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十章#01 恋人

 SIDE:友斗


 雪やこんこん、あられやこんこん。

 降っても降っても、まだ降りやまぬ。

 降りしきる雪の白さで嘘の黒さを隠して、灰被り姫の如く空を虚飾で満たせればよかった。24時を過ぎたところできっと、この雪は雨に戻ったりはしないだろう。ただそれでもいずれは溶けて、溶け切って、ただの雪解け水になるのだと分かっている。


 空には星も月も見えはしない。

 冬の深い夜に紛れて、哀しみとか後悔とか罪悪感とか、色んな物ごと儚く消えてしまえれば、と思う。

 或いは、それはおとぎ話のように。

 24時が過ぎたら魔法が解けたり、ふと自分たちの旅が夢だったと気付いたりするみたいに。


 けれどそれが叶わないことはとっくの昔に分かっているから、代わりに、ほぅ、と白い息を零した。

 見慣れた街だ。

 幾度ここに来たことだろう。


 雫に連れられて、近くのアニメショップに行ったっけ。ハイテンションで俺の手を引いて、自分がハマってるアニメを語ったり、推しキャラのグッズを買ったりしていた。それを隣で見て、可愛いな、と思っていた。


 澪とは諸々の用事で来ることがあった。打ち上げとか、文化祭のミュージカルの原稿会議とか、そういうので来た覚えがある。カラオケであんまり上手い歌を歌うものだから、うっかり泣いちゃったんだっけ。


 音を吸い込む雪は、代わりに記憶を呼び起こす。

 はぁ、とついた溜息はきっとまた何かしらの幸せを道連れにする。そうと分かっていて我慢できるのなら、そもそも溜息をついたりはしないのだけれども。


「《《友斗くん》》、帰るよ?」

「……うん」


 カラオケショップから出ると、時雨さんが傘を差して言う。

 時雨さんのことだから雪に降られるのなんて楽しいよ、とでも言うと思っていたのだけど、流石に傘は差すらしい。まぁ今日の雪はちょっと洒落にならないもんな。

 雪国みたいな大層なものじゃないけど、こうも積もるのは久々だ。数年ぶり、いや、下手すれば十数年ぶりかもしれない。


「それにしても凄い雪だねぇ……これなら本当に雪だるまとか作れそう」

「雪だるまなんて作ったら手がやばいんじゃない?」

「確かにねぇ。かじかんで動かせなくなっちゃうかも」


 ぶるぶる、と肩を震わせる時雨さん。

 まったく……と苦笑しつつ、俺は口を開く。


「それじゃあ書くのに困るでしょ」

「む……確かに」

「だから雪だるまはダメだよ。俺が入江先輩に怒られちゃう」


 はっきりと言うと、ちぇっ、と時雨さんが拗ねるような舌打ちを打つ。この人、本気で雪だるまをするつもりだったな……?

 マジで子供なんだよなぁと思っていると、時雨さんが手を差し出してきた。


「なら《《友斗くん》》に温めてもらわないとね。今も充分、かじかんでるから」

「っ……」


 時雨さんに言葉に、息が詰まる。

 何をふざけたことを、と笑い飛ばせるのはさっきまでの話だ。具体的には、このカラオケに入る前の話。


 従姉弟としてカラオケに入った二人は、恋人としてカラオケから出てきた。

 但し――それは、健全な恋人関係ではなくて。

 俺の恋心を永遠に片想いにしておくための、契約のようなもので。


 それでも、恋人は恋人。

 俺たちは彼氏彼女なのだ。


「そう…だね」


 躊躇はなるべく薄切りにしたつもりだった。

 時雨さんは、ふっ、と姉っぽく微笑む。俺は時雨さんの細くしなやかな手を握った。もちろん俺たちの関係の名を冠する繋ぎ方で。

 指が絡まり、火傷しそうなほどの冷たさを感じる。


「ふむふむ……恋人繋ぎってこんな感じなんだね」

「…………初めて、なんだ?」

「もちろん。友斗くんが初めての男だよ」


 俺の分の傘は差さず、時雨さんの傘に入る。

 4分の2の『人』が足りないけれど、小さめの傘の中はむしろ窮屈に思えた。腕が重なり、時雨さんと密着する。

 感じる柔らかさは、人肌の温もりだ。

 時雨さんは生きている。雪のように、或いは、人魚姫みたいに、儚く消えたりはしない。むしろこの人は途轍もなく強いのだ。


 俺の気持ちを守ってくれるぐらいには。

 ならば、せめて――。

 時雨さんの彼氏を、ちゃんとやるべきだろう。これは演技ではない。仮初ではあるけれど、偽りではない。いつまでも続けていくつもりなのだから。


 ――気張れよ、百瀬友斗。

 お前は最低で最悪の嘘つきなんだ。ならせめて与えてもらった役割にぐらい徹しろ。時雨さんの彼氏を、どこまでもやり抜け。


「時雨さんみたいなチート級美少女の初めてだなんて光栄だね」

「……そうやって無理しなくてもいいんだよ」

「無理じゃないよ。こうしてた方が楽なんだ。コミュ障はポジショントークの方が得意なんだよ」


 そっか、と小さく時雨さんが頷いた。

 看破されてしまったことに申し訳なさとやるせなさを覚えつつも、俺は傘の先っぽに目を遣る。

 揺れて零れた雪の塊は、間もなく地に落ちた。


「そういうことならよろしくね、ボクの彼氏さん」


 言って、時雨さんは傘を渡してきた。

 時雨さんの背に合わせて少しだけ腰を曲げていたのに気付かれたらしい。


「了解」


 受け取った傘は、、妙に脆いような気がした。

 シンデレラのガラスの靴みたいに、すぐに壊れてしまうような――そんな気配。

 ははっ、と枯れた笑みが漏れる。


 ぐしゃり、ぐしゃり、歩いていく道。

 その嫌な感触に身を委ねながら、俺はカラオケでのやり取りを思い出した――。



 ◇



「お願いを使うよ、時雨さん。

 その提案に乗らせてほしい。

 俺の最低な嘘に付き合って」


「うん。いいよ」


 最低最悪の契約が結ばれ、俺と時雨さんは恋人になった。

 カラオケボックスで流れる優しい歌とは対照的な嘘に、口の中が苦虫でいっぱいになる。ぐじゅぐじゅと口腔内を動き回るものだから、うっかり吐き出してしまいそうだった。

 色んなものを、吐き出してしまいそうだった。


「さてと。それじゃあ……具体的なことを、ちょっと話そうか」

「具体的なこと?」

「そう。付き合うと言っても色んなことを確認しておかなくちゃいけない。これが演技のおままごとみたいな恋なのか、それとも偽物とはいえ本気の恋なのか」

「…………うん」


 時雨さんの言葉に俺は首肯した。

 項垂れるような首肯になってしまった気もする。

 けれども時雨さんは嫌な顔一つ見せず、ちゅるる、とアイスココアを飲んでから口を開いた。


「まず大前提として、言っておくね」


 と言ってから、時雨さんは真剣な眼差しで告げる。


「ボクは友斗くんのことが好き。従弟としてじゃなく、一人の男の子として」

「……っ」

「あ、動揺してくれるんだね」

「そりゃあ……動揺はするよ。するに決まってる」


 俺が言う前から、時雨さんは俺が好きだと言っていた。

 でもいざこうして言われたら、動揺しないわけがない。俺は時雨さんに恋愛感情を抱いていないけれど……それでも、時雨さんが身近な存在であったことは事実だから。

 時雨さんは優しく笑い、そして続けて言う。


「そっかそっか、嬉しいなぁ。それだけでボクの初恋は報われるよ」

「っ、あんまり、そういうことは……」

「あっ、ごめんごめん。今のは心に留めておくつもりだったんだけど……つい、漏れちゃって」


 気にしないで、と時雨さんは首を横に振った。

 でも、はいそうですか、と呑み込めるほど俺は物分かりがよくない。無理に呑み込もうとしても棘になって喉に刺さって、いつまでも抜けずに蟠る。

 俺は時雨さんを巻き込んでしまったのだ。

 身勝手で手前勝手な想いを守るために、時雨さんを道連れにしようとしている。どう償えばいいのだろうと思うけれど、そのやり方なんて見つかってはくれない。


 ならせめて今は、目の前のことに集中しよう。

 時雨さんは、こほん、と話を戻すように咳を払った。


「それでね。ボクは友斗くんが好きだから……この関係を、お遊戯で終わらせるつもりはない」

「…………うん」

「だから恋人らしいことはするつもり。そんな風に、ずっと遠くまでこの関係を続けていかなきゃあの子たちは納得しないだろうからね。だって、雫ちゃんと澪ちゃんは友斗くんの義妹なんだし」

「うん」


 分かっていることだ。

 この関係は、そんな短期的なものではない。雫と澪とは、この先ずっと付き合っていかなければならない。二人と仲がいい大河ともそれは同じだ。縁を切ることなんて決してできない。

 だから少なくともあの三人の俺への想いが冷めるまで、熱源ごとなくなるまで、俺たちは恋人を続けなきゃいけない。


「だから嘘だけど、嘘じゃない恋人をやっていこう。友斗くんがしたいときは手を繋いでも、抱き締めても、キスをしてもいい。もしできるなら、あの三人の代わりに抱いてくれてもいい」

「――っ……そんなことっ」

「できないならそれでいいんだよ。ボクは何だっていい。友斗くんは自分の『好き』を守る方法だけを考えて。その『好き』に忠実にいて、ってこと」

「う、ん……っ」


 あまりに都合がいい話だった。

 けれど時雨さんは、それを屈託なく語る。

 俺たちは、嘘の恋人。

 嘘だけど嘘じゃないのだ。紛れもなく恋人の“関係”にある。


 それが俺たちの契約。

 俺の『好き』を永遠の片想いに昇華するためだけの、それ以外に対してどこまでも残酷な、時雨さんの優しい嘘だった。



 ◇



 ――そして、現在。


「ねぇ友斗くん。どうする? これ、もう帰れなそうだけど」

「うっ……本当だね」


 何も隠してはくれないと思っていた雪は、醜いものを隠して。

 代わりに街の機能をも止めてしまった。

 人でごった返す駅の中、俺と時雨さんは家に帰るための路線が運行休止になった旨のお報せを見上げて、さてどうしたものか、と頭を抱えていた。


「歩いていくのも微妙だし……そうだなぁ。いきなりで申し訳ないけど、今日は帰るのやめよっか?」

「それって――」

「――ホテル、泊まろうか、ってこと。恋人だし、問題ないでしょ?」

「なっ……」


 雪は、俺の罪を純度100%の悪に染めてしまうかのように、俺に試練を与えてきたのだった。

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