九章#43 粉雪のようなあなたはD.c.
SIDE:澪
直球の敵意は、泣きたくなるほど優しく響いていた。
「お三方は、『ハーレムエンド』なんて荒唐無稽なものを目指しているんですよね。それをやめてください。そんな無茶なことを求めて、兄さんを苦しめないでください」
「っ、別に無茶なんかじゃ……!」
私たちの望みを否定する言葉に雫が反論する。
一歩踏み出すと、ぐしゃり、と雪が鳴った。
美緒ちゃんは雫を見つめ、口を開いた。
「無茶じゃない? どうしてそんなこと言えるんですか?」
「それは……だって、友斗先輩は私たちのことを好きになってくれてます! 今まで四人でいるのは幸せで、だからこれからだって――」
「友達と恋人は違うじゃないですか」
「確かに違うかもしれないですけど……でも、それは幸せな方に変わるだけです。『好き』って気持ちがあるから、今までできなかったこともできて、みんなが全部手に入る。一番の幸せなんです」
はっきりと雫は言い切る。
「『好き』ですか……まるで雫さんは、それが万能で、何もかもをハッピーエンドに変えてしまう魔法みたいに語るんですね」
「事実だと、私は信じてるので」
「そう、ですか……」
そうかもしれませんね、と美緒ちゃんは肯った。
けれどもその表情は、ちっとも納得しているようには見えない。
「愛は確かに万能かもしれません。でも兄さんは万能からは程遠いですよね。『ハーレムエンド』ってことは、その愛が3分の1になるんですよ? そんな妥協、本当に許せるんですか?」
「愛は分割なんてできないし、決まった量しかないわけじゃないでしょ」
「ありきたりな言葉ですが、愛は無限だ、って私は思います」
私が迎え撃てば、トラ子も追いかけるように言ってきた。
姉ではなく美緒ちゃんが相手だと割り切ったのだろう、敬語で、声のトーンにもどこか丸みがある。
こんな問い、今更だった。
あの男が、愛する相手が増えたからって一人に向ける愛が減るような男だと? そんなわけがない。友斗がそういう男じゃないことは千も承知だ。
でも、
「愛は無限かもしれません。けれも、時間は有限ですよ。どんなに兄さんが平等に三人を愛しても、時間的に3分の1になってしまうことは否めないはずです」
と、容易に返してきた。
「想像してください。もしも、自分以外の二人がいなければ? 兄さんと二人だったら、本当はもっと愛してもらえるかもしれない。そう思ってしまうことが決してない、と本当に言い切れるんですか?」
……っ、卑怯だ。
その言い方は、あまりにもズルい。
そんなの、言い切れるわけがない。心のどこかでそんなIFが思い浮かんでしまうことは当然のことだ。私たちは、どっちも欲しい。独占も、共有も、どっちも。
「それは……っ、少しは思うかもしれないですけどっ! でも、それでも四人でいる方がいいって思ったんです」
雫が声を震わせて叫んだ。
吐き出された白い息は煙のように漂い、消えていく。
美緒ちゃんは雫をじっと睨んだ。
「雫さん。あなたは、心のどこかで自分が選ばれることはないだろうって分かってるから……ただ一人を選ばれることになれば自分は選ばれない側に回ってしまうから、誰も選ばれない選択を望んでいるわけじゃないんですか?」
「なっ、そんなこと――」
「――ない、と言い切れますか? 雫さんは確かに凄いです。自分の愛を心から叫べるあなたは、本当に凄い。眩しいと思います。でも、《《もうそれ》》、《《澪さんや大河さんもできることですよね》》?」
「っっ!?」
雪の刃を、美緒ちゃんは容赦なく振るう。
「自分が選ばれなければ、兄さんへの愛を終わらせないといけなくなるだけでは済みませんよね。あなたが大好きな澪さんや大河さんとも、これまで通りではいられなくなります。だから全部の『好き』を失わないように妥協しているだけ。どうしてそうじゃないと言い切れるんですか?」
「――……っっ」
酷く冷たい言葉の数々に窒息しそうになる。
私が口を挟もうとすると、それより先に美緒ちゃんはトラ子に目を遣った。
「大河さんも、本気で四人がいいと思っているんですか?」
「っ、当たり前です。雫ちゃんも澪先輩も、ユウ先輩と変わらず大切な人です。だから四人でいる方が――」
「――大切な人なんてよく言えますよね。まだあれだけ大切なことを言えていないくせに」
「……!」
美緒ちゃんの言葉の意味が分からない。
分かるのは、それがトラ子にとって決定的な一言だったということだけ。
大河は絞り出すように、それでも、と言うが、吹き荒ぶ風に流されてしまう。
「『ハーレムエンド』なんて現実的じゃない。そうはっきりと言えるのは、大河さんだけですよね? あなたは叱る立場のはずです。兄さんを叱って、一度は間違いを正したはずです。なのにそれができなくなっているのなら、秘密を口にもできないなら――そんなのはもう、偽物ですよ」
「にせっ、もの……っ」
「偽物の関係のまま、それでも『ハーレムエンド』がいいと? 四人の中にあなたがいてもいいと思えるんですか?」
「そこまで美緒ちゃんに言われる筋合いがどこにあるの?」
これ以上言わせてはならない。
雫も、トラ子も、こんな無慈悲な敵意で切り裂かれるべき子ではない。たとえ友斗の初恋が相手でも、退くわけにはいかない。
「冬の魔法だか知らないけど、美緒ちゃんはもう死んだんだよ。友斗はまだあなたを好きでしょうがないだろうけど……《《だからなに》》? 今の友斗は私たちのことも確実に愛してる。美緒ちゃんと立場は同じ。あなただって、実の兄を愛した。常識と違うことを友斗に求めてる点では何も変わらないでしょ」
初恋の幻影なんて知ったことか。
私は、私たちは、友斗に愛されている。何一つ私たちは劣っていない。
「私たちは今友斗の傍にいて、美緒ちゃんは違う。それなのにどうしてそんなことを言われる必要があるの? 友斗をずっと苦しめてきたくせに」
相手が美緒ちゃんでなければ、こうはいかない。
霧崎先輩なら、入江先輩なら、もっと理屈で対抗しなければならなかっただろう。でも美緒ちゃんの幻影を演じたのはあっちだ。なら、思う存分利用して――
「またそうやって二人を守るんですね。そのおままごと、いつまで続けるんですか?」
「は? 何を言ってるの?」
「言った通りです。雫さんと大河さんのことを守るお姉さん。そんな立ち位置に酔っているだけじゃないんですか?」
「は? そんなわけないでしょ。的外れも甚だしい」
ギロリと睨めば、美緒ちゃんも鋭い視線を返してくる。
「そうですか? 兄さんに誰より距離が近くて、兄さんと同じものを守れて、兄さんと色んなものを共有している――そんな、他の二人より優位な立場に酔ってるものかと思っていました」
「一体、何を……っ」
そんなわけ、ない。
――本当に?
私は、他の二人より色んなものを持っている。
友斗の童貞も、ファーストキスも、私が貰った。雫とトラ子を守りたいっていう考えを共有できる共闘相手であり、初恋の相手を演じもした。
私は―――雫やトラ子より、優位な立場にいるじゃないか。
そんな立場の人間が二人と一緒に『ハーレムエンド』だのと騒いでいいのだろうか。
「っ……」
「気付きましたか? お三方の言う『ハーレムエンド』は、歪んでるんですよ。妥協とか、偽りとか、優越感とか、そういうもので塗り固められた紛いものなんです」
雫も、トラ子も、否定の言葉を口にしようとはしない。
せめて私は、と震わせた唇が友斗の温もりを思い出してしまって、ゾッとした。
言えない。
言う資格はどこにもない。
「生半可な覚悟で兄さんを悩ませるのはやめてください。現実を、見てください」
それだけです、と言って、美緒ちゃんは去っていく。
一歩、一歩、できた足跡はすぐに雪で掻き消される。
世界は白く染まり続け、色んなものを隠していく。
かけがえのない存在がいて、だからどれ一つ失くさないように手を繋ぎ続けたいって願った。
ただそれだけなのに、どうしてこうなるんだろう。
その理由は――分かっていた。
悪いのはきっと、私だ。
私と友斗が間違えたから、どうしようもなく間違ってしまったから。
私たちの間違った始まりに、この二人を巻き込んでしまった。
「……っ」
冬がやってきてしまった。
終わりを報せる風が、自分の立っている場所を不確かにしていく。
澪標は、見つかるはずもない。




