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十章#15 綾辻澪は、諦めない。①

 SIDE:雫


 入学式から二日ほど経ち、今週ももうすぐ終わろうとしていた。

 新学期が始まった最初の週は、いつも気怠くて嫌になる。長期休みでサボっていたツケを払うように朝起きるのは大変だし、一日が終わるまで集中力が持たない。


 けれど高校生になってから経験した二度の学期始めは、上手くいっていた。

 4月。友斗先輩と一緒に暮らすことになったことや環境の変化への緊張とワクワクで胸がいっぱいになって、気怠さなんてどこかに逃げてしまっていた。

 9月。文化祭の準備で満たされていたからか、それとも夏休みの思い出があったからか。凄く毎日が楽しくて、億劫だとか感じている暇もなかった。


 でも――今回は、そうもいかなかった。

 今までで最低の学期始めだったと言ってもいいかもしれない。


 初日の三教科テストは赤点とは言わないまでも酷い結果で。

 二日目から始まる授業はほとんど全てでウトウトしてしまったし、当てられても答えられないことがしばしばあった。


 それもこれも全部、友斗先輩のせいだ。


 友斗先輩は冬休みの途中、家を出て行った。

 ううん、それだけじゃない。

 霧崎先輩と付き合い始めた。


『暫く三人とは距離を置こうと思う。時雨さんにも申し訳がつかないからさ』


 友斗先輩が告げた言葉が、今も頭で残響する。

 あれは明確な拒絶だった。

 近づかないでくれ、と。

 お前たちの『好き』は迷惑なんだ、と。


 今まで、ずっと『好き』をぶつけてきた。あの人を照らしてあげたくて、傍でずっと笑っていた。一緒に笑ってくれるのが嬉しくて、傍にいるのが心地よかったのだ。

 友斗先輩は一度たりとも、その『好き』を拒絶することはなかった。むしろ自分が『好き』を返せないことを申し訳なさそうにする、なんていう変な誠実さを発揮していたほどだ。


 でももう、それは終わり。

 だって私の『好き』は拒絶されてしまったから。


『せーんぱいっ! なーにやってるんですかーっ?』


 授業が終わって、玄関までやってくる。

 ふと入学式の日のことが頭によぎって、足が止まった。


 あのときは本当のほんとにたまたまだった――わけじゃない。

 ラブレターが机の中に入ってて、思いのほか遅い時間に来るように指定されてて。普段ならあんまり遅い場合には無視して帰っちゃったりもするのに、もしかしたら生徒会が終わった友斗先輩と会えるかも、なんて思って、素直に呼び出されたのだ。

 ほんと、最低な女。

 でも断って、それで本当に友斗先輩の背中が見えたときにはテンションが上がってしまった。上がりすぎて……余計なことまで、言っちゃった。


『……友斗先輩、もしかしてヤキモチとか、やいてくれてますか?』

『――っ、そんなわけ、ないだろ。俺には時雨さんっていう彼女がいるんだ。雫にヤキモチをやいていいわけがない』


 言うべきじゃなかった、と後悔したのはそのときの友斗先輩の顔を見たとき。

 苦しそうな、でも恋心を隠しきれないような顔。

 勘違いじゃ絶対にないって言い切れる。あの顔は間違いなく、ヤキモチをやいている顔だった。ヤキモチをやいていて、けど表に出すわけにはいかないから隠してる。そんな、顔だったんだ。


『どうせ霧崎先輩が何かを企んだだけでしょ。友斗も意味があると思ったから協力してる。そういうことじゃないの?』


 あの日、お姉ちゃんが告げた言葉を、友斗先輩は否定した。

 霧崎先輩に『好き』と言って、否定してみせた。

 友斗先輩はその言葉を大切にしていたから、もしかしたら本当なのかもしれない、と思ってた。私たちが好かれてるっていうのは勘違いなのかも、って。


 でも――すぐに嘘だ、って分かった。

 だって友斗先輩は、《《泣いていたから》》。


 だからこそ、思い知ったのだ。

 友斗先輩に偽物の『好き』を口にさせたのは誰なのか。

 お姉ちゃんでも大河ちゃんでもない。


 私なのだ。

 『ハーレムエンド』を望んだりしたから。

 自分の中の『好き』を全部欲しくなって、ズルい選択をしようとしたから。


 そのせいで友斗先輩は私たちを三人同時に好きになって、悩み、苦しみ、何らかの理由で霧崎先輩と付き合うようになった。

 そして――私たちから、離れていった。


「はぁ……」


 今日も、友斗先輩は家に帰ってこない。

 そう思うと、気が重くなる。

 お姉ちゃんは私を元気づけようと作り笑ってるし、大河ちゃんはあの日以来うちに来ない。家にいると変わってしまったものを、失ってしまったものを数えそうになる。


「帰りたくないなぁ……」

「え、ほんと? じゃあウチと一緒にカラオケいかない?」

「えっ――うわっ!? 鈴先輩っ!?」


 うっかり口にした陰鬱な言葉を拾い上げて、にかーっとギャルっぽい女の人が隣で笑う。パチパチ弾けるキャンディーみたいな笑顔は、心なしか見ているだけで元気になれそうだった。

 って、そーじゃなくて。


「え、今の聞いちゃってたんですか……?」

「もち! 『しずちーがいるじゃん、驚かせてやろう!』って思ってそっと忍び寄ってたら、しずちーらしくない溜息ついてるからさ。何かなぁって耳を澄ませてたんだよ」

「えっと……つまりストーカーと脅迫と盗聴?」

「悪意ある解釈!」


 たはーっと頬を綻ばせるこの人は、伊藤鈴先輩。

 友斗先輩やお姉ちゃんと同じクラスの人で、私も冬星祭の件をきっかけにお喋りするようになった。RINEのIDも交換していて、色々とお世話になっている。

 っと、それで思い出した。

 鈴先輩には冬休み前、あるものを貰ったのだ。


「そういえば鈴先輩。この前はありがとうございましたっ!」

「この前っていうと……あっ、あれか。『ラブラブ♡ キュンキュンすごろくゲーム』のこと?」

「ですです」


 件のゲームは、鈴先輩が作っているゲームの検証として、如月先輩経由で貰った。今も部屋にしまってある。

 こくこくと頷いた鈴先輩は、そのままの笑顔で答える。


「あれはいーんだよ! ほら、終わった後に色々と感想送ってくれたでしょ? あれが結構助かって、サークルのメンバーも助かったって言ってたからさ。あれだよあれ、ウィンナー!」

「ウィンナー……? あっ! モチとウィンナーですね!」

「そう、それ! お餅が必要だったかぁっ!」


 あちゃあ、と鈴先輩は悔しそうな顔をする。

 私が思わずくすくすと笑っていると、こほん、と鈴先輩が話を元に戻した。


「そんでさ、しずちー。どーする?」

「えっと、どうするって?」

「この後この後! カラオケ、行かない?」


 そういえば、カラオケに誘われてたんだった。

 登場が奇抜だから忘れてたなぁ……と苦笑しつつ、考える。

 鈴先輩も女の子だし、帰りが遅くなりすぎるってことはないだろう。なら……いいかもしれない。私がいると、お姉ちゃんだって気を張っちゃうかもだし。


「じゃ、じゃあ一緒に行きたいです!」

「お、ノリいいじゃん! じゃあレッツゴー!」

「レッツゴー、ですっ!」


 空元気は得意だから。

 空っぽな元気の中身を埋めるように楽しい記憶を作っていこう、と思った。



 ◇



「~~♪~~♪」


 鈴先輩の楽しそうな歌声がカラオケボックスに響く。

 お姉ちゃんと比べると上手くはないんだけど、そもそも上手く歌うことなんて考えていなさそうな歌い方だ。時々ダンスを入れたりしてて、なんかJKっぽいな、とかおじさん臭いことを考えてしまう。


 こうして誰かとカラオケに来るのは初めてじゃない。

 友達と来ることもあるし、鈴先輩と最初にコンタクトを取ったのもカラオケだった。だから今更人前で歌うことに緊張したり、曲選びで迷ったりなんてするわけがない。

 そう、思っていたのだけど。


「ん~? しずちー、歌わないの~?」

「あっ、えっと……なんか、曲がピンとこなくて」」

「曲?」


 っていうのは半分ほんとで、半分うそ。

 はてと首を傾げる鈴先輩に、私は考えながら告げる。


「なんていうかその……流行りの歌を歌う気分じゃない、と言いますか。JKっぽい歌の気分じゃないんです」


 言うと、ぷっ、と鈴先輩が吹き出した。

 あ、うん、そうなると思ってた。


「何それ! しずちーでもそんなこと考えたりするんだっ?!」

「そ、そりゃ考えますよぅ! だって私、そもそもあんまりJKっぽくないですもん。根っこはオタクで、JKっぽく装ってるだけのエセJKなんです」

「おお~! なんか設定が凄い二次元キャラっぽい!」


 キラキラと目を輝かせる鈴先輩。

 この人が私と同類のオタクだってことは、冬星祭の準備中に色々と話す中で知った。そもそもオタクだってことを隠してるわけでもないので言っちゃったんだけど……カラオケに来て突然こーゆうことを言い出すって、割と変な奴なのでは? って気がしてくる。


「うぅ……なんかごめんなさい。変なこと言って」

「うん? 変なことって?」


 私が謝ると、鈴先輩は本当に分からなそうに首を捻った。


「えと、だから……曲がピンとこない、とか。折角遊びに来たのに盛り下がるようなことを言っちゃって」

「あー、なるほど」


 ふむふむ、と鈴先輩は首を縦に振る。

 かと思えば、ずいーっと身を寄せてきた。


「その辺のことは全然気にしなくていーんだよ? 遠慮してるのかなーって思ったから声かけたけど、歌う気分じゃないなら聞いててくれるだけでもいいし。友達を誘ったんだけど、みんな今日は彼氏とデートらしくてさぁ……しずちーがいてくれるだけでめっちゃ助かるんだよ!」


 シクシク、と分かりやすい嘘泣きをする鈴先輩。

 嬉しいことを言ってもらえてるはずなのに、『彼氏とデート』って言葉が引っかかってしまう。

 友斗先輩も今頃、霧崎先輩とデートに行ってるんだろうか。

 そう思うだけで、胸が苦しくて――


「――その反応、やっぱり百瀬くん関連?」

「えっ」


 きゅぅっと胸が痛んでいた私を射貫くように、鈴先輩が言った。

 突然の指摘に、間抜けな声が漏れる。

 どうして今、友斗先輩が……?


「あっ、急にごめんね? ただ玄関で会ったときからしずちー、すっごい暗い顔してたじゃん?」

「それは……はい、してたかもです」

「でしょ? だからなんかあるだろうなーって思って。できれば元気になってほしかったんだけど……逆に迂闊なこと言っちゃった」


 申し訳なさそうに手を合わせる鈴先輩を見て、私は気付く。

 もしかして鈴先輩は私を元気づけようとして誘ってくれたの……? さっきの友達を誘ったって話も嘘……?


「す、鈴先輩……! ごめんなさい、気を遣わせちゃったみたいで」

「んーん、謝られることじゃないよ。それに結局あんまり元気づけられてないっぽいしねー」

「そんなことは――ない、わけじゃないですけど……」


 私のことを思って動いてくれた人に嘘をつくことはできなかった。

 素直に白状してしまうと、くしゃっ、と鈴先輩が可笑しそうに顔を歪める。


「このっ、正直者めぇ!」

「うっ、ごめんなさい!」

「いーのいーの! ウチは歌ってすっきりしたし。これで明日の準備が――って、そうだ!」


 ぱん、と手を叩き、鈴先輩は何かを閃いたようにニィと口角をつり上げた。


「明日サークル会議があるんだけど、一度来てみない? ちょうど巨乳美少女が欲しかったんだよね!」

「へ?」


 突拍子もないことを言われすぎて、ああ私って割と凡人なんだな、としみじみ思った。

 って、え……? サークル……?

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