十章#11 目つき
「おはよう、晴彦」
「おう――って、友斗、大丈夫か……?」
「ん、何が?」
時雨さんと分かれた俺は、先に教室にやってきていた晴彦に挨拶をした。
前のドアではなく後ろから入ってきたことを除けば何一つ変わってはいないはずなのに、晴彦は心底心配そうに俺を見つめてくる。
「いや、なんつーか……目つきが違うじゃん」
「まあな。一冬超えて男前になったんだよ」
「そのジョークも、なんか友斗っぽくねぇし」
「うぐっ……」
茶化してこの会話を終わらせようとしたのに、あっさりと踏み込まれてしまう。俺が分かりやすいのか、それとも晴彦が鋭いのか。
後者だろうなと思いつつ、俺は席についた。
「体調、悪いのか?」
「ん、別に。そういうわけじゃねぇよ。ただちょっと、最近寝つきが悪いんだ。枕を変えたから」
変えたのは枕ではなく寝床そのものだが、嘘じゃない。
晴彦のジト目をスルーし、俺は自販機で買った缶コーヒーのプルタブを開けた。眠れないくせに体はずっと怠いから、カフェインを摂取しないとやっていられないのだ。
くいっと呷ると、うわぁ……とドン引きしたような声を晴彦が漏らした。
「なぁ友斗。ブラックコーヒーってそんながぶ飲みする飲み物じゃなくね?」
「それは……人によるんじゃないか? これは家出たときに買った奴だからそこそこ冷めてるし、一気飲みできるぞ」
「そういう話じゃなくて、だなぁ……」
言いたいことは分からなくもないけど、無視する。
っていうか、ダメだ。やっぱり怠くてしょうがない。体温計は正常値を叩き出してくれたし、単に睡眠不足なんだろうが……しょうがないか。
勿体ないが、ブラックガムのケースから三粒ほど取り出して一気に頬張る。一度に二粒でも奮発している方なのだが、今回ばかりはしょうがない。だんだんと慣れてきちゃってるしな。
「くぅ~~っ。あ~、目が覚める。コーヒーじゃなくて炭酸を買ってきた方がよかったかもしれん」
「いやもうそこまで眠いなら寝ろよ!? 目の覚まし方がちょっとおかしいからなっ!?」
「……自覚はしてる」
完全に刺激で目を覚まそうとしている時点でおかしいのだろう。
そんなこと、分かってる。
これだけ体が怠いのだ。一度突っ伏して居眠りでもしてしまった方が絶対に体のためになる。というかそもそも、この気怠さは体が出しているSOSだと思うし。
けど、眠ってしまえばまた魘されるであろうことも分かってるんだ。
どうしても眠るなら、それはエネルギー不足で気絶するような眠り方じゃなきゃいけない。魘される体力すらない機能停止に陥りでもしない限り、この状態からは抜け出せないだろうから。
「気を遣わせたならすまん。寝てない自慢が鬱陶しかったよな」
「い、いや、別にそれはいいんだけどさ……やっぱ、おかしいだろ。二学期のときは忙しくて徹夜しまくってても、そんな風にボロボロじゃなかったじゃんか」
「それは……まあ、そうかもな」
文化祭のときも選挙のときも、深夜テンションみたいな精神状態が継続していたように思う。
今そうなれないのは、ひとえに目標がないから。
分かりやすい逃げ道がなくて、夜の虚ろさを実感しながら起きているしかないから、徒労が凄まじいのだ。
この状況を一言で言えば、
「ほら。学校行事とかのことで徹夜してるときは活き活きできるけど、ただぼーっとゲームをやってると深夜テンションにもなりきれないときってあるだろ? 特に一人で黙々とレベル上げしてると」
「俺、レベル上げる系のゲームあんまりしたことねぇから分からん」
「あっ、そう……」
折角気の利いた例えを思いついたのに……!
と、こんな風に思っていられるぐらいには晴彦との会話は俺の心に余裕をくれたらしい。もぎゅもぎゅと噛み続けるブラックガムの刺激を感じながら、こほん、と話を変える。
「っていうか、目つきって……もしかして隈とかできてるか?」
目元に触れながら尋ねる。
寝不足だが、一応そこには気を遣った。鏡をよく見て、必要なら軽く化粧で隠すぐらいのことはするつもりだった。
晴彦はふるふると首を横に振り、答える。
「いんや、隈はできてない。ただあれだ。いつもより二重っぽくなってる」
「二重?」
「そうそう。今までも若干それっぽかったけど、一重って感じでさ。でも今日は二重で、ついでにちょっと悩ましげって言うか……雰囲気が違うんだよ」
「ええっと……?」
一重の奴が寝不足で二重になる、というのはよくあるパターンだ。
だがそれなら別にいいのでは? と思わななくもない。
首を傾げていると、はぁ、と晴彦は溜息をついた。
「友斗さ、冬休みぐらいから見た目に気を遣うようになっただろ」
「ん……ま、まあそうだな」
「で、しかも今日はアンニュイな雰囲気を漂わせててる。そうなると、周囲からの見え方も変わるんだよ。気付いてないのか?」
「えっ?」
周囲からの見え方……?
はてと首を捻り、俺はようやく晴彦が言わんとしてることを理解する。
「要するに、多分だけど、今までよりかっこいい奴に見えてると思う。三学期デビューってほど前が酷かったわけじゃないけど、良くも悪くも、前は恋愛対象って感じじゃなかったから」
「今は違う……のか?」
「微妙なとこ。霧崎先輩とか入江先輩みたいな、ちょっと空気が違う存在って感じがしてるんだよ。実際、クラスの女子もちょいちょい友斗のこと見てるぜ」
「マジか」
言われて、チラと周りを見てみる。
うーん……言われるとよく分からないが、確かに視線を感じる気がしなくもない。身なりに気を遣ったのは確かだし、そういう意味ではよかったのだろうか……?
「じゃあさっきのは褒めてたのか」
「いんや、それも違う。だって冬休みに会ったときの友斗の方がよかったし。今の友斗は、全然友斗らしくない」
「……なるほど」
結局、こうしてあっさり看破されるわけね。
俺の周りにはつくづく聡い奴が多くて嫌になる。俺は分からないことだらけなのに、勝手に分からないでほしい。
「ってことでさ。何があったんだよ、友斗。この前だって、もうちょっとマシだったろ?」
「……別に、何もないって。言っただろ? 黙々とゲームしてたせいで頭と目が軽く死に気味なんだよ」
「そんなの、どう考えたって嘘だろ」
「誤魔化されてくれよ、三学期初日だぞ」
「誤魔化されたくねぇよ、三学期初日だからこそ」
こうして踏み込まれて、心配される資格すら、俺にはないのに。
顔をしかめる俺に、なぁ、と晴彦が告げる。
「さっきから綾辻さんのことばっかり見てんの、気付いてるか?」
「――っ?!」
「無自覚か。なら尚更綾辻さん――っていうか、あの三人関連なの確定じゃん」
「違ぇよ。澪のことを見てたんじゃない。ドアを見てたんだ。久々に会うクラスメイトの顔を見たくてそっちに意識が行くのは別に変なことじゃないだろ?」
しょうがないだろ、と心の中で言い訳をする。
だって澪、今日も奇麗なんだ。息を呑むほど奇麗で、魔性の魅力に満ちている。さらさらと流れるような髪も、少しアンニュイな横顔も、友達と笑って話すその表情も、愛おしくて。
目が離せなくなるに、決まってるんだよ。
「気持ちに蓋、できたのか?」
晴彦が俺の心を見透かして、聞いてくる。
俺はピエロみたいに作り笑って、頷いた。
「ちゃんとこの冬休みに、しまってきた。だから……三学期からはいつもの俺だよ。安心してくれ」
「……友斗がそう言うなら、それでもいいけどさ」
話している間に、久々のチャイムが鳴った。
晴彦はどこか億劫そうにこちらを見つめ、あのさ、と言ってくる。
「恋の傷を恋で埋めんのは絶対ダメだからな」
「えっ」
「軽蔑だけは、させんなよってこと。俺、友斗のこと結構好きなんだぜ」
「……分かった」
友斗の言葉の意味を、俺はまだ、掴みきれずにいて。
俺は、こんな俺を好きでいてくれる親友に、心底感謝した。




