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九章#41 叶えてはいけない恋

「どうすればよかったんだよ」


 三人と話してから数日が経っていた。

 家の中には、俺ひとりだけがいる。

 雫と澪は、大河と一緒にどこかに出かけた。今日は雪が降っているから、わざわざ出かけなくたっていいだろうに。そう思うものの、家に三人がいても会わせる顔がないので、止めることができなかった。


 あれからずっと、ずっと、考えている。

 頭の中では、色んな声がぐちゃぐちゃになって残響していた。


 『ハーレムエンド』は理想的かもしれない。

 四人でいられるのは最高だ。俺は三人のことが好きだし、三人でいるあの子たちのことも好きだ。あの子たちが決して妥協ではなく『ハーレムエンド』を望んでくれるのなら、どんなに喜ばしいことだろう。


 けれど思うのだ。

 本当にそうなのか、と。

 あの三人に『ハーレムエンド』なんてことを口にさせてしまったのは、お前なんじゃないか。そう、なけなしの良心が叫んでいる。


 ――私には、百瀬先輩が雫ちゃんの恋心を利用しているようにしか見えません


 いつかの大河の言葉が、矢の如く突き刺さって抜けない。

 あのときと今では状況が違うけれど、やっていることは変わらないじゃないか。

 雫だけじゃない。澪や大河の恋心まで利用して、俺にとって都合のいい結末を望むように仕向けたんじゃないか。

 〈水の家〉も、家にいつでも来ていいと言ったのも、無意識のうちに俺が『ハーレムエンド』を望んでいて、あの三人にも同じように思ってもらえるための小賢しい作戦を弄したのではないか。


 ――あの子たちだけじゃなくて周囲の人みんなを美緒ちゃんの代わりにして、誰かの力になれる自分に依存しているんだよ


 時雨さんはそう言っていたけれど、それだけじゃなかったとしたら?

 都合のいい『ハーレムエンド』のために、半ば強引に助けるような体を取っただけ。

 本当は、別に助けてもいないのに。むしろ俺のせいであの子たちは苦しんで、けれども自分たちで乗り越えた。それだけにすぎないのに。


 それでも自分が助けたようなふりをして、ヒーローぶって、だから代わりに『ハーレムエンド』を望め、と。

 そう傲慢に願ったのではないか。


「違う、はずなのに……っ」


 そうじゃないと信じたい。

 俺は事実、この恋心を抑えようとした。一生隠して、墓場まで持っていこうと決意していた。晴彦に誓っていたのだ。

 けれども、ずっと好きだった。

 『好き』はちっとも変わってはくれなくて、むしろ日を追うごとに増えていった。


 24日に自覚して、25、26、27、28――。

 29、30、31、32、33、34――。


 まるでカウントダウンのように過ぎ行く日々は、『好き』を終わらせてはくれない。ぷかぷかと風船を膨らませるように『好き』が膨張していって、どうすればいいかなんて分からなくなっている。


『12月に芽生えた恋の行く先は、1月ではなく13月だった。だから俺が1月にさえ進めば、この気持ちとはおさらばできる』


 俺は1月に進めず、13月に迷子になってしまった。

 或いは、終わらない12月で足踏みをしているのかもしれない。

 この気持ちを置いていくことはどうしてもできず、ガキみたいにわがままばかり言っているのだから。


 ――けど、恋に真っ直ぐで、眩しくて……そういうのって、キツそうだよね。ちょっとウチには、無理かな。恋以外に何かがないと。それだけじゃいつか、焼き切れちゃいそう。イカロスの翼みたいにさ


 伊藤はそう、球技大会のときに告げていた。

 恋は眩しく、熱く、それだけではきっと焼き切れてしまう。それなのに俺は自分の生き方をきちんと握りもせず、『好き』を持て余して日々を過ごしていた。

 焼き切れて当然だ。

 イカロスのような立派な蝋の翼すら持たない俺に、飛べるはずなどない。


 ――恋は終わりを待つものじゃない。終わらせるか、実らせて愛にするか、そのどちらかだよ。どちらにもならなかった恋は、きっと呪いになる


 父さんは、そう言っていた。

 実らせることは許されないのだから、きちんと意思を持って終わらせるべきで。

 なのに終わりを待って、挙句の果てに雫たちに別の終わりを提示させてしまった。


 ならば、俺のするべきことは。

 今度こそ、正しく終わらせるべきなのだろう。


 俺はもう、繰り返すわけにはいかない。

 あの三人の恋心を利用して、一緒にいるために“関係”をラベリングして、そうやって歪な四人での日々を繰り返してはならないのだ。


「この恋を、終わらせよう」


 酷く冷たくて恐ろしい響きを伴っていた。

 けれどこれしか方法はない。

 だって、『好き』は魔法じゃなくて呪いだから。

 あの三人をいつまでも呪わずに済むように、ちゃんと終わらせなきゃいけない。


 じゃあ、どうやって?

 あれから10日以上、俺はちゃんと終わらせようとしたつもりだ。

 それでも捨てきれないこの想いを、じゃあどうやって消すことができる?


 ――とぅるるるるっ


 行き詰っていた思考を、高らかになる着信音がノックした。

 重くてしょうがない身体を動かしてスマホを見れば、発信主は時雨さん。正直、出る気にはなれない。

 けれど、


 ――だから、三つだけどんな願いでも叶えてあげるよ


 時雨さんの言葉が、脳裏によぎった。

 あの人は俺に先んじて美緒の生と向き合い、生き方を見つけた人だ。正真正銘、俺にとっての先輩でありお姉さん。

 時雨さんになら頼ってもいいかもしれない。

 頼ることが許されるかもしれない。


 それが更なる甘えだと自覚しながらも。

 俺は画面をフリックし、電話に出る。


「もし、もし?」

『もしもし、キミかな?』

「うん、そう」


 電話の向こうから、やっぱり、と小さな呟きが聞こえた。

 窒息しそうになりつつも、喉を押すようにして声を絞り出す。


「それで、時雨さん。何か用事?」

『きっと、キミがボクに用事があるんじゃないかと思って』

「――……っ」


 この人は、どこまでも俺のことを見透かしてしまう。

 歯噛みしつつ、はぁ、と吐息を漏らす。

 本当はこんなこと頼みたくない。時雨さんの優しくて無邪気なクリスマスプレゼントをこんな風に使いたくはない。

 でも、俺はもうこれしか方法を知らないから。


「時雨さん、三つのお願いのうち一つを考えた。聞いてくれないかな」

『……なるほど、キミはそうくるんだね』

「えっと。それはダメってこと? いいってこと?」

『どんな願いでも叶えてあげるって言ったでしょ? ダメなんて言わないよ。ボクの一生でも、世界の半分でも、キミが欲しいものをボクはプレゼントするから』


 但し、と時雨さんは電話口で続ける。


『その願いは直接聞きたいから……そうだな。今から出てこれる?』

「えっ、今から……?」

『そう、今から。だって――今日は雪が降っているんだよ。こんな日に外に出ないだなんて、つまらないじゃない』

「…………」


 時雨さんの口調は、普段のような刹那主義な印象を感じさせはしない。それでもあえてこんなことを口にするのは、時雨さんなりの意図があるのだろう。

 確かに、顔を合わせずにする話ではないかもしれない。顔を合わせてしたい話でもないのだけれども。


「分かった。どこ行けばいい?」

『そうだなぁ。外は流石に寒いし、話も長くなるかもしれないから……カラオケでどう?』

「カラオケ……」


 騒がしさに紛れれば、或いは、少しはみっともなさを隠せるだろうか。

 そんなことを考えた俺は、いいよ、と肯った。


『じゃあ、場所は住所を送るね。多分キミも行ったことがあるところだと思う』

「了解。ごめん、こんな日に」

『ううん、こんな日だから、だよ』


 じゃあまた後で。

 そう告げると、時雨さんは電話を切った。


 窓から見える雪景色は、あの歌を思い起こさせる。俺は――あの主人公のようにはなれない。


 強く、強く、そう思ったから。


 赤いマフラーを巻くのをやめて、外に出た。

 吹き荒ぶ風は、どうしよもなく冷たい。ひりひりと肌を凍えさせ、泣きたくなるぐらいに心が凍死していく。

 そうして終わってしまえればいい。

 どうせ最低なら、どこまでもトコトン最低に。


「雪、降ってくれてよかったな」


 雪は全てを隠してくれる。

 想いも、それ以外の何かも、全部を隠してくれるから。


 ぐしゃり、雪を踏むと嫌な感触が伝ってきた。

 ばっと広げた傘には、しんしんと雪が降っていく。


 傘の中の四つの『人』。

 三つ分足りない今こそがむしろあるべき姿なのだと気付き、はぅ、と溜息をついた。

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