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十章#12 全てを捨てて

 三学期の始業式は、二学期のそれより少しだけ長くなる傾向がある。というのも、新年の抱負を学年代表が発表したり、校長先生自身が話したりするからだ。

 新年の抱負。

 そもそも俺は、13月から脱して新年を迎えられたのだろうか、と思う。想いを捨ててはいないけれど、恋を捨てはしたはずだ。ならば今は1月にいるのかもしれない。


 俺は今年、どうなりたいのだろう。

 取り返しのつかない間違いを犯し、そうしてたどり着いた新たな年。未だに生き方すら見つからないくせに、今年の春からは三年生になる。今年が終わる頃には、大学の後のことだって考える必要が出てくるはずだ。


 そんなことを考えていると、長めの始業式もあっという間に過ぎていた。

 教室に戻って担任の話を聞き流し、恒例の三教科ミニテストを終えれば、お開きとなる。

 が、もちろん帰宅できるわけではない。今の俺は生徒会庶務。ボランティアではなく役職を得てしまった以上、私情で休むわけにもいかない。


 そんな俺は時雨さんに呼ばれ、屋上にやってきていた。

 呆れるほど広い空を見上げていると、何だか自分のちっぽけさに辟易してくる。時雨さんはぐいーっと伸びをしたかと思うと、二人分の小さなレジャーシートを敷いた。


「こうして二人でいると、春のことを思い出すよね」


 レジャーシートにちょこんと座り、バスケットを開く時雨さん。

 その中には幾つものサンドウィッチが並んでいて……それが余計に強く、時雨さんの言う『春のこと』を思い出させた。


 あの頃はまだ澪とはセフレで、雫とは先輩後輩だった。大河とは知り合ってすらいなくて、美緒の死と向き合えてもいなかった。

 あれから梅雨が来て、夏が来て、秋が来て、年を超えて、今になって。

 そうして季節が巡る間に色んなものが変わったのだ。


「そうだね……だからわざわざサンドウィッチ?」

「それもあるけど、純粋に二人で食べるにはサンドウィッチが食べやすいかな、と思って。天気もいいし、ピクニックみたいで気持ちいいでしょ?」


 うん、とは頷きたくなかった。

 だってここは、雫と澪と一緒にお昼を食べていた場所だから。

 そこを時雨さんとの記憶の場所にしてしまうのは、何とも言えない気持ちになる。

 でも――そんなのはもう、ホテルに泊まった日から犯している過ちだから、


「確かにね。といっても、正直めちゃくちゃ寒いけど」


 また一つ、間違いを塗り重ねる。

 時雨さんは可愛らしくむくれて言った。


「む……子供は風の子って言葉を知らないのかな?」

「それ、短パン小学生のノリだから。高校生男子に言うアレじゃないから」


 実際、寒いのは事実だし。

 晴れてる割に日差しは思いのほか弱く、逆に風はかなり強いのでこの時期の屋上はかなり冷えるのだ。

 身を竦めつつ、「いただきます」と言ってからサンドウィッチを貰う。


「味、どうかな?」


 むしゃむしゃと食べていると、時雨さんがチラチラっと視線を寄越してくる。上目遣い気味のその視線を受けて、時雨さんの想いを思い出した。


 時雨さんは俺のことを好きらしい。

 信じがたい事実だし受け止めがたいことだけれども、それ相応の態度は取るべきなのだと思う。俺の『好き』を守ることに手を貸してくれているのだから、時雨さんの『好き』にだって報いるべきだ。


 今一度ハムサンドを食み、うん、と頷いて見せる。

 えっと……前は『流石は完璧超人……』って言ったんだよな。でも、それなら素直に美味しいって言ってほしい、って言われた。

 なら、


「うん、美味しいよ。からしマヨネーズが程よくてめっちゃ美味い。もう一個貰っていいかな?」


 と、褒める。

 ちょっとだけオーバーに、でも嘘や脚色にはならないように。《《あの日の記憶を掘り起こして》》言った。

 刹那、冬星祭の日のことが頭をよぎる。


『よかったと思うぞ。拍手も凄い起こってたしな。つーか、美少女が揃ってクリスマスコンサートとか、それこそ二次元かよって感じだし』

『……っ、そですよねっ! ヒロインのライブシーンって萌えますし!』

『ッ、いい余興になったならよかったです』

『……ん。ま、雫が出てるのに盛り上がらなかったら焼き払ってただけだしね』


 時雨さんは、くしゃっ、と顔を歪める。

 切なげに、儚げに。

 俺は時雨さんに対しても間違いを犯してしまったのだ、と気付いてしまった。


「あっ――」

「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいよ」

「えっ……?」


 なのに、時雨さんはすぐに向日葵みたいに笑った。

 それは、ちっとも作り笑顔には見えなくて。

 だから拍子抜けしてしまう。


「ふふっ。あんな取ってつけたような褒め言葉で申し訳ないな、とでも思った?」

「それは……うん、ごめん」

「謝る必要はないってボクは思うけどな。ボクは友斗くんに好きになってほしいとは思ってないし、彼氏らしくサービスしてほしいとも思ってないんだから」

「それは、そうだけど……」


 全てが理屈通りに行くとは限らないじゃないか。

 俺がそう思っていると、時雨さんはくくくっと頬を緩める。


「安心していいよ。ボクが友斗くんに好かれたいって思ってないのは本当のことだから。ただ……友斗くんには食べたい味があるんだろうな、って。そう思ったら……色々と思うところがあったんだよ」

「食べたい、味……?」

「そう。キミはきっと、もうその味にすっかり胃袋を掴まれちゃってるんだろうね」


 さらさらと時雨さんの髪が靡く。

 時雨さんの言葉に、はっ、とする。

 食べたい味……そんなの、あるに決まっている。そのことを自覚してたから。

 

「ねぇ時雨さん」

「ん、何かな?」

「俺ってクズだよね」

「クズだねぇ……あの子たちには勿体ないよ」

「…………うん」

「でもあの子たちは、まだ友斗くんのことが好き。だからこの後も――」

「――分かってるよ。分かってる」


 色んなものを、捨てていかなくちゃいけない。

 三人が作ってくれる料理の味も、それから――。



「ねぇ友斗くん。《《本当は味なんて分かってないんでしょ》》?」



 時雨さんの小さな呟きを、俺は聞こえないふりで逃げた。

 だって本当だったから。

 ブラックコーヒーの苦みすら、ろくに感じてはいないから。



 ◇



「なあ大河。暫く休んでもいいか?」


 かたかた、かたかた、とキーボードが鳴る生徒会室にて。

 生徒会の仕事が始まってから、約三時間。

 冬星祭の事後処理がキリのいいところまで終わったタイミングを見計らって、俺は言った。俺と大河の距離感が生み出していた気まずさが、俺の言葉によって切り裂かれる。


「えっ……それって、どういうことですか?」


 パソコンから顔を上げた大河は、酷く弱々しい声を漏らす。

 それまでの大河の様子が明らかにおかしかったことは、他の面々も察していたのだろう。一度手を止め、時雨さんを除く全員が俺と大河との間で視線を右往左往させる。


「そのまんまの意味だよ。冬星祭の事後処理が終わったら、生徒会の仕事も暫くないだろ? せいぜい軽い事務仕事ぐらいだし……それなら庶務は要らないと思わないか?」

「それはそうかもしれないですが……でも、来月の頭には合宿があります」

「教師主導だし、外の施設を使うわけだから生徒会で新しいことをってわけにもいかないだろ」


 元来、庶務職の意義は生徒会活動をより充実させることにある。やりたいことは多いが手が足りない。そんなときのための人員こそが庶務であり、仕事で手一杯になっているときでなければ、その仕事はなくなる。


 ――なんて、そんな原則論を重視している奴が生徒会メンバーにいないことは分かっている。

 如月も一年生ズも書記くんも、訝しむようにこちらを見てきた。

 それ以上に大河が、ぎゅっ、と唇を噛んでいる。

 縋るような視線が痛くて、痛かった。


「どうしてそんなこと、急に……」

「どうしてって、そりゃあ……分かるだろ?」

「――っっ」


 時雨さんとの関係をむやみに吹聴するのは本意ではない。

 ――っていうのは、逃げ口上で。

 大河に対して何度もこのことを口にしたくない、というのが本音だった。たとえやっていることは同じでも、心が持たないから。


「それは、そうかもしれないですけど……でも、私はユウ先輩と一緒にいたいです。まだ教えてもらってないことも、たくさんあります」


 夏休み前、彼女と言い争った日の出来事がダブる。

 あのときよりも迷いながら、けれどあのときよりも想いのこもった言葉をぶつけられて、俺は顔をしかめずにいられなくなる。

 言い終えた大河は、何かを悔いるように俯く。

 テーブルの上に置かれた拳は、痛そうなほど握り締められていた。


「百瀬くん。私も、百瀬くんにはいてもらいたいわ。今は仕事がないだけで、2月3月にはそれなりに仕事があるでしょ。それに今後、何か急に増えるかもしれない。毎日とは言わないけど、せめて週に何度かは来てほしい。それが先輩としての義務だと思う」


 如月は、ド正論を口にする。

 至極ごもっともな意見だ。っていうかぶっちゃけ、俺もそう思う。これからの時期は仕事が少なく、時間が増える時期だ。今こそ現生徒会で新しい事業に着手できるタイミングであり、決して人手が要らないわけじゃない。さっきの原則論はすっかり論破され、俺の負けだ。

 でも――それがダメなんだ。新しいことをしてみろ。俺は大河とまた動くことになる。それじゃあダメなんだ。ちゃんと距離を取らないと。


「ならどうしても必要なときに呼んでくれ。《《生徒会長が庶務をわざわざ応援に呼ぶ必要があると判断したときに》》、な」


 だからズルい言い方をする。

 大河の弱点を突くような言い方で。


「それでいいよな? 生徒会長」

「……っ、はい」


 射竦めるように視線を遣れば、大河は項垂れるように首を縦に振った。

 大河は、そう反応するしかない。

 だってバイトをやろうって話をしていたとき、この子は後ろめたそうにしていたのだから。


『バカではありません。実際、ユウ先輩に頼りすぎていたのは事実ですし。ユウ先輩が毎日放課後に働く義務なんてないんですから、やりたいことがあるのでしたらそちらを優先してください』


 ああ、俺は。

 また一つ、罪を上塗りしてしまう。

 積み上げた幸せな青春を、罪色で塗って、最悪な思い出に――。

 でもこれでいい。こうして一つずつ、彼女たちの恋を終わらせなきゃいけないのだから。


「じゃあ、そういうことで。俺に任されてる仕事は終わったし、帰るわ」

「……はい。お疲れ様でした」

「お疲れさん。みんなも無理せず帰れよ」

「…………」


 千切れるような痛みを感じながら席を立つ。

 部屋を去るときに触れた生徒会室のドアは、酷く冷たくて。

 俺はもう決して触れてはいけないのだ、と。

 強く、強く、思った。

 思い知った。

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