九章#42 過去からの挑戦状
SIDE:澪
とめどなく降り続く雪。
しん、しん、と積もって、雪は静けさで街を蓋していく。ぐしゃりぐしゃりと踏むたびに鳴る嫌な音とは対照的に、街は幻想的に見えた。
ほぅ、と吐き出した息は白い。
唇に触れれば、指先の冷たさと未だに残る温もりが綯い交ぜになる。寒さに身を竦める私の一方で、隣を歩く雫は目をキラキラと輝かせていた。
「雪だねぇ……! なんか、すっごく綺麗」
「ふふっ。雫は昔から雪、好きだもんね」
「うんっ! 雪合戦とかやりたいなぁ」
くるくると傘を回し、雫は雪を楽しんでいた。
可愛くていい子だな、と心底思う。粉雪のように汚れなく綺麗で、昔は私もなりたいと願っていた。雫みたいないい子になれたら、と。
でも今は、そうは思わない。
私には私の輝きがあって、欲しいものに手を伸ばす方が大切だから。
「それは寒いから嫌だなぁ」
「むぅ、知ってるけどぉ! 帰ったら友斗先輩を誘おっかな。雪だるまぐらいなら一緒に作ってくれるかも」
「いいね。雪だるまなら私もやろうかな……」
「え、お姉ちゃんが作ったら変なのができるじゃん」
「変じゃないから芸術だから」
美術センス皆無な自覚はあるけど、それはそれでありだと認めてほしい。授業では評価されないんだけどね。まあ大衆には理解できない才覚があるってことで。
くすくすと二人で笑ってから、私は雫の手を握った。
雫はハッと目を見開いて、それから私に慈しむような視線を向ける。
「お姉ちゃん、あまえんぼー!」
「うっ、はっきりそう言われると恥ずかしいな……でもいいでしょ、たまには。寒いしさ」
友斗がいるなら、あいつの手を握るのだけれども。
今日は友斗はいない。
『ハーレムエンド』を目指すことを誓ったあの日から、もう数日が経った。友斗は何やら真剣に考えこんでいて、話しかけるのも躊躇われる様子だった。というか昨日まではママの方の実家に行っていたので、時間的にも余裕がなかったのだ。
では今日、こんな雪の日に外に出ているのは何故か。
その理由は――
「お待たせしました、雫ちゃん、澪先輩」
「あっ、やっほー大河ちゃん!」
「トラ子、遅い」
――大河に呼び出されたから、だった。
待ち合わせ場所にやってきた大河を冗談交じりの口調で咎めると、大河もムスッとした表情で返してくる。
「待ち合わせ時間5分前ですから咎められる謂れはないと思います……が、寒そうなので、もしよければカイロをどうぞ。家から持ってきたので」
「ん。おしるこ飲む? さっき買った」
「飲みます。ありがとうございます」
カイロとおしるこを交換する私たち。
ついさっき買ったものだから、おしるこはまだ冷めていないだろう。もう片っぽのポケットから練乳入りのコーヒーを取り出し、かしゅっ、とプルタブを開ける。
染み入る甘さに吐息を零し、それで、と私は言った。
「急に呼び出して、何の用事?」
言うと、あっ、と大河が声を漏らす。
「それなんですが……私の用事じゃないんです」
「うーんっと、どゆこと?」
「姉が、三人で来るように言ってきたんです。私はあまり乗り気ではなかったんですが、どうしても、と言われまして」
「あの人が……?」
トラ子の姉、入江恵海。
あの人に対しては、少し複雑な印象を抱いている。
面倒だが頼れないわけではない先輩。その程度だろうか。
以前映画を見に行ったときにはそれなりに話が合ったし、シスコンな部分には概ね同意できてしまうのだけれど、呼び出されると警戒せざるを得ない。
しかし……こうして来てしまった以上、無視をして帰るわけにもいかないだろう。
雫とトラ子を見遣り、こく、と一度頷く。
何かあれば、私がこの子たちを守ればいい。そう心中で呟いてから言った。
「ま、いいや。ぐだぐだしててもしょうがないし、行こ。どこに行けばいいの?」
「案内します。すぐ近くですから」
大河が歩き始め、私と雫はそれに続く。
受け取ったカイロは熱く、雪世界とのギャップで、手がびりびりと痺れていた。
◇
たどり着いた先は、馴染みのある公園だった。
文化祭の頃、練習に行き通っていた場所だ。けれど雪が積もったそこは普段とは全く違う雰囲気を纏っている。
入口を通り抜け、転ばぬように身長に階段を降りて。
そうして公園の広場まで向かうと、一人の女性の姿はあった。
ニット帽ですっぽりと髪を隠し、ブーツとタイツの白が雪と儚げに馴染んでいる。傘は白んでおり、ともすれば雪と共に消えてしまいそうな不確かさを孕んでいた。
「姉さん、三人で来たよ」
トラ子がその少女に告げる。
え、と思った。
そして、そう思うことがおかしいのだと気付く。
その人の背丈は、記憶の中の入江先輩とほぼ一致している。
そもそもここで待ち合わせをしているのだろうから、その人が入江先輩であることは考えるまでもないこと。
でも私にはそこにいるのが別の人であるように感じたのだ。
「お待ちしていました。雪の中、お呼び立てしてしまい、すみません」
「えっ……?」
「《《大河さん》》、二人を案内してくださってありがとうございます。《《澪さん》》と《《雫さん》》も、寒いですよね。申し訳ないです」
「えっと……入江先輩?」「…………」
明らかな違和感に、雫とトラ子が首を傾げる。
けれども私は、理解してしまった。
おそらくこの中で唯一、私だけが分かるのだろう。
「美緒ちゃん……?」
「はい、澪さん、その通りです。私は百瀬美緒と言います。皆さんには、初めまして、ですね」
《《入江恵海が演じ尽くした百瀬美緒》》がそこにいた。
友斗から聞き、彼らの母方の実家で聞き、彼女の書いた本を読み、私の中で出来上がっていた百瀬美緒像を恐ろしい精度で再現している。
否、おそらくは私の剽窃とは次元が違う。
真似ではなく、解釈だ。中学三年生になったであろう百瀬美緒の思考を、行動を、異例先輩は演じている。
振り向いた美緒ちゃんは、雪を照らすお日様みたいに笑っていた。
ああ、なるほど、と実感してしまう。
友斗が惚れるのも、よく理解できる。
「お姉ちゃん、どういうこと?」
「美緒ちゃんって、ユウ先輩の妹さん、ですよね?」
「うん。けど、入江先輩が今、美緒ちゃんを演じてる。おそらく……脚本は、霧崎先輩ですよね?」
「時雨姉さんのおかげで、こうしてお三方と話せていることは否定しません。でも……いいじゃないですか、そんな無粋なことは。折角の雪なんです。冬の魔法の一つや二つ、起こってもおかしくないでしょう?」
演じているか否かは関係ないのだ、と。
入江先輩が暗に言ってくる。
「そんなこと……っ、姉さん! 話すならちゃんと話して。その人は、ユウ先輩にとって大切な人なの。そうやって――」
「トラ子」
入江先輩に噛みつかんとするトラ子を、私は強く制した。
どうして、と睨まれる。
私は首を横に振り、一歩入江先輩へ踏み出した。
「たとえ演技だろうと、この人は美緒ちゃんだよ。美緒ちゃんの代わりをしていたから分かる。霧崎先輩が組み上げて、入江先輩が解釈しなおした――おそらくは、完璧にほぼ近い美緒ちゃん」
「っ、そんなこと――」
「あるんだよ、雫。だからここで何を言っても無駄。私たちが受けて立つまで、美緒ちゃんはここから退かない」
入江先輩は――もとい、美緒ちゃんは――こくりと頷いた。
トラ子も雫も唇を噛み、それでも何とか状況を飲み込む。
友斗と同じかそれ以上に美緒ちゃんに執着している霧崎先輩と、私より遥かに演技力の高い入江先輩が手を組んで、私たちと美緒ちゃんを無理やりに対面させた。
何が冬の魔法だ、と思う。
趣味の悪いやり口だ。
「それで、美緒ちゃん。こんなやり方をしてまで、私たちと何を話すつもりなの?」
二人を庇うように立ち、私は言う。
雪の中、傘を閉じた美緒ちゃんは、手のひらで雪を受け止める。
「単刀直入に言います。《《兄さんをこれ以上苦しめるのはやめてください》》」
「「「…………っ」」」




