十章#07 恋煩い
SIDE:時雨
「…っ、すぅ……っ」
すぐ隣で、苦しそうな寝息を立てている男の子。
ボクは彼の髪を、そっと撫でた。
美緒ちゃんと同じく、友斗くんの髪はとてもサラサラしている。ずっと撫でていても飽きない、心地のいい髪だ。絹のように、という表現が正しいのかもしれない。
ボクがお風呂から出たときにはもう、友斗くんは魘されるみたいに眠っていた。こういう場所に来た男子高校生とは思えないその様子に、ついつい苦笑してしまう。
「そんなに、好きなんだね」
同時に三人の子を好きになるだなんて、きっと誰が聞いても、最低だ、と言うだろう。しかもその『好き』の中から一番を選ぼうとせず、挙句の果てに好きでもない相手と付き合うことを選んだのだから、フォローのしようもない。
「まさに恋煩い、か」
友斗くんをそこまで最低にすることも、あの子たちがこんな最低な友斗くんを好きでいることも、恋の病だと言わずして何と呼ぶのか。
「ボクは、こうはなれないなぁ……」
呟く声は、思いのほか悔しそうな響きを伴っていた。
そうか、と思う。
ボクは悔しいらしい。四人みたいに恋の病に罹れないことを、悔しく思っているみたいだ。
「まぁ。だからこそ、だよね」
恋の病に罹っていないボクだからこそ、できることがある。やらなくちゃいけないことがある。それはもしかしたらお節介なのかもしれないけれど、彼らの物語を結ぶ上で必要不可欠だと思うから。
ボクは友斗くんを起こさないように浴室に向かいながら、少し前のことを思い出す。
具体的には……そう、ボクが恋に堕ちた冬星祭のことだ。
◇
三つのお祭りが終わり、いよいよ今年も残すところ一週間になった。
聖なる夜の星空は都会でもファンタジックに輝いていて、外気の冷たさすらも心地よく思える。終わりかけた冬星祭の喧騒から少し離れて、ボクは親友と共に外に出てきていた。
「寒いわね……」
「ふふっ、そうだね。そりゃクリスマスイブだもん」
「まぁ、そうね」
冬は、とっくに始まっている。
ホワイトクリスマスではなかったけれど、もう街は寒さに包まれているのだ。温もりを求め、誰かと触れあおうとするこの季節が、ボクは嫌いではない。
親友にして相棒である入江恵海ちゃんは、寒さに身を竦めていた。男装もどきの恰好だからいつもよりは厚着な気もするけど、それだけじゃ足りないらしい。もう、結構な時間だしね。
「それで? こんなところに呼び出してどうしたのかしら。少し離れた間に大河が逃げてしまいそうだから早く戻りたいのだけれど」
「逃げるって……大河ちゃんは今日、あの子たちと一緒に帰るんじゃないかなぁ」
「うっ……分かっていることを突きつけるのはやめなさい」
「分かりきっていることで文句を言う恵海ちゃんが悪いんじゃないかなぁ」
大河ちゃんが今夜どこで誰と過ごすのか。
ボクも恵海ちゃんも、そんな初歩的なことが分からないほど蚊帳の外にいるわけではない。言うまでもなくあの子は、友斗くんや雫ちゃん、澪ちゃんと一緒に過ごすのだろう。
こほん、とばつが悪そうに咳払いをすると、恵海ちゃんは口を開く。
「まぁ今のは冗談だけれども……あなたの従弟にクリスマスプレゼントを渡そうと思っていたのは事実なのよ」
「あっ、そうなんだ……? もしかして、気に入ってくれたかな?」
「半々、ね。あんな危なっかしい子から目を離せないって気持ちと、あんな危なっかしい子だからこそずっと見ていたいって気持ちがあるわ」
「おお、なるほど。その気持ちはちょっと分かるなぁ」
言い得て妙だ。
友斗くんほど危なっかしい子を、ボクは知らない。それは彼の魅力でもあり、欠点でもあるだろう。主に後者のベクトルが強いのは否めないけれども。
まあ、それはそれとして。
恵海ちゃんが友斗くんのことを気に入ってくれたのは僥倖だ。それが、ボクがこれから頼むことの大前提にあるのだから。
「それでボクの用事なんだけど……実は、ボクは恋をしたみたいなんだ」
「なるほど……ん? えっと、時雨、今なんて?」
「恋をしたみたいなんだよ、ボク。聞こえなかったかな?」
ぱちぱち、と呆けた顔で瞬く恵海ちゃん。
ボクが繰り返すと、恵海ちゃんの顔が目に見えて赤くなった。
「へ、へぇ……!? そ、そうなの。まあ、いいんじゃないかしら? 芸の肥やし、とも言うものね。時雨を初めてにするのは癪だけれど、何だかんだあなたとの付き合いも長いわけだし? ファンとして作家に協力するって意味でも、私はやぶさかでは――」
「――友斗くんのことが、好きになったんだ」
「へっ!? そ、そっち……っ!?」
「そっち? 他にどっちがあるの?」
何やらぶつぶつと言ったかと思うと、恵海ちゃんはボクの言葉に過剰に反応する。ボクの周りに友斗くん以外の男の子はいないし、そこまで驚くことじゃないと思うんだけどなぁ……。
それとも、他に誰かいるんだろうか。はてと首を傾げていると、
「~~っ! 何でもないわよ! 気にしなくていいから絶対気にするのはやめなさい気にしたらあなたとは絶交だから!」
と、やけに強く言ってきた。
ゆっさゆっさと肩を揺さぶられる。明らかにおかしい反応に戸惑いつつも、恵海ちゃんに絶交されるのはごめんなので素直に頷いておく。
「恵海ちゃん、顔赤いけど大丈夫? 暖房でのぼせたのかな?」
「っ、そ、そんなところよ。私のことはもういいわ。それより、話を続けなさいな。時雨の好きな人の話をされてどうしろと? 言っておくけれど、恋の応援なんてしないわよ。大河の恋敵でもあるわけだしね」
早口でまくしたてる恵海ちゃんに苦笑しながら、ボクはふるふると首を横に振った。別に恋の応援をしてほしい、だなんて思っていない。
だって、
「勘違いしないでほしいんだけどね、恵海ちゃん。ボクはこの恋を叶えたいなんて思ってないんだよ」
この恋の成就は、ボクの願いではないのだから。
えっ、と渋い顔になる恵海ちゃん。彼女は恐る恐る、それって、と聞いてきた。
「時雨と彼が従姉弟だから? でも、従姉弟は結婚できるはずでしょう?」
「うん、そうだね。従姉弟は結婚できる。けど、別にそれは関係ないよ。たとえ実の兄妹だとしても、本当に素敵な恋は叶ってしかるべきだと思う。そんなの、ボクのファンなら分かるでしょう?」
「……それを言うのはズルいわよ」
壬生聖夜としてのボクが書いた作品には、実の兄妹の愛を描いたものもある。というか、形式は違えど、これまで書いた12作全てで実の兄妹の愛がテーマになっている。
じゃあどうして?
そんな問いを視線でぶつけられ、ボクの頬は自然とほころんだ。
「あのね。ボクは友斗くんが恋に落ちるところを見て、好きになったんだ」
「恋に? ってことは彼、誰かのことを好きになったのね? その相手って一体、誰なの?」
「その話をする前に教えてくれないかな。あの三人の目的は何だったのか。あの子たちになんて頼まれたのか」
「……っ、言ったでしょう? 『好きになってもらうため』だって」
それは、あの子たち三人が歌っているときに恵海ちゃんから聞いたことだ。
これが嘘でないことは分かる。嘘をつく必要はないのだから。
ただ、
「でも全てを言ったわけじゃないよね? 『好きになってもらうため』って言うけれど……じゃああの子たちは、同じ相手に好きになってもらうために仲良く手を取り合ったの? それって、少し変じゃないかな」
過不足なく真実なわけではないだろう。
恵海ちゃんは、くしゃっ、と顔をしかめる。
「時雨……あなた、もう分かっているんでしょう?」
「分かっているとしても聞いておきたいんだ。あの子たちの本当の望みは何なのか」
一つ一つ、ピースをはめていく必要がある。
ボクがじぃっと恵海ちゃんを見つめると、はあ、と観念したような溜息が返ってきた。
「『三人揃って好きになってもらうため』だそうよ。荒唐無稽よね」
「そっか」
案の定、という言葉がぷかんと浮かび上がってくる。
そうだと思ったんだ。
あの子たちのライブを見て、友斗くんに向ける瞳を見て、手に取るように分かった。あの子たちが目指すのは――四人でいる未来なんだ。
「ほら、言ったでしょう? だからあなたも答えなさいよ。彼が好きなのは誰なの? 彼は、誰を選ぶつもりなの?」
返答次第では友斗くんのもとに今すぐ駆け出す、とでも言いたげな目で聞いてくる。
ボクは髪を耳にかけ、そっと秘密を打ち明けるように言った。
「三人とも、だよ。彼は選ばない」
「っっ……」




