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九章#40 ハーレムエンド

 翌々日。

 三が日の最後である1月3日の空は、嫌に曇っていた。青空ではなく白空で、けれど字面だと後者でも割と綺麗に思えるのがアンバランスだ。

 結局昨日は大河が忙しくて一日中会えず、俺たちは時雨さんを入れて三人で正月らしい遊びをしたり、おせちを食べたり、三が日の真ん中をそれっぽく過ごした。


 高台からは白くどん詰まった空と、深くて終わりのない海が見える。

 前に来たときはここから花火が見えて、結構穴場だと思ったんだよな、と思い出す。


「なんとか四人で来れましたね、ここに」


 ここは夏休み、俺と雫と澪の三人で話をした場所だった。

 俺たちの歪んだ関係を正し、やり直すことを決めた場所。そこに今度は四人で行きたいと言い出したのは、今しがたアンニュイな声で呟いた雫だった。


「そうだね……ごめん、雫ちゃん。私の方が忙しかったせいで、昨日は全然会えなくて」

「ううん、だいじょーぶだよ。家の用事ならしょうがないもん」

「そうそう。忙しかったって言っても、別に楽しんでたわけじゃなさそうだしね」


 申し訳なさそうな大河に、雫と澪がそう告げる。

 すっかり仲のいい三人を後ろから眺め、ああ奇麗だな、と心底思った。

 一昨日や前回のように、特別な装いというわけではない。

 三人も俺も私服だ。それでも特別に感じるのはこの場所に抱いている思い出ゆえか、それともこの場に四人で来ることの意味を薄らと理解しているからか。


 ふるふると首を振って、拳を握る。

 じんわり滲む汗をズボンで拭いてから、それで、と口を開いた。


「どうしてもここで話したいことがある、って言ってたよな?」

「むぅ。そーやって、すぐ本題に入ろうとする。まずは感慨深くなったりしないんですか~? ここ、友斗先輩が私に振られた場所ですよ?」

「そそ。私が振った場所でもあるし」

「そう言われると居た堪れないんだよなぁ……」


 しみじみと呟くと、と雫と澪がくつくつと笑う。

 振った振られたってわけではなく、どちらかと言えば“関係”を終わりにしただけのようにも思うけれど……似たようなものだろう。


「その後に、四人でお祭りに行ったんですよね。大河ちゃんとも回れて嬉しかったなぁ」

「懐かしいね。私も、友達と回ったの初めてだったから凄く嬉しかった」


 回想するように言うから、否が応でもあの日を思い出してしまう。

 あれから今日まで、色んなことがあった。

 おそらくあの日が本当のスタートラインで、そこから今まで、障害物競走やらパン食い競争やらと色んなものが混ざったレースを駆け抜けてきたのだろう。


 二人ずつから三人に、三人から四人になって。

 文化祭で澪と向き合って、選挙を経て大河と対話して、その後に雫の悩みを聞いて、時雨さんを知って、そして――恋をした。


「あれから今日まで、私はすっごく楽しかった。友斗先輩のことはもちろん、大河ちゃんのこともお姉ちゃんのことも大好きだなって」

「それは私もそう。不服だけど……トラ子も、可愛がり甲斐はあるしね」

「む。そう言われると肯定しにくいですが、私も気持ちは同じです。澪先輩のことも嫌いではないですし、雫ちゃんやユウ先輩のことは大好きですから」


 言い終えて、三人の視線がこちらを向いた。

 三人が口にしたように、俺も何かを言うべきだろう。この期に及んで用意された時を待っていることを恨みつつ、そうだな、と呟く。


「めちゃくちゃ楽しかったよ。文化祭は大変だったけど絶対に忘れない。選挙も大変だったし、その後も大変なことばっかりだったけど……三人がいてくれたから、最高の思い出になった」


 十年先、二十年先、きっとこの日々を忘れはしない。

 幸せだった。

 “関係”を取り払って、関わる“理由”をいちいち用意せず、関わりたいって思いだけで関わる。そうしてよかったと心底思った。


「はいっ!」

「はい、私もです」

「ん」


 三人が、こくりと頷く。

 くぉぉぉぉん、とトラックの駆動音。

 波と風と綯い交ぜになって、どこか花火に似た切なさを胸に抱く。


「四人で楽しかったからこそ……友斗先輩、私たちは決めたんです」


 雫の右手を大河が、左手を澪が握った。

 三人がじっとこちらを見つめている。


「決めた?」

「はい。たどり着きたいゴール、決めたんです。本当はクリスマスの前から決めたんですけど……なかなか言えてなくて。でもちゃんと考えて、この場所でもう一度言うべきだって思いました」


 たどり着きたいゴール――この恋の終着駅。

 こく、と大河と澪も頷く。


「雫ちゃんに言われて、きちんと考えて、話し合って……一番の幸せはこれだろうって結論があるんです」

「欲しいものを全部手に入れられる。そんなゴールを、私たちは目指してる」


 続く二人の言葉に、ああそうか、と思った。

 俺が足踏みをしている間に、この子たちはまたも前に進んでしまったのだ。眩しくて、胸が苦しくなる。

 俺は――まだ何もしていないのに。


「友斗先輩、聞いてくれますか?」

「………………ああ」


 息が詰まって、誤作動みたいな肯定しか口にできなかった。

 雫はふっと笑む。

 三人は、手を繋いだまま、同時に一歩を踏み出した。


 ……っ。

 本当に……仲いいんだな、三人は。

 いつかの懺悔が頭をよぎる。

 己の胸の内を打ち明け合って、三人はきっと大切な“何か”を共有する存在になった。それは友達とか親友とか、そういう“関係”で括られるべきものではなくて。

 名前のつかない、とても素敵な関係なのだと思う。


「私は……私たちは、『ハーレムエンド』がいいです」


 ならば――彼女たちにそう言わせてしまったのは、誰なのだろう。

 『ハーレムエンド』。

 二次元ならば分かりやすいハッピーエンドで、妄想の塊で、「いや主人公はきちんと選ぶべきだ」なんて言う輩には「うっせぇ。全員が幸せになるんだからいいだろ」と説教してやりたくなる。

 そんな言葉は、しかし、現実にはありえない。


「四人でいるこの時間が、大好きです。三人それぞれのことが大好きです。特に友斗先輩には恋愛感情を持っていて、でも、大河ちゃんやお姉ちゃんの恋も叶ってほしいって思うんです」


 俺の思考とは対照的に、雫はどんどん進んでいく。

 貰った懐中時計が壊れているのだろうか。そう思うほど、俺は止まったままなのに。


「最初は選ばれたい、一番になりたいって思ってました。その気持ちは多分変わってなくて……でも、私が選ばれるから他の誰も選ばれちゃいけないなんてこと、ないと思うんです。三人で一番になれるなら――それが一番の中の一番だと思ったんです」


 甘い言葉だ。

 まるで俺の欲しいものをそのまんまプレゼントしてくれる一足遅いサンタクロースのようだ、と思ってしまう。

 にかっと笑う雫の言の葉を、大河がそっと引き継ぐ。


「嫉妬はするかもしれません。けれど、雫ちゃんや澪先輩相手に抱く嫉妬は、多分少し違っていて。仲間でライバルというのはありきたりな言い方ですけど……そんな感じだと思います」


 すぅ、と大河が息継げば、澪がその続きを口にする。


「だから友斗が私たち三人を好きになってくれるなら、一緒に『ハーレムエンド』にゴールしてほしい。四人でいられる一番の幸せに、手を伸ばしてほしい」


 三人が、手を握り合って。

 言葉を結びあって、そして告げてくる。


「私は、友斗先輩が好きです」

「私はユウ先輩が、好きです」

「私は友斗が好き」


 ダブった三人の声が、とくとくと脳に染みていく。

 心をブランコのようにきぃきぃと揺らし、唇を震えさせた。零れ落ちそうな一言を言うまいと唇を噛んだら、口の中に鉄っぽい味が広がる。


 雫が好きだ。

 自分自身の『好き』を大切にできる眩しさも、

 誰かの『好き』を繋げてあげる優しさも、

 日々を照らしてくれる眩しい笑顔も、

 小悪魔で悪戯っぽいところも、

 なのにうぶなところも、

 危ういところも、

 顔も、声も、

 好きだ。


 澪が好きだ。

 欲しいものにどこまでも貪欲になるところも、

 かと思えば周囲をよく見ているところも、

 大河や雫を大切に思っているところも、

 性欲が強くて誘惑してくるところも、

 食いしん坊なところも、

 負けず嫌いなのも、

 顔も、声も、

 好きだ。


 大河が好きだ。

 クソ真面目で自分の中の正義を貫ける強さも、

 劣等感を抱えながら足掻いているところも、

 生徒会の仕事に一生懸命なところも、

 うぶで恋愛初心者なところも、

 人を叱れる優しさも、

 謝れるところも、

 顔も、声も、

 好きだ。


 好きに決まってる。

 三人のことが好きで、そこに優劣なんてない。

 『好き』を選べないのだから『ハーレムエンド』は俺にとっても望ましい選択で、これ以上ない最高のゴールで、今すぐにでも肯うべきなのだろう。


 でも……っ!!

 それができないことを、俺は痛いほど理解している。

 だって――無理じゃないか。

 そんな愛のカタチは、歪んだ家族のカタチは、認められていない。


 父さんも義母さんも晴季さんもエレーナさんも祖父ちゃんも祖母ちゃんも楽しそうだった。

 正しい家族のカタチだった。

 愛の延長線上の『家族』はとても素敵で、けれど、定まったカタチでなくちゃいけない。食みだせば何かしらの問題が生じる。それは俺や三人だけにとどまらず、他の色んな人にまで飛び火するはずだ。


 まして、大河はどうなる?

 四人でぬるま湯に浸かるような日々を過ごしていたとして、そこには明確なリミットが定められている。25歳になれば大河はお見合いをしなければならない。その相手が俺であろうと、そうでなかろうと、四人の関係性が変わることは避けられないはずだ。


 『ハーレムエンド』が為し遂げられるのはフラグがあり、ルート解放条件が設定されている世界でのみ。

 《《現実世界では一緒にいるために然るべき理由が必要なのだ》》。


 だから、その終着点にはたどり着けない。

 線路はそこに続いてはおらず、無理やり通ろうとすれば列車が壊れて乗客は酷い傷を負ってしまう。

 そんな風に傷つけることなど、できない。


「俺は……っ」


 無理だ、と言うべきだ。

 じゃあ――それでどうする?

 俺は三人を選べない。けれど三人を選ばない選択もまた、選ぶのを拒否している。ならばもう答えは出しようがない。

 たった一つの答えはきっと―――。


 口にすべきその嘘は、喉から先に進んでくれない。

 言いたくない。心がそう叫んでいた。


「……もちろん、今日答えを出してほしい、なんて言いません。今日はあくまで宣誓しただけですから」

「っ、せん、せい……?」

「そ。私たちは友斗が『ハーレムエンド』を目指したくなるよう、アタックする。選ばれるのを待つなんて癪だしね」

「だから友斗先輩は、考えてください。それで結論が出たら、告白してほしいです。三人に、最高の告白を」


 あまりにも甘く、優しく、ただでさえダメな俺をダメにし尽くしてしまうような言葉だった。

 それを許してはいけない。

 きちんと、自分の言葉で、自分の手で進めないと……っ。


「分か…った。考えるよ、一生懸命」


 誠実でありたいと、強く在りたいと願うくせに。

 告げるべき嘘は口にしたくないと駄々をこねるくせに。

 最低最悪の嘘だけは、いとも容易く口から零れた。


「はいっ! 待ってます」

「いい返事以外、受け取る気ないけどね」

「…………はい」


 三者三様に言うと、三人は手を離し、俺の横を通過していく。

 高台を降りれば、四人っきりではなくなる。

 俺は三人の背中を。

 眩しくてしょうがない太陽を。


 真っ直ぐに見つめることもできず、ただ立ち尽くしていた。

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