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十章#09 終わるもの

 SIDE:友斗


 時雨さんと恋人になった日の翌朝。

 まだ雪が残った街は、しかし、きちんとその機能を取り戻していた。流石に突然の大雪に急に対応するのは難しいみたいだが、翌日にはちゃんと復帰するのだから日本のインフラは凄まじい。まぁ東京の雪なんてどんなに大雪でもたかが知れているってのもあるのかもしれないが。


「家に着いたら……ボクらのこと、言うんだよね?」

「そのつもり。昨日、もう澪には言ったんだけど、ちゃんと直接言うべきだと思うから」

「うん。そうしないと、彼女たちに諦めてもらえないもんね」

「……っ、うん」


 揺られる車内は、いつもよりも満員だった。

 ぎゅうぎゅうに人が詰まる中で、せめて恋人らしく、と窓際で時雨さんを庇うように覆いかぶさる。そんな俺の弱さを見透かすような時雨さんとの会話を続けるのが苦しくて、窓の外に逃げた。


 頭の中を流れるのは、昨日カラオケボックスで聞いた曲。

 雪が止み、それでもすぐに溶けない白さは、見ているだけで胸が苦しくなる。

 昨晩のうちに覚悟を決めたつもりだった。澪を、雫を、大河を、俺は意図的に傷つけなければいけない。傷つけ、拒絶し、遠ざけて、俺を好きじゃなくなってもらわなきゃいけない。


 自分の『好き』を守るくせに、あの三人の『好き』を失わせようとしている。どこまでも自分勝手な選択をしたのだから、苦しいなんて思う資格もないんだ。

 それなのに……っ、っくそ。


「遠ざけるだけじゃなくて、遠ざからなきゃいけない。そう思うと……やっぱり、苦しい」

「でも……傍に居たら、何が起こるか分からない。あの子たちを間違いに巻き込んでしまうかもしれない」

「うん、分かってる。だから――引き返さない。覚悟はできてるよ」


 弱音を吐いてはいられない。

 何も選ばないということはつまり、何もかもを捨てるということでしかなくて。

 選ぶものも捨てるものも選べない子供に下される罰としては、むしろ甘すぎるぐらいなのだから。


 話している間に、終点に着く。

 押し出されるように電車から降り、改札をくぐり、家に向かった。


 扉の前に立つと、自然に溜息が零れた。

 また幸せが逃げていく。もうどれだけ逃しただろう。俺の代わりに誰かが捕まえてくれているのだろうか。

 そんなことを考えながら、数度のノックの後、ドアノブを捻る。


 鍵は開いていて、抵抗なくドアは開いた。

 震える唇を叱咤して、


「ただいま」


 と口にする。

 おそらくは、暫く家で口にすることがなくなるであろう言葉を。


「おっかえりなさい、友斗先輩っ! まったくもう、朝帰りなんていい度胸ですねーっ!」

「……おかえりなさい、ユウ先輩。雪で電車が止まってしまうなんて、大変でしたね。お疲れ様です」


 雫と大河が俺を出迎えてくれる。

 太陽みたいな笑顔と、大和なでしこっぽい笑顔。

 けれどもその二人の表情に綻びがあるんだと気付いてしまい、ちくっ、と胸が痛む。そりゃそうだ。そもそも朝帰りになっている時点で、“何か”があったことを察せてしまうに決まってる。


「…………おかえり、友斗」

「っ、ああ」

「それと、霧崎先輩も。早く入ったらどうですか? 言いたいこと、あるんですよね」

「「えっ」」


 目元を腫らした澪が、俺の後ろをじっと睨んだ。

 時雨さんは、ははは、と枯れた笑みを零しながらひょいと顔を出す。雫と大河は目を見開き、なぜここに? と言いたげな表情になった。


「おはよう、三人とも。それからお邪魔するね。《《色んな意味で》》」

「――……ッ」

「えっ、それって一体……。あの、友斗先輩?」


 歯噛みする澪と縋るように見てくる雫。

 どちらの態度も痛くて、苦しくて、その分だけ『好き』を痛感する。俺はこの子たちが好きなんだ、と。


「友斗くん」

「分かってるよ。……三人に話したいことがあるんだ。大切な話だから、一度腰を落ち着けて話したい」

「「「…………」」」


 春のことを思い出す。

 あのときはまだよかった。俺と雫が付き合うことを、澪も大河も分かっていた。澪は俺を本当の意味で好きだったわけじゃないし、大河だって恋愛感情を抱いてはいなかっただろう。誰も傷つきはしないから、衒いなく報告できた。


 でも――もう違う。

 裏切りなのだ、これは。

 三人は静かに首肯して、先にリビングに向かった。俺も時雨さんと共に家に上がり、手洗いを済ませてから三人と向かいあった。


「それで……話したいことって、なに?」


 話の内容を知っている澪がそう尋ねてきたのは、雫と大河を守るために他ならなくて。

 そうさせてしまったことのやるせなさを覚えつつ、ああ、と俺は頷く。


「俺は……時雨さんと、付き合うことになった」


 言ってしまった。

 澪だけじゃない。雫にも、大河にも、告げてしまった。もう引き返せない。冗談です、なんて口にすることは許されない。

 それでも三人の顔を見るのが怖くて、俺は俯きながら続けた。


「実は昨日も、時雨さんとホテルに泊まったんだ。雪で電車が止まってたのは嘘じゃないけど……それだけ、ってわけでもない。一緒にいたのが恋人だから、泊まるって選択肢が浮かんだ。それぐらい、俺は時雨さんのことを――恋人だと思ってる」


 三人を失恋させるための言葉を紡ぐ。

 時雨さんの手を握ると、時雨さんも俺の意図を察したように半歩分、俺と距離を縮めた。触れあう肩は、きっと正しく出来立てのカップルらしいはずだ。


「ごめんね、三人とも。でも……ボク、気付いたんだよ、友斗くんのことが好きだ、って。そしたら想いを止められなくて……昨日会って、彼に告白されて、断れなかった。ズルいって分かってても、断れなかったんだ」


 悩み、もがき、それでも幸せを手にした少女。

 そんな風に時雨さんが言うと、あの、と大河が唇を震えさせた。


「ホテルに泊まった、って、ことは……そういう、ことを……っ――」

「――シてはない。でも、シていい、と俺は思った。だから俺の意思でホテルに泊まったんだ」

「そん、な……っ」


 嘘に決まってる。

 時雨さん相手に()る気なんてない。一晩ホテルに泊まっても、ちっともそんな気持ちにはならなかった。


「どうして……ですか?」


 大河に答えた俺に次に問いを投げかけてきたのは、雫だった。

 涙交じりのその声が、胸に疼痛を生み出す。


「友斗先輩は……っ、私たちのこと好きですよねッ?! どうして霧崎先輩なんですかっ? 私たちが、『ハーレムエンド』なんて望んだから、ですかっ……?」

「ちっ、違う!」


 肯定するわけにはいかない。

 そもそも三人が『ハーレムエンド』なんて言い出したのは、俺のせいに他ならないのだから。俺が言わせてしまったのに三人に責任を転嫁するだなんて許されるはずがない。

 

「ただ俺は、選んだだけだ。美緒のことを同じぐらい大切に思ってくれて、俺の背中を押してくれて、傍にいてくれる時雨さんのことが俺は――」


 好きなんだ、と。

 ただ最後の一言が、言えなくて。

 それだけは嘘を言いたくないと喉が抵抗する。


「――それも、どうせ霧崎先輩が何かを企んだだけでしょ。友斗も意味があると思ったから協力してる。そういうことじゃないの?」


 躊躇っている間に、澪が切り裂くように言った。

 真実に近いその指摘。

 顔を上げれば、澪は時雨さんのことをギリリと睨んでいた。


「何があったのかは知らないけど……何か理由があるんでしょ。でもやめようよ、それ。そんな風に傷つけることで何かを得ても、意味ないじゃん」


 あまりにも刺さりすぎる言葉だ。

 でもさ、澪。

 違うんだよ。何かを得よう、なんて思ってないんだ。終わりにするための嘘なんだ、これ。


「違う。そういうのじゃない。何も生まないかもしれないけど……ちゃんと選ぼうって思ったんだ。夏と同じだよ。俺がそう在りたいって思った」


 あろうことか、聖域たる夏の記憶すら穢して。

 俺ははっきりと三人に告げた。


「俺は霧崎時雨っていう女の子が好きなんだ。世界でただ一人、時雨さんのことだけを愛してる。だからもう三人の想いには答えられない」

「「「――っ!?」」」


 三人は、息を呑んだ。


 ――考えたんだけどさ。演技でも「好き」とか、そういう言葉を澪に向かって言うのは違うと思ったんだ。今度澪に向かってそう言うときがくるなら……それは、心からの言葉にしたい


 雫と付き合ったときですら、嘘でも『好き』とは言えなかったのに。

 それなのに俺は、口にした。

 口に、してしまった。


 三人は、何も言わない。

 雫は蹲って泣き声を漏らすまいと口を覆い、

 大河は後ろめたそうに胸を抑えて、唇を引き結び、

 澪はそんな二人の手を握り、ぐっ、と俺を睨んでいた。


「友斗くん」


 時雨さんが、そっと囁いてくる。

 まだ終わってないよ、と。

 百も承知だ。まだ終わりじゃないのだ。


「それともう一つ。言わなきゃいけないことがあって」


 ――勝手な想いに付き合わせてしまってごめんな


 俺は、踏みにじる。

 父さんと義母さんが手にした幸せさえも。


「俺は――」



 ◇


「――はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 夢を見ていた。

 悪夢だったのだけど、悪夢と呼んでしまえば自分の罪を誰かに責任転嫁することになるから、ただ夢とだけ言うべきなのだろう。

 飛び起きて、冬なのにびっしょりと汗を掻いていることを自覚する。どうしようもなく気持ち悪い。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……っ」


 けれど、汗よりも過呼吸気味な状態の方が問題だった。

 息がどんどん加速していく。

 はぁ、はぁはぁ、はぁはぁはぁ、と。その度に脳が酸素不足になって、正常に働かなくなる。それでもなお、呼吸は元の調子に戻ってくれそうにない。


 っぐ、くそっ……!

 胸を掻きむしり、強引に口を塞いで息を整える。

 っ、っ、っ……くはっ。


「止まった、か……?」


 かなりの時間を置いて、なんとか呼吸が元のペースに戻っていく。

 強く噛みすぎたせいか唇の内側に傷ができ、口腔内に生暖かい血が広がった。


「情けねぇなぁ……ほんとに」


 ベッドに寝転がって、独り言ちる。

 三人と話してから、もう数日が経っている。明日から三学期だっていうのに、今日も魘されて起きてしまった。

 時刻は午前1時。

 寝たのは日が替わって少ししてからだから……30分も寝れていない。最近はこんなのばっかりだ。

 その度にこうして過呼吸になって、無理やり止めて、見慣れない天井と睨めっこするはめになっている。


 ――見慣れない天井、なのだ。

 ここは俺がずっと過ごしていた部屋ではない。

 だって俺は、あの家を出てきたのだから。


「無理やりにでも寝ないと……本気で体壊しそうだ。そうしたらエレーナさん、心配するもんなぁ……」


 ここは俺の慣れ親しんだ百瀬家、ではなく。

 数日前から居候している霧崎家、なのだった。

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