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十章#13 鈍色片想い

 一つ、一つ、捨てていく。

 だってあの子たちは、これまで俺がしてきた最低な行為すら許し、好きでい続けてくれたから。繋がりがある限り、あの子たちの恋は終わらない気がするから。


 家を出て、生徒会も休むことにして。

 いよいよ彼女たちとの繋がりは、ほぼゼロになる。あとは学校ぐらいだけれど、流石にそれを休むわけにはいかないから、せめて会わないようには気を付けよう。

 そうして距離を置けば気付くはずだ。

 俺が本当に最低でどうしようもない男で、自分たちはそんなダメ男に引っかかってただけなんだ、って。


 それで、自分たちはダメ男に引っかかりやすいのかも、なんて教訓にしてくれたらいい。恋なんてそんなものだ。

 初恋が叶わないのは当然のことだ。

 ガチャ一発目で欲しいのを引き当てる方が難しいだろ? それと同じだ。


「なんて、思えたらよかったんだけどな」


 生徒会室を出た俺は、空に広がる橙色のキャンパスを見ながらぽつりと呟いた。

 時雨さんも俺の少し後に生徒会室を出たのだが、少し用事があるらしく、職員室に向かってしまった。

 どうせ帰る場所は同じだから、と玄関で待つこと暫く。

 思いのほか待ち時間が長くて、余計なことを考えてしまう。


 いや、余計なことではないんだけど。

 むしろ一生考え続けて、一生苦しまなきゃいけないことなんだけど。

 と、考えていると、


「せーんぱいっ! なーにやってるんですかーっ?」


 後ろから耳によく馴染む声が聞こえた。

 もしかしたら今、一番聞きたい声だったかもしれない。

 そう思ってしまう自分に苛立ちを覚えながら振り返ると、そこにはやはり、雫がいる。しゅんと低めにツインテールが垂れていた。


「ッ、雫……どうして、ここに?」

「どうしても何も、ここ玄関ですよ? 帰るために通るに決まってるじゃないですかー!」

「それはそうだが……今日は始業式だろ。こんな時間まで残ってる理由がない」

「あ~! それ聞いちゃいます?」


 この前のことをすっかり忘れちゃったみたいに、雫はパァと()っていた。

 にししーっと悪戯っぽく口角をつり上げると、彼女はバッグから封筒を取り出す。それは決して事務的な封筒ではなく、むしろどちらかと言えば親しみを感じさせるようなもので――


 ――ラブレター


 そんな言葉が、頭によぎる。


「これ、なんだと思います?」

「……ラブレター、だろ」

「おっ、正解です。よく分かりましたね~」

「っ、分かるだろ、そりゃ。雫はモテるんだし」


 しくしくと心が軋む。

 ショックを受けるのは、想定内だ。だって俺は『好き』を捨てるのを諦めたのだ。それ以外を捨ててでも、この『好き』を永遠の愛(片想い)にすると決めた。

 だから雫のことは好きで、この子がラブレターを貰っていたらそりゃ複雑な気分にだってなって。

 でもそうやって新しい恋を見つけてくれることが一番手っ取り早い失恋の形だとも分かるから、ショックを受けている自分にイライラする。


「……友斗先輩、もしかしてヤキモチとか、やいてくれてますか?」

「――っ、そんなわけ、ないだろ。俺には時雨さんっていう彼女がいるんだ。雫にヤキモチをやいていいわけがない」


 咄嗟に、突き放すような声が出てしまう。

 気付いたときにはもう遅かった。

 雫は、ぐにゃっ、と表情を歪ませ、まるで泣いているみたいに哀しそうにしている。


「そう、ですよね……あはは、ごめんなさい。いや、あの、ほら! 義理のお兄ちゃんとして! やっぱり義理の妹のことは気になるのかなー、って。そういう意味で聞いただけなんです」

「そ、そうだったのか……すまん」

「い、いえっ! そもそも彼女さんができた人に振る話じゃありませんでした。これじゃあ略奪しようとしてるみたいですよね……ごめんなさい」


 略奪してくれるものならしてほしい。

 正しいとか正しくないとか全部捨て去って、俺を奪ってくれれば。

 そうすれば俺は――なんて、弱さも罪も全部を雫に委ねようとする自分に気付き、歯噛みした。


「ていうか! そーゆう友斗先輩は何やってるんですかっ? あんなに素敵な彼女さんを放って私と話してるとはどういう了見ですか!」

「いや話しかけてきたのは雫なんだけど」

「それは隙を見せた友斗先輩が悪いんです!」

「隙て」


 と言いつつ、そうか、と納得する。

 玄関で待っているだなんて、確かに隙だったかもしれない。繋がりを捨てるとか言っておいて、こういうところで緩くなってしまう自分に辟易した。

 こほん、と咳払いをしてから俺は答える。


「俺は時雨さんを待ってるんだよ。ちょっと用事があるらしくてな」

「そ、ですか……じゃ、じゃあ! 私も一緒に待っててあげますよ。寒いですし、話してた方があったまりますもんねっ!」


 どうしてまだ俺の傍にいようとしてくれるんだよ。

 もっと自分を大切にしろよ。

 そう言いたくなるのを抑えて、かはっ、と吐息に換えた。


「いや、いいよ。一緒にいて噂されたらお互いに困るだろ?」

「それは……そう、ですけど」

「だから雫も、暗くなる前に帰れよ。何があるか分からんからな」

「…………はぃ」


 消え入るような声で言い、雫は頷く。

 黄昏時の夕日が彼女の横顔を照らし、儚げな色を纏わせていた。


「それじゃあ、また明日」

「……ああ。じゃあな」


 『また明日』とは言えなかった。

 言えるわけが、なかった。

 明日は会わないようにしないと。明後日も、その次も、なるべく会わないように。


 湧き立つ心を押し殺して、俺は白い息を吐いた。



 ◇



「駄菓子屋さんに寄ってもいいかな?」


 雫と別れた帰り道。

 時雨さんは、唐突にそんなことを言い出した。


「えっ、駄菓子屋さん?」

「そう。この時間ならまだギリギリ開いてると思うんだよね」

「そりゃあ、まだそこまで遅い時間じゃないけど……」


 この時期でもまだ、暗くなりきっているわけではない午後4時すぎ。

 ここから程近い駄菓子屋は5時頃までは開いていたはずだから間に合うとは思うが、あまりに突然だったので戸惑ってしまう。


「そんなに駄菓子屋さん行きたい?」

「うん、行きたい」

「即答かよ」


 どんだけ駄菓子屋に行きたいんだよ……。

 呆れつつも、そういや時雨さんってこういう人だよな、と思い出す。クリスマスにハンバーガーショップに行ったときも問答無用でキッズセット選んでたもんな……。

 そういう本能の赴くままなところは、本当に澪によく似て――って、ダメだろ、それは。


「分かった、じゃあ行こっか。俺も久々に駄菓子見たいかも」

「うん」


 時雨さんの手を握る。

 俺はこの人の彼氏なんだ、と。

 だから他の誰かを好きになったりはしないのだ、と。

 そう世界に偽るように。

 自分の気持ちを隠しきるように。



 ◇



 20分ほど歩き、目当ての駄菓子屋に到着した。

 時間が時間ということもあって、店内には子供は、というかお客さん自体がいなかった。期のよさそうなおばあちゃんが一人座ってテレビを眺めており、急に都会から切り離されたような不思議な感覚に陥る。


「駄菓子屋さんってさ、無条件にワクワクするよね」


 時雨さんはちっちゃなカゴを手に持って、目を輝かせた。


「そうかな」

「そうだよ。少年少女の夢が詰まってるみたいで、素敵な場所だと思わない?」

「……どうだろ。そうかもね」


 理解はできるけど共感はできない、というのが正直なところだった。

 駄菓子屋にロマンを抱く人がいるのは分かる。その人たちがどうしてロマンを抱き、目を輝かせるのも何となく理解できる。でも俺がそうかと言えば、それは微妙な話だ。


 お菓子を見て、それで心を躍らせるほど俺は情緒的な人間じゃない。ノスタルジーに浸れるほど駄菓子屋に思い出があるわけでもなく、ただ記号的な『エモさ』『昔っぽさ』を愛好しているように思える。


「もしもピンとこないんだとしたら……想像してみたらどう?」

「想像?」

「そう。雫ちゃんと、澪ちゃんと、大河ちゃんと……あの三人と来たらどんな風に話すだろう、ってさ」

「そんなの――」


 許されるはずがない。

 俺が言おうとした言葉を、時雨さんが指先で封じる。


「許されるよ。日本はね、頭の中で何を考えようともそれは自由だって見做される国なんだよ。表現さえしなければ、どんな制限がかかることもない。もちろん表現の自由だって充分に担保されている」

「そういう話じゃ、ないでしょ」

「そういう話だよ。大切な片想いを、想像の中でならどんな風に開いてもいいんだよ。誰もそれを咎めはしない。咎める権利は、誰にもない」


 時雨さんが鞭撻するように言う。

 想像なら自由。

 その言葉は甘くて、心が溶けてしまいそうだった。


「ボクは色々見てるから、友斗くんも自由に見てて?」

「……うん、そうする」


 半ば流されるように俺は頷いた。

 時雨さんと別れ、それほど広くはない店内を歩いてみる。


『あっ、友斗先輩! ラムネありますよ、ラムネ! 夏じゃなくてもあるんですね~』


 たとえば雫なら、こんな風に言うんじゃないだろうか。

 夏祭りで雫がラムネを飲みきれなかったことを思い出して、ついでに間接キスを、なんてからかってくる。寒いのに飲むかよって言うんだけど、結局懐かしくなって一本だけ買って、雫と俺だけじゃない。澪や大河も巻き込んで四人で回し飲みするんだ。


『ユウ先輩……色々あるんですね。私、こういうところに来たの初めてです』


 大河は、うん、こんな感じだと思う。

 あいつは駄菓子屋とかに行ったことなさそうだ。家の事情もあるし、本人の趣味的にも、駄菓子に興味を抱くタイプではないと思う。

 でも……そうだな、ゼリーとかなら好きっぽいし、意外とハマるかも。ああいうしっかりした奴に限って一度ハマると駄菓子を大量買いしたりするんだよな。


『ねぇねぇ友斗。見てよこれ、Hしたくなるチョコだって』


 ふと視界に入った変わり物の駄菓子。

 子供用では絶対ないだろっていうそれを、多分、澪は目ざとく見つける。これでもかってばかりに俺にアピールして、それに飽きたら雫や大河をからかうために使う。幾つも買って、家に帰ってからもちょこちょこ話に出してきそうだな……その度に澪は、ちょっとだけ色っぽい目をして、さ。


「……っ、はは」


 本当だ。

 想像するだけで、楽しく感じる。

 何を見て、何にワクワクするだろう、って。

 こんなのあったぞって報告してみたいな、とか。もっと面白いのないかな、とか。まるで宝探しでもしているような気分になる。


「想像、か」


 駄菓子屋じゃなくてもいい。

 もっと四人で一緒に出掛けたかった。

 あれがあるよ、これがあるよ、こっちに行こう、それいいね、って取り留めのない話をしながらワイワイしたかった。

 他でもない俺が壊してしまった日々を、強く感じて、泣きそうになる。


 ――ダメだろ、泣いたら。

 泣くことも、声に出すことも、許されない。

 これは思想の自由には反しなくとも、表現の自由には反してしまう間違ったことだから。


 この片想いは、永遠に妄想の中で生きながらえる。

 それでいいんだ。

 それで、いい。


 瓶ラムネと、スティック状のゼリーと、Hしたくなるチョコレート。それから他には、何を買うだろう……?

 小さなカゴに、妄想から零れ落ちた駄菓子を入れていく。

 家に帰っても、想像し続けられるように、と。

 そんなことを、醜く祈りながら。

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