
父さんだけじゃない。義母さんですら、俺は本当の意味で家族として見れていない。というか、見れているかどうかを確かめるほど長い時間を過ごせていないのだ。
だから正しくは、分からない、というべきなのだろう。
家族のカタチが、俺には分からない。
「そんな友斗くんが、ボクの日常の一ページの中にいる。それってつまり、友斗くんは決して寂しい子なんかじゃない、誰かと家族になってもいい子なんじゃないかな、って。そう思えたんだ」
「……っ、それは、流石に考え方が飛躍しすぎじゃない?」
「ふふっ、そうかもね」
『かも』じゃなくて、事実そうだと思うのだ。
勘違いも甚だしい。
俺は誰かと家族になれる人間じゃない。
だって――本当の家族にすら、嘘ばかりなのだから。
「っていうか時雨さん。テンション高いのはあれでしょ。この後、お祝いがあるからでしょ」
「それもある。具体的には9割ぐらいはそれ!」
「ほとんどじゃねぇか!」




