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九章#38 お見合い

「その目……まさか、孝仁の孫か?」

「え゛」


 ――孝仁。

 唐突に出てきたその名前の持ち主を俺は知っている。

 俺の祖父の名前だ。

 え、なんでこの人祖父ちゃんの名前知ってんの? 頬をひくひくさせながらも、やっとの思いで作り笑う。


「は、はい。私の祖父は孝仁と申しますが……祖父をご存知なのですか?」

「ご存知? ああ、それはもちろん! 昔馴染みだ。悪友、好敵手、敵……色々と呼び方はあるがな」

「え、私ここで殺されたりしませんよね?」

「ん? まさかあいつがなかなか会わせようとしなかった孫にようやく会えたんだ。そんなことするわけあるまい?」

「そ、そうなんですか……」


 うっかり素で心配になっちゃったけど、大丈夫らしい。

 にしても、なんつーか、意外過ぎる。

 この人と祖父ちゃんって割と真逆な存在な気がするんだが……。


「お爺様……彼のことをご存知なんですか?」


 俺が呆けていると、聞き馴染みのある声が聞こえる。

 大河、ではない。それよりも太くてよく通る声。入江先輩だ。


「いいや、彼のことを知っているわけではない。ただ彼の祖父とは昔馴染みでな。今でもたまに連絡を取り合うんだが……いつものように孫自慢をされていたんだ」

「なるほど……」

「何でも、全国模試で1位になったことがあるだとか、学校で二年連続生徒会長になっただとか、そういう噂をな」


 あ、はい、それ俺じゃない方の孫ですね……。

 入江先輩も察しがついたようで、苦笑交じりにこちらを見てくる。


「あ、あの。大変申し訳ないんですが、それは私ではなく私の従姉……叔父の娘の話ではないかと思います」

「む? そうなのか」

「はい、すみませ――」

「――なら尚更よい。君に会いたかった」

「へ?」


 え、どういう展開っすか?

 あれだ、いわゆるテンプレWEB小説みたいな急に家柄で主人公をヨイショする展開だ。怖くて厄介だと思っていた家をチョロく懐柔することで主人公の魅力が上がっているように見える(が、実際には薄っぺらくて浅いヨイショに見えかねない)アレなのだろう。

 身構える俺に、その男性はとんでもないことを告げてくる。


「君。うちの婿にならないか?」

「は?」

「「お爺様!?」」


 俺の間抜けな声と、二人分の驚いた声が響く。

 かぽん、と鹿威しが時間を区切るように鳴るが、知ったこっちゃない。風流とか考えられるのは、精神的に余裕があるときだけである。


「え、すみません。今なんと仰いましたか?」

「聞こえなかったか? うちの婿に婿入りしないかと誘ったんだ」

「は、はあ……えっと、どうしてまた、私なんかに?」


 出会って五秒で求婚、みたいな同人誌感のある発言に戸惑ってしまう。

 婿入りどころか、嫁入りだって言葉狩りされるこの時代に、よくもまぁこんなことを、と思わなくはない。

 だが言いたい放題言ってはいけない。瞬く間にポジションが朝倉神社の代表から祖父ちゃんの孫へと変化したが、それでもポジショントークを続けるべきなのは変わらないはずだ。


「それはだな……君のことも、あいつがよく話しているんだ。もう一人の従弟に比べると不器用なところはあるが、一生懸命で負けず劣らず優秀だ、とな。その話を聞いたときから、ぜひともいずれは孫と見合いをさせたいと思っていたのだよ」

「……は、はあ」

「身近に自分より優秀な人間がいる者は強いからな。人並みより優秀であれば孫を任せても問題あるまい。英雄色を好むと言うように、優秀すぎる者の女性関係は目に余る場合もある。何でもできる孫より、君の方がいい」

「……なるほど?」


 イマイチ分からん。

 が、何となく分かったこともある。

 第一に、どうやらこの人はうちの祖父ちゃんと結構因縁が深いようだ。仲の良し悪しでは語れない何かがあるのだろう。だからこそ、その孫を婿にしたいと考えているのかもしれない。


 第二に、かなり我が強くて家父長的な文脈にいるっぽい。まぁ髪色ごときで色々と言っていたという話からも察してはいたが、まだ高校生の孫との見合いを考えている辺り、相当なものだ。


 第三に、これは逃げた方がいいな、ということ。入江先輩に感じていたよりも更に凄い圧を感じるので、俺が真っ向から戦っていい相手ではないだろう。いや、戦わないんだけどさ。


 ってことで、


「あ、ありがたいお話です。しかしまだ私は高校生ですので――」

「――もちろん知っている。都内の名門校に通っているとは聞いていたのだが……あいつはそれ以上のことはうろ覚えでな。どこに通っているんだ?」

「えっ、あ、えーっと」


 『しかしまわりこまれてしまった』状態だった。

 ならば『仲間を呼ぶ』コマンドしかあるまい。入江先輩を見遣ると、はぁ、と小さな溜息をつかれた。


「お爺様。彼、実は私の後輩なんです」

「ん……? 恵海、それは本当か?」

「はい。だから――」

「――私の先輩にあたります。というか、生徒会で何度かお世話になっている方です」


 入江先輩の言葉を継ぎ、大河が告白する。

 男性はギロリと大河を見つめると、そうか、と呟いた。


「ふむふむ……これも縁、ということか。僥倖だ。知り合いなのであれば、二人のことも知っているだろう? 恵海も大河も、器量は良く、何につけても優秀な子だ。髪が母親に似てしまったのは些か口惜しいがな」


 しれっと毒づく。客の前でそれを言えてしまうあたり、本人は毒だとも思っていないのかもしれない。

 何だかなぁ……この人に褒められても全然嬉しくないし、お腹の奥がムカムカしてしょうがない。


「そうですね。恵海さんも大河さんも、学校では知らない人がいないような方です。とても立派なお孫さんだと思いますよ。金髪くらい、東京ではそれほど珍しくもないですしね」

「…………」

「…………」


 ピン、と空気が一瞬張り詰める。

 触れれば大きな音を立てて切れてしまうような緊迫感に、しまった、と唇を噛む。どう考えても最後の一言は要らないのに。

 俺もつくづくガキだな。

 それでも慌てて取り消す方が違う気がして、にへらっと笑って見せる。

 男性は、ふん、と鼻を鳴らした。


「そういうところは孝仁そっくりだ。やはり孫なのだな」

「……そうですね、孫ですから」

「気に食わないが、気に入ったぞ」

「えっ」


 矛盾したような一言が、しかし、その人の口からは理に適っているような響きを伴って出てきた。

 くくくっ、と愉快そうに笑うと、その人は続けて言う。


「婿入りはおいおい考えてくれればいいとして……そうだな。ちょうどこれから、出前を取ろうと思ってたんだ。君もぜひ食べていってくれ」

「あっ、い、いえ。お構いなく」

「構う構う。あいつには酷い目に遭わされたからなぁ……孫にはたっぷり構ってやると決めたんだ」

「お・か・ま・い・な・く!」


 断固として拒否の姿勢を取る俺。

 だが、その言葉の方が『お構いなく』されてしまう。出前を取り始めているのを見て、ああこれは無理やり帰れないな、と悟った。


「すみません。神社の方と、あと家の者に連絡してきます」


 こうなれば状況に対応するしかない。神社に変に迷惑をかけるわけにもいかないしな。

 俺は一度頭を下げ、部屋から出て、スマホをぽちぽちっと操作する。


「ったく、どうしてこうなった……」


 一年の計は元旦にあり、と言う。

 別に一年の全てが元旦次第だという意味ではないが、どうにもこうにも、幸先が悪いスタートだった。

 それに―――。

 嫌なことを思考から追い出すように、柳さん、そして祖父ちゃんへと連絡をする。


 どちらも反応は軽かった。

 どうやらお昼をご馳走になるのはいつものことらしい。特別にロックオンされているわけじゃないようで安心した。いや、ロックオンされてないかどうかは判別つかないけど。

 祖父ちゃんは、ちょっとだけ面倒そうにしていた。

 曰く、


『あいつは昔から頭固ェし、いちいち小言がうるせェしで、友達少なかったんだよなァ。俺と祖母さんでよく連れ回したもんだ』


 とのこと。

 絶対、その連れ回す過程で酷い目にも遭わせてると思う。

 ちなみに俺を頑なに会わせようとしなかったことについては、


『昔、子供ができたら見合いさせようって話をしてなァ。でも晴季も孝文も普通に恋をしたもんだから、自然消滅したんだ。それを覚えてて、見合いさせよう、みたいな話になったら面倒だろ?』


 らしい。

 祖父ちゃんなりに気を遣ってくれたんだろう。俺の知らないところで世界が繋がり、ついでに攻防してて、突然異能バトルの世界に導かれる主人公の気持ちになったけども。


「お爺様に気に入られたようね」


 苦笑していると、そう声を掛けられた。

 顔を上げれば、絢爛な着物を纏う入江先輩がいる。髪とか関係なしにこの人も綺麗だよな……。


「さあ。俺もよく分かんない理由で色々言われただけなんで。場のノリみたいなものなんじゃないですか?」

「それはないわよ。お爺様はいつだって真剣だもの。冗談が苦手なタイプなの」

「あぁ……なるほど」


 言うのも聞くのも、苦手そうなタイプだわな。

 肩を竦めて返すと、入江先輩は言った。


「知らなかったわ。一瀬くんとお爺様に繋がりがあったなんてね」

「俺っていうか、俺の祖父の話ですけどね。ヨイショのされかたもイマイチ分からなかったですし」

「そう? 言い得て妙だったじゃない。女性関係のこと以外は」

「っ……」


 皮肉げなその言葉は、一体どのことを言っているのだろう。

 俺が三人に好かれていることか、俺が三人を好きでいることか。

 それとも――両方か、それ以外のことか。

 いずれにせよ、この話はもうここでおしまいにしたい。さもなくば、別のことを考えてしまうだろう。


「ま、時雨さんは色恋に興味ないですしね。それにあの人、英雄って性格でもないですし」

「…………そうね」


 それよりも、と俺は話を変える。


「大河はどこ行ったんですか?」

「家のことを少し手伝ってるわ。家のことは女が、っていう場所だから」

「なるほど。……あれ、じゃあ入江先輩は?」


 あなたも女では、と視線を遣ると、ばつが悪そうに逸らされた。


「私、家事全般だけはあまり得意ではないのよね」

「なるほど」

「その『なるほど』への実感のこもり方、ムカつくわね……」


 いやまぁ、家事までこなされると完璧すぎて気が引けちゃいますし?

 苦笑しつつ呑み込んだ唾は、鉛みたいに重かった。

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