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十章#17 綾辻雫は、諦めない。③/沈む太陽と。

 SIDE:雫


「今日はありがとうございましたっ」

「ううん、こっちこそ! しずちーに来て貰って助かったよ」


 外に出ると、空はすっかり焼蜜柑色に染まっていた。

 結構長い間いたんだなぁ、としみじみと思う。


 シーラカンスさんの絵のモデルになったあとは蝉しぐれさんとゲームをしたり、鈴先輩が猿さんに怒られているのを見たり、楽しい時間を過ごすことができた。

 サークルで作ってるゲームをプレイさせて貰ったりもして、結構充実した時間だったように思う。冷たい外気の分だけ、自分が火照って熱に浮かされていたんだと実感する。


「私も、すっごく楽しかったです。皆さん個性的で……」

「それねっ! ウチが常識人に見えるでしょ?」

「そ、それはどうですかねー、あははー」

「酷いっ!?」


 酷くないです。ほとんど何も言わずにサークルまで私を連れてきてる時点で、鈴先輩も充分非常識ですから。

 なんて、不満たらたらに言ってもいいんだけど、今はそんな気分でもなくなっていた。それだけサークルでわちゃわちゃとはしゃいでいる時間が楽しかったのだ。


「それで……少しは元気出た?」


 鈴先輩は、少し大人びた表情で聞いてくる。

 その質問は、唐突ではない。私を元気づけようとしてサークルに誘ってくれてることは、昨日の時点で分かっていたから。


「ちょびっとだけ貰えた気がします」

「そっか」


 心から、私はそう言った。

 本当に元気は出たんだ。

 猿さんも、シーラカンスさんも、蝉しぐれさんも、『好き』にどこまでも忠実だった。自分のやりたいことを思いのままにやっていて、そんなキラキラを目の当たりにしていると、自分まで輝いているような気になった。


 でも、と空気に冷やされて思うのだ。

 それは仮初だ、って。

 太陽の輝きを借りた月と同じ。ただの錯覚でしかない。


「あのさ」


 と、鈴先輩が口を開く。

 その表情は、どこかアンニュイだった。


「前に言ってくれたこと、覚えてるかな」

「前に……?」

「そう、カラオケのとき」

「えっと」


 鈴先輩とカラオケに行ったのは二度だけ。

 昨日は何か特別なことを言った記憶がない。だとしたら、残るは初めて会ったときのことだ。ただ、あのときのことをあまり思い出したくない、というのが本音だったりする。


 だって――あれは、私の罪だから。

 浮かれて、『好き』を捨てるのが嫌で、『ハーレムエンド』なんてありえない幸せを願った。大切で大好きな人たちを傷つけてしまったのは紛れもなく、あの冬星祭がきっかけだった。

 だから、自然と渋い顔になってしまう。

 唇を噛む私を見て、鈴先輩はそっと続けた。


「『私たちにとっては恋が太陽じゃなくて、きっと別のものが太陽なんです。どれが太陽なのか、って。それだけの違いだと……思います』って。アハハ、やばいね。一字一句間違えずに覚えてるや」


 照れ臭そうに、鈴先輩が笑う。

 そのときのことを思い出す。

 鈴先輩が友斗先輩のことを好きだって話を聞いて、でも自分は恋に一直線になれない、って話してた。その声色に劣等感に似た何かが滲んでいたから、私は咄嗟に言ったんだ。

 別に鈴先輩が変なわけでも、私たちが凄いわけでもないんだ、って。

 ただそれぞれに太陽があるだけなんだ、って。


「おっ、思い出した?」

「はい。けど、それが一体……?」

「あー、うん、それね」


 ぐいーっと伸びをしながら、鈴先輩は続ける。


「あれさ、今だから言うけどすっごい嬉しかったんだよ。あんな風に言ってもらえて、結構マジで救われた」

「えっ」

「こんな一言で、って思う? でもすごい嬉しかったんだ」


 夕陽が、鈴先輩の横顔を照らす。

 温かい瞳が私を映した。


「私は恋に一生懸命になれないダメな奴なのかも、とか思っちゃったりしたんだよ。しずちーとかみおちーとか、そういう一生懸命な恋をしてる子を見ててね」

「それは……」

「でも、違う、って分かった。私は恋には真っ直ぐになれないけど、やりたいことには真っ直ぐになれる。私はダメなんかじゃないんだー! ってね」


 パァと向日葵みたいに咲く笑顔は、本当に眩しくて直視するのが躊躇われてしまう。

 私は確かに、そういうつもりで言った。けどこんな風に真っ直ぐに受け止めて、私の言葉を糧にしてもらえるなんて思ってもいなかったから。

 だからね、と鈴先輩が続ける。


「本当に感謝してるから。元気がないな、って思ったときはいつでも来てよ。別の太陽を持ってる別の銀河系の住人同士、異文化交流してたらちょっとは元気が出るかもだからさ」


 本当にいい人だな、と思った。

 友斗先輩とお姉ちゃんの二人と友達になれるわけだ。

 胸にこみ上げる思いをぎゅっと手で掴んで、はいっ、と元気よく返事する。


「また来ますねっ!」

「うん! 今度はコスプレよろしく!」

「…………」


 ……なんか、変なオプションをつけようとしてるけど、ここはスルーしておく。かっこいい感じなのが台無しになっちゃうし。


「それじゃあ失礼しますっ!」

「うん、ばいば~い!」

「ばいばい、ですっ!」


 言って、その場を立ち去った。

 駅に向かう道中、頭の中でさっきの鈴先輩の言葉が再生される。元は私の言葉だったんだけど。


『私たちにとっては恋が太陽じゃなくて、きっと別のものが太陽なんです。どれが太陽なのか、って。それだけの違いだと……思います』


 だとすれば、私の、私たちの太陽は何なのだろう。

 『ハーレムエンド』こそが、私たちにとっての太陽だったんじゃないだろうか。


 キラキラと眩しくて、心から手を伸ばしたくなって。でも手を伸ばそうと思えば蝋の翼が溶けて、墜落してしまう。

 もしも『ハーレムエンド』が私たちにとっての太陽なら……。


 夕暮れ時の街。

 幾人かのすれ違うカップルを見遣って、ふと思ってしまう。

 こんなことなら、『ハーレムエンド』なんて目指さなきゃよかった。


 私と付き合って、って言えばよかった。お姉ちゃんや大河ちゃんのことは好きなままでいいし、関係だって今のままでいい。だから付き合ってよ、って。

 そうやって強引に妥協じみた答えを出して、今を水あめみたいにびよーんって引き延ばせばよかったんだ。


 それはぬるま湯かもしれない。

 でも『好き』を拒絶されてしまうより、ずっといいはずだ。


「……っ、ごめん、お姉ちゃん…大河ちゃんっ」


 この街で、友斗先輩と霧崎先輩は一夜を共にした。

 そう思うと、きゅぅぅぅ、って胸が痛くなる。


 後悔は山ほどある。

 けれどもまだ『後』であってほしくないから、この思いを後悔とは呼ばない。


 沈みかけの太陽に手を伸ばした。



 ◇


 SIDE:友斗


「ふぅ……」


 土曜日。

 一日中こもりっきりで下読みの仕事をしていたら、気付いたときにはもう夜になっていた。朝食、昼食、夕食ときっちり三食食べたはずなのだけれど、ろくに記憶がない。


 丸一日ずっと、文字の海を泳いでいたように思う。

 遠泳は得意ではないから迷子になりかけて、それでも海の中の宝物を見逃さないように目を凝らす。


 こうして何作も応募作を読んでいると、レベルが低い作品もあるんだな、と実感する。名作もあれば、途中から主人公の名前が変わるような意味の分からん作品まである。まさに玉石混交ってやつだ。


 まぁだからこそ、改めて思ったりもする。

 物語に触れるのは楽しいな、と。


「で、時雨さん。当然のように部屋にやってきて執筆を始めるのはやめてほしいんだけど?」

「それ、今更じゃない? ボク、お昼からずっとこうしてるよ?」


 ベッドで寝転がりながらハイテンポでキーボードとタッチしてる時雨さんに言うと、手を止めることもこちらを見ることもなく返してきた。

 至極ごもっとも。

 時雨さんは昼食が終わったあたりから当然のようにベッドに居座り、執筆を始めた。だが、


「さっきから言ってたのに時雨さんが集中しすぎて聞いてもらえてなかったんだよっていう可哀想な俺の話をする?」

「んー。もうすぐ今日も終わるのにそんな不毛な話を聞きたくはないかな」

「そうだよね今日ももうすぐ終わるよねっ?! それなのに当然のように書き続けないでもらえるかなっ?!」


 時刻は午後11時半。

 睡魔は今日も登校拒否をしているが、それでもいい子は寝る時間だ。時雨さんだって、昨日までならこのぐらいの時間には寝ていたはず。

 俺が訝しげな視線を送ると、時雨さんは肩を竦め、ようやく手を止めた。


「そうだね……明日も朝は早いし、そろそろ寝るよ」

「うん、そうして。……って、あれ? 明日、どっか行くんだ?」


 はてと首を傾げると、うんうん、と時雨さんが肯った。

 そして、少し気恥ずかしそうに言う。


「ちょっとデートに行こうと思って」

「デート……えっと、時雨さん。それってもしかして、遠回しに俺を誘ってる?」


 デートの定義は様々だ。

 が、彼氏がいる女性がデートと言った際に指すのは、彼氏との外出に他ならない。

 時雨さんは乳白色の肌を仄かに桜色に染め、あはは、と笑みを零した。


「いざ誘おうとすると、なかなかいい文句が思いつかなくてね。友斗くんが終わるまでボクも作業をしてようって思ったらこんな時間になっちゃったんだよ」

「あっ、そういうこと……」


 だったら言ってくれよ、と思わないでもない。

 だが、時雨さんの反応を見ていると、責める気も失せてくる。


「ま、そういうことなら分かったよ。気分転換に出かけるのもありな気がするし……それで、どこに行くの?」

「それは……明日になってのお楽しみってことで」


 ぱちん、と時雨さんがウインクを決める。

 無理に聞く必要もないだろうから、了解、とだけ言っておく。


「じゃあまた明日ってことで。今日はもう部屋に戻って」

「うん、そうする。友斗くんもちゃんと寝るんだよ」

「分かってる。そろそろ枕にも慣れてみたしね」


 『おやすみ』を言い合って、時雨さんは部屋を出ていく。

 さっきまで時雨さんが寝転がっていたベッドに、俺はバタンと倒れた。

 窓の外は、正しく冬の夜が広がっている。

 もう沈んでしまった太陽、太陽の光を借りているにすぎない月。

 瞬く星ですら、本当はもう存在していなかったりするらしい。


 ならば一体、夜のどこに本物があるのだろう?


 また今日も、夢を見る。

 断罪のループが始まるのだ。

 いっそ太陽に身ごと灼かれてしまいたかった。


 永い夢から覚めたとき、傍に青い鳥がいることを祈って。

 俺は暗闇に溶けた。

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